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11話-2 心友

「桃ノ木陽ってやつはお前か?」  花壇で園芸作業中、日差しが大きく影を作る。不思議に思う前に声をかけられて、陽はしゃがみこんだまま顔をあげた。   「……?」    近くにいた部員たちはひっ、と小さく悲鳴を上げてその場を少し離れたが、陽は無防備に相手を見上げ、首を傾げる。    真っ赤な頭に、龍のような鋭い眼差し、逞しい身体。    見たことがない人だ。誰だろう? とまた首を傾げる。  しかし、相手の男は自分を知っているようだった。  念の為、陽は相手をもっとよく見た。    眉間に深い皺。吊り上がった眉。胸元は開いている。それでもなお、ワイシャツのボタンが弾け飛びそうな胸筋。   (……ボタンが可哀想……)    途中で雑念が混じったが、何度見ても知らない人だった。それでも、答えないのは失礼だと思って、にこり、と笑う。   「そうだよー」 「……」 「?」    知らない人はじっと陽を見下ろしている。    知らない人――心友の平穏の為、覚悟を持ってやってきた巽八千代は、陽をじろじろと睨んだ。  桃色の大きな目がぱちぱち、と不思議そうに瞬きを繰り返し、純粋そうな瞳に自分の姿が映り込んでいた。  小さな頭に白いタオルを巻いているが、驚くほど似合わない。頭が小さいせいか、後ろで結んだタオルの端がだいぶ余って、大きく2つ、ぴょこんぴょこんと飛び出ている。    八千代が事前に考えていた『対桃ノ木陽』の様々な作戦が、全部吹っ飛んでいった。   「……ちょっと待ってろ」 「……? うん、わかった!」    陽は素直に頷いた。  あまりの素直さに八千代は脱力し、眩暈がした。しかし、気力を振り絞って威厳を保ち、近くで見守っていた茶々丸の元へ、のっしのっしと歩いていく。大きな体の八千代が小柄な茶々丸に、こそりと話しかけた。   「おい、どこが魔性のΩなんだよ。ただの泥だらけの仔兎じゃねぇか!」 「え、でもすげぇ可愛いじゃないっすか!」 「可愛いだけで雲雀が騙されるか!」 「あんな顔ですげぇエロいとか?」 「あんな小動物の色仕掛けに雲雀が負けるか!」 「えー!?」    茶々丸は小さく、大声を上げて抗議した。   「俺だって! 雲雀くんがそう簡単に騙されないでしょって言ったのに! 八千代さんが『でも、付き纏われてたら……』って心配して、敵情視察するって言い出したんじゃないっすかぁ!」 「……チッ、まあいい」    茶々丸の反撃に、八千代は舌打ちをして再び陽の元へずんずん、と歩き出した。   「おい、お前」    再び影が出来て、陽が見上げる。  先ほどと同じように、不思議そうな顔で、無防備に見上げ、首を傾げている。    ――なんだこれ……うさぎの赤ちゃん……? ……いや! 赤ちゃんなわけあるか! ここで俺が負けてどうする!!    八千代は気合いを入れて、さらに鋭く、ギンッ! と陽を睨みつけた。   「桃ノ木陽、ちょっと面貸ッ……!?」    言いかけたところで、陽と八千代を遮るものが現れた。八千代よりやや低いが、立派な長身だ。八千代が顔を上げると見知った白髪の少年がいた。  別の花壇で作業中だった颯を、部員が大急ぎで呼んできたのだ。   「陽さんに何か?」 「雲雀弟……!?」    鋭い眼差しを向けられて、八千代は目を見開いた。  久しく見なかった兄想いの少年は今、兄以外の為に鋭く八千代を射抜く。兄以外には感情を露わにしない少年は八千代を警戒して、自分の意志で、彼の前に立ちふさがっている。   「まさか、お前までこいつに……?! ……やっぱりただの仔兎じゃねぇんだな……!?」    兄にしか従わないはずの男が噂の魔性『桃ノ木陽』に既に懐柔されている。それは八千代にとって、噂を信じるのに十分な状況だった。雲雀にとって大事な弟を手駒にするとは卑劣な、と奥歯を噛み締める。  茶々丸は八千代と颯が睨み合う姿を、固唾を飲んで見守る。 「さっきから八千代さん、桃ノ木陽が仔兎にしか見えてないっぽいな……」と少し思っていたが、何かあったら自分も加勢するんだ、と身構えた。  ぎろり、と八千代は颯を睨む。   「そこをどけ雲雀弟。俺が用あんのはそいつだけだ」 「できません。お帰りください」 「あぁ?」 「……」    ゴゴゴゴ、と、二人の不穏なオーラが地響きのように周囲の空気を震わせる。  作業も中断して、部員たちがはらはらしながら見守っているというのに、陽は相変わらず、ぽけっと二人を眺めていた。   (……雲雀と颯のお友達かなぁ?)    しばらく眺めていた陽は途中で飽きてしまった。  そして、再び花壇に目を向けたその時だった。   「バカ、お前押すなって……」 「八千代さんは大丈夫なのか?」 「だから静かにしろって……」    花壇の柵、茂みの向こうが何やら騒がしい。人影が蠢いて、柵を押す。ぐらぐらと柵が揺れ始めた。   「あ、ばかばか! 押すな!」 「あ」    陽が立ち上がったのと、他の部員たち、八千代と颯が気付いたのはほとんど同時だった。   「うわあああ!」 「きゃあ!?」    がしゃん、べちゃん、と。  茂みの中から三人の生徒が倒れ込んで、柵は支えきれずに花壇へと倒れてしまった。部員たちからも悲鳴が上がる。  八千代は思わず身構えたが、倒れ込んだ生徒がさっき自分を送り出した舎弟であることに気付いて、目を丸くした。  そして、その下で崩れた草木、柵を見て、ハッ、とする。   「……お前らッ! ……ッ!?」    八千代のすぐ横を、ビュン、と何かが飛んでいった。  それは舎弟たちが倒れている花壇の、すぐ横の木に突き刺さる。ガィィンッと鈍い音が響いた。   「ひっ!」    倒れたままの舎弟たちが驚いて悲鳴を上げた。  突き刺さったのは手持ち用の、赤いスコップだ。  八千代には見覚えがあった。つい先ほど、桃ノ木陽が花壇で使っていたものと同じだ。    その桃ノ木陽は、八千代の横を、すっと静かに通り過ぎて行った。  スコップが飛んできた方向から歩いてきた為、八千代はスコップを投げたのは桃ノ木陽だと確信する。    陽は静かに木の傍まで歩いていくと、スコップを引き抜いた。  何が起きたのか理解しきれていない八千代の舎弟三人は、呆然として、倒れたまま陽を見上げる。   「……ごめんなさい、は?」    声の静かさに、彼らは思わずビクッと肩を震わせた。しかし、怯えた自分を恥じて、咄嗟に立ち上がって、陽に向かう。   「な、何だてめぇ!」 「おい」 「えっ!? ……ひいっ!?」    陽に食ってかかろうしたが、後ろから現れた八千代の存在に気付いて、小さくなってしまった。   「……」 「……」    少しの間、八千代と陽が睨み合う。  しかし、視線を逸らしたのは八千代だった。   「……悪かった」    八千代は頭を下げ、戸惑う舎弟たちをじろりと睨む。   「八千代さん、お、おれたち……」 「何したか分かってんのか?」 「……」    舎弟たちは花壇を見つめて、俯いた。   「逆切れしてんじゃねぇ。まずは頭下げんのが礼儀だろ」 「……ッ……」    少年たちは俯いて、すんません、ごめん、とそれぞれ謝罪の言葉を口にした。  八千代も改めて頭を下げるのを、陽はじっと見つめている。   「すぐ直させる。おい、そっちを」 「そ、それが……」    八千代の声掛け前に、少年たちも動いていた。しかし、柵を持ち上げてみると、そこには無残に潰された花たちがいた。   「花が……」 「……」    ある程度予想していたこととはいえ、自分たちの失態を目の当たりにし、少年たちは蒼褪めた。  八千代もまた、僅かに眉を寄せた。少し離れて見守っていた園芸部の部員たちが肩を落とす姿に、胸が痛む。   「……折れた花は、」    それまで黙っていた陽がようやく口を開いた。   「人間と違って傷を癒せません」 「……そうだな」    真っ直ぐに向けられた眼差しに責めるような強さはなかったが、その静けさが返って痛い。  八千代は陽の前に一歩出ると、深く頭を下げた。   「煮るなり焼くなり好きにしてくれ」 「……!」    陽の目が一段と丸くなって、八千代を見つめる。  八千代は頭を下げたまま続けた。   「……代わりにはならないかもしれねぇが、気が済むようにしていい」 「や、八千代さん! やめてください!」 「俺たちのせいなのに!」    茶々丸が思わず駆け寄って、しがみ付く。舎弟たちは、花をまた潰すわけにはいかず、柵を支えたまま叫んだ。  彼らを見回した後、陽はもう一度八千代をじっと見つめる。   「……あなたが謝ることじゃないのに?」 「俺が面倒見てる後輩だ。責任は俺がとる。……元はと言えば、俺が連れてきたようなものだしな」    心友可愛さに、自分の身を案じてくれる舎弟の気持ちを汲みとれなかった。急ぎ過ぎた結果だ。それは自分に非がある。  心友の役に立てなかったことが心残りだが……、と八千代は覚悟を決めていた。   「なんだこの騒ぎは! またお前らか!」    八千代がハッと顔を上げると、教師が2人、走ってくる。誰かが呼んだのだろう。  教師は倒れた柵に、形の崩れた茂み、折れた花などをじろじろと睨む。   「いったい何をした?! 次は停学じゃすまんぞ!!」 「……ッ」    八千代自身は真面目な性格が幸いして、学業に支障はない。けれど、舎弟たちはそれぞれ違う。もともと居場所のない彼らの面倒を見始めたところから始まっている。  トラブルも起こしたくて起こしたことはないが、喧嘩を売られれば買って、処分を受けたことも数多い。おおらかな学園といえど、何度処分を受けて在籍し続けるのも限度があるだろう。    俯く彼らを睨む教師の背中を、つんつん、と誰かが控えめにつついた。   「んん?! 今度はなんだ!?」    教師が苛立ちを隠さずに振り返る。  そこには、八千代の前にいたはずの陽がにっこりと笑っていた。    ――あ、あいつ!? いつの間に背後に?!    八千代はつい数秒前まで陽がいた場所と、今彼がいる場所を交互に見つめた。   「せんせー、こんにちは」 「え? 桃ノ木!? あ、こんにちは……?」    悪童たちを威嚇していた教師は、陽の柔らかな笑顔にがくっ、と拍子抜けしたようだった。  ンンッと咳払いを一つすると、もう一度威厳を示すかのように、ふん、と胸を張る。   「桃ノ木! 花壇を荒らしたのは、こいつらか?!」    聞くまでもないがはっきりさせてやる、と言わんばかりの口調で教師が花壇を指差す。  ぎく、と肩が震えた少年たちだったが、陽は、頬に人差し指を当て、んー……と首を傾げると、にこっと微笑んだ。   「いいえ?」 「な、なに!?」    驚いた教師は目を見開き、また陽に目を向けた。  どういうことだ?! と詰め寄る教師に、陽はにこにこと微笑みかけている。  八千代も少年たちもまた、目を丸くして陽を見つめた。    ――まさかあいつ……俺たちを庇うつもりか……?    視線が集まるのも、特に気にした様子もなく、陽はのんびりとした様子で口を開いた。   「お騒がせしてすいません。庭園の大改造をしてたんです」 「大改造……? そんな話は聞いてないが……?」    教師は不思議そうに首を傾げる。陽があまりも平然と、穏やかな口調で答えるので、疑うこともできないようだった。  さらに陽は「えっ」と声を漏らすと、目を丸くして、きょとんとした顔をしてみせた。   「許可が必要でしたか? ごめんなさぁい。理事長に好きにしていいですよって言われていたので」 「ああ、なるほど。あの人か……それならいいか」    またこちらには何も確認せずに、あの人は、と教師が呟き、ため息をついた。  理事長の日頃の行いが良くないのか、それとも本当に陽はそう言われているのか、八千代には判断がつかない。しかし、少なくとも、陽の言葉を教師は信じただろう。八千代はぞっとした。    ――なんて男だ……。つーか「えっ」って顔わざとらしすぎだろ……!    教師は陽の言葉は簡単に受け入れたようだったが、八千代たちをじろり、とまた睨んだ。   「じゃあこいつらはなんだ? 園芸部ではないはずだが?」    陽はまた頬に指を当て、首を傾げ、「んーっとー」と少し考える。   「あ、そうだ」    にこり、と陽はまた微笑んだ。   「えーっとぉ、彼らは手伝いに来てくれたんです!」    ――『あ、そうだ』って何? 今閃いたの丸出しだろ! 少しは工夫しろ!!    八千代は、「ここは突っ込むところだぞ」と思わず教師を見た。けれど、教師が何か確認する前に、陽のはさらに続けている。   「今日は、重い物いっぱい運ぶので! お手伝いに来てもらったんです。雲雀くんと颯くんのお友達なんです!」 「う、うむ……なるほど……。そうなのか、お前たち?」 「え?」    教師は最後に確認するように、八千代たちに目を向けた。  彼らはお互いに顔を見合わせて、最後に八千代に助けを求めるような眼差しで見つめた。    ――もしここで頷けば、桃ノ木陽に大きな借りを作ることになる……!    全て委ねられている、と八千代は察するが、迷いがあった。  桃ノ木陽がどういう男か分からないし、雲雀にとって害のある存在かもしれない。そんな男に、弱みを握られるわけにはいかない。  けれど、もし否定すれば舎弟たちはどうなるのだろう。  自身の処遇はどうでもいいが、舎弟たちのことだけは気がかりだった。    これまで、自分の道を信じ突き進んできた八千代だが、珍しく判断に迷った。  教師はこちらをじっと睨んでいる。疑っているんだろう。    迷い、躊躇う八千代たちの視界に、ひょっこりと顔を覗かせる桃ノ木陽の姿が映った。  八千代達を睨む教師の背後にいるから、教師からは見えないだろう。  花咲くような桃色と、目が合った。   「……ね!」    桃色の瞳が何故か『ここはすべておれにまかせろ!』と言わんばかりに輝いている。  ばちーんっとウインクまでして、親指をぐっと立てる。花のように可憐で、愛らしい顔で。   「……お、おう……?」    おそらくどこにも根拠のない自信に満ちた桃色を前にして、何故か八千代は頷いていた。

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