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第23話 最期の願い
結果的に柳は意識を取り戻し、一命を取り留めた。
どうやら、倒れてからそんなに時間は経っていなかったらしく、蓮香の行動も功を奏したようだ。
「ごめんね。心配させちゃって……」
病院のベッドで申し訳なさそうに笑う柳は、以前のような元気はなくなっていた。倒れたことで早速抗がん剤治療が始まり、その副作用が酷く、入院も余儀なくされる。
それでも蓮香を心配させまいと笑う彼女が、いじらしくて愛しくて、蓮香は彼女の頭を優しく撫でた。
「色々予定狂ったけど、婚姻届、出してきたから」
そう言うと、柳は目に涙を浮かべて抱きついてくる。入籍は、柳との思い出にするためではなく、今後も二人で生きていくためのものだ。蓮香は絶対に諦めないぞと誓う。
温かい柳の体温を感じながら、蓮香は窓の外を見た。冬の空は重たいけれど、晴れ間がない訳じゃない。
あれから、芳川からメールがあった。柳が助かったからいいものの、もう少し引き止められていたらと思うと、もう付き合う気にはならない。
メールの内容は、実家の両親への挨拶にアポなしで行ったら、芳川の祖父の調子が悪化しているから後日にしてくれ、と帰されたとあった。娘のめでたい話なのに断るとかどうかしてる、と芳川は文句を言っていたが、当然だろう、と蓮香は思う。
ちなみにそのメールには、両親への挨拶に彼氏が来てくれるってことは、結婚に同意したも同然だよね、とも書いてあった。その辺りも彼氏と話せと言った気がするけれど、考えるのが面倒で彼女のメールをブロックしたのだ。
年明けの仕事も始まり、蓮香はがむしゃらに働いて毎日見舞いに行った。正直この辺りの記憶はあまりなく、それ程必死だったのだろうと思う。
柳は入退院を繰り返しながら治療を続けていた。けれど予想以上にがんの進行は早く、放射線治療も試してみたけれど、効果は薄かった。
それならばいっそ手術を、と精密検査をしてみれば、大きな血管と癒着していて、とてもじゃないけど当院では無理だと断られてしまった。
技術を持つ医師はいるけれど、やはり順番待ちで何年もかかると言われれば、できる治療で頑張るしかない。
柳は蓮香の前では、病気を告白した以降泣かなかった。むしろ仕事と見舞いで疲れ気味の蓮香を労い、いつもありがとうと笑顔で言ってくれる。それが、より蓮香を切なくさせた。自分こそが支えなければいけないのに、苦しいのは柳の方なのに、気を遣われてはいけない、と自分を鼓舞する。
そして少し時が経ち、蓮香がエリアマネージャーとして昇進した四月。自宅にいると、知らない番号からの着信がある。
その頃の柳は首元に大きな瘤ができており、体調が思わしくない日が続いていた。病院や、サポートしてくれる担当者からの着信もあったので、なんの躊躇いもなく通話に応じたのだ。それがいけなかった。
『ちょっと! メールも着信も拒否するってどういう事なの!?』
出た途端そう怒鳴られ、蓮香はうんざりする。芳川がわざわざ電話番号を変え、電話を掛けてきたのだ。
拒否した理由を察してくれと思いつつ、反論する気もなく聞いていると、まあいいや、と芳川は自己完結し、話を続ける。
『結婚式、六月にやるから来てね。招待状送るから住所教えて?』
正直この時の蓮香には、ひとの幸せを喜ぶ余裕はなかった。形式的におめでとう、と言うと、心がこもってないー、と笑われる。
『海が見えるとこにしたんだ。教会もすっごくかわいいんだよー』
「あのさ、芳川……」
こちらの都合も考えず話し続ける芳川に、蓮香は事情を話すことにする。タイミングによっては、柳の具合が悪くなって、病院から呼び出されるかもしれないからだ。
「本当におめでとう。でもさ、実は俺の彼女、今闘病中で。そんなに長くないって言われてて……タイミングによっては行けないかもしれない。それでもいい?」
本当は、参列もしたくない。ずっと柳のそばにいて、支えてあげたい。でも、それではあまりにも人としてどうかと思ったから、せめてこちらの状況を分かって欲しかった。
『そうなの? ふーん。じゃあ、キャンセルになったらその分の支払いはよろしくね』
「……あのな芳川」
『そんな嘘までついて、私の晴れ姿見たくないって言うの?』
「嘘じゃない。……末期がんなんだよ……最期を看取ってやりたいんだ」
『あっそう。どちらにしろ、ひとの幸せを喜べないなんて、ひととして終わってるけどね』
「──芳川!」
叫んだ次の瞬間には、通話が切れたツーツーと言う音が聞こえる。蓮香はギュッとスマホを握った。
何なんだ。ひとの幸せを喜べないのはどっちだ? 自分の夢ばかり語って現実を見ず、持て囃 せと言っているのは誰だ?
今まで感じたことのない強い感情に、蓮香は思わずガンッ! と机を叩く。
ふうふうと荒い呼吸を繰り返し、落ち着け、と自分に言い聞かせる。こんな状態で会ったら、柳は絶対に心配する。そう思って出掛ける準備をした。行き先は、柳が入院している病院だ。
病院に着くと、柳は起きていて、ベッドをリクライニングして座っていた。座るのもやっとだったのに、今日は比較的調子がいいらしい。
「美嘉」
「貴徳くん。いつもありがとう」
顔にしんどいと書いてありつつも、笑顔でいようとする柳が愛おしい。この笑顔を、この先もずっと見ていたい。けど同時に、自分にだけは甘えて泣いて欲しい、とも思う。
相手の全ての感情を、受け止めてあげたい。これは好きだからこそそう思うんだろうな、と考えたら、柳を好きになってよかったと思った。
「今日は調子よさそうだね」
「うん」
蓮香は柳の腫れた首元を、薄くなってしまった髪を掻き上げて覗く。瘤の大きさは大きなりんごくらいになっていて、パジャマの一番上のボタンも留められなくなっていた。
喉の腫瘍が邪魔して、どんどん食が細くなる柳に対し、絶対に諦めたくないという気持ちと、もうダメかもしれない、という気持ちがせめぎ合う。
ただただ、この穏やかな時間が続けばいいと思うのに、柳の見た目の変化でそれが簡単に揺らいでしまうのが、悔しかった。
どうして彼女だったんだろう? なぜこんなにも苦しまなきゃいけないのか? できるなら代わってあげたい。答えが出ない疑問、叶うことのない願いだけが募っていく。
「美嘉、お願いがあるんだ」
蓮香は柳の髪を梳きながら言った。
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