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25話 何度でも巡り逢う
数日後の放課後、校内はざわめいていた。その存在感に、誰もが振り向き、道を開ける。
スレンダーな体のラインに合わせたロングスカートは一見清楚で淑やかさを感じさせる。しかし、後ろの深いスリットが彼女の力強い歩行を妨げない。影よりも黒い髪を颯爽と靡かせ、歩く姿は百合の花……と言うにはあまりにも堂々と勇ましい。特に真っ黒なロングコートを肩に羽織るという見事な着こなしが、とても一般人とは思えない迫力を醸し出していた。
目撃した生徒や教員たちは『マフィアのボス……?』と呆然と立ち尽くして、その人を見送った。
庭園での騒動の関係者はこの場で保護者を呼ばれての面談が控えていた。
今日は陽と睡蓮、雲雀の番だが、八千代や茶々丸も成り行きを見守る為、そして月詠は陽に、颯は雲雀に付き添う形でこの場に残っていた。
「……あの人が陽と月詠ちゃんの……」
「うん! お母さん!」
雲雀は初めて見るはずの凛々しく美しい女性の姿に、何故か妙な懐かしさを覚えた。
しかし、陽と月詠の母親だからだろうか、と自分を納得させる。
「綺麗な人だな」
「ありがとう!」
雲雀の言葉に、陽は笑顔で答えると、「おかぁーさーん!」と少し甘えた声で駆け寄った。月詠もそのあとに続いていく。
彼女こそが陽と月詠の実の母、そして桃ノ木家当主の桃ノ木桜花その人であった。
「……マフィアのボスですか?」
「茶々丸」
「すいません」
茶々丸がぽろっと零した友の母へのあるまじき発言を一睨みで窘めはしたものの、八千代もまた同じことを思った。
桜花は、陽と月詠に似ているわけではなかった。陽と月詠は愛らしい顔立ちをしているが、桜花は『美麗』の一言に尽きる。鋭く凛々しい雰囲気は、少し月詠に似ているかもしれない。が、陽の要素を探すのは早々に諦めた。父親似なんだろう。そうに違いない。
「お母さん、ごめんなさぁい」
「まったくあなたはどうして……鼻を折るなんて……」
「ごめんなさい……」
桜花が呆れたようにため息をつく。
二児の母とはとても思えない若々しさと鋭さを兼ね備えた美貌がわが子の暴走を憂いている。八千代たちは心底ほっとした。
マフィアのボスではないらしいな、と。
「どうして顎を砕かなかったの?」
「面目ないです……」
しょんぼり、と陽が肩を落とした。
「……陽くんちってやっぱり極道?」
「茶々丸!」
「すいません!」
陽のしょんぼりとした肩を、月詠が優しく撫で、母を見上げる。
いつもは凛々しい瞳が、珍しく潤んでいる。眉も陽と同じように垂れ下がった。
「お母様……陽は頑張ったの……」
「いいの月詠ちゃん……! 仕損じたおれがいけなかったの……」
「次は私も手伝うから……」
「月詠ちゃぁん!」
二人は身を寄せ合い、桃色の愛らしい瞳を潤ませて母親を見上げた。桜花は鋭い眼差しを少しだけ細めて、緩めたように見えた。
「……次は仕留めなさい」
「はい! 頑張ります!」
「そうなさい。桃ノ木の名に恥じぬように」
「はぁい! 必ずや打ち取ってみせまぁす!」
陽のやけに張り切った声が響いた。
「あいつらの頭は戦国時代か?」
「睡蓮黙れ」
「お前が黙れ」
「あ?」
「は?」
「ねぇ、二人とも飽きないそれ?」
茶々丸が呆れたようにため息をついた。
「桜花……」
同じく、ため息をつく人物が一人いた。
君影ルイは、はぁ……とため息をついて、こめかみを抑えている。
「あのねぇ、放任主義も程々になさい。ちゃんと叱ってもらえます?」
「叱る? 何を? 次はちゃんと仕留めなさいって? お前ごと」
「……」
君影に気付いた途端、桜花の眼差しが研ぎ澄まされる。まるで君影に刀を突き付けているかのようだ。全方位に放たれていたオーラを結集させ、敵意を隠すことなく、ぐりぐりと押し込んでいる。
「わあ、ほんとだぁ、陽くんの言ってた通り、積極的に理事長消そうとしてる」
「どんな嫌がらせしたら命狙われるんだよ……」
「何したかわかんないけど、ざまあみろ」
「……雲雀、よしなさい」
静かで穏やかな声に、雲雀がはっとして振り向く。
「……父さん」
雲雀よりも少し濃い青灰色の優しい瞳をやんわりと細めて微笑んでいたのは、雲雀の父、鶫だった。すらりとした長身と洗練された物腰に、スーツが良く似合っている。
八千代と茶々丸は中等部時代の騒動で何度か会っていた。しかし、久しぶりに会うその人は、相変わらず眉目秀麗を絵に描いたような姿で、『さすがは雲雀の父』と二人は改めて感心した。
「雲雀、悪い癖だよ。そういうことは聞こえないように配慮しないと」
「ごめん、気をつける」
「あ、言っていいんだ……?」
さすがに茶々丸も「やっぱりちょっとズレてるなぁ、雲雀パパ」と思うだけに留める。
「あ、そうだ。父さんに紹介したい子がいるんだ」
「紹介?」
「陽!」
陽は振り向くと「あ!」と驚いた顔をして駆け寄ってきた。
雲雀は少しの緊張と気恥ずかしさもあったが、父に自慢の恋人を紹介しようとしたが。
「おや、陽くん」
「こんにちはぁ、鶫さん」
「え?」
初対面の二人が顔を合わせた途端、にこっと微笑み合った。
二人の笑顔を見比べて、雲雀は首を傾げる。
「なんで陽が父さんを知ってるの?」
「……え?」
陽は不思議そうに首を傾げた後、何かに気付いて「……あ!!」と叫んで口を抑えた。
鶫はきょとん、として息子を見る。
「なんでってお前、陽くんは」
「鶫さん」
月詠が鶫を見上げて、ぺこり、と丁寧に頭を下げた。
親の仇のように君影を睨み続ける母はそのまま置いてきたらしい。
ああ、と鶫はまた優しく微笑んだ。
「月詠ちゃん、久しぶりだね」
「ご無沙汰しております、鶫さん」
「え? 月詠ちゃんも? どういうこと?」
月詠は混乱する雲雀をちらっと見た。
「……鶫さん。陽、まだ言ってないの」
「え! ……あー、そうだったんだ。ごめん」
「な、なに? どういう……?」
雲雀が陽を見ると、先ほどから口を抑えたまま俯いて固まっている。
鶫はそんな陽を申し訳なさそうに見つめた。
「……まあ、後で詳しく話すけど、陽くんたちとは小さい頃一緒にいたことがあるんだよ」
「……え?!」
邪魔はしないように聞いていた八千代たちも、さすがに顔を見合わせた。
雲雀は陽を見たが、陽は固まったままだ。代わりに月詠を見れば、ただ静かに頷くだけだった。
「……こ、この二人を忘れるなんて……」
「うーん……、まあ、そうなんだろうけど……」
鶫は困ったような笑顔で陽に目を向ける。それから、言葉を選ぶように考えて、続けた。
「お前は……あー…その頃に三日三晩高熱出て寝込んだからかなー? ……あ、そろそろ桜花止めてくる」
「え?! 父さん!?」
顔を上げた鶫は足早に二人のもとに向かう。いつの間にか、君影が桜花に一方的に詰め寄られていた。鶫が駆け寄って、桜花の肩にそっと手を置いた。
「桜花落ち着いて、今日はそんなことしてる場合じゃ」
「私の喧嘩!」
「うん、そうだな。ごめん」
大の大人が本気で揉めている現場を遠くから眺めて、少年たちは微妙な空気に包まれる。
「……なんか……見たことあるやり取りしてるんですけど……」
「……」
いつもなら、丁寧にわかりやすく何でも教えてくれるはずの父が、明らかに何か誤魔化した。それどころか、陽の母親を「桜花」と呼んでいる。ますます雲雀は混乱した。
「……陽は、覚えてたの?」
固まっていた陽が、不自然にギクッと肩を揺らした。
「……あっそうか、だから颯が弟って紹介した時、驚いてたのか……昔はいなかったから……?」
「……」
陽の小さな頭が、こくん、と小さく頷いた。
「言ってくれれば……いや……忘れててごめん」
「……ううん、いいの」
ようやく陽が顔を上げた。
「次会った時は最初から、ちゃんと、正しくやり直そうって決めてたから、黙ってた。ごめんね」
「いや、俺の方こそ……?」
――『ちゃんと』って?
雲雀が首を傾げたが、陽は続ける。
「でも、雲雀はまたおれを好きになってくれたから、おれは」
「え?」
「……え?」
二人が顔を見合わせる。
「……今『また』って……」
「……あっ……」
陽は、はわわ……と少し慌てたようだったが、今度はすぐにニコッ! と笑った。
「じゃあ、おれ先に怒られてくるから!」
「あ、はる……」
陽、と雲雀が呼び止める前にぴゅん、と音を残して消えていった。
「……あいつ逃げたな」
「逃げましたね」
脱兎のごとく、と頷くと、彼らは顔を見合わせた。
「で、今のってどういうことだ?」
「あれっすよ、雲雀くんたち、小さい頃に将来を誓い合ってたってパターンじゃないっすか? 流石っすわ」
「相変わらず軽率な男だな」
「睡蓮くん、シーッ!」
「……」
茶々丸が睡蓮の口を抑えて雲雀を見たが、雲雀は陽が去っていった方向を見つめたまま、呆然としていた。
「……でも、忘れてたのに、何年も経って再会して……それって……」
茶々丸はそれ以上言えなかった。普段軽口が売りの彼には、その先に踏み込み、言葉にする度胸はなかった。
彼だけではない。思春期の少年たちが口にするには気恥ずかし過ぎる言葉が、彼らの中に浮かんでいた。
しかし、
「……兄さん」
まだ心の思春期を迎える予定のない颯が、慎重に口を開いた。
「陽さんが兄さんの待っていた……運命、というものですか?」
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