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第五章 深まる秋 文化祭

 枕元で目覚まし時計が暴れている。俺は毛布を手繰り寄せて背中を丸めた。カーテンの隙間からは光が差し込んでいて、文化祭日和の清々しい陽気に恵まれたようだが、時節柄肌寒いのはどうしようもないらしい。    樹は、クラスでの準備があるとかで一足先に登校した。このところ、放課後も遅くまで残って作業をしていた。クラス委員ではなかったはずだが、随分頼りにされているらしい。    誰の提案か、俺のクラスの出し物はハワイアン喫茶だ。看板はもちろん、教室中がレインボーとALOHAに溢れ、天井を横断するように椰子の葉が掲げられ、壁にはサーフボードが架けられ、客席には椰子の木が二本も生え、BGMは波の音を延々流す。メニューはハワイアンパンケーキで、俺は指示通りにひたすらホイップクリームを掻き混ぜた。正午が近付くにつれ客足が増し、店内はてんやわんやだ。泡立て器を握る腕が痺れた。   「悠ちゃん」    お昼時を過ぎて若干客足が引いたかという頃、狙い澄ましたように樹が来店した。厨房は一応仕切られているものの、カウンターのようになっているので客席から覗き込める。腹立つ笑顔で、目敏く俺を見つける。   「エプロンって、なんか新鮮だよね」 「……うるさい」    白のワイシャツとブラウンのエプロンが、ホールも厨房も共通の衣装だ。制服にエプロンを着けただけだから、衣装というほど大それたものでもないが。   「邪魔しに来たのか」 「いやだなぁ、そんなんじゃないぜ。どんな様子かと思って、見に来ただけだよ。なかなか盛況みたいじゃないか。オレはしばらく暇なんだけど、悠ちゃんはいつシフト明けるんだい? 一緒に回ろうよ」 「まだ――」 「橘くん、もう休憩でいいんじゃない?」    ホットプレートでパンケーキを焼いていたクラス委員の女子が、俺の言葉を遮って答えた。   「えっ、でもまだ……」 「いいよいいよ。橘くん、朝からずっと入ってくれてたでしょ? 次の子もそろそろ来るだろうし、それまでは私がやっとくからさ。せっかくだし、遊んできなよ」    エプロンを奪われ、厨房を追い出された。当たり前のように樹は手を差し伸べるが、俺はその手を軽く払った。    校内は、隅から隅まで祭りの渦中という雰囲気だった。廊下や階段、お客さんが続々と入ってくる昇降口は、カラフルなバルーンやペーパーフラワーや三角旗で華やかに彩られている。壁や柱にはポスターがびっしりと貼られ、けったいな着ぐるみや被り物やカツラを着けた生徒が、看板を持って触れ歩く。    狭い廊下は、思うように歩けないほどの混雑だ。パンフレット片手に立ち止まる者、見知らぬ制服、手を繋ぐカップル、駄々を捏ねる子供。在学生はもちろん、近隣の小中学生や他校の高校生、地域住民などたくさんの人々でごった返して、浮かれた活気に満ちている。耳障りな喧騒もどよめきも、全て非日常の証だ。    樹に連れ回され、出し物をいくつか見た。喫茶だけでも、ワッフルやチュロス、タピオカドリンク、クリームソーダなど、他にも色々。アトラクションでいうと、迷路や謎解きや縁日、ジェットコースターやコーヒーカップといった本格的なものまで。もちろん文化部の発表もある。中庭では吹奏楽部が演奏をしていたし、体育館では演劇部が舞台に立っていた。    中学でも文化祭はあったけど、全然こんな風ではなかった。あの頃よりもずっと明るくて晴れやかで、とにかく自由って感じがする。それに、中学の時は樹がいなかった。   「時間的に、次で最後かな」    とある教室の前に伸びる、長い行列に並んだ。廊下の壁は、おどろおどろしい装飾が施されている。べったりと貼られたお札に血糊の障子、黒塗りに赤文字で『座敷幽霊』と書いてあった。   「……ここ、お前のクラスのお化け屋敷だろ」 「あは、バレた?」 「バレるも何も……」    パンフレットをもらって一番に確認した。   「俺はいいとして、お前は楽しくないだろ。自分で作ったお化け屋敷なんて」 「オレは、悠ちゃんと一緒なら何でも楽しいぜ。あ、もしかして怖いの苦手だったかい? 大丈夫だよ、お子様が楽しめる程度の怖さだから」 「お前……お前がそれを言うなよ」    玩具みたいな懐中電灯を渡され、教室に入った。通路は一人しか通れないほど狭く、完全に真っ暗で何も見えない。ライトで照らすと、通路の脇に人形がずらりと並んでいた。市松人形はもちろんだし、リカちゃんやポポちゃんなんかもいる。かわいい人形のはずが、暗がりにたくさん並んでいると不気味だ。   「悠ちゃん、これ」 「わっ!?」    突然、ふんわりしたものが肩を包んだ。思わず声を出してしまったが、何てことはない。樹のカーディガンだ。見えなくても、匂いだけで分かってしまう。   「バカ、脅かすな」 「悠ちゃんが勝手に驚いたんだろう。だって、ほら、寒いかと思って。冷房利きすぎ?」 「まぁ、少し……」    柔らかなニット生地から、間接的に樹の温もりを感じる。袖を通すと余計に。まるで抱きしめられているみたいで落ち着かない。ここがお化け屋敷でよかったと思った。   「……お前は?」 「上着あるから。それより、ちゃんと足下照らしててくれよ。ほんとに何にも見えないな。ちょっと危ないんじゃないの、これ」 「押すな、バカ」    角を曲がった先でいきなりマネキンに追いかけられ、逃げ込んだ先で貞子に襲い掛かられ、振動しながら泣き喚く赤ん坊を抱っこさせられ、それだけでも相当疲れたのに、最後は細いトンネルを四つん這いで進まなくてはならず、案の定、壁からたくさんの手が飛び出してきて脅かされた。這いずって出口まで辿り着いた時には、心拍数がえげつないことになっていた。   「あはは、どうだい。なかなか怖かったんじゃないかな」 「お子様向けって……」 「そりゃあ、お人形がいっぱい出てくるからさ」 「とんだ詐欺師だ」 「でも、ちょうどいい怖さだっただろう?」    自分だって息が上がっているくせに、樹は調子よく笑う。でも、その満足げな笑顔を見ていると、俺は自分が何に対してドキドキしているのか分からなくなる。ふと思い出してカーディガンを脱ごうとすると、「後でいいよ」と断られた。

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