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第21話 遠くない未来に
「──え……?」
蓮香はたった今、柳から聞いた言葉が信じられなくて、思わず聞き返す。
そこかしこに整理された文房具。色や用途によって几帳面に片付けられた部屋。暖房が利きすぎて暑いくらいの部屋だったけれど、それは緊張のせいなのかもしれなかった。
目の前には泣いている柳。その顔を覗き込むと、元々色白の肌が蒼白になっていた。その彼女が泣きじゃくりながら言う。
「もう、長くないって……。ずっとストレスのせいだと思ってたのに……!」
度重なる体調不良に不安を覚えた彼女は、思い切って大きな病院で検査を受けた。
結果から言うと、体調不良はストレスのせいで間違いなかった。しかし別で新たな病気が発覚し、こちらは自覚症状がないまま進行するものだったのだ。
甲状腺腫瘍。多くは良性だけれど、柳の場合は悪性だった。いわゆる甲状腺がんだ。
「そんな……」
蓮香は柳を抱き寄せ、ギュッと腕に力を込める。
──死なせない。絶対に、自分が支えて、一緒に生きていくんだ。蓮香は強くそう思う。
「……美嘉」
蓮香は柳の頬に手を当て、顔を上げさせた。この絶望から彼女を救いたい。その一心で言葉を紡ぐ。
「……結婚してくれ。俺が支える。何がなんでも死なせない。絶対治してみせる」
蓮香は真っ直ぐに柳を見つめた。けれど彼女は視線を逸らし、首を横に振るのだ。
「……だめ。……だめだよ……私、別れ話をしようと思って呼んだのに……っ」
貴徳 くんの貴重な時間を無駄にして欲しくない、と柳は泣く。
「これから治療で何かと入り用だろ? 俺が働く。何だってやる。美嘉は治療に専念して。だから、結婚してくれ」
もう一度、力を込めて言うと、柳はまた声を上げて泣いた。医者が言う長くない、は多分絶望的なのだろう。けれど蓮香は諦めたくなかった。それだけ彼女との時間が大切だったし、自分の時間を全部彼女に捧げてもいいと思った。
「だって、私死ぬかもしれないよ?」
「そんなことさせない」
「治療費だってかかるし」
「俺が何とかする」
「貴徳くんだって、他にいい子がいるかもしれない」
「美嘉以外考えられない」
柳があれこれと言い訳を言ってくるけれど、蓮香は全部本気で答える。ここは柳に負けてはいけない、そう思ってまたきつく抱き締めた。
「結婚しよう。俺は美嘉と二人で生きていきたい」
死なせない、大丈夫。それを繰り返し言うと、柳はようやく泣きながら首を縦に振った。
この温かい体温を失いたくない。蓮香は熱くなる目頭を必死に堪えて、わんわんとなく柳の頭を撫で続けた。
◇◇
柳の事情が事情なので、結婚式は挙げず、入籍のみ済ませることにした。蓮香は思い立ったら即行動派なので、柳と話したその日に柳の両親に連絡を取り、挨拶に伺う日取りまで取り付ける。病気のことを知っていた両親は終始申し訳なさそうにしていたけれど、最後にはありがとうございます、という言葉が聞けてほっとした。
入籍も、早いほうがいいだろうと、彼女の実家に行ったついでに戸籍謄本を取りに行き、そのまま婚姻届も出そう、という流れになった。
そこまでを年末までに駆け足で決め、住む家も柳に負担がないように、蓮香が柳の家に引っ越す形にする。一気に目まぐるしくなったけれど、柳のためなら本当に何でもできた。
大晦日、二人でカウントダウンのテレビを見て新年を迎える。今年もよろしくね、と挨拶したけれど、来年もこうして過ごしたいね、とは言えなかった。それは柳も同じだったようで、目が合って苦笑されたので、誤魔化すように頭を撫でておく。
すると、蓮香のスマホがメールの着信を知らせた。あけおめメールかな、と開いて見えた文字に、サッと血の気が引く。
『あけおめことよろー! 元気してる?』
芳川からのメールだった。絵文字をたっぷり使ったメールは全体的にピンク色で、どうしてわざわざ意味深な絵文字を送ってくるのだろう、とうんざりする。
今の今まで忘れていたのに、どうしてこのタイミングなのか、と蓮香はイラッとした。
もう芳川には構っていられない。そう思ってメールをスルーすると、昼には着信がある。散歩に行ってくる、と適当な理由を付けて外へ出て、しつこく掛かってくる電話に出た。
『もー、無視するとか酷くない?』
繋がるなり文句を言う芳川に、蓮香は感情を隠さず言う。
「何? ただの新年の挨拶じゃないの?」
『それもあるけど、蓮香、年始はいつまで休み? 久々に会おうよ』
蓮香の不機嫌にも負けず、話を進めようとする芳川。悪いけど、と蓮香はため息をついた。
「近々結婚するんだ。彼女に誤解されたくないから、もう連絡はしないでくれないか?」
『えっ? 結婚!? 本当に? 彼女どんなひと?』
蓮香の言葉など、まるで聞いていないかのように話を進める芳川に、もうため息しか出なかった。しきりに会いたいという彼女に、これで最後だと思いながら、会う約束をしてしまう。
『会って話すの、楽しみにしてる! じゃね!』
そう言って、こちらの発言を待たずに通話は切れた。ゲームの話をしていた時は、ちゃんとひとの話を聞いていたように思えたのに、どうして恋愛が絡むとこうも自分勝手になるのか。分からない。
とりあえず、頭の中が芳川で占められるのは癪なので、コンビニで柳の好きそうなスイーツを買って、彼女の待つ家に戻った。
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