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第11話

***  上原恭平の帰還は、波一つないプールに石を投げ込むほどの波紋を貴弥の胸に広げた。  二度と会えないと思っていた彼が魅力的に成長した姿で戻っただけでも驚きなのに、こともあろうに自分に好意を持っていると言う。幼馴染みへの思慕ではなく、恋愛感情なのだと言う。  プレイボーイらしくない直球の告白を、思い返しては胸が熱くなる。触れてきた指の動きが蘇ると、自然と体が反応してしまう。頭の中は恭平のことでいっぱいで、ここ数日決められた時間を忘れることも度重なるようになった。これまでの貴弥にはあり得ない事態だ。    整然と型にはまった生活の中さしたる感動も驚きもなく、ただ緩やかな後悔の中で生きてきた貴弥にとって、激烈に訪れた変化をどうやって受け入れたらいいかわからず混乱しているというのが現状だった。  とてつもなく嬉しい夢を見ていると、現実との境がわからなくなる。覚めたときやはり夢だと知りがっかりしてしまう。だから、必要以上にのめりこまないようにしなくてはいけない。そんな気持ちなのだ。  向けられる好意を嬉しいと思い、恋情を持って触れられることを心地いいと感じる。それにより気付かされてしまった自分の本当の気持ちをまだ認められないのは、手にしたら泡になって消えてしまうのが怖いからだ。    恭平に何と返事をしようかと悩んでいるうちにやってきた木曜日は、列島を縦断する台風の影響で見事な大嵐になった。まるで貴弥の揺れ動く心が、天候にまで反映されたかのようだ。  傘が全く役に立たない風雨の中、母が呆れるのも構わず飛び出したのは、恭平と約束したからに他ならない。もう二度と、彼との約束の時間に遅れるわけにはいかなかった。  しかし、いつもより10分早く家を出て予定通りの時間にたどりついたクラブの、閉ざされた正面扉には無情にも張り紙がしてあった。 『台風の影響により、本日は6時で閉館させていただきます』  信じがたい思いでその文面を何度も読んで、貴弥は嘆息し開かない自動ドアに背をもたせた。冷静に考えてみれば確かに、こんな暴風雨を押してまでスポーツクラブに出かけようなんて酔狂な人間もいないだろう。  これからまた来た道を、風に吹かれながら戻らなければならないのかと溜息をついたとき、いきなり目の前に停まった車にクラクションを鳴らされ飛び上がりそうになる。この街には不釣合いな洒落たスポーツカーのウィンドウが降りて、そのハイソな車に見合った華麗な美貌が覗いた。  驚く貴弥を見て、運転席の恭平は苦笑する。 「さすがのあんたでも今日は来ないかと思ったら、なんと律儀に現れたか」 「だって、それは……っ」  君との約束があったから、というひと言は飲み込んだが、恭平にはちゃんとわかっているようだ。嬉しそうなその表情で伝わる。 「とにかく乗れよ」  助手席を示されるが躊躇する。恭平は2分30秒進んでいる時計を覗いた。 「これから90分、いや、もう80分か? 場所変えて俺のうちでレッスンな。いいものがあるんだ。あんたもきっと気に入るよ」  そう言って少年のように瞳を輝かす男に、昔の面影が甦る。いつも何か楽しいサプライズを用意しては、貴弥を感動させてくれていた彼の中身は、今も変わっていない。 「でも、君の車が濡れてしまうから」  ためらった理由を口にすると、恭平は声を立てて笑った。 「あんたをいろんなとこに連れてくために買った車だ。遠慮なく濡らしてくれ。ほら早く」  貴弥が乗らないと、きっと恭平はいつまでも窓を開けたままでいる。吹き込む雨に彼の方が濡れてしまわないかと気になって、貴弥は素直に助手席に体を滑り込ませた。 「正確には、あと82分15秒だ」  時計を確認しながら大真面目に指摘すると、ツボに入ったようで恭平はしばらく笑い続けていた。

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