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第25話 身代わりなんかじゃない
祐輔は声を抑えて泣く蓮香の頭を、ずっと撫でていた。
「病院に着いたらもう遅くて……間に合わなかったんです……」
柳が亡くなった原因は、病巣が血管ごと破裂してしまったことによる、失血死だった。異変に気付いた本人がナースコールをしたものの、場所が場所だけに、なすすべもなく逝ってしまったらしい。
「何がなんでも、結婚式は断ればよかったって……! 俺が最期を看取りたかったのに……っ」
蓮香の痛々しい叫びに、祐輔も胸が痛くなった。そして巨悪の根源芳川が、蓮香の中に大きなトラウマを植え付けたのは間違いない。
何て声を掛ければいいか分からず、祐輔はただただ彼の頭を撫でる。
「葬式も納骨も済ませて落ち着いたら、今度は俺が体調を崩したんです。そしたらまたアイツが……」
いい加減しつこいな、と祐輔は思う。蓮香はスマホを新規で契約し連絡を絶ったはずなのに、会社にまで押しかけてきたという。
「あんたのせいで結婚式台無しになった、パパにも叩かれた、どうしてくれるんだ、と会社の前で連日叫びに来て……」
芳川の異常さと蓮香の怯えように神谷が気付き、追い払ってくれたという。神谷は蓮香が仕事ができる状態ではないと判断し、休職を勧めた。
どうしてそこまで蓮香に拘るのかと思う。そしてその答えは、芳川の結婚式の参列者が、奴の父親の関係者ばかりだったことにあるのでは、と祐輔は考えた。
けれど、親友だと言いながら、自分の都合ばかり押し付ける心理が分からない。
「……でもね、休んだら休んだで余計なことを考えるんですよ。美嘉はいないのに、アイツは何で生きてるんだって」
蓮香の手はずっと、震えている。祐輔は相槌を打ちながら、その手を握ってキスをした。
「死んだらダメだと思いました。けど美嘉のいない世界に意味を見出せなくて……」
うん、辛かったな、と祐輔は言うと、蓮香の目から涙が零れ落ちる。そっと目尻を拭うと、今度は蓮香が祐輔の手にキスをした。
大丈夫。俺はこの手を絶対に離さないから。そう思って蓮香を真っ直ぐ見ると、その目はまたあっという間に涙を零す。
「そして気付いたら、女性がダメになっていました」
それはそうなるよな、と祐輔は思った。人間は本能的にネガティブな情報に敏感になる。大好きな女性がいたとしても、それ以上に大嫌いな女性が現れたら、そうなるのも仕方がないことだ。
蓮香は精神科に通院し始め、しっかり休んだという。普通の生活ができるようになるまで半年かかり、だいぶ調子がよくなってきた頃。
「ふと、久しぶりにムラムラしたんです。美嘉のこともあってかなりご無沙汰だったから、たまには一人でしてみようと……」
抑うつ状態になると、性欲も落ちるから回復している証拠だと、蓮香は嬉しかったらしい。オカズは何にしようか、と動画サイトを見てみても、ピンとくるものがないどころか、気持ち悪くなるばかりだったという。
性欲はあるのに抜けないもどかしさがあって、蓮香はまた少し不安定になったらしい。このままだと結婚も子供も望めないな、と思った時に、目に飛び込んで来たのが祐輔の動画だった。
「引くかもしれないですけど……サムネ見ただけで元気になったんですよ……」
元気になったのは、蓮香の下半身だけじゃなかったようだ。どんなくだらない理由でも、生きる気力が出てきたのは蓮香にとって大きなことだったらしい。
「だから、定期的にアップしてくれる祐輔さんの動画で、毎日抜いてました」
「……お前なぁ……」
祐輔は穴があったら入りたいほど恥ずかしくなる。
蓮香はそのうち画面の中の人物に、いつか触れたい、好きだと感じるようになったと言った。
「祐輔さんが俺に生きる気力を与えてくれたんです。乳首でイケる性癖なんて、俺には些細なことでした」
くだらない。実にくだらない、と祐輔は内心頭を抱える。けれどそのおかげで蓮香は生きている。祐輔の性癖のお陰で、彼は生きているのだ。
「……呆れましたか?」
目の前の男が、不安そうにこちらを見つめる。蓮香が祐輔を失うことに極端に怖がっていたことも、話を聞いて合点がいった。好きな人を失うことが、怖かったのだ。
「誰かの代わりなんかじゃないんです。確かに美嘉を失って絶望しましたけど、祐輔さんがいたおかげで、生きていられた」
画面越しで見るしかできなかった人物が、あの日突然目の前に現れて、これは運命だと感じたという。
そう言えば、蓮香は祐輔の身体を見ただけでTANAKAだと見抜いた。それほど熱心に動画を見ていたのか、と思うとやはり恥ずかしさしかない。あれは匿名だったからこそ、できたことなのだから。
「それで事情を知った筧部長が俺に、つきまとわれない場所で、環境を変えて復帰しないか、と提案されてこちらに引っ越したんです」
祐輔のいる本社だと聞いて、二つ返事をしたと蓮香は言う。
そして運良く蓮香の母親は、家を空け渡すことを了承してくれた。蓮香は一緒に住もうと言ったけれど、独身の蓮香に自分がいれば、婚期を逃すかもしれない、と母親は断ったそうだ。世帯を持つ蓮香の兄の家でも、完全に生活スペースは別にしているそうで、上手くやっているらしい。
「もう察しているかもしれませんが、引越しの荷物に美嘉と共有して使っていたものや、遺品があるんです。箱を開ける勇気がなくて……」
なるほど、と祐輔は思った。ずっと荷解きには消極的だった理由が分かって、それなら無理強いしないよ、と頭を撫でる。
柳の話をしていた時は、ずっと泣いていた蓮香が、笑った。
「祐輔さんの頭なでなで、気持ちいいです」
「……そうか」
祐輔さん、好きです、と蓮香の顔が近付いて、祐輔は蓮香のキスを受け入れた。
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