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第9話 夏めく、色めく
夏の章『愛嬌とは自分より強い者を倒す柔らかい武器』
淡い色の花は、青々とした緑へ移り変わる。
風は薫り、青い空には真っ白な雲が映える。日差しの強さに、制服も夏服へ変われば、青少年たちの健康的な肌も眩しい。
学園でもまた、新たな季節を迎えようとしていた。
この国屈指の頭脳と美を誇る学園には、二つの校舎がある。
思春期のαΩ間のトラブルを回避するため、原則双方の生徒は出入り禁止であり、制服も異なる。その為、それぞれの校舎ごとに独自の校風とヒエラルキーを形成していた。
学園の頂点に君臨するのは、誰もが認める女帝、桃ノ木月詠おいて他にない。
彼女の所属する西校舎で双璧をなすのは。
一人は君影睡蓮。
この学園の理事長の養子であることと双子の弟が東校舎に在籍していること以外家族構成や出自は不明である。αの中でも特に優秀であり、「宝石と人間のハーフ」と言われるほどの美貌を持つ。揺るぎない自信ゆえの高慢さに、Ωへの徹底した差別的態度は、反感を買う反面、『強いαの象徴』であると支持者も多いのが現状である。
もう一人は、菖蒲堂雲雀。
睡蓮同様、優秀で凛々しい、αの美男子。それでいて紳士的で分け隔てない優しさと温厚な性格は性別を超えて人気を博する。
対して東校舎、通称「妖精の国」では。
君影芙蓉 。
園芸部に所属している可憐な花の如き美少年。睡蓮が唯一気に掛け、対等に接するΩであり、双子の弟でもある。心優しく気弱な性格から、αのみならずβからも狙われている。…が、手を出したら最後、睡蓮からの報復が待っているという噂も…。
そして、桃ノ木陽。
双子の妹、月詠と並び学園に咲く、誇り高き花。彼が来てからというもの庭園は華やかさを増し多くの生徒の憩いの場となり、図書館は改築されて地域随一の蔵書数を誇り、警備は強化され、学園周辺の犯罪率は減少するなどの、謎の浄化力を発揮しているとか。……ただし、因果関係は不明である。また、この学園の理事長と一緒にいるところをよく目撃され、『理事長のお気に入り』と噂されている。
これまで、東西校舎の生徒たち、特にα性とΩ性を持つ生徒は、互いに強く興味を持ちながらも、校則と性差を理由に、極力関わりを避ける傾向にあった。
しかし、今、その均衡が――
「あ」
西校舎からは特進クラスが、東校舎からはΩ特別クラスが。
東西の校舎が向かい合う中庭側の出入り口から出てきたところで鉢合わせた。
「ひばり!」
「陽!」
二人が明るい表情で、それぞれ一歩踏み出す。
「先行ってて」
「え、マジ?」「おい」「雲雀?!」
驚きと羨望、僅かに苛立たしげな声の制止など容易く置いてけぼりにして、雲雀は今でも歌い出しそうな軽やかな足取りで、陽のもとへ向かう。
「ちょっと待っててねー」
「ふふっ、うん♡」「くすくす♡」
陽がニコニコしながら雲雀のもとへ向かうのを、見麗しい少年少女達が、華奢な身体を寄り添い合い、微笑みとともに送り出している。
陽と雲雀は、ちょうど中庭の中心で予期せぬ逢瀬を果たした。
「雲雀はこれから体育?」
「うん。サッカーだって。陽は絵画?」
「そうだよー。庭園で描こうかなーってみんなで」
「そっか」
「でも、雲雀を見に行こうかなぁ」
「サボんなよ」
「サボりじゃありませーん。雲雀を描くの」
「やだよ。照れんじゃん」
「かっこ良く描いてあげる!」
「えー?」
スケッチブックと鉛筆をビシッと構える陽と、それを、愛おしそうに目を細めて見つめる雲雀。
見ているのも恥ずかしいような戯れに、目を逸らす者もいればはしゃぐ者も、目を血走らせて唇を噛み締める者もいる。
その中で、睡蓮の藍色だけは鈍く光り、美しい容貌は苛立ちで歪んでいた。
「……雲雀! 遅れるぞ!!」
睡蓮の怒気を孕んだ声に、ビリビリと空気が震え、雲雀以外の生徒の肩はビクッと跳ねる。陽もまた、ぴよっ! と前髪も跳ねるほど驚いて目を丸くし、固まってしまった。
「…もうっ! 兄さん! すぐ怒らないでっ!」
いち早く反応したのは、睡蓮の双子の弟、芙蓉だった。兄の声に肩を震わせたものの、彼にしては強い眼差しを睡蓮に向ける。睡蓮と瓜二つの容貌だが、瞳の色は薄い紅色で睡蓮のような冷たさも鋭さもない。それでも、睡蓮は最愛の弟の叱責にたじろいだようだった。面白くなさそうに、すぐに「フンッ」とそっぽを向いてしまった。
「雲雀! 早くしろ!!」
「……だから先に行けって言ってのによー……」
半ば八つ当たり気味の睡蓮の声に、雲雀ははー、とため息と共に肩を落とす。憩いの時間を邪魔されたという苛立ちも滲む、深いため息だった。
睡蓮の癇癪に慣れているからか、振り返りもしない。それがさらに睡蓮を苛立たせた。
それに対して、陽は大声に慣れていなくて、飛び上がった時のまま全ての思考機能が停止していた。
雲雀のため息でハッと気が付き、雲雀と睡蓮を交互に見つめる。
「あっ、あのっ! お邪魔しちゃったみたいでごめんねっ」
「んー? ああ、あんなの気にすんなよ」
戸惑う陽に、雲雀は優しく微笑んだ。
「今日の昼は中庭でいい?」
「うん! いいよ!」
「おっけー。じゃ、またあとでな」
「あとでね!」
陽は元気よく、雲雀は名残惜しそうに、それぞれ手を振って引き返していく。
芙蓉を含めたΩクラスの生徒達は、陽が戻るのを待って歩き出した。
「今のが雲雀くん?」
「そうだよー」
「噂通りかっこいいね」
「αなのに優しいんでしょう?」
「うん! とっても優しいよ!」
「芙蓉くんのお兄さんもいらっしゃったね」
「相変わらずクールでミステリアス♡」
「う、うん……ごめんね。兄さんったらすぐ怒るんだ……」
くすくすと可愛らしく笑い、小鳥の囀りのような小さく美しい声で囁き合いながら、彼らは庭園へと消えていった。
西校舎の生徒達は、しばらく夢心地で彼らを見守っていたが、ようやく動き出す。
「……うわー可愛かったぁ! あれが君影芙蓉と桃ノ木陽!」
「本物すげー!」
「なんかさ! ここまでいい匂いしなかった?!」
「ハハッお前βなのに何が分かんだよ!」
「馬鹿お前! 雰囲気だよ雰囲気!」
「他の子もレベル高くない?」
「理事長の趣味じゃね?」
西校舎の生徒達は先に歩き出していた雲雀と睡蓮を追うが、興奮は収まらず、騒ぎ続けている。
しかし、後ろの喧しさよりも、隣の雲雀の楽しげな表情の方が、睡蓮の気に障った。
「……っ」
睡蓮は眉を寄せ、奥歯を噛みしめる。昼に陽との逢瀬を控えた雲雀が、その表情に気付くことはなかった。
***
その日の昼休み。公の場で約束していた通り、陽と雲雀は中庭にいた。
西校舎と東校舎に挟まれた中庭は、どちらの校舎からもよく見える。
彼らは中庭の大きな木の下、風がよく通り、日陰にもなっている場所のベンチで、仲良く並んで座っていた。
「……動画見るだけであんな近い必要ある?」
数人の生徒が、西校舎の窓から二人の様子を眺める。
二人は陽が持っている端末で何かの動画を見ているようだった。陽はお行儀良く姿勢良く、ちょこんと座り、雲雀は陽に寄りかかるように覗き込む。
「……どういう距離感?」
「Ωとαってあんなくっついてたらヤリたくなったりすんじゃねぇの?」
「平気なんじゃね? 雲雀だし」
「やっぱ付き合ってんのかなー」
無責任な憶測を平気で口にする。そんな生徒達の横を通り過ぎて、睡蓮は苛立たしげに舌打ちをした。
***
「雲雀がぜんっぜん遊んでくれないー!」
「あはは、最近陽くんとよくいるよね」
「いいのか優介! 桃ノ木陽はお前の『推し』ってやつなんだろ?!」
「そりゃ寂しいけど……」
飛鳥の叫びに、優介は困ったように笑いながら、頬を掻く。
「でも、相手が雲雀だもん。間違いが起きるはずないし、むしろ安心?」
「まっ!? ママママ間違いなんて起きてたまるか!!」
バーンッと机を両手で叩き、勢いで飛鳥が立ち上がる。同時に教室の扉が開いた。
「騒がしいなー。どうした?」
「ひ、雲雀ぃー!」
「?」
教室に入ると、飛鳥が泣きついてきたので、雲雀は首を傾げた。
「え? いつも陽と何してるかって?」
「う、うん……!」
えーっとねー、と考える雲雀に、飛鳥は息を飲み、優介は「陽くん のプライベート?!」と姿勢を正した。
「……今日は」
「きょ、今日は……?」
「仔猫の動画見てたかな」
「仔猫?! なんで?!」
「陽の知り合いのとこで生まれたんだって」
「仔猫かぁ、いいなあ仔猫と陽くん……可愛いものと可愛いもの……ふふっ、可愛いしかない」
「ほんとそれ」
表情を緩めている優介に、雲雀は「うんうん」と同意を込めて頷いた。
飛鳥は「どういうこと!?」と理解できていない。
「き、昨日は?! 昨日の放課後!」
「昨日?」
んー? と雲雀が首を傾げて考える。
「昨日は……ああ、陽が本屋と併設してるカフェに行きたいって言うからついていったよ。静かだし、本読み放題で、楽しそうにしてた。いいとこだったな」
「……? 雲雀は何してたの?」
「俺は本読んでる陽を隣でずっと見てた」
「なんて?!」
大人しく座っていた飛鳥は、さすがにガタンッと立ち上がる。
「そっ…! そんなの一人で行かせりゃいいじゃん! 付き合うことねぇって!」
「俺が勝手について行っただけだよ」
「で、でも! それって……!」
明らかにおかしい! と立ち上がったが、雲雀がきょとん、としているので飛鳥は少し自信が無くなる。また間違えて、怒られたらどうしよう、という不安で声も小さくなる。
「それって……な、何が楽しいの……?」
なんとか振り絞ったが、雲雀は目を細めて微笑んだ。
「……なんだろうな。でも、楽しいよ」
雲雀は、陽を思い出しているのだろう。穏やかな笑顔を浮かべていた。
「何もしなくても、居心地いいんだ。陽といると、ずっと前から知ってたような、それが当たり前みたいな気がしてくる。……そう、まるで……」
まるで、……その後の言葉を予想して、飛鳥はゴクリ、と喉を鳴らした。
「……兄弟、みたいな?」
「な、なんだぁ……そっちか……」
「?」
予想した答えではなくて、ほっとした飛鳥は膝から崩れ落ちていった。
そっちってなに? と雲雀は首を傾げている。
「……本当にそれだけか?」
「……あ?」
挑発的な口調に、雲雀は相手を睨む。
挑発した本人、睡蓮は、足を組んで座り、雲雀を見上げた。
「最近、どこへでも尻尾振ってついて回ってるらしいな? 学校にいる間だけではなく、放課後も」
煽るような眼差しを向け、唇は弧を描く。
「Ωの魅了 にやられてるんじゃないか?」
「……そういうんじゃねぇよ」
しばらく睨み合った後、先に視線を外したのは雲雀だった。
「……つーか、どうみても出てねぇだろそんなもん 。〝仔兎ちゃん〟のあいつに出せるのはお花だけだ」
雲雀は呆れたようにため息をついて、そう言い放った。睡蓮は「はぁ?」と表情を露骨に歪める。
「……花ぁ?」
「花」
「……」
あまりの言い様に、睡蓮の脳裏には、お花畑を駆け回る仔兎の映像が流れていく。
『ひばりー! うふふ!』
ふわふわもこもこ。走り回る。ぴょんぴょん跳ねると、垂れた耳もぴょこんぴょこん跳ねる。走った跡には花が咲く。走る。転がる。また走る。花が咲く。花が舞う。ふわふわ。もこもこ。
「……」
「……」
雲雀の脳裏にも同じ映像が流れてしまったのか、微妙な顔をして首を傾げている。ちょっと違うなぁ、やり過ぎだなぁと首を傾げる。
眉を寄せ、同じように微妙な顔になりながら、睡蓮は口を開いた。
「……思春期のΩなのに魅了 の一つも出てないのか? それでいいのか?」
「……何でも良いだろ、可愛いんだから……」
――強く正しく美しいαと可憐で愛らしいΩの仲睦まじい姿。
それは学園にとって新たな季節の訪れを告げる風となるのか。それとも――
**1年のクラスにて**
春に入学したばかりで、まだ幼さの残る生徒達が多い中、頭一つ分長身の少年が眉を寄せる。
白い短髪に鋭い眼差しの少年、菖蒲堂颯 は廊下で二人の同級生を前に、不穏な空気を滲ませていた。
「兄さんが……?」
「お、おう……」
何をされても無反応が常の彼をからかうつもりだった少年たちは、思わず息を呑む。長身の少年は端正な顔立ちをしていたが、額の大きな傷跡や鋭い眼差しが同い年の少年たちとは異質の存在感を漂わせていた。
「し、知らないのか? お前の兄貴、魔性のΩに誑かされてるとか付き纏われてるとかって噂が……ひっ!! ?」
次の瞬間、少年の胸倉を颯が掴んだ。少年は悲鳴を上げて、目を見開く。
日頃は血が通った人間とは思えないような少年の暗く冷たい眼差しは今、鋭く、怒りに燃えていた。
「……その男の名前は?」
**屋上にて**
「……そいつの名前とクラス、調べたんだろうな?」
「もちろんっすよ! 桃ノ木陽! 東校舎の特別クラスッス!」
「……Ωか」
「間違いないッス!」
茶々丸 の報告に、巽八千代 は、はぁ、と深いため息をついた。
「雲雀……まったくあいつは……」
『どうやら雲雀くん、まーた付き纏われてるらしくて』
茶々丸の仕入れた噂を調べさせてみれば、相手は特別クラスのΩ。それも、理事長のお気に入りというではないか。
相手が誰であろうと、誠実に対応するであろう雲雀を、そのために厄介な相手に狙われやすい心友を、八千代は心配していた。
心配しているから眉間に皺が深く刻まれ、形良い眉がこれでもかと吊り上がり、眼差しの鋭さも増していく。高校生にしては逞しい身体に、つり上がった三白眼は、威厳と覇気を感じさせる。その強面は苛立ちで歪み、周囲の仲間たちは震え上がった。
「……優しすぎんのも考えもんだな。行くぞ」
「えっ!? 八千代さん! ど、どこへ?」
急に立ち上がった八千代を、茶々丸含め、数人で追いかける。
「決まってんだろ。〝挨拶〟だよ」
その言葉に、彼らはゴクッと息を飲んだ。
八千代の眼差しが、心友の平穏を脅かす者へと向けられて、ギラリと光る。
「桃ノ木陽に、な」
――強く正しく美しいαと可憐で愛らしいΩの仲睦まじい姿。
それは学園にとって新たな季節の訪れを告げる風となるのか。
それとも、何もかも乱し狂わす嵐となるのか――
嵐が全てを飲み込みながら、夏が来る。
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