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20話-3 運命の花
雲雀の部屋のベッドにちょこんと座る。できるだけ小さく、きゅっと身を縮めて、姿勢を正していた。
(雲雀のお部屋……)
ドキドキしながら部屋をキョロキョロ見回す。
机もベッドの上も、クローゼットも整頓されていて綺麗だ。無駄なものがない。陽の部屋みたいに、貰ったものや拾ったものが棚や机の上に飾られているというようなことなかった。
その部屋の端っこで、猫はすやすやと眠っている。
タオルと陽のカーディガンを敷き詰めて、簡単な寝床を作っただけだったが、それでも良いらしい。カーディガンは家にまだ数着あるから、あれはもう猫ちゃんにあげよう、と陽は決めた。
陽が猫の様子を眺めていると、飲み物を持った雲雀が戻ってきた。
「……あれ? 猫、寝たの?」
「うん」
「そっか。はい、ココア」
「ありがとー」
マグカップから立ちのぼる湯気の香りがふわりと甘くて、ホッとした。
けれど、雲雀が隣に座ってどきりと身体が強張る。ぴたりと寄り添うような体勢はいつもと同じはずなのに、少し緊張してしまう。
これを飲んだら帰ろう、とマグカップに口をつける。
「これってさ」
「っ!」
雲雀が不意に首筋に触れて、陽はマグカップを落としそうになった。
「あ、ごめん」
「う、ううん、大丈夫」
なぁに? と振り向くと、雲雀は一度離した指先で、もう一度首筋に触れた。少しくすぐったいけれど、丁寧に触れる指先を受け入れる。
「これって、保護用? にしてはちょっと生地が弱いけど」
「んー……飾り? かなぁ?」
「飾り?」
「ルイさんがね、『思春期になるΩの子が首を晒すなんて品がないですよ』って言うの。ちゃんとした保護帯もくれたの」
陽のチョーカーをなぞっていた雲雀の指先がピタッと止まった。
「……へー」
「?」
雲雀から笑顔が消えてしまって、陽は首を傾げる。
けれど、陽が確認する前に、雲雀はにこっと笑顔を取り戻した。
「首隠さないくらいで品がないとか、ジジイみたいなこと言うんだな。あの人若く見えるのに」
「あの人ねぇ、おれのじいちゃんの友達なんだよねぇ」
「えっ」
雲雀が目を丸くして驚くので、陽は重々しく頷いた。
「……あの美しい容姿、つやっつやのお肌と髪……おれが小さい頃から一個も変わらないの……。やっぱり妖怪なんだと思う……」
「フッ……!」
陽にしては珍しく神妙な顔つきで、真剣に語り出すので、雲雀は思わず吹き出した。
「な、何? やっぱりって?」
「薄々そうなんじゃないかなって思ってた……」
「あはは」
笑う雲雀に陽も笑みを向けたが、少し視線を落として、チョーカーにそっと触れる。
「……本当は首につけるの、あんまり好きじゃないの。ルイさんから貰ったのも、付けるだけで何だか息苦しくて重くて嫌だった」
「うん」
「でもね、これは平気。月詠ちゃんがお揃いで作ってくれて、一緒につけよって言ってくれたの。お返しにあげたのが、雲雀が拾ってくれたブレスレット」
「そっか」
「無くしちゃった時は本当に悲しかった。……見つけてくれてありがとね、雲雀」
「……」
雲雀は何も答えず、何故か曖昧な表情で微笑んでいる。陽は不思議そうに見つめた。
「……お揃いかぁ」
陽の眼差しをサラリと躱して、雲雀が呟く。
「いいなぁお揃い。俺もほしい」
「え? 月詠ちゃんとお揃い?」
「え? あー……そっちかぁ……まあ、それはそれで光栄なんだけど」
「?」
雲雀がまた微妙な表情で微笑むので、陽は首を傾げた。
「……俺も陽とお揃いが欲しい」
ぽつりとした呟きに、陽はきょとんとして目を少し丸くした。
けれど、すぐにぱっと表情明るくする。
「いいよ! 何がいい? キーホルダー? ネクタイ? あ、スマホケースとか?」
「んー、そうだなぁ、例えば」
雲雀の手が、陽の手に触れ、薬指を指先で撫でる。
「指輪、とか」
陽は目を丸くして、パチパチと瞬きを繰り返した。
「……えー? 指輪?」
「うん」
雲雀は陽を見つめて、白くて温かくて柔らかい手の感触を楽しむように、ふにふに、と握る。
陽は拒むことなくされるがまま、ただ不思議そうに雲雀を見つめていた。
「指輪……」
「うん」
確認するように呟くと、陽はふふっと、小さく笑って、目元を赤く染めた。
「指輪って……、なんだか恋人みたいで照れちゃうね」
「ダメ?」
「え?」
くすくす、と笑っていた陽は、顔を上げた。
「恋人」
雲雀はじっと陽を見つめる。目を見開く陽の手を、ゆっくりと頬に擦り寄せ、薬指には優しくキスを落とす。
「……ダメ?」
倉庫の時と同じように、真剣な眼差しが真っ直ぐに向けられている。鋭く美しく、いつもは涼し気な青灰色の瞳の奥で、炎が揺らめく。頬が、胸の奥が、熱くなって、溢れてしまいそうになる。
『お前の虜』
『お前だけのαだ』
「……っ…ダメじゃ、ない」
ぎゅっと手を握り返す。ゆっくり息を吸い込んで、顔を上げた。
「嬉しい」
雲雀は僅かに目を見開いた後、目を細め、表情を緩めた。
「……よかった」
雲雀が心から零れ落ちたような言葉と共に、息をつく。いつも凛々しい雲雀から、くったりと力が抜けていく様子に、陽は、雲雀も緊張していたのだとようやく悟った。
(可愛い……)
ふわふわと胸が温かく柔らかく満たされる。
陽が雲雀を見つめていると、雲雀が気付いて顔を上げた。
雲雀の両手が、陽の両手をぎゅっと握りしめて、引き寄せる。額を合わせて、見つめ合った。
「ずっと、こうしたかった」
少し潤んだ青灰に陽が映ると、雲雀は眉を寄せて、目を細める。雲雀が時折見せていたその表情が、胸を締め付けるほどの愛おしさの現れだということはまだ陽にはわからない。
けれど
「……陽」
優しく甘い声で名を呼ばれて、陽の心臓はひときわ高鳴った。
雲雀の両手が陽の顔を包み込んで、頬を優しく撫で、引き寄せる。
ゆっくりと迫る色素の薄い長い睫毛に白い肌、薄く色づく唇、丁寧に作り込まれた美しい容貌を見届けて、陽も目を閉じた。
初めて触れる唇は、柔らかくて暖かかった。
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