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第5話 覗き見る
(……あっ)
昼休みに食堂に向かう途中、何気なく窓の外を眺めていると、最近見慣れた小さな頭が見えた。春の風に細っこい髪が遊ばれている。風に煽られて、ひらひらゆらゆらと身体も揺れる。舞い散る花びらのようだ。もはや、生きてるだけで可愛いな、と雲雀は思わず立ち止まってしまった。
「雲雀? どうし…ああ! あいつ!」
不自然に立ち止まったものだから、飛鳥が気付いて視線の先を追い、また叫ぶ。優介もまた陽に気付いたが、飛鳥の反応とは対照的に、「わぁ、陽くんの頭小さいなぁ」と頬を緩ませていた。
「ふーん、あれがお前の『お気に入り』か」
睡蓮が雲雀の肩に肘を乗せ、体を預ける。パーソナルスペースを侵されて雲雀は僅かに顔を顰めて睡蓮を睨んだ。けれど睡蓮はふふん、と勝ち誇ったような笑みを浮かべて、視線は陽に向けられていた。
「お前が気に入るなんてどんな奴かと思ったが、どこにでもいる仔兎じゃないか。心配して損した。アレなら誑かされることもないな」
「だからそういうんじゃねぇって」
「おっと、あれはいいのか?」
「は?」
にやにやと笑みを浮かべた睡蓮が陽の歩く、その先を白い指で示した。
「お前の仔兎、男と一緒みたいだが?」
陽の前には背の高い少年が歩いていた。時折陽を気遣うように振り向いては立ち止まり、追いつくとまた歩き出す。そうやって二人は、人気の少ない校舎裏の方へ向かっていく。思わず後姿をじっと見つめていると、すぐ横で睡蓮が軽く嘲るように笑った。
「あんな無害な小動物のような顔をして、次から次へと男を誘い込むなんて、Ωらしいところもあるんだな?」
「……」
「しかもお前や、今の奴のような優秀なαを選ぶあたり、よくわかってる。Ωとしては優秀じゃないか」
「……お前、いい加減にしろよ」
雲雀は睡蓮を睨みながら、払い除ける。
睡蓮は大人しく肩から離れたが、さらに続けた。
「ちょうどいい機会だ。あいつの本性がどんなものか、見てやりたい」
「は?」
「お、俺も!」
歩き出す睡蓮に、「絶対正体暴いてやる!」と瞳を燃やして飛鳥が続く。
「ふ、ふたりともやめなって! ど、どうしよう雲雀……?」
優介は進んでいく二人と止めようと手を伸ばすも、掴むことまではできず、オロオロとしながら雲雀と二人と交互に見ている。
「……睡蓮!」
「お前も来いよ」
雲雀の怒りを滲ませる声を遮って、睡蓮はくるりと振り向いた。白銀がベールのように奥ゆかしく煌き揺れて、その奥から妖しく輝く瞳が垣間見える。雲雀へと向けられる眼差しは混乱を望んで楽しそうに細められ、儚げな美貌には似つかわしくない不穏な光が宿っていた。
「それとも、可愛い仔兎ちゃんの夢を見続けたいのか?」
「……」
雲雀は窓の外へと視線を向ける。陽の後ろ姿はもうすぐにでも見えなくなるだろう。
一緒にいた男のことは知っている。αにしては少し大人しいが、頭も性格も悪くない。心配するようなことは起きないはずだ。
けれど、人気のない場所で思春期のαとΩが二人っきりで、本当に何も起きないという保証はあるのだろうか。
『――既成事実さえ』
(……既成事実……)
今朝の睡蓮の言葉がじわりと蘇る。
――……いやいや! だから、ダメだろ! あと二人っきりってなんか嫌だ! 俺もまだなのに!
心の内は荒れ狂っていたが、雲雀はあくまでも平静を装い、深くため息をついた。
「……わかった。俺もいく」
「えー! 雲雀も!?」
優介が戸惑いながら、歩き出した雲雀の後ろに続く。睡蓮は勝ち誇ったように笑みを浮かべていて、雲雀は静かに睨んだ。
「やっと目が覚めたか?」
「お前が余計なことして搔き乱しそうだからだよ」
ふーん、と睡蓮は少しも信じていない様子で目を細め、笑っていた。
***
――俺の馬鹿。
睡蓮たちと共に陽を追った雲雀は、追いついて早々に後悔して頭を抱えた。
「陽くん……! ずっと好きでした! どうか、僕と……お、お付き合いしていただけないでしょうか?!」
二人の様子を覗き見た直後、顔を真っ赤にした少年が叫ぶ。
二人っきりで何をする気だ俺の陽に! と混乱した頭ではこんなお決まりの展開さえも予期できなかったのだ。
(人気のないところですることなんて、まず告白だろ……。何してんだ俺は……)
自己嫌悪で心臓が潰れそうな雲雀とは裏腹に、睡蓮は面白くなさそうに二人を眺めている。αを救い出すぞ、といわんばかりの勢いだった飛鳥はすっかり顔を赤くして俯き、優介は見てはいけないものを見てしまった罪悪感で青ざめている。けれど、二人とも好奇心の勝てなかったようだ。立ち去る様子はなく、陰に隠れて二人を見つめている。
雲雀は一刻も早くこの場を離れたかったが、陽が気がかりで留まってしまった。
陽は告白されて、大きな目を少しだけ丸くした。ぱちぱち、と瞬きを繰り返して、首を傾げている。
数秒後、ようやく言葉が届いたのだろう。陽はゆったりと微笑んだ。
「ありがとう」
肯定とも否定ともとれる言葉に、雲雀は一瞬ギクリと肩が震えた。
「おれね、今は誰ともお付き合いするつもりないの」
「あ……そ、そっか……」
しっかりとお断りの言葉が続いて、αの少年は肩を落とした。同時に雲雀も、ほっと胸を撫で下ろす。
αの少年は砕け散った恋心をぎゅっと押し込んで、俯いた。
「……き、急にごめん、こんなこと言って……こ、困るよね……」
「ううん、嬉しいよ」
耐えるように強く握りしめる大きな手を陽の両手が包み込む。少年ははっとして顔を上げた。
「覚えておくね」
陽が慈しみ深く目を細めて微笑む。少年はその優しい色の眼差しを見つめて、やがて少し泣きそうな顔で、笑った。
***
「な、なんだあいつ! 振ったくせに! お、思わせぶりなことして! なっ!?」
「……」
その場を離れてから、静かだった飛鳥は急に思い出したように、荒々しく憤慨する。告白の現場に行くまでは睡蓮が焚きつけていたから、今も一生懸命睡蓮に同意を求めている。だが、睡蓮は何も返さないので、さすがの飛鳥もだんだん声が小さくなっていく。睡蓮の期待していたような混乱や修羅場を見れなかったことが面白くないのだろう、ということが雲雀にはわかった。
優介と雲雀は彼らの少し後ろをとぼとぼと歩く。罪悪感に打ちのめされていて、止める元気もなかった。
「見ちゃいけなかったね……あの二人には悪いことしちゃったな……」
「……そうだな」
「……でも、陽くん誰とも付き合わないんだ。ちょっと安心しちゃった。ね、雲雀」
「ん、ああ……そうだな」
――振られたくはないが、
(……あんな風に、『覚えておくね』って、あしらわれたい、なんて)
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