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19話-3 呪い
――園芸部員は語る……。
それに最初に気付いたのは、颯だった。
「……今何か、声が」
「声?」
「なに? やめて? 怖い話?」
茶々丸くんが周りを見回して怯える。
けれど、その時みんな気づいた。
にゃあにゃあ
必死に鳴く声が、確かに聞こえた。
「猫?」
「どこから……?」
「あ!」
茶々丸が指を指したのは、庭園にある建物の屋根の上だ。やや傾斜になっている屋根の縁から下を覗き、にゃあにゃあ鳴いている猫がいる。時々下に伸ばす前足は怪我をしているようだった。
「どうやってあんなとこに……」
「あっ! あそこの木の枝折れてる! あそこから落ちた?」
「とりあえず救出しましょう!」
「ハシゴ持ってきて!」
「とぉ!」
……とぉ?
慌てて倉庫へ走り出そうとした部員も、猫が屋根から落ちないようにと近付いた部員も、みんな動きを止めた。
「とぉ!」と飛んだ者の重みを受け止めて、屋根がガァンッと鈍い音を立てる。
「は、陽さん!」
屋根の近くに駆け寄った颯が最初に気付いた。
部員たちが我に返った時には、桃ノ木陽はすでに、ゆっくりと屋根の上を歩いていた。ハシゴが来る前に、陽は近くの木によじ登って、屋根に飛び乗ったらしい。
「陽くん?! ちょっ……気をつけて!」
茶々丸は作業の道具を置くために敷いていたブルーシートを抱えて、屋根の下に駆け寄った。
颯がすでに屋根の下にいたが、陽をキャッチするべきか、猫をキャッチすべきか悩んで、上を向いてオロオロうろうろとしている。
茶々丸は颯と他の部員に声をかけて、ブルーシートを広げ、クッション代わりになるように、と待機する。
猫は突然の音に驚き、飛び降りてきた人間を警戒している。フーフー! と毛を逆立てて、陽を睨み、威嚇する。
陽はゆっくり近付くが、猫は屋根の縁ギリギリまで逃げてしまった。逃げる際に片足を引きずっていた。やはり怪我をしているんだろう。
猫からしてみれば、下には謎のシートと人間たち。前にも人間だ。追い詰められた状況で、陽がしゃがみ込んで手を差し出したその瞬間、飛び掛かった。
「……っ」
「陽さん!」
「陽くん!」
爪を立て、必死の思いで柔らかな手に牙を食い込ませる。
陽は痛みに僅かに眉を寄せたが、猫を引き剥がすことはしなかった。代わりに、猫の背を優しく撫でた。
「……大丈夫だよ。怖くない怖くない」
優しく柔らかな声で囁き、何度も撫でる。猫と陽の視線が重なって、しばらく沈黙があった。
すると猫はゆっくりと力を抜いて、手を離した。逆にその手に頬を擦り寄せ、傷を舐めているではないか。
陽は自分のカーディガンを脱ぐと猫を包み込んだ。猫はもう抵抗などしない。その身を委ね、大人しくしている。
カーディガンに包まれた猫を抱き寄せ、頬を寄せる。
秋の晴れやかな日の光を後光に、屋根の上に佇む陽の姿にみんな目を奪われた。
「プリンセスだ……」
「天使の降臨かな」
「姫姉様だ」
「やはり妖精……?」
「みんな正気に戻って!!」
先に我に返った茶々丸が叫んで、部員達は我に返った。
ハッとして見上げると、陽は猫を抱えたまま屋根の縁を歩いていた。
あっちにうろうろ、こっちにうろうろ。
――……あれ?
部員達が首を傾げていると、陽の大きな瞳がみるみるうちに潤んでいった。
「……うわぁーん! 降りられなーい!!」
助けてー! と陽が叫ぶ。
さすがの陽も、両手が塞がっているせいか、怪我を負った猫を気遣ってか、いつもみたいに軽やかに降りることはできなかったようだ。
***
「――と、いうわけなんだ」
陽くんの叫びで駆け付けた雲雀と僕は、事の次第を聞いてほっとした。いつもの陽くんだった。
***
「陽くん、無事で良かった」
「ご心配お掛けいたしました……」
ぺこり、と陽くんが小さな頭を下げる。
猫ちゃんは雲雀くんが一旦引き取って、「動物病院連れてっていいか聞いてくる」と先生に交渉してくれることになった。猫ちゃんは陽くんのカーディガンを離さず、包まれていれば他の人でも抱っこできた。
僕らはその返事を待っているところだ。
陽くんと僕は保健室にいた。
白くて柔らかな手に跡が残ったら大変だ。野性の猫ちゃんだと、ばい菌も心配で、念入りに消毒してもらっていた。
噛み跡と引っ掻き傷はガーゼと包帯で隠れたけど、陽くんの手には似合わないし、とても痛々しい。綺麗な手なのに。
「……どうして陽くんは、無茶するの?」
陽くんは、颯くんや茶々丸くんみたいに身軽で強い人たちに任せておけばいいのに、そうはしないんだ。心配で仕方ない。
「この間も、狭いとこに入り込んだ仔犬を助けようとして、出れなくなってたよね?」
「面目ない……。今日はなんだか行ける気がしたの」
「ど、どこからそんな自信が……?」
「自信があるとかないとかじゃないの。やるか、やらないか、なの」
「なんて強い意志……」
あまりにもキリッと真っ直ぐな眼差しに、もはや感動すら覚えた。
けれど、陽くんは曖昧に微笑んで僕を見つめる。
「……本当はね、やってみないと、しないのかできないのかわからなくなっちゃいそうで怖いの」
「……え?」
「できたかもしれないのに、しなかったら、いつの間にか本当に何もできない自分になって、それで…………」
「……?」
陽くんは俯いて、ぎゅっと拳を握った。
ほんの数秒だ。すぐにぱっと顔を上げて、真っ直ぐに前を見つめている。
「大丈夫、次はいける気がする」
「そ、そっかぁ」
キリリ、と真剣な顔で瞳を輝かせている。
陽くんに怖いものがあるなんて、なんだか不思議だった。
「陽くんにも怖いものがあるんだ……。何も怖いものがないんだと思ってた」
「芙蓉くんはおれのこと何だと思っているのでしょうか」
「ふふ、ごめんね」
首を傾げる陽くんが可愛くて、自然と笑みが溢れた。
「怖いもの知らずっていうか……番長の八千代さんにもいろんなことお願いしちゃってるし、怒られても怒鳴られても平気そうだし……図太いというか、ふてぶてしいというか」
「な、なんと!?」
「あ、悪い意味じゃなくて! 肝が据わってて、度胸があって……怖いものにも立ち向かえる陽くんは、とてもかっこいいよ」
そう言うと、陽くんは目を大きくした後、ふにゃあと笑うと俯いた。耳や頬を赤く染めて、「いやぁ、んふふ」と笑っている。照れているみたいだ。
「……でも、陽くんが怪我なんてしちゃったら、僕もみんなも悲しいよ。気をつけてね」
「うん、わかった! 次はもっとうまくやります!」
(うまく……?)
陽くんはいつも前向きだ。次はやらない、とは決して言わない。
――……僕も、いつか……。
「陽? 大丈夫?」
「雲雀!」
ノックの後に、雲雀くんが顔を覗かせた。陽くんの表情が一段と明るくなって、にこにこ笑う。雲雀くんも陽くんの笑顔につられて、心配そうな表情を少し緩めた。
「手はどう? 痛い?」
「ううん、大丈夫! くしゅん!」
くしゅんっ、くしゅんっ、と陽くんが小さなくしゃみを繰り返す。
そういえば、陽くんのカーディガンは猫ちゃんにあげちゃったんだ。陽くんは夏の終わり頃からずっとカーディガンを着ていた。寒いのは苦手みたいだった。
「陽くん、僕のでよかったら…」
「陽」
僕がカーディガンを脱ごうとした時には、雲雀くんが陽くんに自分のカーディガンを羽織らせていた。いつの間に脱いだんだろう? と驚いて、思わず見つめてしまう。
陽くんもきょとん、と目を丸くしていたけど、すぐに、にこーっと笑った。
「ありがとー雲雀ー」
陽くんは雲雀くんのカーディガンを着て、両腕を広げる。袖から手は出てこないし、ぶかぶかだ。それを確認すると、「ふふっ」と可笑しそうに笑った。
「雲雀のおっきいー! あったかーい!」
きゃっきゃ、と、陽くんは子どもみたいに嬉しそうにはしゃいでる。雲雀くんは少し眉を寄せ、目を細めて見つめていた。
「……猫は近くの医者連れてってもらってるから、帰りに一緒に行こう」
「うん!」
「あと、飼い主見つかるまでの引き取り先だけど、うちで良かったら預かるよ」
「ほんと?! ありがとー雲雀!」
陽くんが笑うと花が咲いたみたいだ。雲雀くんも目を細めて、眩しそうに見つめていた。
雲雀くんの眼差しが、陽くんへの想いのすべてを語っているようだった。愛おしくて愛おしくて、もうどうしようもないと言っているみたい。
雲雀くんの優しい表情は、ぜんぶ陽くんのものなんだ。
――雲雀くん、兄さんは、あなたのことが……。
……やっぱり二人には、黙っていよう。
初めての友達に恋人ができてしまうのも時間の問題かもしれない。
寂しいけど、精一杯祝福したい。
代わりに、1つだけ、心に決めた。
――兄さん、僕は。
『愛でられる為だけに、在ればいい』
優しく、美しく、微笑むルイさんの言葉が何度も何度も僕を塗り潰した。
――兄さん。
兄さんが花が嫌いになったのは、ルイさんに引き取られてからだったよね。
丹精込めて美しく咲かせた花を、容赦なく手折るあの人を何度も見てきたから。その時の暗く冷たい眼差しと、ゾッとするほど美しい笑みを見てきたから。
いつか、僕らも……って。
兄さんは花が嫌いだと言って、庭園に近寄らないけど、あの庭園は僕が描いた夢の形なんだよ。
いつかこうやって、兄さんと二人でのんびり暮らせる場所を見つけたいって。
だから、本当は、兄さんにも見てほしいんだ。
兄さんはΩとかαとか拘るけど、僕は本当はそういうの、どうでも良かった。
ただ、兄さんと穏やかに過ごせたらそれでいい。
陽くんは、何もできないと思っていた僕に、本当はもっとできることがいっぱいあるのかもしれないと教えてくれた。夢が現実になることもあるんだって見せてくれた。
僕の描いた庭園を陽くんが作ってくれたように。
僕がずっと心に秘めていた夢も。
僕も、兄さんを守りたい。
何もできないと諦めて、何もしないのはもうやめたい。
『愛でられる為だけに、在ればいい』
今はもう、そう思いません。
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