38 / 46

第38話 柳の覚悟

 それから、二人は筧の言葉に甘えて、一週間の休暇を取った。年末も近く、有休消化に丁度いい、と二人でゆっくりと過ごす。  テレビを見たり、映画を見たり、外をゆっくり散歩してみたり。思えばセックス以外に、まともな恋人らしいことをしていなかった、と外食にも出かけた。  街中に出ることがなければ、声を掛けられることもグッと減る。夕食にピザがメインのイタリアンレストランのチェーン店で、チーズとはちみつのピザを食べて、蓮香は満足そうに笑っていた。  最後にバイキングでデザートを持ってくると、好きなケーキが全く一緒なことに気付き、こんなところでも気が合うんだな、と嬉しくなる。  店内はクリスマス一色だ。十二月に入った途端、景色が年末年始に向けて駆け足で変わっていく。この雰囲気が、祐輔は好きだった。  ケーキを食べ終えコーヒーを飲んでいると、蓮香が真剣な眼差しでこちらを見ている。 「……どうした?」  祐輔は促すと、彼は言いにくそうに口を半分開けて、閉じた。視線を落とし、コーヒーカップを置いたので、祐輔もそれに倣う。 「祐輔さん、明日……荷解き手伝ってくれませんか?」  そんなところだろうと思っていた。祐輔はもちろん、と返すと蓮香はホッとしたように肩の力を抜く。 「箱から出したものを、しまう場所はあるのか?」 「いえ。……でも、とりあえず開けて、要るものと要らないものを分けないと……」  部屋が余っているから、一時的にそこに置く、と蓮香は言う。考えることが億劫で、当時は家にあったものをそのまま全部持ってきた、とも。  蓮香は柳の死と向き合おうと決めたのだ。祐輔はそれを、サポートする以外の選択肢はない。  正直、彼はまだ冷静でいられないかもしれない。けれど祐輔がいるから大丈夫、そう思ってくれているなら嬉しいな、と微笑む。  好きだからこそ、相手のことを全部受け止めたい。祐輔の中では初めての感情だった。ひとに言えない性癖を持っていたからこそ、祐輔はそれを受け止めてくれるひとを探していた。  そして蓮香は、死別した既婚者で、女性が苦手でも受け入れてくれるひとを求めていた。結果的に祐輔がそれを受け入れることができたので、上手くいったのだと思う。……最初は強引だと思ったけれど。  お互い求めているものが許せたからこそ、一緒にいられる。それって簡単なようでいて、とても難しいことだな、と祐輔は思った。だからやっぱり、蓮香との出会いは縁なんだ、とも。  二人は祐輔の家に帰ると、またゆっくりと過ごして眠りについた。セックスをしない夜は久々で、蓮香と抱きしめあって眠る。寝相が悪いのは祐輔の方で、何度か叩かれて起こされました、と翌朝蓮香に文句を言われ、二人で笑った。  朝食を食べ、気が変わらないうちにと、片付けが終わるなり蓮香の家に向かう。蓮香はほぼ祐輔の家にいたので、家の中がとても寒々しく見えたのは、冬のせいだけじゃないだろう。 「よし、やるか」 「はい」  蓮香の背中をポンと叩き、リビングに置かれたままの段ボールを開けた。  箱の中身はほとんど、今すぐ使うようなものは入っていない。けれど時折柳が使っていたであろう櫛とかドライヤーが出てきて、蓮香に使うかを確認する。 「前まではドライヤーも使っていたんですけどね。ほら、短いしすぐ乾くから」 「ああ……」  使うと思い出すから出さなかったらしい。祐輔は柳について、どんなひとだったのか聞こうと思ったけれど、何だか躊躇われて止めた。それは彼が、思い出を思い出として語れる時まで待とう、と思う。  深い傷は、長い間当事者をその瞬間の、その感情に留まらせる。そこから動けるようになるまでには、時間が必要だ。  半分ほど箱を開けたところで、柳のコレクションだった文房具が出てきた。特にペンが好きだったようで、様々なメーカー、シリーズごとにまとめて箱に入っている。 「貴徳、ペンが出てきたけど、これはどうする?」 「……うーん」  どうしようかな、と蓮香は悩んでいる。捨てるのも勿体ないけれど、だからと言って日常的に使わない。祐輔は迷うならとりあえず保留にして取っておくか、と提案すると、彼は頷いた。  祐輔はそのペンの箱を出して、他に何が入っているか確かめると、箱の底に柳と思われる遺影が入っていることに気付く。そして、スマホも。  遺影の柳は綺麗に微笑んでいた。蓮香が一目惚れしたのも納得な、上品な美しさがあるひとだ。  祐輔は、そっとそれを箱から出す。このひとを上回ることはきっとできないだろう。けれど、彼女が空の上で安心できるように、貴徳をきっと幸せにしてみせます、と誓った。  そしてスマホも見てみる。女性が好きそうなピンクのカバーが付いていているけれど、多分電源は入らないだろう。充電アダプターもないし、と蓮香を見ると、彼もこちらを見ていた。 「お前の言う通り、綺麗なひとだな」 「……」  祐輔は微笑んで言うと、蓮香は無言で苦笑しただけだ。すぐに視線を逸らした彼は、ぐす、と鼻を啜る。 「どうしましょう、祐輔さん……」  蓮香が柳のことで泣くのは悪いことじゃない。祐輔は話を聞こうとしてそばに寄ると、彼は白い封筒を持っていることに気付いた。そして宛名には『貴徳くんへ』と、流麗な字で書かれている。さすが文房具が趣味なだけあって、字も綺麗だ。 「こんなの見つけてしまいました……」 「貴徳宛の手紙? 柳さんから?」 「美嘉の遺品に……紛れてて……」  開ける勇気がないです、と蓮香は困った顔で言う。じゃあ、と祐輔はその手紙を受け取った。 「一緒に見よう」  祐輔は蓮香に代わってその封筒を開けた。中には同じように綺麗な字で、蓮香への想いが綴られている。 『貴徳くんへ  この手紙を、貴徳くんがどのタイミングで読むか分からないけれど、多分まともに字を書けるのはそう長くないと思うから、今のうちに書いておきます』  祐輔はゆっくり読み上げた。 『貴徳くんは優しいけど甘えん坊だから、多分私がいなくなることを考えないように、頑張っているよね。私を心配させまいと、黙っていることもあるかと思います』 「……っ」  蓮香が口元を手で覆う。彼の目からは、ボロボロと涙が溢れていた。祐輔は蓮香の背中を撫で、続ける。 『だからこそ、私がいなくなった時に貴徳くんが倒れてしまわないか、心配です。だから、約束してください』 「私がいなくなったあと、私以外に大切なひとを見つけてください。私を過去のひとにしてください」 「……っ、う……っ」  蓮香から嗚咽が漏れた。もう、彼は涙で手紙を読むどころじゃないだろう。けれど大丈夫、俺がいる、と祐輔は彼を宥め続ける。 「最後に……こんな私と結婚してくれてありがとう。病気ごと、私を愛してくれてありがとう……」 「うう、うぁあああああ……っ」  蓮香は耐えきれなくなったのか、崩れ落ちて声を上げて泣いた。祐輔も隣にしゃがみ、引き続き背中を撫でる。  やはり柳は、蓮香が芳川とのことを抱え込んでいたことに、気付いていた。そして彼の性格を見越して、自分に囚われずに前に進めと促している。  堪らず祐輔も目頭が熱くなった。日付が書かれていたので見ると、二年前の正月だ。病気を蓮香に伝えた直後からもう、彼女は自分の死を覚悟していたのかと思うと、別れ話を通せなかった柳の、蓮香への愛を感じる。  運命を共にするなら、最期まで苦しむ顔は見せない。柳の並々ならぬ覚悟が見えて、これは誰も敵わない、と祐輔は心の中で両手を挙げた。  自分が同じ立場だったら、到底無理だ。だから祐輔は会ったことがないけれど、柳に尊敬の念を覚える。  でも、自分は自分なりに蓮香を支えればいい。今、蓮香の隣にいるのは、祐輔なのだから。  そう思って、抱きついてきて泣く彼を、落ち着くまで抱きしめ返した。

ともだちにシェアしよう!