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11話-3 心友

「それはあっち、これはそっちに運んでくださぁい」 「なっ! まだあんのかよ!? こんなのッ……」 「頑張れ♡頑張れ♡」 「く、くそぉ! 可愛い!!」    陽がニッコリ笑ってぎゅっと握った両手を上下に振る。文句を言いたかったはずの少年は顔を赤らめて、台車を掴んで走り出した。  次から次へ陽が指示を出し、舎弟たちが土や道具を運んでいる。八千代も颯から教えられながら土を運んでいた。   「なんだあれ……」 「陽さんは飴と鞭の使い分けがお上手なので」 「……飴はわかるが、……鞭?」 「それは……」    ガシャン、と台車が倒れる音に、二人はパッと目を向けた。作業に参加していた舎弟が一人、バランスを崩してしまったようだ。園芸部で使っていう農作業用の運搬台車は一輪式で、バランスを取るのが難しかった。   「大丈夫? 休む?」 「……ッやってられっか!!」    陽が手を差し出すが、倒れた舎弟はその手を弾く。  思わず八千代が駆け寄った。   「おい! お前なぁ」 「ッ! で、でも八千代さん! そりゃ……俺達が壊しちまったのは直しますけど! これは関係ねぇし! こいつ俺達を良いように使ってません?!」    ビシッと陽を指差すと、僅かに目を丸くしていた。  八千代としては壊れた柵等を直すのは当然だが、折れた花を直せない以上、他のことで補う他ないと考えている。しかし、他の舎弟も、慣れない作業に疲れて苛立っているようだった。   「直すって言ったって、こいつの言うとおり花は……」 「いいよ、八千代くん」    立ち上がった陽が八千代を手で制す。   「お前……だが……」 「そこまで言うのでしたら」    陽が少年たちを見つめた。   「いいよ、帰っても」 「え?!」    何を言われるのか、と身構えていた少年達は目を丸くした。教師につき出す、とでも言われるのではと恐れていたが拍子抜けして陽を見つめる。  陽は、にこりと微笑みを向けた。   「八千代くんがぜんぶ背負ってくださるそうですので、他の方はお帰りいただいて構いません」 「なっ!」 「くっ……! 八千代さんが……!」 「それは……!」    彼らは奥歯を噛み締め、悔しそうに陽を睨む。  いわゆる不良少年の鋭い眼差しを物ともせず、陽はふふ、と可憐に目を細めて、楽しそうに笑っている。   「煮るなり焼くなりとおっしゃっていただきましたし、ね?」 「え? お、おう」    陽がくるり、と愛らしく回って、八千代の側にやってきた。  急に話を振られて、八千代は意図が分からずに頷いてしまう。舎弟たちがハッとして慌てて立ち上がった。   「てめぇ! 八千代さんに何させる気だ?!」 「えー? 知りたいの? 園芸部の活動に興味がおありで?」 「こ、こいつ! とぼけやがって!!」 「お前なんかに八千代さんを好きにさせてたまるかよ!!」 「お、おいお前ら……」 「あはは、威勢の良いことで!」    陽への怒りがあらぬ方向へ進んでいくのを止めようとするが、陽が遮ってしまう。  ふふ、と花の妖精のように笑い、八千代の周りをふわふわと舞い踊る。少し鬱陶しい。  陽は少年たちの怒りの眼差しを真正面で受け止めた。桃色が臆することなく、少年たちを見つめ返す。   「でも、君たちの八千代くんに対する忠義心はよくわかりました」 「……え……?」 「八千代くんをお慕いしているんだね」 「桃ノ木……」 「お前……」    陽への怒りから、少年たちがはっ、と我に返り、陽を見つめた。  陽は優しく目を細めると、静かに微笑んだ。       「まあ口だけなら何とでも言えるわけですが」 「こ、この野郎が!!!」        鎮火しかけた怒りが再び燃え上がる。   「やってやんよ持ってこいや!!」 「あはは、おかしなことを仰る。運ぶのは君たちだってば」 「クソおおお!」 「あははは」    怒りを力に変えて、舎弟たちは実によく働いた。  一連の出来事を静かに見守っていた茶々丸は、震え上がった。   「も、桃ノ木陽……! あんな菩薩様みたいな笑顔でなんつー煽りスキル持ってんスか! 掌でころころ転がしてる!!」 「陽さんは飴と鞭の使い分けが本当にお上手で」 「あれは鞭か?」 「……」    颯は八千代をチラッと見た。   「……広い庭園が学園の名物ですが」 「えっ嘘だろ? 無視か?」 「園芸部の部員数は多くはありません」    八千代の問いに答えがないまま、颯は何事もなかったかのように続けた。   「正規の部員は少ないですが、陽さんにはいろんなお友達がいらっしゃって、皆さん陽さんのためならといつも協力してくださいます。……人を惹き付ける天性の才をお持ちなのでしょう」 「天性の……すか」    茶々丸が八千代を見た。八千代はここに来た本来の目的にようやくたどり着き、静かに頷く。   「……魔性、か?」 「……」    颯は答えずに、八千代をじっと見つめ返す。   「……八千代さんは、陽さんと兄さんの噂を聞いて、来たのですか?」 「……! まさかお前も……?!」 「はい」    颯が静かに頷くと、八千代は、陽を強く睨みつけた。   「尾行を繰り返しましたが何度も見失い、最後には背後を取られました……。完敗です……」 「どういうことっすか?! 忍者?!」    颯が悔しそうに肩を落としている。  八千代の視線の先では、陽が先程から舎弟たちの周りをふわりふわりと舞い踊っている。騙されかけたが、やはり奴は”敵”なのではないかとじっと睨む。   「てめぇもあいつに弱み握られてんのか? だったら、やっぱり俺が奴を……」 「いえ」    短くとも、強く否定する声に驚き、八千代は颯を見た。   「俺は自分の意志でここにいることを決めました。  それが俺なりの答えです」    どこか不安定さ垣間見え、自分の軸を兄に依存していた少年が、確かな強さを持って八千代を見つめ返す。しばらく会わないうちに、彼の中に変化が起きたことは明白だった。  その変化に、桃ノ木陽が関係しているというのだろうか。  八千代は颯の次の言葉を待った。   「陽さんは……、………」 「……?」    颯は少しの間、考える素振りを見せた。   「陽さんは……その……」 「……? ……何だよ?」 「……まだ俺にはわからないことが多くて……謎で……えっと……とても俺ごときには計り知れない方なので……」 「弟くん、超言葉濁すじゃん」 「不安しかねぇよ」    何一つわからなくて、八千代の桃ノ木陽への疑いは晴れそうにない。  颯自身、必死に言葉を選んでいるのだろう。社交的な兄と違って、もともと話すことが自体が得意ではない。   「……でも、見ていただければきっとわかります。そういう人です」    それでも颯は、真っ直ぐに、そう言い切った。    ***   「うわーつかれたぁ!」 「お疲れさまー、梅の炭酸ジュースでーす」 「な、なにそれ?!」 「お疲れさまです、どうぞ♡」 「お、おう……」 「ど、どうも……」    警戒する八千代やその舎弟たちに、園芸部の誇る愛らしいΩたちが微笑みかける。『最初のΩは宝石から生まれた』『コウノトリが運べばただの人、妖精が運べばΩが生まれる』とまで言われる美貌の持ち主たちに、笑顔とともに手渡されれば、彼らとて受け取らないわけにはいかなかった。    迷信でしかないはずのΩに関する逸話を、八千代は信じてなどいない。  けれど、誰もが泥だらけで汗だくであるはずなのに、この輝きと美しさ、そして愛らしさを見せつけられると、やはりΩは何かが違う、と考えざるを得ない。    ――つまり、桃ノ木陽も……。    八千代は、元気良くジュースを配り歩く陽をじっと睨んだ。    渡されたグラスは冷たく、琥珀色の液体に浮かぶ氷はきらきら輝いている。  疲れ切った体は吸い寄せられるように――舎弟の少年達は警戒心が拭えず、恐る恐る――グラスに口をつけた。   「うお! すっぺぇ!」 「でもうめぇ!」 「梅は園芸部で収穫しました」 「マジかよ!」 「ふふん!」    陽が薄い胸を張る。胸を張ってもちいせぇな、と内心で呟く八千代の横では、舎弟の少年達が、ほぉ、へぇ、と感心したようにグラスの中の梅を見つめていた。   「つーかマジで園芸部って重労働だな。庭園で優雅にお茶飲んでるイメージしかなかった……」 「実はあいつら筋肉すげえのかな? マッチョなΩってなんか嫌だ」 「桃ノ木陽なんて『庭園に舞い降りた奇跡の花』なーんて言われてるし、『理事長のお気に入り』だからもっと楽してんのかと」 「……おい……」 「あっ」    静かだが、怒気を孕んだ八千代の低い声に、口を滑らせた少年はビクッと震えた。自分でも失言だったと、口を抑え、気まずそうに陽に目を向ける。  陽はきょとん、と目を丸くしていた。   「……奇跡? ふふっ」    けれど、少年たちを見回すと、目を細めて、可笑しそうに笑った。   「もしそんな風に見えたなら、園芸部冥利に尽きるかな。見てほしいのは花であっておれたちじゃないし」    ねー? と部員たちに視線を向ける。彼らも、そうですね、奇跡だって、素敵だね、とくすくす笑い合った。  Ωはその美しさや神秘性を、花や妖精、宝石によく例えられる。それ故に、着飾られ、鑑賞されることが多い。  自分を見られずに何かを作り出すことができる場所は希少なのかもしれない。   「でも、そう、命って重いの」    部員たちと微笑み合っていた陽が、ふと呟いた。  どきり、と心臓が高く鳴る。   「命って重いの。手間もかかる。奇跡なんて起きない。だから、一つ一つの花を、最後まで綺麗に咲かせてあげることが園芸部の誇り。庭園や花壇は園芸部の誇りなの」    穏やかな声には、嘘偽りのない、確かな信念を感じた。  八千代が舎弟の少年たちに目を向けると、彼らは静かに俯いていた。今は片付けられ、何もなくなった花壇を見つめる者もいる。  ただ責任を取らせるだけでは知ることのできなかった感情が彼らに宿っている。    ――こいつ、このために手伝わせたのか……?!    八千代はハッとして目を見開き、陽を見つめた。  陽は、少年たちに優しく微笑んでいる。   「俺達……」 「……ほんとに、花のこと……悪かっ…」 「だから、今度やったら、君たちを裸にひん剥いて、蜂蜜を塗りたくり、花の代わりに庭園に植えます」    陽は目を細めて、柔らかな笑みを浮かべ、静かに囁いた。  陽の言葉を脳が受け取るまで、数秒かかった。   「……え?!?!」    ガタガタッと彼らが姿勢を崩して陽を見た。罪悪感に押し潰されそうになりながら花壇を見つめていた者は首が鳴る勢いで振り向き、俯いていた者はガバッと顔を上げ、陽を見つめていた者は思わず目を擦る。   「花壇やお花はおれたちの誇り……おれたちの誇りを踏み躙ったからには、君たちの誇りも粉々に叩き潰さなければ気が済まないの……」    陽は相変わらず、菩薩のような微笑みを浮かべている。口調も穏やかで、柔らかい。しかし、怒気も苛立ちも感じられない声が、『物騒』そのものを口にしていた。   「本当は、花を折ったので、全身の骨を折ってもいいんだけど、それは痛みが強くて、なんかちょっと違うでしょ? 大事なのは誇りを砕くことだから……骨を砕いても満たされないの……」 「菩薩様みたいな顔で命の尊さを説いてたのに、なんだこの急展開!!」 「だからやたら攻撃的な挑発を!?」 「こき使ったのも誇り粉砕のため?!」 「……」    にこり……と静かに陽が微笑む。ひいっ! と悲鳴を上げ、舎弟たちは身を寄せ合って震えた。  八千代はただただ開いた口が塞がらなかった。   「でもね」    陽がそう続けて、八千代に目を向ける。八千代は一度だけびくっと身体が震わせたが、その視線から逃げることはしなかった。   「今回は八千代くんの男気に免じて見逃してあげてもいいよ」 「……おう……」    ――……『見逃す』……ってこいつ……。    決して許しているわけではないことがしっかりと伝わってくる。  それでも八千代が頷くと、陽はにこっとまた笑って舎弟たちに目を向けた。舎弟たちはずっと震えているが、陽が視線を戻したことでさらに大きく身体を震わせた。   「足元には気をつけてね」 「……はい」    彼らは素直に頷けば、陽は満足したように立ち上がった。   「今日は手伝ってくれてありがとー」    両手を広げて、八千代に駆け寄ってくる。さすがの八千代も思わず身構えた。   「一番頑張った八千代くんには飴をあげましょう!」 「うわ、いらねぇ」 「あげます!」 「うぉぉいやめろ! 勝手に突っ込むな!!」

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