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13話 大きなイチョウの樹の下で

 紳士的で微笑みを絶やさない学園の貴公子こと菖蒲堂雲雀が歩いていく。いつものような爽やかな笑みはなく、伏し目がちでどこか寂しげだ。普段の凛々しく隙のない彼とはまた違い、儚ささえ纏う姿に見惚れている者も多かったが雲雀にはどうでもいいことだった。    歩いていく先は、中庭のイチョウの木の下。匿名の手紙に呼び出されて、ため息を零しながらも向かっていた。  春頃に陽と待ち合わせした時は羽のように軽かった足取りが、今はぐっしょり濡れた長靴よりも重い。    今まで同じ場所に呼び出された数はもう数えていないが、十中八九、理由は告白だった。今週だけでも早くも4回目。  秋の文化祭を控え、この時期は告白が多かった。一般的な学校でも文化祭前はそうかもしれないが、この学園では、文化祭の夜に舞踏会が開かれる。  といっても正式なものではなく、学生だけが参加する大人の真似事、プレ舞踏会とでも言おうか。華やかで優雅なものを好む理事長の趣味だそうだ。    余計なことしやがって、と雲雀はますます君影ルイが嫌いになった。    舞踏会への参加について、ダンスパートナーが恋人であることは必要はない。……にも関わらず、ダンスに誘うということが、告白とほぼ同義になっているから不思議だ。  そのせいか、あまり話したことのない子からも告白されてしまう。    ――何でだろう。俺って、軽い男に見られてるのかな?    八千代が常に懸念しているように、他人から自分への好意の重さに対して疎いところがある雲雀は、文化祭直前の浮かれた雰囲気が良くないんだ、と考えていた。    第一次告白シーズンは夏だった。春に出会って親睦を深め、体育祭の準備と当日の熱気と一体感で恋をして、夏の陽気に浮かれて付き合った生徒たちは、この時期になると夢から覚めたみたいにお別れしている。  そして、暑さが過ぎ去り、制服がまた冬服に戻るころになると、またみんな、愛を求め始める。愛というか、触れ合いを求めている、という方が適切かもしれない。  それがイチョウが黄金色に色づく季節、第二次告白シーズン、秋の到来だ。  こんなことで季節を感じたくはなかったが、中等部からこの学園に入学して数年目、毎年繰り返されれば嫌でも意識せざるを得ない。    けれど、今の雲雀には人恋しい気持ちが少しだけわかってしまう。    ――俺も陽が恋しい。    体育祭が終わってようやく陽と会える! と喜んでいたら、陽が人気者になっていた。  物静かな目立たないタイプの生徒から、『八千代組』の決して品行方正とは言えない奴らまで。  それはそれは見事に多種多様なお友達が増え、囲まれていることが多くなった。    ――まあそれは、許そう。気持ちはわかる。俺だって陽を囲いたい。    同志と思われる新しい『お友達』は置いておいて、雲雀にとって厄介なのは睡蓮だった。    睡蓮はなぜか最近、雲雀が陽と会おうとすると邪魔してくるようになった。しかも、それを振り切って会いに行こうとすると、堂々と後をついてくる。    ――そういえば、昔からあいつはそうだった。    俺のこと気に食わないなら放っておいてくれればいいのに、何故か勝手についてきて、挙句の果てに文句を言い続ける。なんて鬱陶しいんだ。    睡蓮の嫌がらせに手を焼いている間に、文化祭の準備が始まって再び駆り出され、陽に会える時間が更に減ってしまった。  それだけでも雲雀の心は闇に落ちそうだったのに、睡蓮は何故か文化祭準備にまでついてきて、いつの間にか参加するようになっていた。  学校行事をみんなで力を合わせて頑張ろう、なんてタイプではないはずなのに何故だろう、と雲雀は考えたが、どう考えても自分への当てつけだ、と結論付けて怒りに燃えた。    ――マジで許せねぇ、君影睡蓮。あいつは俺に何の恨みがあってこんな仕打ちをするんだ。全く身に覚えがない。    案の定、指示だけ出して偉そうにしてるし。命令するのは慣れているんだろう。確かに頭もいいし、誰であろうと遠慮しないから指示が的確でみんなも従っている。そのおかげでだいぶ俺の仕事は減ったから、楽になったけど!    夜遅くまで作業をしたり、昼休みも会議したりと、睡蓮が文化祭準備に参加することで、共に過ごす時間が嫌でも増えた。  こんなに長い時間を過ごし、話をしたのは陽と出会う前以来だろうか。もしかしたら中等部以来かもしれない。  だからだろうか。雲雀は改めて、君影睡蓮という男について考えることが多かった。    自分と同等の頭と身体、容姿を持つ(α)。頼られることもないし、守る必要もない。何をするにもこちらの考えを察してくれるし、こちらも何をしようとしているのか、手に取るようにわかる。  賢く、強く、美しい男。  だから、改めて感じた。    ――俺、あいつ嫌いだわ。    挑発的な笑み、心を侵す毒のような言葉に、美しくも妖しい眼差しが、人の神経を逆撫でしてくる。神経が磨り減り、心が荒む。  改めて考えてみると、こんな奴とよく一緒に行動していたな、と中等部の自分に感心してしまった。心が麻痺していたのだろうか。今では耐えられそうにない。    陽と出会って柔らかくて暖かいものを知ってしまったから、なおさら。    付き纏う睡蓮を無視してもいいが、睡蓮と陽を会わせるわけにはいかなかった。  春の食堂での出来事は、陽自身が止めてくれたし、他人の目も多かったから耐えることができた。けれど、今度陽に手を出されたら、自分が睡蓮に何をするかわからなかった。    ――いっそのこと殴り飛ばしてしまった方が楽になれる気もする。    何度も拳を握ったが、優しい陽の前でそんな姿は見せられなかった。陽の前では、優しくてかっこいい、完璧な自分でありたい。  だから、陽をたまたま見かけた時も、ただ手を振って笑顔を向けて、颯爽と去るようにしている。  本当は追いかけて連れ去りたいのを何度も我慢した。睡蓮がいて、泣く泣く諦めるしかなかった。    ――……そういえばあいつ、俺が陽を諦めるとなんだかやたら嬉しそうだったな。必死で耐えている俺を嘲笑うかのように、楽しそうに笑ってやがった。  本当に腹立たしい! あの性悪野郎!!    陽への恋しさと睡蓮への怒りで、雲雀は心が荒んでいく生活が続いていた。  けれど、そんな生活でも、雲雀には唯一の癒しがある。  家に帰ってから、陽と電話でお話するという、最高の癒しが。  連絡先交換しといて本当によかった、よくやった俺、と雲雀は過去の自分を褒めちぎった。    食事や就寝の準備を終えた後から寝る前までの短い時間ではあるが、少しずついろいろな話をした。    陽も文化祭で庭園公開イベントがあるから毎日準備で忙しいらしい。  陽も疲れているんだろう。話している途中で寝てしまうこともよくあった。  それがまた、雲雀には可愛くてたまらなかった。すぅすぅ、と微かな寝息すら愛おしかった。    陽はスマホを使うのがあまり得意ではないことを、雲雀は初めて知った。通りでメッセージを送ってもなかなか返事が返ってこないはずだ。  以前から、メッセージを送ると、陽自身が雲雀の教室に来て、メッセージへの返事を答えて帰っていくのをずっと不思議に思っていた。 「会いに行った方が早いんだもん」とは陽の言葉だ。  なんて潔いんだろう、と雲雀は感心した。謎も解明されて、雲雀はまた一つ、陽を知ることができたのだ。    最初は苦戦していたが、最近ではテレビ電話も覚えてくれた。「雲雀の顔が見たいの」と茶々丸に頼んで教えてもらい、一生懸命練習したらしい。  雲雀は、その練習とやらで、自分より早く陽とテレビ電話をした茶々丸に真っ黒な感情を抱いたが、電話するたびに陽の嬉しそうな顔を見れるようになったし、陽の普段着や寝間着が浴衣や袴といった和装だということも知ることができたので、一旦茶々丸の処分を保留とした。    本当ならば『早く寝て、休んだ方がいい』と陽を気遣うべきなんだろう。けれど、陽はうとうとしながらも一生懸命会話を続けようとするから、どうしても止められなかった。毎日電話できるわけじゃないから、余計に。   「雲雀が頑張ってるからおれも頑張る!」という陽の声で、自分もまた頑張れる。  陽に会えない時間も、睡蓮の嫌がらせに耐える時間も、そうやって今日まで乗り切ってきた。    だけど、やっぱり。    ――……陽に会いたいなぁ。    会話中、画面に映った陽を、何度指で撫でたかわからない。  その度に、つるりとした固い感触に落ち込んだ。  顔を見れて、声を聴けて、それだけでは、本物には程遠い。    柔らかくて暖かい陽に触れたい。  白くてなめらかな肌に、手に、触れて、撫で回したい。  身体は華奢なのに、何故かもちもちとしている頬にはかぷっと……    ――……いや、噛んじゃだめだろ。    ぶんぶん、と頭を振って、振り払う。    ――最近ちょっとおかしいな。    自分でも不思議なくらい、陽のことばかり考えている。  陽が食べちゃいたいくらい可愛いのは今に始まったことではないのに、気付けばあの白くて柔らかい頬や手にかぷりと喰い付く想像が膨らんでいた。決して傷つけたいわけではない。ちょっと、かぷっとしたいだけ。牙で肌の柔らかさを感じたいだけ。    ――それもどうかと思うけどな。    そして、時々胸を過ぎる、なんかモヤモヤしたものの正体もよくわからないままだった。陽が遠くにいる時、友達に囲まれている時、陽が笑っていて、楽しそうで、可愛いのに、心が翳る。    ――……陽がどこにいたって、笑ってるだけでよかったはずなのに。    自分の隣で、笑っていて欲しいなんて。    ***    もう何度行ったかわからない告白スポット、中庭のイチョウの木の下。  ここは、イチョウの葉がハートに見えることから、『ハートの舞い散る中で告白すると実る』というジンクスが信じられている。    ――……まあ、まだ舞い散ってないんだよな。ちょっと早いよ。ようやく色づいてきたってところだもん。    近づいていくと、よくわかる。葉の色から見ても、葉が舞い散るにはまだ少しばかり早いだろう。    ――……正直、恋も実ってないんだよな。実らせてないんだよ、俺が。    『貴方は私の運命だと思ったのです』    告白してくる子たちは、特にΩの性を持つ子は、みんなみんなそう言う。    どうして俺なんだろう?  俺は俺が選ばれる理由がわからなくて、いつも不思議に思う。    優しいからってよく言われるけど、それは俺がそうすることが正しいと思うから親切にしているだけなんだ。相手に対して特別な感情がなくても、正しいと信じるから、行動しているだけ。  だから俺自身は相手に何も感じていない。みんな一緒に見える。等しく公平に、優しくすべき人たちってだけだ。  誰も、俺の特別じゃない。  運命じゃない。    ……こうして考えると俺はなんて薄情な人間だろう。もっと心から優しくならなくちゃいけないのに。本当に優しい人間は、きっとこんなこと考えないはずだ。  これでは、他人を性別でしか評価しない睡蓮と変わらない。    ――陽だったら、きっと、こんなこと思わないのにな。    秋の風は色を持たない。柔らかさも暖かさも、遠ざかっていく。  このまま、あの優しい日の光と花の残り香さえ消えて、忘れてしまうんだろうか。  忘れていくことに、慣れていくんだろうか。    そう考えると、心が沈んでいく。乾いていく。世界は色を無くしていく。    その中で、ただ一つ想うのは。    ――……陽に会いたいなぁ。    願いと共に、はらり、と目の前を何かが舞う。    はっと気づいて目を向けると、一枚のイチョウの葉がひらり、ひらりと、舞い落ちていった。    ――あれ? まだ早いと思ってたのに。    足元に落ちた一枚を拾い上げると、日差しを浴びて、黄金色が映える。    ――……ハート、かなぁ。ハートと言われればまあそうなのか?       「……雲雀?」        雲雀は、再び顔を上げた。  イチョウの葉の向こう側から聞こえた声に、反射的に。    イチョウの木の下で、少年が一人佇んでいる。  見間違えるはずはない。  雲雀が目を見開いて見つめる先には、同じく目を丸くした陽がいた。    色づいていくイチョウの葉の下、黄金色にも見える木漏れ日が陽を淡く照らし出していた。    ――陽って花も似合うけど、葉も似合うんだ。そうなるときっと、雪も似合うんだろうなぁ。冬が楽しみだ。    ……いや、そうじゃなくて。    陽。  本当に、陽だ。   「……なんか、久しぶりだね」 「う、うん」    陽も驚いた様子だったが、少し照れたように微笑む。  雲雀は返事をしたが、まだ夢の中にいるようだった。    ――陽がどうしてここに……? まさか、呼び出したのは……陽が、俺を? ……え、うそ、え? まじ?    混乱したまま、溢れそうになる気持ちを抑え込んで、雲雀は口を開いた。   「は、陽が呼んだの? 俺を……!?」 「え?」 「……え?」    陽がきょとん、として首を傾げた。  雲雀も、あれ? と少し冷静になって、同じように首を傾げる。   「……えーっと、手紙くれた?」 「手紙? ううん? 何のこと?」 「……いや、何でもない」    違うのか、と雲雀は肩を落とした。  けれど、そんな自分に気付くと、すぐにはっとして顔を上げた。   (あれ、なんで俺、こんなにがっかりしてるんだ?) (何を期待してたんだ? なんて言ってほしかった?) (……ていうか俺、今)    ――嬉しかった、のか? 陽から告白されるかもって?    雲雀が辿り着いた答えに呆然としていると、陽は不思議そうに首を傾げる。  それから、静かに上を見上げた。   「……手紙は知らないけど、雲雀に会いたいなぁって思ってた」    ぽつり、と零れ落ちた呟きに、雲雀は陽を見つめた。   「だから……」    陽もまた、雲雀を見つめて、溢れるように笑った。   「会えて嬉しい!」    淡く、頬が染まっている。  彼の微笑みとともに、秋の色なき風が、甘い花の香りを纏う。    それだけで、充分だった。  あっという間に心が満ちていく。  景色は色づき、時間が動き出す。    忘れたりしない。色褪せない。  彼の周りは空気が澄んでいる。   「……はるっ」 「あのっ!」    陽に駆け寄ろうと一歩踏み出した雲雀は、上擦った声によって動きを止めた。  振り返ると、顔を真っ赤にした小柄な少年が立っていた。   「お、お手紙、見ていただけましたか……!?」 「あ、ああ……」    完全に頭から吹き飛んでいた存在を思い出して、雲雀はぽかんとしながら答える。  陽はきょとん、としながら二人と交互に見比べて、何かに気付いたように目を丸くした。   「あっ、ごめんなさい。お邪魔しましたぁ」 「あ」 「ごゆっくり~」 「……」    のんびりとした声とは裏腹に、たたた、と速やかに陽が去っていく。  小さくなっていく背中を見つめながら、雲雀は自身の心を知った。自覚すれば、なんてことはない。当然の答えだった。  むしろ、自分はなんて鈍いのだろう、とおかしくなってしまった。   「あは、はははっ……!」    笑い始めた雲雀に、少年は首を傾げているが、構わなかった。雲雀は、自分の心と同じように、穏やかに晴れ渡った秋の空を見上げた。    ――何で気付かなかったんだろう。        俺はこんなにも、陽のことが。 秋の章『一葉落ちて我が恋を知る』

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