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第4話

***  いない。  受付カウンター脇に貼ってあるインストラクターの顔写真一覧を念入りに見ながら、貴弥は眉を寄せる。  3日前の夜、レッスンとは名ばかりの恥ずべき痴漢行為に及んだ男の面影は、未だ脳裏に新しい。だから、はっきりと言い切れる。目の前に貼られた写真の、どの顔とも違うと。  言動も泳ぎも雰囲気もインストラクターそのものだったので疑わなかったが、まさかクラブの人間ではなくただの一会員だったとでもいうのだろうか。どうにも気持ちが悪い。  カウンターの職員に尋ねるには事情を話さねばならない。もしも自分が女性なら警察に突き出して当然の犯罪行為だが、あいにく男だ。しかもその得体の知れない不審者の愛撫に感じ、乱れてしまったことを思い出せば、告発する勇気なんか到底出なかったし、大体そんな時間もなかった。    写真の確認で、無駄な時間を5分も使ってしまった。その分はシャワーと着替えで調節しようと、貴弥は更衣室へと足早に急ぐ。  普段より手早く着替えて飛び出したプールサイド、唯一の先客の顔を見るなり、貴弥はそのまま背を向け引き返したい衝動に駆られる。写真一覧にはなくとも今正に目の前にいるのは、3日前の痴漢男本人に間違いない。 「あ、来た来た。こっちこっち!」  リゾートプールで彼女を呼びつける軟派男のごとき軽さで、男が貴弥を手招きする。  近付くのは危険だ。頭の隅で警鐘が鳴らされていたが、足はその忠告を無視しそちらへと進む。  とにかく、一言文句を言ってやらないと気が済まない。そう、きっとそれだけだ。他に理由なんか、あるわけがない。  この間みたいにうっかり捕まってしまわないように、プールには入らず、歩行者専用コースの端にいる男の傍らにしゃがんだ。 「また会いに来てくださって光栄ですよ、藤崎さん」  人を小馬鹿にしたような笑顔で、恥かしげもなくジゴロウインクを送ってくる。  反感に勝ってときめく胸。一体どうしたというのだろう。見るたび胸が躍ってしまうほど、自分はこの顔が好みなのだろうか。 「き、君に会いに来たわけじゃない。聞きたいことがあっただけだ」  動揺のためか、つい声が上ずってしまうのが癪だ。 「何なりと」 「単刀直入に聞くが、君はここのインストラクターじゃないのか? カウンター脇の一覧に写真が貼っていないようだけど」 「へぇ、嬉しいなぁ。気にしててくれたんだ」  セクシーな目元を細められ、胸の鼓動はさらに高まる。 「そ、そんなんじゃない! 君の不埒な行為について上司に報告すると言っておいただろう。それで、名前を知りたかっただけだ」 「ふぅん……フラチな行為って、どんな行為でしたっけ?」 「ふざけてるのか?」  平静でいようと思っても、色白の頬に血が上ってしまうのを自覚し貴弥はうろたえる。こんなみっともない反応では、前回のことを大いに意識していますと、白状しているのも同じではないか。 「スイミングの指導は、インストラクターによってそれぞれなんですよ。藤崎さん、ちょっと意識し過ぎじゃないかなぁ」  美しい眉を困ったようにひそめられ苦笑され、貴弥は激しい屈辱に卒倒しそうになる。 「し、素人だからって馬鹿にしないでくれ! あんなレッスン、あるわけない。それより、君は僕の質問に答えていない」 「まぎれもなく、ここの職員ですけど」  男はしれっと言ってのけた。 「なっ……写真のことはどう説明するつもりだ」 「さぁ、貼り忘れたんじゃないですかね?」  ぬけぬけとした言動に、呆れて言い返すこともできない。

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