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11話-1 心友

 それは中等部の頃の話だ。  当時、巽八千代には気に入らないαが二人いた。αという性の優秀さを、そして、高慢さと冷酷さをこれでもかというほど見せつけてくる存在。君影睡蓮と菖蒲堂雲雀である。    睡蓮がΩに対して差別的な態度を崩さないことは有名な話だったが、βに対しても酷いものだった。学園のαの代表的な存在であり、カリスマ的な人気を誇る睡蓮がそうするならば、と他のαやαに媚び諂うβもそれに倣う。  八千代はβではあったが、体格に恵まれ、見た目もはっきり言って怖い。そのおかげか、被害に遭うことは少なかったが、八千代の心が『自分に害がないから放っておく』ということを許すはずはなく、トラブルがあれば奔走し、弱い立場のものを守った。時には喧嘩、時には学校から処分も受けたが、それでも構わなかった。  何もせずに理不尽を見逃してのうのうと生きる自分を、八千代は許さなかった。    雲雀のことはよく知らなかったが、睡蓮と一緒にいることが多い男だとは聞いていた。類は友を呼ぶというから、きっと睡蓮と同じような奴なんだろう。睡蓮の近くにいながら、彼の非道を止めないならば、同罪である、と。    それを打ち砕いたのは、他ならぬ雲雀自身であった。    その日、βが一人、集団に連れて行かれた。他の仲間から聞いて、八千代は飛び出した。  八千代自身は派閥やグループ等作るつもりはなかったが、頼れる人柄故にいつの間にか人が集まっていた。そのβは舎弟の一人だ。連れていかれた時、彼女も一緒だったという。その少年は最近、彼女ができたばかりだった。彼女はΩだと言っていた。    βとΩ。前途多難な道のりであることは二人ともよくわかっていた。βにはαの牙がない。Ωの番になれない以上、発情期の発作を止めるのにも限界がある。それで別れた、αに乗り換えた、などという悲恋は巷に溢れている。    二人の関係に口出しするほど八千代は野暮ではないし、そもそも恋愛経験もない。静かに見守っているだけだったが、一つだけ気がかりなことはあった。    睡蓮がそれを知ったら? と。    睡蓮はΩをαのものだと考えている。αを受け入れるための器であって、βがΩと関わること、またはその逆でも、睡蓮の攻撃は激しかった。Ωがα以外に目を向けることを、睡蓮は許さなかった。それが恋人ともなったらどうなる?    睡蓮自身が手を出したところを見たことはないが、彼を慕い、崇拝している連中はどうだろうか。  今までもそいつらによって、傷つけられた仲間は多い。睡蓮が指示を出しているのか、それとも彼らが勝手に動いているのか、八千代にはわからない。けれど、集団の長であるならば、止めないなら、同じことだ。八千代ならば、自分の仲間が道を外れた行為に手を染めようとしたら殴ってでも止める。睡蓮がまともな男なら、きっとそうするだろう。  ……傷つき悲しむ者たちを、高みの見物で実に楽しそうに嗤って見ていた男が、まともだとは決して思えないが。    少年とその彼女の無事を願いながら、現場に到着した八千代は目を見開いた。少年が彼女を抱き締めて、守っている。舎弟の少年は顔を殴られ、背中には靴底の痕が残っていた。酷く汚れ、傷ついている。けれど、彼女は無傷だ。悪意から、彼女を身を挺して守ったであろう少年とか弱く愛らしい少女の二人。美しい光景である。    二人が蒼褪めて、目を見開いたまま固まっていなければ。    二人は八千代が到着したことに気付いていなかった。それも仕方ない。八千代ですら、二人の安全を確認する前にその光景に目を奪われていた。    そこにいたのは、亜麻色の髪に、青灰色の瞳という、繊細な色合いの美少年だった。    少年の類稀なる美しさに目を奪われた。  ……というわけではなく、目を奪われるほどの美少年がものすごい勢いで人を殴っていたのだ。    形の良い眉はつりあがり、長い睫毛が囲う瞳は燃え上がる。怒りで表情を歪めてもなお、綺麗な顔をしていることがよくわかった。   「てめぇ誰の顔に傷つけたと思ってんだ!! お前の粗末な顔面とはわけが違うんだぞ!!」    美少年の口から出てきた言葉とは思えない暴言で、八千代は我を取り戻した。よく見たら、少年の周りには、他にも数人倒れて、痛みに呻いている。    ――こいつが、一人で? ………………あれ?! もう一人いる!!?    修羅のような美少年の後ろで、立っているのは一人だけだった。影が薄くて気付かなかった。    そこには、彼よりも少し背の高い、白髪の少年が立ち尽くしていた。頬の切り傷が少し痛々しいが、彼自身はそれどころではないようだ。亜麻色の髪の少年に手を伸ばそうとしつつ、触れることも出来ずにおろおろしている。   「に、にいさん、おれ、おれは、だいじょうぶで、ですので……!」    亜麻色の髪の方よりも、白髪の少年の方がずっと鋭い目つきをしていたが、声は小さく震えていて、とてもじゃないが『兄さん』に届く気はしない。    ――なんだこれは? どうなってんだ?    駆けつけた仲間も、美少年に助けられたであろう二人も、呆然としていて事情を聞くに聞けない。誰もが、修羅のごとき美少年に目を奪われていた。  だから、先に冷静さを取り戻した八千代だけが、気付いた。    亜麻色の少年と白髪の少年の背後で、倒れていた男がゆっくり立ち上がる。男は近くに転がっていた角材を手に取った。本来ここにそんなものは置いてあるはずはないから、彼らが持ち込んだんだろう。自分たちが到着する前に何が起きたのかわからないが、使う前にやられたらしい。    それを、今度こそ使うため、男が手に取った。痛みが残るのか、ゆらゆらと二人に近付くと、亜麻色の少年に向かって大きく振り上げた。   「っ! 兄さん!」    先に動いたのは白髪の少年だった。咄嗟に兄に覆い被さって守ろうとする。『兄さん』と呼ばれた少年も気づいて振り向いたが、振り下ろされた角材は、自分を庇う弟に迫っていた。   「颯ッ……!」    ゴッ、と鈍い音に、少年の血の気が引く。    けれど、目を見開く少年の視界には、角材は受け止める逞しい腕が映った。今度は、角材を振り下ろした男が目を見開く番だった。   「お、お前! 巽八千代……ッ!」 「……あ?」    ジンジン痛む腕を振って、八千代は相手を睨み下ろした。腕を振ったところで痛みはひかないが、そのまま振りかぶる。  鳩尾に叩きこまれた一撃に、ウゴッ、と呻き声だけ残して、男は崩れ落ちた。   「気安く呼ぶんじゃねぇよ」 「八千代さん!」    彼女を抱き締めていた少年が、ようやく八千代に気付いて、ほっとしたような、泣きそうな顔で見つめている。駆けつけた仲間たちもハッ、として、動き出した。  倒れていた少年たちも八千代を見て口々に「八千代だ」「暴れ龍の」「番長だ」などと好きなように口走る。本人たちは怯え、恐れて、いたって真剣だったが、八千代はこの学園でつけられる妙なあだ名が恥ずかしくって仕方なかった。   「……ああ?」    恥ずかしさのあまり彼らを睨み付ける。三白眼が血走って、眉間には深い皺が刻まれている。般若のごとき恐ろしい形相に襲撃犯の少年たちは「ぎゃあ!!」と悲鳴を上げて、全員慌てて逃げ出した。   「チッ……こんなんで逃げるくらいならやんじゃねぇってんだよ……」    八千代がため息をついて、再び亜麻色と、白髪の少年二人に向き直る。  二人は、特に修羅のごとき亜麻色の美少年は、年相応の少年らしい幼い顔で、ぽかんとしていた。  その表情を不思議に思いながらも、八千代は声をかけた。   「ありがとな」 「え? ……いや、こちらこそ」    ハッとして八千代を見た亜麻色の少年が、にこりと微笑む。   「巽先輩……、でしたっけ。俺は菖蒲堂雲雀」    ――雲雀?! こいつが?!    八千代が目を見開くが、雲雀は気付かず、礼儀正しく「こっちは弟の颯」と続けて、深く頭を下げた。   「弟を守ってくれて、ありがとうございました」 「あ…いや……」    ――いや、今はそんなこと、どうでもいい。   「大したことじゃねぇ。お前が守ってくれた二人は俺の後輩なんだ。助かった。恩に着る」   「まも……え?」 「あ?」    八千代の示す先を見て、雲雀は首を傾げていた。        話を聞いてみると、こうだった。    雲雀は颯を探しに来て、偶然この現場に訪れた。既にその時には颯の頬に切り傷があり、弟の胸倉をつかむ男と、それを取り囲む数人が目に入ったという。   「それで、『落とし前つけさせよう』と思って」 「お、おう」    貴公子のような顔面から、とんでもなく物騒な言葉が飛び出してきたが、八千代は一応頷いた。    ちなみに、颯によると、何やら不穏な様子の集団に、怯えている様子の二人が連れて行かれたのを見て、後をつけたらしい。すると暴行が始まったので、『兄ならどうするだろう』と考えた結果、止めてみたものの、『兄なら喧嘩なんてしないはずだ』と思って無抵抗を貫いていたとのことだ。   「まさか、そこにやってきた兄さんが修羅になるとは夢にも思わず……」 「だろうなぁ」 「びっくりしてつい」 「お、おう」    照れたように笑う雲雀の頬にはまだ返り血が付いていたが、八千代は見なかったことにした。  八千代もまた、二人には事情を話した。  話が進むにつれて、雲雀が再び不穏なオーラを漂わせていくのを感じる。   「睡蓮……ッ」    話し終わることには、雲雀の綺麗な笑顔は見る影もなく、怒りに歪んでしまった。    ――やべぇ、また修羅になっちまった……。   「八千代さん、すいません。あいつには俺からもよく言っておきます。次やった時は……あの野郎……ふざけやがって……」    抑えようにも収まらない怒りが、雲雀の性格を物語っていた。  八千代は自分の認識を改めざるを得なかった。    睡蓮と同じような、いけ好かない男だと思っていた菖蒲堂雲雀は、修羅のごとき凶暴さと綺麗な顔で微笑む天使のような穏やかさを兼ね備えた美少年であると。    正しく、強く、美しい男であると。    それが、菖蒲堂雲雀と巽八千代の出会いであった。    ***    ……と、ここで出会いの話が美しく終わればよかったのだが。    その後、睡蓮は、なんとその現場にやってきた。逃げ帰った仲間から話を聞いて来たらしい。やはりβとΩの恋人達の情報を流し、襲撃を唆したのは彼だった。黒幕自ら現場にやってくるとは、人の神経を逆撫でする行為である。  八千代も怒りは感じたが、八千代の話を聞いて、ちょうどタイミングよく頭に血が上っていた雲雀を睡蓮がさらに挑発したことで、気付けば二人は大喧嘩になっていた。    二人は細身だがなかなか筋がいい。身軽さに力強さ、そして、殴られても簡単には倒れず、バランスを崩さず、次の手を。身体能力の高さをまざまざと見せつけられた。    ――優秀なα様の身体能力、こんなとこで無駄遣いする?    怯える仲間たちは八千代の背に隠れてしまい、八千代も見守ることに徹していた。  しかし、やっと駆けつけた教師たちでは当然手を付けられなかった。   「巽ィ! なんとか頼む!」 「お前だけが頼りだ!」 「ふざけんなよ!!」    頼まれたら断れない男、それが八千代である。  二人の喧嘩の巻き添えで、何度も顔に拳、腹に蹴りを喰らいながらも、八千代は悪童二人を何とか捕獲したのだった。   「離せ貴様! 無礼者!! βの分際で!!!」 「いってえ! 暴れんな!! つーか無礼者なんて使ってる奴初めて見た!!」 「離せ八千代! まだこいつ泣かせてない!! 今日こそ泣かす!!」 「呼び捨て?! 弟が顔面蒼白だぞ! 暴れんなって!!」    睡蓮を脇に抱え、雲雀を肩に担ぐ。番長の雄々しい姿に、教師や野次馬から拍手が起こった。  それからというもの、高等部に入って悪童二人が落ち着くまで、八千代が呼び出されることになってしまったことなど、八千代にとってはもうどうでもいい思い出だった。        ――まあ、そんなこともあったが。    八千代たちの事情を知った雲雀は、睡蓮をよく牽制してくれた。八千代たちβに少しだけ平和な日々が訪れたのだ。    ――そう、それからは、お前は俺のために。俺はお前の為に。心友ってやつだな。    付き合っていくについて、八千代は雲雀のことをまた少しずつ知っていった。    まず、尋常じゃないくらいモテる。えげつないくらいモテる。  美しい容姿に優秀な頭脳、良質な筋肉を纏う身体。それに加えて、分け隔てなく優しく、穏やかな性格。モテないはずはなかったが、βの八千代では想像つかないくらい、αという性は、Ωにとって魅力で溢れているらしい。  街中で一緒に歩いている時に、突然Ωに抱きつかれそうになったり、それどころか襲われそうになったりというところも目にした。しつこく付き纏われている現場も、幾度となく遭遇した。  優しくしてやる義理なんてないだろうに、それでも雲雀は丁寧に、丁重に断って、相手を気遣うものだから、余計に。  hzg  雲雀が睡蓮といる時は、睡蓮を恐れてか、それとも睡蓮自身が美しいからか、他の人間が近付いてこないらしい。  八千代は雲雀のような男が睡蓮と友人関係を保っている理由を少しだけ理解した。雲雀が苦労しているなら、恐らく同じくらい優秀で美しい睡蓮もそうだったんだろう。  二人が並ぶと、もはや近づきがたいほどの美しさとオーラを纏った。いっそ神々しいとさえ思える二人の姿は、『どうにかして関係を持とう』という邪な想いさえ、消し飛ばすかもしれない。  そうやってお互いの身の安全、そして必要以上のトラブルを避けるために行動を共にしていたのだろう。    ――……でも、本当にそれだけか?    八千代は時々、睡蓮の行動に疑問を抱くことがある。  雲雀はともかく、睡蓮は優しい人間ではない。近付く者がいたとしても、あの冷たく美しい氷の刃のような瞳で、毒のような言葉で、相手を射抜いて終わるだろう。無慈悲な睡蓮が、雲雀みたいに相手を、ましてや、Ωを思いやるなんてことをするだろうか?  初めて雲雀と出会った時の事件も、違和感を覚えた。  睡蓮が現場に直接来るところを、八千代は見たことがなかった。それでも、現場にいなければ知りえない情報を使って、挑発してくることもあったから、きっと話だけは聞いているのだろうと思っていた。  それなのに、何故あの日は自ら現場にやってきたのか。    ――あれってやっぱり、雲雀がいると聞いてやってきたのか?    あの時、睡蓮は雲雀に挑発的な言葉を吐くばかりで、標的だったであろうβとΩの恋人たちや八千代たちのことなど見えていないようだった。  同じαで、同じくらい優秀だから、対抗心があるのだろうか。それにしては、雲雀と八千代が一緒にいるようになってから、やたら絡んでくる回数が増えたのも不思議に思う。睡蓮にとって、βである自分は存在してもしていなくても構わない存在であるはずだ。  彼が心の底から憎んでいるのは、異常な執着を見せるのは、Ωの性を持つ者だけだ。    ――……まあ、あんな奴のことより、今は雲雀だ。    心友との日々を思い返して、今、八千代が立ち上がる。    彼は彼ら『八千代組』――と、生徒に言われているが、八千代自身は「くそだせぇ……」と不本意である――が、よく集まっている食堂の屋上にいた。  桃ノ木陽が睡蓮を食堂で口論したという話も耳に入っていた。桃ノ木陽もΩだというから、睡蓮に目を付けられるのはわかる。しかし、あの睡蓮を退けたというから、やはり只者ではないのだろう。    今日、雲雀は学校行事の準備で駆り出されている。桃ノ木陽は園芸部にいるらしい。二人がばらばらになっている今がチャンスだった。  桃ノ木陽がどういう男か、直接会って確かめるためには。   「八千代さん!」    八千代が屋上の出入り口に向かうと、数人の舎弟が追いかけてきた。   「や、やっぱり俺たちも!」 「……相手はΩだぞ」 「でも!」    仲間たちは食い下がるが、八千代は手で制し、首を振った。   「いいか。相手はΩだ。俺たちはβだからたいした影響はないと思うが、万が一ってこともある。今までΩの魅了(フェロモン)にあてられたことねぇのは、俺と茶々丸だけだろ?」 「そ、そうっすけど」    八千代は昔からΩに対して鼻が利かなかった。βであるなら当然と言えば、当然のことだ。Ωの魅了(フェロモン)は番となるαを誘うもので、βに効く必要はない。  それでも、時々匂いを感じたり、異常に魅力的に見えたり、強い場合は劣情を抱かせるなどということも起こり得る。それが魅了(フェロモン)のせいなのか、魅了(フェロモン)を出せる程成熟した魅力的なΩだからなのかは、よくわかっていない。   「理事長お気に入りっていう話だしな。下手に手を出せねぇ。お前たちは待ってろ。……いくぞ茶々丸」 「はい!」    明るい金髪に大きな猫のような瞳、小柄な少年の茶々丸が八千代の後に続く。  八千代を慕う少年たちは、その後ろ姿をただ心配そうに見つめていた。

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