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23話-1 理事長とお転婆仔兎

 「おおっ!」と、八千代組の舎弟たちが感嘆の声を上げた。いつの間にか周囲に集まった生徒たちも、「さすが番長!」「暴れ龍の名は伊達じゃないぜ!」と好き勝手に言っている。  αの男とともに庭園を襲撃した男たちは、睡蓮と雲雀に薙ぎ倒され、足元に転がっていた。  しかし、集まった生徒たちの視線は一つも彼らに向いていない。    憧れと畏怖を宿した眼差しを向けられていたのは、我らが番長八千代だ。睡蓮を脇に抱き、雲雀を肩に担いで、見事に乱闘を収めた雄々しき姿に、どこからともなく拍手が沸き起こった。   「おらあ! おろせこら! まだ血を10リットル流させてない!!」 「おろせ! さわるなこの無礼者!!」 「いてててて!!!! も――!! なんだこいつら!」    悪童二人はまだ興奮冷めやらぬ様子で、八千代の髪を引っ張り、容赦なく殴りつける。その周りを、興奮した陽が走り回っていた。   「やっちんすごーい! 力持ちー! わーっしょい! わっーしょい!!」 「うるせえ! 周りでウロチョロ舞い踊るな鬱陶しい!!!」    数分後、  彼らが駆け付けた教員数名に連行されて行く中、生徒たちは何故か惜しみない拍手で見送った。  なんでぇ? と、八千代だけが首を傾げていた。    ***   「高等部に入って落ち着いたと思いきや! 将来有望な君たちが何をしているんだ!」 「……」    職員室の隣の指導室では、睡蓮と雲雀の二人が教員の前に立たされている。八千代や陽たちはその後ろでその様子を見守っていた。  二人は教員を一瞥はしたが、もう一度それぞれそっぽを向いてしまった。   「……すいませーん」 「……チッ……」 「な、なんてふてぶてしい!」 「舌打ちしなかった?」    腹立たしそうに口を開く二人に、教員たちはため息をついた。どうしようもなくなって、八千代に目を向ける。   「巽もついていたのに、どうしてこんなことになるんだ」 「は? どうしろってんだよこんなもん」 「なんとかしてくれ」 「したんだよ、なんとか」 「そうだよ!」    珍しくきりっとした眼差しの陽が声を上げた。   「やっちんはとっても頑張ってたんですからね!」 「そうだそうだ! 八千代さんは頑張ったんだぞこの野郎!」    陽と、陽の後ろで茶々丸が加勢するように騒ぎ、教員たちは、むむむ、と口を閉ざした。   「まあ、桃ノ木がそういうならしかたないかぁ」 「そうですなぁ」    頷く彼らを見て、「この学園、まともなやついねぇのかよ」と八千代はため息をついた。    指導を投げ出しそうな空気が教員たちのたちの間に流れ始めたが、ノックの音で切り替わる。   「失礼します」と入ってきたのは、理事長の君影ルイだった。いつものように微笑みの仮面を被った君影は、驚く教員たちに「お取り込み中でした?」とゆったりと首を傾げる。   「先程報告がありましたので、駆けつけました。愚息がまたご迷惑おかけしたようで」 「あ、いえ、そんなことは……」    教員たちは恐る恐る答える。さすがに「ほんとにね!」などとは、思っていても言えないだろう。  そんな彼らの胸の内を、知ってか知らずか――恐らく解っているだろうが――君影は微笑みを浮かべている。   「お手数おかけして申し訳ありません。少し、席を外していただいても?」 「え、しかし……」    わざわざ理事長の手を煩わせるほどでは、と戸惑う教員たちに、君影は有無言わさぬ微笑みを向ける。  その美しい微笑みに圧倒され、追い出されるように教員たちは部屋を出ていった。    足音が遠ざかり、部屋は静まり返る。   「……睡蓮」    突然張り詰めた空気に、八千代は背もたれに寄りかかっていた身体を起こし、訝しげに眉を寄せる。茶々丸もまた、君影の冷たい声に、思わず背筋を伸ばして息を飲んだ。    重い沈黙が満ちる中、君影の微笑みの仮面はすでに剥がれ落ちていた。君影の冷たく美しい無表情と暗い瞳が睡蓮を射抜いている。  睡蓮はゆっくりと静かに深呼吸して、顔を上げた。   「……はい」 「少しは落ち着いたかと思ったが、本当にお前はどうしようもないな」 「……」 「これ以上私を失望させるな」 「……はい。申し訳ありません」    僅かに視線を落として、睡蓮が答えた。   「まあいい。……雲雀くん」 「はい」    雲雀は疑念を含んだ表情で睡蓮を見つめていたが、顔を上げる。君影はにっこりと微笑んで、少し首を傾げ、覗き込むように雲雀に目を向けていた。   「また睡蓮に巻き込まれてしまったかな? 申し訳ないですね」 「いえ」    君影の暗くて不気味な瞳がゆったりと細められている。相変わらず何を考えているかわからない。  その奥底を少しでも見極めようと、雲雀は挑むように睡蓮をじっと見つめ返した。  それを君影は一段と笑みを深めて受け止めた。   「この子はいつまで経っても落ち着きがないが、君は穏やかに過ごしていると聞いていますよ。陽くんとも、相変わらず……いえ、今はそれ以上に親密な関係にあるとか?」 「……」 「ああ、責めているわけではないんです。前にも言いましたが、αとΩだと言っても、君のような模範的な優等生なら間違いを起こすはずはない。……ただ……」    君影が憂いを帯びた表情を見せるが、頬に添えたしなやかな指先や伏せがちの瞳が、あまりにも演技がかっていて、雲雀は思わず不快そうに眉を寄せた。   「陽くんは大事な友人のお孫さんで、か弱いΩですから、とても心配なんです。君は顔が広くて、いろんなお友達がいますしね。君に相応しいとは思えない子も……。そう、それこそ、睡蓮のような」 「……」    雲雀は視線だけで睡蓮の様子を窺う。  彼の苛烈で高潔な気質を雲雀はよく知っていた。侮辱に対しては、嘲笑いながら十倍で返すか、冷たく鋭く切り捨てるか、あるいは怒り狂うかのどれかのはずだ。  しかし今の睡蓮は、反発する様子はなかった。抑え込んでいるようにも見えない。ただ静かに俯き、床を見つめている。   「くれぐれもよろしくお願いいたします」 「……はい、もちろんです」    睡蓮のらしくない態度に違和感を覚えながらも、雲雀は君影の言葉に頷いた。陽のことを君影にお願いされるのは癪だったが、致し方ない。   「八千代くんもお疲れ様です。お怪我はないですか?」 「あー……大丈夫、……っす……」 「それは良かった」    いつもすいませんねぇ、と君影が微笑むが八千代の表情は少しも和らぐことはなかった。  八千代も雲雀と同様、自分よりも背の高いこの胡散臭い男を信用していない様子が伝わってくる。  八千代の露骨な不信の態度を気にした様子もなく、君影は爽やかな笑顔を浮かべて、扉を開けた。   「お引き止めしてすいませんね。遅くならないうちにお帰りなさい」 「……失礼します」    睡蓮が先に廊下に出ると、雲雀と八千代が続く。慌てて茶々丸が後を追う。   「陽くん」    先に部屋を出た4人が、はっとして振り返る。最後に陽が出ようとしたところを、君影の指先が陽の華奢な肩を掴んで引き戻していた。   「君には少しお話が」 「お話?」 「すぐ終わります」 「……」    陽は大きな目でじっと君影を見上げていた。けれど、にこっと笑うと「いいですよ」と答える。   「みんな、先に行ってて」 「え、ああ……」    ***    閉じた扉を少しの間見つめていた彼らは、少しずつ歩き出した。だが、妙な沈黙の中、足取りは鈍い。   「……すっかり忘れてたんすけど」    ぼそり、と茶々丸が呟く。   「陽くんが『理事長のお気に入り』って話、あったッスよね……?」 「……」    次の瞬間、彼らは指導室の前に駆け戻っていた。

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