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24話 覚えておくね

「それにしても」    君影ルイとの因縁を語った後、陽がくるーりと振り向いて、にっこり笑った。   「雲雀と睡蓮くんの暴れっぷりは圧巻でしたなぁ」 「うっ」    睡蓮は「だからどうした」と言わんばかりの態度で、ふんっ、とそっぽを向いた。  しかし、雲雀の肩がギクッと震え、陽に向けた笑顔も引き攣っている。徹底的瞬間を見られたことを忘れていたらしい。  あえて雲雀を覗き込むようにして、陽はふふっと笑っている。  生意気にもおちょくろうとしている時の顔だと、いつもおちょくられている八千代は気付いた。   「まるで修羅か羅刹のよう……二人があんなにも不良さんだったとは!」 「……違うよ?」    雲雀は陽の両手をぎゅっと握ってにっこりと微笑み、陽を真っ直ぐに見つめた。   「俺は不良じゃないよ? 睡蓮が恨み買い過ぎなんだ。俺は巻き込まれただけ」 「そうなの?」 「そうだよ? ちゃんと優等生だよ? 怖くないよ?」 「そいつは中等部の時、弟の顔を傷つけられて相手を病院送りにした男だぞ」 「睡蓮てめえッ!!!」    雲雀が睡蓮の胸倉掴んで睨みつける。優等生はそんなことしねぇんだよなぁ、と八千代は思った。   「病院送り」 「……」    衝撃の単語を確認するように、陽がぽつりと呟いた。小さな呟きだったが、雲雀の肩がびくッと大袈裟に揺れた。  雲雀は睡蓮から手を離すと、ちら、と陽の様子を窺った。それから、観念したようにため息をついた。   「……驚かせてごめん。いやになった?」 「ううん? どうして? かっこよかったよ」    陽が首を傾げると、雲雀はぱっと顔を上げた。   「……ほんと?」 「うん。また恋に落ちちゃうとこだった」 「遠慮しなくていいのに」 「ふふふ」    二人がはにかんだように微笑み合い、頬を染める。この上なく幸せそうな柔らかな笑みは、秋の物悲しさなどとは無縁の暖かな雰囲気に包まれていた。  仲睦まじい姿を問答無用で見せつけられ、どこからともなく大きめの舌打ちが聞こえた。   「いちゃつきやがって。こっちは巻き添え食ってんだぞ……」 「ホントやってらんねーッスよ! そもそも俺ら何もしてないし! 暴れたのこの悪童二人なのに!」    ケッ! と吐き捨てて、八千代と茶々丸は不貞腐れたように歩き出す。  睡蓮は二人の様子をしばらく見つめていたが、やがて静かに視線をそらし、その場を去ろうと歩き出した。   「でもね、雲雀」 「うん?」 「〝おれの〟喧嘩だったよね?」    ん? と三人が立ち止まって、振り返る。  雲雀も陽も、相変わらず柔らかな笑顔で見つめ合っている。  気のせいか? と睡蓮が八千代と茶々丸に目を向けてみると、八千代が「あー……」と声を漏らし、茶々丸が「始まっちゃった……」と諦めに近いため息を零していた。  二人の視線の先では、雲雀の笑顔が困ったような苦笑いに変わっていた。   「……陽」 「あれ、おれの喧嘩だった」 「うーん、でもな? 陽が怪我したら俺も困るし、あーゆーのは俺に任せ」 「おれの喧嘩!!」 「そうだな、ごめんな」    珍しく声をカッと荒げる陽に、すぐさま雲雀は笑顔で謝る。陽は満足そうと微笑むと、すたすたすたと歩き出し、前を行く3人を追い越していく。  何がどうなったのか、睡蓮には分からなかった。陽の背中をぽかんと見つめていた。    ――何だ今のは。なんか、妙な迫力が……?   「あ、そうだ」    睡蓮の思考を遮るように、くるり、と陽が振り向いた。   「颯の顔に傷つけた人、今度会ったらおれにも教えてね」 「え? なんで?」 「おれもその人の顔を覚えておきたいの」 「……うーん、でも」 「教えてね」 「……見かけたらな?」 「うん!」    また満足そうに笑うと、陽はとてとてと進み始めた。  睡蓮が呆然としたまま、陽の軽やかな足取りに目を向けていると、雲雀がはぁ、とため息をついた。   「……俺が陽から目を離せないのは、こういうことだから」 「は……?」    この中で唯一事情を知らない睡蓮に、雲雀は語り始めた。    ***    ある日、雲雀は陽と共に、公園でのどかなひと時を満喫していた。しかし、陽が猫の鳴き声を聞き、事態が一変する。  木の上で子猫が助けを求めて、か弱い声で鳴いていた。   「あー! 猫ちゃんがあんな高いところに! 助けなきゃ!」 「ちょっと待って陽。今俺が……あれ? 陽?」 「きゃー! 降りれなぁい! 助けてー!」 「陽ー!?」    雲雀は子猫を救出しようと上着を脱いだところで、陽を見失った。一瞬のことだった。陽と子猫は無事救出した。    ***    またある日のことだった。雲雀は陽と仲良く手を繋ぎ、幸せを噛み締めて、街を散策していた。  しかし、路地裏で同校の東校舎の生徒がいかにも素行の悪そうな男達に囲まれているのを見つけてしまえば、話は変わる。  デートの邪魔しやがって、と内心舌打ちをしつつ、雲雀は飛び出そうとする陽を手で制した。同じ過ちは繰り返さないのだ。   「陽はここで待って、今俺が……あれ? 陽??」 「おれのお友達に何をするんだー! とりゃー!」 「陽ー!?」    手で制したところで陽の前では無意味だった。華麗にすり抜けて突破し、躊躇いなく地面を蹴って飛ぶ。なかなか見事な脚力だった。仔兎のキックは伊達じゃない。    ――そう、桃ノ木陽という男は。この仔兎ちゃんは。    目を離したら、次の瞬間には消えている。  誰よりも早く、飛び出していく。  何でもできる、とは到底言えないような華奢な身体で。    元気な陽は好きだが、流石に勢いが良すぎて心配だった。雲雀は「どうしてそんな無茶するの? 俺に任せてくれればいいのに」と陽を説得しようとした。だが。   『今日はできる気がしたの』 『何事も挑戦する気持ちを忘れないでいたいと思います』    ……などと曇りなき眼で宣言されたら、止められるはずもなかった。  いや、止めようにも止められなかった。    ***   「――そういうわけだから」 「……」 「お前は陽が何もできないから俺がくっついて回ってると思ってるかもしれないけど、違うから。あいつ何でも自分でやるから」 「……」    睡蓮が訝しげに眉を寄せ、八千代と茶々丸に目を向けた。二人は、雲雀の言葉には深く深く頷いている。   「できるとかできないとか、関係ねぇんだ。赤ちゃんだから」 「やってから考えるというか、やった後も別に考えているわけではないといいますか……」 「……」    睡蓮は黙ったまま、もう一度雲雀を見た。  雲雀の眼差しは、ぴょこぴょこと前を歩く、小さな背中を見つめている。   「俺だって大事にしまっておきたいよ。出しておくと飛び跳ねてどっか行っちゃうんだもん」 「……」 「今、おれの喧嘩になりました」と飛び出していった陽が脳裏を過ぎり、睡蓮は深く深くため息をついた。  ーーどうして僕は、あんなのと張り合おうと……。  自分自身に、呆れて何も言えなかった。    ***   「桃ノ木陽!!」    翌日、花壇の前で作業をしていた陽の前に、αの男が現れた。怯える園芸部員達を背にして、陽はいつもの通り「なぁにー?」とのんびり答える。  αの男は鼻に大きなガーゼ、その他にも睡蓮か雲雀か、あるいはどちらにも与えられた傷があり、痛々しい姿だった。  けれど、怒りと屈辱に燃える眼はギラギラと鈍く輝いている。   「てめぇ、Ωのくせにふざけやがってッ……ただじゃ済まさねぇッ……」 「そうだよね、ごめんね」 「……あ?!」    陽はやんわりと困ったように微笑む。   「あの程度じゃわからないよね」    そう続けながら、陽は足元の大きなシャベルを手にとった。   「君は、αであることが誇りなんだもんね。おれは園芸部だから、庭園がおれの誇りかなぁ。みんなそれぞれだよね」    大きなシャベルをカラカラ、カラカラ、と煉瓦の道を引き摺って、男へと向かう。男が思わず後退った。   「……そんな君が、今後も誰かの誇りを踏み躙りたいと言うのならば」     「次は 君の(誇り)を砕く」      陽が大きくシャベルを振り、その鋭い先端を男に向けた。真っ直ぐに男を捉える桃色の眼差しには、迷いは一つもない。   「覚悟ができたらまた来てね。覚えておくから」         「……誰が止める?」 「お前だろ」 「君でしょ」    こっそり様子を見守っていた雲雀の問いに、八千代と茶々丸が同時に答えた。  むむむ、と雲雀が眉を寄せる。   「……今度陽の喧嘩止めたら一週間は口聞いてくれなくなる。そんなの嫌だ。耐えられない」 「日和ってんなぁ」 「んー、でもやっぱり心配だなぁ……。……颯」 「はい?」 「行け」 「えっっっ!?!!?」 「兄弟間の力関係はよくわかった」    隠れているにしては騒がしい彼らを、睡蓮が少し離れて眺めている。  睡蓮は心底呆れたように、深く息をついた。   「……もう……しまっとけよ、あんなヤツ……」 「無茶言うなよ……」

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