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第4話

 男が素っ頓狂な声を上げたが、リーレンは全く気にすることなく笑って言った。 「はい。生きとし生けるもの全てを救済するのが神仙なのでしょう? 私もぜひそうありたいと思っています。だから月牙将軍のように神仙になりたくて、師のもとで修行もしているんです」  一瞬何かを言いたげに男が口を開いたが、結局何も言うことなくまた口を閉ざす。それを少しばかり訝りつつ、リーレンは言葉を続けた。 「以前、琅王様が白虎の獣人だと聞いて、どんな方なのかずっと気になっていたのです。あなたは琅の方だそうですが、実際に琅王様のお姿をご覧になったことはありますか?」 「まあ、あることはあるが……」 「あるのですか? 琅王様はどのような方なのですか? 本当に白虎なんですか?」  本当に食いつかんばかりの勢いで尋ねるリーレンに戸惑いつつ、男は「ああ」と頷いた。 「琅王は白虎の獣人で、獣型は巨大な白虎だ。普段はずっと獣人型をしていて頭が虎で体が人間、長い尻尾がある。滅多に民の前に姿を見せないから、毎年新年の参賀には皇城の前に民が押し寄せるんだが――」 「皇城の前に民が……あぁ……、琅の民は皆、王のお姿を一目見ようと集まってくるのですね。なんて羨ましい。私もぜひ琅王様にお目にかかりたい……できれば獣型になられている琅王様に……」  恋する乙女のごとくうっとりと目を細めたリーレンを、男が呆れた眼差しでしげしげと眺める。 「獣型の? 会ってどうする? ただの虎だぞ?」 「虎だからこそですよ。ぜひお目にかかって……腹の毛を撫でてみたい……」 「はぁ?」  男がまたもや素っ頓狂な声を上げた。だが、リーレンは全くかまうことなく笑みを浮かべて両手の指を組む。 「だって気持ちよさそうじゃないですか。腹の毛とか、耳の後ろの毛とか……」 「腹と耳の裏って……神仙になって琅王を従えたいとか、使役したいとか、そういうことではなく?」 「琅王様を従えるとか使役するとか、そんなとんでもない。畏れ多いにもほどがあるではないですか。私はただ琅王様にお目にかかって毛を撫でてみたいだけです!」  その方がもっと畏れ多いだろうという言葉を飲み込むように男が押し黙る。リーレンが小首を傾げていると、男は突然ぷっと吹き出した。 「あの……私は何かおかしなことでも言いましたか?」  困惑ぎみに尋ねたリーレンに、男が必死で笑いを咬み殺す。 「いや、気にしないでくれ。まあ、そうだな……琅王の機嫌が良かったら腹くらい撫でさせてくれるんじゃないか?」 「そうでしょうか?」  琅王に一目会いたい、柔らかな毛に触れたいとリーレンが繰り返し口にしていると、遠くからフェイの声が聞こえてきた。  走り去った赤駿を追ってようやくここまでたどり着いたのだろう。丘の上から息せき切って走ってくるフェイに、リーレンは「ここだ」と軽く手を上げ、改めて礼を言おうと男を振り返る。 「今日は本当にありが……あれ?」  振り返った先に男の姿はなかった。今の今まで話をしていたというのにその場から忽然と姿を消していて、周囲を見回しても人影ひとつない。 「え……?」  辺りに姿を隠せるような建物はおろか木の一本すら生えておらず、リーレンは思わず首を傾げた。 「リーレン様っ! 大丈夫ですかっ? お怪我はっ?」  丘の上から駆け下りてきたフェイが息を切らしながら矢継ぎ早に尋ねてくる。 「ああ、うん。大丈夫。それよりフェイ、真っ白な髪をした男の人を見なかったか?」 「は? 白髪の老人ですか?」  訝るフェイにリーレンは首を傾げつつ言った。 「いや、そうじゃなくて、腰に剣を佩いた若い男の人なんだけど――」 「そんな人はどこにもいませんよ。さっきからここにはリーレン様と赤駿しかいませんでしたし、だいたい白髪の若い男って何なんですか。馬から落ちた時に頭を打って幻でも見たんですか? それか幽鬼か……まあ、真っ昼間に出てくる幽鬼なんていないでしょうけど。とりあえず、城に戻ったら侍医にちゃんと頭を診てもらいましょう」 「いや、落馬はしてないから頭は大丈夫。本当にさっきまでここにいたんだけどな……」  もう一度辺りを見回し、リーレンはまた首を傾げた。  先ほどまで話していたのは本当に幽鬼だったのだろうか。いや、幽鬼にしてはあまりにも害がなさそうだった。何より、男は馬から振り落とされたリーレンを助けてくれたのだ。人を食らう幽鬼はいても助ける幽鬼など聞いたこともない。 「確か獣人だって言ってたけど……もしかすると野ネズミの獣人だったのかな……?」  ネズミくらいの大きさならば、獣型になった際に見失っても仕方がない。獣人がどうやって姿形を変えるのか見てみたかった気もするが、男は既に姿を消してしまっている。それにしてもだ――。 「なんとなくあの人に見覚えがあるんだけどな……」  男の風貌、声音、ふとした仕草の全てが記憶のどこかにあるような気がして仕方がない。幼い頃に会っているのだろうかと記憶の糸をたぐってみたものの、思い出せることは何もなかった。結局気のせいだろうと肩をすくめ、リーレンはうんと伸びをした。  赤駿が全力疾走してくれたおかげで、城から随分離れたところまで来てしまった。しかも鞍が傷んでいてはその赤駿に乗って帰るわけにもいかない。フェイがなんとか鞍のほころびを直そうとしているが、道具もない状態ではどうしようもないだろう。 「フェイ、諦めて歩いて帰ろう」  そう言ったリーレンを、フェイが恨みがましそうな目で見上げた。 「歩いてって……城まで相当な距離ですよ?」 「仕方ない。日が暮れるまでに城門にたどり着けるよう頑張るしかないな。閉門時刻までに戻れなかったら城の前で野宿だ」 「尚国の太子が自国の城から閉め出されて野宿って、なんの笑い話なんですか……」 「うん。だから、そうならないよう頑張って歩こう。ほら、もたもたしていると日が暮れてしまう」  下ってきた丘をリーレンは意気揚々と登っていく。その後ろを、赤駿の轡を引きながらフェイはため息交じりにとぼとぼと登っていった。

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