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第38話 柳の覚悟
それから、二人は筧の言葉に甘えて、一週間の休暇を取った。年末も近く、有休消化に丁度いい、と二人でゆっくりと過ごす。
テレビを見たり、映画を見たり、外をゆっくり散歩してみたり。思えばセックス以外に、まともな恋人らしいことをしていなかった、と外食にも出かけた。
街中に出ることがなければ、声を掛けられることもグッと減る。夕食にピザがメインのイタリアンレストランのチェーン店で、チーズとはちみつのピザを食べて、蓮香は満足そうに笑っていた。
最後にバイキングでデザートを持ってくると、好きなケーキが全く一緒なことに気付き、こんなところでも気が合うんだな、と嬉しくなる。
店内はクリスマス一色だ。十二月に入った途端、景色が年末年始に向けて駆け足で変わっていく。この雰囲気が、祐輔は好きだった。
ケーキを食べ終えコーヒーを飲んでいると、蓮香が真剣な眼差しでこちらを見ている。
「……どうした?」
祐輔は促すと、彼は言いにくそうに口を半分開けて、閉じた。視線を落とし、コーヒーカップを置いたので、祐輔もそれに倣う。
「祐輔さん、明日……荷解き手伝ってくれませんか?」
そんなところだろうと思っていた。祐輔はもちろん、と返すと蓮香はホッとしたように肩の力を抜く。
「箱から出したものを、しまう場所はあるのか?」
「いえ。……でも、とりあえず開けて、要るものと要らないものを分けないと……」
部屋が余っているから、一時的にそこに置く、と蓮香は言う。考えることが億劫で、当時は家にあったものをそのまま全部持ってきた、とも。
蓮香は柳の死と向き合おうと決めたのだ。祐輔はそれを、サポートする以外の選択肢はない。
正直、彼はまだ冷静でいられないかもしれない。けれど祐輔がいるから大丈夫、そう思ってくれているなら嬉しいな、と微笑む。
好きだからこそ、相手のことを全部受け止めたい。祐輔の中では初めての感情だった。ひとに言えない性癖を持っていたからこそ、祐輔はそれを受け止めてくれるひとを探していた。
そして蓮香は、死別した既婚者で、女性が苦手でも受け入れてくれるひとを求めていた。結果的に祐輔がそれを受け入れることができたので、上手くいったのだと思う。……最初は強引だと思ったけれど。
お互い求めているものが許せたからこそ、一緒にいられる。それって簡単なようでいて、とても難しいことだな、と祐輔は思った。だからやっぱり、蓮香との出会いは縁なんだ、とも。
二人は祐輔の家に帰ると、またゆっくりと過ごして眠りについた。セックスをしない夜は久々で、蓮香と抱きしめあって眠る。寝相が悪いのは祐輔の方で、何度か叩かれて起こされました、と翌朝蓮香に文句を言われ、二人で笑った。
朝食を食べ、気が変わらないうちにと、片付けが終わるなり蓮香の家に向かう。蓮香はほぼ祐輔の家にいたので、家の中がとても寒々しく見えたのは、冬のせいだけじゃないだろう。
「よし、やるか」
「はい」
蓮香の背中をポンと叩き、リビングに置かれたままの段ボールを開けた。
箱の中身はほとんど、今すぐ使うようなものは入っていない。けれど時折柳が使っていたであろう櫛とかドライヤーが出てきて、蓮香に使うかを確認する。
「前まではドライヤーも使っていたんですけどね。ほら、短いしすぐ乾くから」
「ああ……」
使うと思い出すから出さなかったらしい。祐輔は柳について、どんなひとだったのか聞こうと思ったけれど、何だか躊躇われて止めた。それは彼が、思い出を思い出として語れる時まで待とう、と思う。
深い傷は、長い間当事者をその瞬間の、その感情に留まらせる。そこから動けるようになるまでには、時間が必要だ。
半分ほど箱を開けたところで、柳のコレクションだった文房具が出てきた。特にペンが好きだったようで、様々なメーカー、シリーズごとにまとめて箱に入っている。
「貴徳、ペンが出てきたけど、これはどうする?」
「……うーん」
どうしようかな、と蓮香は悩んでいる。捨てるのも勿体ないけれど、だからと言って日常的に使わない。祐輔は迷うならとりあえず保留にして取っておくか、と提案すると、彼は頷いた。
祐輔はそのペンの箱を出して、他に何が入っているか確かめると、箱の底に柳と思われる遺影が入っていることに気付く。そして、スマホも。
遺影の柳は綺麗に微笑んでいた。蓮香が一目惚れしたのも納得な、上品な美しさがあるひとだ。
祐輔は、そっとそれを箱から出す。このひとを上回ることはきっとできないだろう。けれど、彼女が空の上で安心できるように、貴徳をきっと幸せにしてみせます、と誓った。
そしてスマホも見てみる。女性が好きそうなピンクのカバーが付いていているけれど、多分電源は入らないだろう。充電アダプターもないし、と蓮香を見ると、彼もこちらを見ていた。
「お前の言う通り、綺麗なひとだな」
「……」
祐輔は微笑んで言うと、蓮香は無言で苦笑しただけだ。すぐに視線を逸らした彼は、ぐす、と鼻を啜る。
「どうしましょう、祐輔さん……」
蓮香が柳のことで泣くのは悪いことじゃない。祐輔は話を聞こうとしてそばに寄ると、彼は白い封筒を持っていることに気付いた。そして宛名には『貴徳くんへ』と、流麗な字で書かれている。さすが文房具が趣味なだけあって、字も綺麗だ。
「こんなの見つけてしまいました……」
「貴徳宛の手紙? 柳さんから?」
「美嘉の遺品に……紛れてて……」
開ける勇気がないです、と蓮香は困った顔で言う。じゃあ、と祐輔はその手紙を受け取った。
「一緒に見よう」
祐輔は蓮香に代わってその封筒を開けた。中には同じように綺麗な字で、蓮香への想いが綴られている。
『貴徳くんへ
この手紙を、貴徳くんがどのタイミングで読むか分からないけれど、多分まともに字を書けるのはそう長くないと思うから、今のうちに書いておきます』
祐輔はゆっくり読み上げた。
『貴徳くんは優しいけど甘えん坊だから、多分私がいなくなることを考えないように、頑張っているよね。私を心配させまいと、黙っていることもあるかと思います』
「……っ」
蓮香が口元を手で覆う。彼の目からは、ボロボロと涙が溢れていた。祐輔は蓮香の背中を撫で、続ける。
『だからこそ、私がいなくなった時に貴徳くんが倒れてしまわないか、心配です。だから、約束してください』
「私がいなくなったあと、私以外に大切なひとを見つけてください。私を過去のひとにしてください」
「……っ、う……っ」
蓮香から嗚咽が漏れた。もう、彼は涙で手紙を読むどころじゃないだろう。けれど大丈夫、俺がいる、と祐輔は彼を宥め続ける。
「最後に……こんな私と結婚してくれてありがとう。病気ごと、私を愛してくれてありがとう……」
「うう、うぁあああああ……っ」
蓮香は耐えきれなくなったのか、崩れ落ちて声を上げて泣いた。祐輔も隣にしゃがみ、引き続き背中を撫でる。
やはり柳は、蓮香が芳川とのことを抱え込んでいたことに、気付いていた。そして彼の性格を見越して、自分に囚われずに前に進めと促している。
堪らず祐輔も目頭が熱くなった。日付が書かれていたので見ると、二年前の正月だ。病気を蓮香に伝えた直後からもう、彼女は自分の死を覚悟していたのかと思うと、別れ話を通せなかった柳の、蓮香への愛を感じる。
運命を共にするなら、最期まで苦しむ顔は見せない。柳の並々ならぬ覚悟が見えて、これは誰も敵わない、と祐輔は心の中で両手を挙げた。
自分が同じ立場だったら、到底無理だ。だから祐輔は会ったことがないけれど、柳に尊敬の念を覚える。
でも、自分は自分なりに蓮香を支えればいい。今、蓮香の隣にいるのは、祐輔なのだから。
そう思って、抱きついてきて泣く彼を、落ち着くまで抱きしめ返した。
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