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第8話 秘密の花園

 深く沈んで、色を無くしていく視界に、愛らしい色が掠めていく。    ――花びら……?    雲雀が顔を上げるのと同時に、ふわり、と。  風と共に花びらと花の香りが舞い上がる。  目の前に広がるのは、学園の誇る中央庭園だった。    ――噂には聞いてたけど、こんなに綺麗になったのか……。    以前は四季を問わず整い過ぎる美しさや理事長好みの毒や棘を持った艶やかな花ばかりが並んでいた為に、「入り込んだら出られなさそう」「部活帰りに前を通ると茂みの陰から花たちがこっちを見て陰湿な悪口言ってくる」などと、数々の怪談を生み出していた庭園は、今や憩いの場所になっている。四季折々の花は今が盛りとばかりに咲き誇り、これまで植えられていた派手過ぎる花たちも、柔らかな色の花や小さな花とほどよく並べば、本来の美しさを際立たせる。   『庭園に舞い降りた奇跡の花』――陽が作り出した、優しい花園。    洋風の門を軽く押す。鍵は開いているようだった。  雲雀は誘われるように、中へと入っていった。    中央庭園はその名の通り、学園の中心に位置し、四季折々の花のトンネルや昼休みに開放される野原がある。少し見上げると、丘の上にも小さな建物が見えた。  視線を戻すと、丘の上に向かう階段の入り口で、ざわざわと花が揺れていた。花のトンネルで覆われて、先が見えない。  花たちは愛らしく揺れている。  まるで、手招きしているようで、誘われるままにトンネルをくぐった。  少しずつ姿を現していく建物を目指し、色とりどりの花たちを眺めながら進む。次から次へと景色が変わっていくのは、見ていて飽きない。気付けば、あっという間に、トンネルを抜けていた。  開かれた丘の上。    建物は、平面から見れば八角形になるだろうか。屋根が柱だけで支えられて、壁はない。中には2つの長いベンチが向かい合わせで設置されている。西洋風の東屋、休息所だ。白で統一された建物、装飾品に、花や植物だけが色を添えている。  静かな花園の中心に    陽が、いた。   「――……」    昼休みに見つけた時と同じように、本を開いて視線を向けている。  伏せがちの睫毛が、瞬きの度にゆっくり揺れる。風に吹かれて、髪がぱらりと落ちるのを耳にかけた。  ひとつひとつを丁寧に、ゆったりと動いては静かに止まる。  それが繰り返されて、雲雀は少しの間、時が経つのを忘れていた。    彼が纏う花の香りも、背後で舞う花も、幻覚でも魅了(フェロモン)でもなく、おそらく現実であるはずなのに、目が離せないのは、何故だろう。    昼間生まれた罪悪感は薄れることなく、足に纏わりつき、引き留めようとする。けれど、抗えない衝動が雲雀を前へと進ませた。  ――もし、また拒まれたら、その時は…   (……どうしよう……?)    迷いながらも雲雀が屋根の下に足を踏み入れると、陽が顔を上げた。  黒目がちの大きな瞳が雲雀を映し出す。陽がぱちぱち、とゆっくり瞬きを繰り返している。  数秒の沈黙が雲雀にはやけに長く感じた。   「……あ! 雲雀だ!」    にこーっ! と、陽が屈託なく笑って、雲雀はようやく肩の力を抜いた。少し笑って、陽の向かい側のベンチに座る。   「それ、何の本?」 「んー? わかんない。でもとっても綺麗なの」 「わかんないのに綺麗……?」 「友達にすすめてもらった詩集でね、お花がいっぱいで綺麗なの」 「へー」    ほら、と陽がこちらに向けて本を開く。詩集でもあるようだが、画集に近いものなのだろう。花が描かれた絵に、それぞれ小さく詩が添えられている。   「……陽は花が好きなんだな」 「うん!」    にこにこと笑う陽にほっとして、雲雀も自然と表情が緩む。   「ここもいろんな花が増えたもんな」 「そうなの!」    雲雀が周りを見回すと、陽の声が一段を弾んだ。   「ここはねー園芸部に花も絵も好きな子がいて、その子が描いた絵をもとにしたんだー」 「へえーすごいな」 「あとパソコン部の友達が庭園の3D持ってたから、各角度の画像と絵を合わせたイメージ図作って、必要なものをリスト化して、予算出したら通ったの」 「お、おぉ……?」 「足りない分は理事長のポケットマネーから出してもらったので、時々お花をあげたり、ティータイムにお誘いするの。  一度には難しいから、ちょっとずつ変えていってね、最近ようやく全部揃ったんだぁ」   『庭園に舞い降りた奇跡の花』はおっとりとした穏やか口調で、すらすらと『奇跡』の裏側を明かしてみせる。園芸部が重労働だということは所属していない雲雀にもわかる。大変な苦労もあっただろうに、微塵も感じさせず、楽しそうに話す姿を雲雀は目を細めて眺めていた。 「……すごいな」と、思わず零れる落ちた呟きは、心からの敬意だ。  陽は、きょとん、としてから、にこーっ! とまた笑った。   「綺麗でしょー? おれも絵を見た時、すごいなーって」 「陽もすごいよ」 「?」    陽はまた不思議そうな顔をして、首を傾げた。   「絵の中の世界を、現実に作っちゃったんだろ? すごいよ。俺にはできない」    雲雀がそういうと、陽は目を丸くして、ぱちぱち、と長い睫毛を揺らした。それから、無遠慮なほど真っ直ぐに雲雀に向けていた眼差しを、少し下に向けて、俯く。   「……あっありがと……」    もにょり、と少し身を縮めて呟いた声はいつもより小さく、絞り出したように震えていた。  俯いてしまったから顔は見えないが、白くて小さい耳がほんのり染まっていることには気づいてしまう。  今度は雲雀が目を丸くした。    ――え、ええ……? 照れてる……? なんで?    何か照れさせるようなことを言っただろうか、と思わず雲雀の顔も熱くなる。   (……わかんないけど、やっぱり可愛いな……)    頬だけでなく、胸までぽかぽかしてきて、雲雀は何かを決意したようにぎゅっと唇を結ぶ。ぐるぐると喉の奥に詰まる想いを、言葉にする為、口を開いた。   「昼のこと、ごめん」 「?」    陽は少し顔を上げて、首を傾げた。  まだ薄っすら染まった頬と、俯いたまま見上げようとして、上目遣いになっている瞳が潤んでいる。   「……告白を覗いたこと、謝りたかった」    陽が「あ」と顔を上げる。それを待ってから、雲雀は続けた。   「…あと…一緒にいた奴があんな……みんないるとこで全部バラして、酷いことも言って…気分悪かっただろ? ごめんな」 「……気にしてないよ」    顔を上げた陽は、少し考えてから、にこ、と優しく微笑んだ。   「二度としなければ」    あの時の眼差しと声で添えられた一言で、雲雀の心臓が一際高鳴った。  普段、あんなに暖かく、柔らかいのに。    時折、鋭く光る。まるで、刀みたいに。   「……でも、どうして雲雀が謝るの?」 「え?」    陽がまた柔らかさを纏って、不思議そうな顔で首を傾げる。   「え……えーっと……?」    雲雀もまた、陽の問いに首を傾げた。理由が必要なのだろうか、と不思議に思う。   「どうしてって……一応友達だし……あの時、一緒にいたから……?」 「……」    陽は頭の中を覗き込むような眼差しで雲雀を見つめる。隠していることなどはないはずなのに、目を背けてしまいたくなる。けれど、目を離せないまま、少しの間見つめ合った。   「……友達でも、家族でも、」    先に口を開いたのは陽だった。   「あの子がしたことは、あの子だけのものだよ。あの子が背負うしかないの」 「……! でも……」    雲雀の瞳が揺らぐ。けれど、陽は雲雀を真っ直ぐに見つめたまま、静かに微笑んだ。   「……〝目の前で起きた出来事を自分が止められなかったからって〟雲雀が背負うことはないんじゃない?」    陽の言葉に、雲雀は目を見開き、息を飲んだ。  ぐらり、と足元が揺れた気がしたのは一瞬で、陽の眼差しや微笑みが雲雀を支えた。   「……。……うん」    ゆっくり呼吸を取り戻して、小さく頷く。    ――どうしてだろう?  陽といると、胸の奥底の沈んだ氷の塊が溶けていく。    心が 開いていく  雪解けを迎え  種が弾けて  花が咲くように    春の訪れを告げるように   「……いつもここにいるの?」 「んー、時々」 「……また、来てもいい?」 「もちろん!」    雲雀が微笑むと、陽もにっこりと笑って答える。   「園芸部の庭園はどなたでも閉ざす門を持ちませんので!」 (……教会?)    にこにこと誇らしげに「いつでも来てね!」と陽が笑う。   「あ、でも閉園時間だと鍵は掛かってるから、入りたい時に言ってくれれば開けに来るよ!」 「……そしたらさ」    雲雀は立ち上がり、今度は陽の隣に腰を下ろした。   「陽がいる時がいいな」    雲雀を見上げて、大きく開かれた瞳を見つめる。   「陽ともっと話したい」 「――……!」    これ以上大きくはならないだろうと思われた桃色の瞳は、さらに見開かれる。何度も瞬きを繰り返しながら、陽は雲雀を見つめ続けていた。   「……」 「…あ、だめ?」    驚き以外の感情が読み取れなくて、雲雀は少し困ったように微笑んだ。  内心断られたらどうしようかと焦っていたが、陽の負担にはなりたくない。あくまでも表情や声に出さないように注意を払う。……だが、慌てて口を開いた。   「陽が本読んでる時は静かにしてるし、一人でいたいっていうなら、もちろん邪魔しないから」 「……ううん」    俯いた陽が小さな頭を小さく横に振る。拒むような動作に、心臓がぎゅっと潰れそうになる。  けれど、顔を上げた陽は瞳を輝かせて答えた。   「ダメじゃない……」    陽の瞳が桃色の花のように咲き誇り、日向と花の香りを纏う。   「おれも、雲雀を知りたい!」    花嵐が、吹き抜けていく。    陽の言葉とともに吹き荒れた強い風が現実なのか  それとも陽の魅了(フェロモン)が巻き起こした幻覚なのか。  雲雀にはもう、どちらでも構わなかった。  心を覆う暗雲は跡形もなく消え去っている。   「……じゃあ」    雲雀は陽に笑いかける。晴れやかな気持ちが、普段よりも一層、雲雀の笑顔を爽やかなものにさせた。   「連絡先交換しよっか?」 「? うん、いいよー」 (よっしゃああ!)    晴れ渡った心の空へ、雲雀は力強く拳を掲げた。

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