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第6話
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規則正しい普段の生活に戻れば、ちょっとしたアクシデントならすぐに忘れてしまえるのが藤崎貴弥だ。だがどうしたことか、今回ばかりは難しかった。
謎の男の顔が、頭にチラついてしょうがない。あれほど真剣に言うからには、どこかで会っていたのかもしれないと思うから余計なのだろうが、集中すべき仕事の最中にも、彼の魅力的な表情の一つ一つがふいに浮かんできたりするから厄介だ。
偏執狂的なまでに職人気質な父に、幼い頃から時計師となるべく厳しく仕込まれた貴弥は、極端に人付き合いが苦手だ。興味があるのは時計だけ。生身の人間は貴弥にとっては、掴み所がなく不確定で不安を煽られるだけの不要な存在だった。
27年の人生の中で貴弥が惹かれた他人は、たった一人だけだ。他はすべて道端に転がっている石ころと同じだった。
それなのに、彼だけは違った。他の人間より鮮やかに、貴弥の胸に入り込んできた。
他人に素肌を触れられるなんて想像するだけでもゾッとするのに、なぜあのときは広い胸に安心してもたれかかっていられたのだろうか。それも、恥ずべき行為を強いられた後だというのに。
水に浮く感覚が少しだけわかった今、早くプールに行ってもう一度試してみたいという気持ちがあった。だが、また彼が待ち伏せしていたらと思うと少し怖い。彼のことが怖いのではなく、自分の心が不可解に揺らされてしまうのが怖いのだ。
店先から母親の明るく高い声が聞こえてきて、貴弥は我に返った。客に対するものとも違う、なんだか浮き立った声だ。誰か知り合いでも来たのだろうか。
「貴弥! 貴弥ったら!」
けたたましく呼ぶ声に眉を寄せる。裏の作業場にいるときは集中しているから、声をかけないよう言ってあるのに。
貴弥は嘆息し、修理中の骨董時計を丁寧にしまうと、店の方へと出て行った。待ちかねたように母親が手招きする。その前に立ったスラリとした長身の男を見るなり、貴弥は唖然と立ち尽くした。
「ちょっとあんた! わかる?」
何が嬉しいのか母はひどくはしゃいでいる。
わかるも何もない。正しく今貴弥の脳内をかき乱してくれている超本人が、いきなり目の前に現れたのだ。プールで待ち伏せだけでは飽き足らず、ついにストーカーにまで堕してしまったのか。
「恭平 ちゃんよ、3丁目の! 小さい頃よく一緒に遊んでたじゃない」
「えっ!」
驚愕と共に見上げた男は、究極に白々しい爽やかな笑顔で、
「タカ兄ちゃん久しぶり! 15年ぶりくらいだよなぁ。実はさ、俺だけ前住んでた家に戻って来たんだわ。またよろしくな」
と、普通に挨拶してきた。
「えっ? き、恭平って、そんな……! だって、昔は坊主頭だったし、体だって僕より小さかったじゃないか!」
うろたえ動揺しまくる貴弥に、母と男は顔を見合わせ笑った。
「野球やってたからな。体はまぁ、知らないうちにでかくなるもんだよ」
「本当に、こんな素敵なイケメンになっちゃって! 見違えたわよ」
「でも、おばさんは一発でわかってくれたもんな。嬉しかったぜ」
今のは貴弥に対するあてこすりだ。
「タカ兄ちゃん、今仕事中? 久しぶりに思い出話でもしたいなぁなんて、寄ってみたんだけど」
「もちろん大丈夫よ。せっかくだから、ゆっくりおしゃべりしてらっしゃいな」
貴弥が口を開く前に、上機嫌の母がOKしてしまう。
「いや、僕はまだ……」
「今直してるの、岡崎さんちのおじいちゃんのでしょ? そんなに急がないって言ってたじゃない。店番ならお母さんいるから」
貴弥が遠慮していると思ったのか、気を利かせたつもりの母は強引に背を押す。
「タカ兄ちゃん行こうよ。5時までに戻ってくればいいだろ? ね? おばさん」
時間を区切られると、それに引きずられてしまう性格をすでに読まれている。
「何時でもいいから、ゆっくりしてきなさい」
と、満面の笑顔で送り出す母のご機嫌な声を恨めしい思いで背中に受けながら、貴弥はすっかり様変わりした幼馴染に腕を取られ、茫然自失の体で引っ張られて行った。
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