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15話 お届け物
「……あれ? 雲雀、ピアスどうしたの?」
週明けの休み時間、優介はふと気づいて首を傾げた。
いつもなら、雲雀の左耳にはシンプルなキャッチピアスが輝いている。意外ところころと種類が変わるので、チェックしてるファンがいることを優介は知っている。たぶん雲雀は知らないだろうけど。
今日はそれがなかった。
雲雀は、軽く耳に触れて「あー……」と少し考えた。
「……無くした?」
「?」
雲雀がにこっと笑う。いつものように爽やかな笑顔だ。ただ、珍しく何か含みがあるような、ないような……。
そんな違和感はすぐに弾け飛んでいった。廊下から教室を覗き込む、可愛らしい顔が目に入ったからだ。
優介の気持ちが一気に跳ね上がる。今日は一日いい日になると確信した。
可愛らしい顔を覗かせた陽は、近くにいた生徒に「ひばりいますか?」と尋ねている。
誰かに呼ばれる前に、優介は雲雀の肩を興奮気味に叩いた。
「雲雀、雲雀! 陽くんだよ!」
「そうだなー」
「……?」
あれ? と優介は今度こそ首を傾げた。
陽を見かけたら、いつも一緒にはしゃいでくれるのに、やけに落ち着いている。特に驚いた様子もなく立ち上がって、陽のもとへ向かう。
不思議だったが、「やっぱり、雲雀はすごいな!」と優介は感心した。
「あっひばりー」
「陽、どうしたー?」
出入り口の前で、二人が向かい合う。にこにことしている陽はいつも通りだ。雲雀はというと、クラスメイト達からは背中しか見えないが、普段よりも声や雰囲気が柔らかい。
久しぶりに『噂の二人』が揃い、クラスメイトは自然と注目している。
もちろん、そんなこととは露知らず、陽は雲雀に向けて、小さな手のひらを広げて差し出した。
「ピアス、おれの部屋に忘れてたよー。雲雀のだよね?」
陽の言葉に、教室中が、「おれの部屋……って何?!」と静かにざわめいた。
雲雀がピアスに視線を落として「あーごめん」と陽に微笑む。
「シャワー浴びる前に外したんだ。どこ行ったのかと思ってたけど、陽の部屋だったのかぁ。ありがとな」
今度はざわめきだけでは収まらず、「シャワーって、まさか?!」と動揺が走った。
さすがに教室の異変に気付き、陽が教室を覗き込もうとする。けれど、その前に雲雀が「ありがとな」とピアスを受け取ったので、陽の視線はまた雲雀に戻った。
「来てもらったついでで悪いんだけど……」
「いいよー、なぁに?」
「ピアスつけてくれる? 鏡ないとよく見えなくて」
陽はきょとん、と目を丸くした。ちらっと雲雀の耳を見て、もう一度雲雀をじっと見つめる。
「……ふふ、いいよー」
「悪いな」
陽は少し笑って、再び雲雀からピアスを受け取った。
陽が手を伸ばすと、雲雀は少し身を屈めて傾け、左耳を寄せてくれる。
また教室がざわついた。飛鳥のような感情豊かな生徒にいたっては、思わずガタガタッと音を立てて立ち上がってしまう。たまたま廊下にいた生徒たちも、二人の距離の近さを目の当たりにして動きを止めていた。
「できたよー」
「ありがと。……そういえば、身体大丈夫?」
「……? うん、平気」
「良かった」
陽が不思議そうに頷くが、雲雀を満足そうににっこりと笑っている。
教室にいる生徒達はさすがに動揺を抑えきれず、お互いに顔を見合わせ、できるだけ小声で囁き始めた。
「身体って?! 何が大丈夫?!」
「そういえば桃ノ木陽って先週休んでたって……」
「休み? 風邪?」
「馬鹿! 発情期 に決まってんだろ?」
「マジ?! じゃああいつら……」
妄想と憶測で、教室内がにわかに騒がしくなり始める。
陽が首を傾げたが、雲雀が「なんでもないよ」と微笑んだので気にしなかった。
「また遊びに行ってもいい?」
「もちろん、いいよー」
「じゃあ、今日は帰りに迎え行くから」
「ありがとー」
ばいばーいと手を振り、陽が去っていく。
その小さな背中が見えなくなるまで見送ってから、雲雀はようやく席に戻ってきた。
「ど、どういうこと!? あいつの部屋行ったの?!」
待ってましたとばかりに飛鳥がその机に飛びついた。雲雀はあまりの勢いに目を丸くしたが、嘘だと言ってくれ! とでも言うようなその眼差しを、柔らかく笑顔で受け止めた。
「うん、まあ」
「いいなぁ……。やっぱりお花いっぱいなの?」
「いや案外普通」
「普通かぁ……」
ふふ、と優介の表情が緩む。代わりに、飛鳥が大きな目を見開いて震えていた。
「よ、良くないだろ! 部屋って! あいつΩで、雲雀はαなのに、」
「それが?」
「え!? え、だって……ええ……?」
雲雀がなんてことないように首を傾げるので、飛鳥は「俺、また間違ってるのか!?」と混乱して頭を抱えてしまった。
他の友からの質問も雲雀は軽く受け流し、笑っている。
いつまでも静まらない教室だったが、教師が入ってきてようやく、生徒たちもそれぞれの席に戻っていった。
その中で、最後まで席を離れることなく、雲雀の背を睨み続ける眼差しがあった。美しい蒼の瞳を鋭く鈍く光らせ、繊細な容貌を歪ませている。彼は――睡蓮は、奥歯を噛み締めて、雲雀の背を睨みつけた。
***
すっかり夕暮れ色に染まった光が、西校舎のエントランスに差し込んでいた。
日が落ちるのが早くなったことを感じながら、雲雀は靴に履き替える。
今朝の教室での出来事は他のクラスの生徒にまで広まっていた。文化祭の準備中も質問責めだ。ようやく逃れたらこの時間になっていた。
陽とは園芸部の部室で待ち合わせている。肌寒い季節だ。あまり待たせるのも申し訳ない、と雲雀は急いでいた。
――……そういえば、今日の〝あいつ〟、静かだったな。
不本意にも、蒼い眼差しが頭を過ぎった。
「……ハッ」
エントランスの無駄に豪華な飾り柱を通り過ぎようとした時、嘲笑うような声がした。
雲雀はうんざりしたように肩を落とす。噂をすればというやつだろうか。余計なことを考えるものじゃないなとため息も溢れる。
致し方なく、雲雀は立ち止まって、声の方を睨んだ。
雲雀の視線の先では、睡蓮が飾り柱に背を預けていた
「まさか部屋に連れ込まれるとはな……」
雲雀が睨むと、睡蓮は嘲笑うように口角を上げた。けれどその眼差しは、苛立ちで歪んでいる。
「発情期 中のΩに惑わされて、望まれるままに抱いたのか?」
「……んなわけねぇだろ。付き合ってもねぇのに」
雲雀が呆れたように、ため息混じりで答えたが、睡蓮は「はっ、どうだかな」と笑う。
「人目も憚らず寄り添い合い、顔は緩みっぱなしで見るに堪えない無様な姿を晒したくせに」
「陽の前じゃ結構みんなデレデレしてるよ。俺だけじゃない」
「お前は頭も緩んでるみたいだがな」
「……何? さっきから。喧嘩売ってんの?」
文化祭準備も佳境だ。エントランスには二人以外の生徒も残っている。
しかし、殺伐とした空気を感じ取って、誰も近づいて来ない。二人に気付くと、見て見ぬ振りをして、足早に立ち去っていった。
雲雀の鋭い眼差しに怯むことはなく、睡蓮はハッ、と鼻で笑うとさらに睨み返した。
「散々忠告してやったのに、〝二度も〟あいつの手管に引っかかるなんて、救いようがない男だと言ってるんだ」
僅かに眉を顰めた雲雀に、睡蓮は挑発的な笑みを浮かべた。
「私物を拾わせて届けさせたかと思えば、今度は拾って届けに来た。まるで周囲に関係を見せつけるかのように。
……あんなのでも、あいつはΩで、お前はαだ。αとΩが二人でいること、その意味がわからないわけじゃないだろう?
お前が何を考えて構ってやってるか知らないが、あいつはどうかな? 外堀埋められていることに気付いていないのか?」
雲雀は睡蓮を睨んだまま、何も言い返さない。
言葉を重ねるごとに、睡蓮の苛立ちは増していくのに、雲雀は黙ったままだ。何も反応がない。
それが睡蓮を更に苛立たせ、焦らせ、毒のような言葉を吐かせる。
「無害そうな顔をしていても、あいつは狡猾なΩだ。お前のピアスだって、本当に忘れていった物かどうかわかったものじゃ…っ」
「置いてったんだよ」
言葉の毒を、棘を、切り裂くような鋭い声だった。睡蓮は目を見開き、雲雀を見つめた。
「……な、に……?」
睡蓮が喉を詰まらせながら問い返すと、雲雀はやっと反応を示した。
にこっと、皆に向けるような清々しい笑みを浮かべる。その笑顔で、突きつけるように、繰り返した。
「置いてったんだよ、俺が」
雲雀は今までで睡蓮には向けたことなどないような穏やかな表情で、語り始めた。
「陽なら届けに来てくれると思った。陽は、最初の落とし物を俺が直接届けに行ったから、同じようにしただけ。同じクラスの月詠ちゃんに頼んでもいいのに、律儀だよな。
他人がそれを見て、聞いて、どう思うかなんて関係ないんだ。自分の時間を丁寧に生きてるから、周りの雑音は気にしない。可愛いだろ?」
雲雀は愛おしそうに目を細める。
「まあ、確かにちょっと古典的過ぎたな。……でも陽はきっと、俺を疑わない」
雲雀は少し照れたように笑うと、また睡蓮を見つめた。
穏やかな笑みを浮かべて、睡蓮が必死の思いで吐き出した毒も棘も、何一つ意味がないということを見せつける。
「外堀が埋まってるって? 良かった。
陽には笑っていてほしいから、無理強いはしたくないんだ。でも、邪魔が入ると俺だって流石に焦るし、間違えるかもしれないからさ。俺のΩだってことで、みんなが手を引いてくれたら助かるな。
……あとはただ、陽を待つだけだ。
俺を、選ぶまで」
柔らかく、穏やかな笑みを捨て去って、雲雀は再び睡蓮を強く睨んだ。
「……お前がなんでそんなに陽を嫌うのか、俺の何が気に入らなくて付き纏ってくるのか知らないけど、もうどうでもいい。
……でも、これ以上
邪魔は、するな」
雲雀が睡蓮の横を通り過ぎていく。
青灰色の、美しく強い眼差しが、睡蓮にとって残酷な真実だけを告げていた。
αの強い意志、同じαへの宣戦布告。
雲雀が、陽だけを選んだということを。
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