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一日目「初めての出会い」

――しつもん。出会いは間違いですか?     自分の住んでいる街からはさほど離れていないとはいえ、ジェムという町は交通の便が悪いところに存在していた。様々な交通機関を乗り継いでたどり着いたそれは、高い城壁を有し、他者を拒絶しているようにも見えた。 城門の前には門番らしき男が一人立っていた。 「……来訪客、か? 招待状を見せてみろ」  要点だけを告げる、愛想の無い門番に招待状を見せると、門番は一瞬だけ目を見開いたように見えた。 「……城主の……弟?」 「はい、そうですけれど」  その言葉に、やはり門番は若干驚いたようだ。 「……彼女に肉親がいたなんて……、驚いた。今、門を開けよう。入れ」  重々しい音と共に城門が開かれる。 「……では、七日後に」  その言葉にクレフは一礼し、ジェムに足を踏み入れた。  心なしかねっとりと甘い匂いがするな、とは街へ足を踏み入れてからの最初の感想だった。菓子のような系統とはまた違う。女特有の匂いや、香水などを混ぜたような……、とでも言えばいいのだろうか。 ジェムの街は、確かにどこにでもある町に趣は似ていた。しかし、どこかで決定的に『歓楽街』たらしめる風貌を見せている。街の至る所に立っている華やかな格好をした男女や、どこか浮ついた様子を見せる観光客らしき人々がそれを想起させているのかもしれない。 入って間もなく、『この街は自分に合わない』とは、クレフが直感的に下した評価だった。姉がどういう意思を持ってこんな街を造ったのかは現時点では皆目見当がつかないが、自分には合わないことだけは確信が持てた。 早々に帰りたいという気持ちが募っていく中で、前から二人の男女がやってきた。 恐らく姉弟なのだろうか。姉らしき方は華やかな格好をしていたが、弟らしき方はぶかぶかの古着を着ていてどこかちぐはぐした二人組だった。 「ねーぇお兄さん、どうしたの? あたしたちのことじいっと見ちゃって。なぁんか気になるー?」  不意に目があった姉らしき方に話しかけられ、自分が二人のことをじっと見ていたということに気付かされる。 「あ、いや……何も……」  彼女の雰囲気にたじろいだが、相手は特に意に介した様子がないことに安堵した。 「ふーん。まぁ、いいけど。……見た感じ、お兄さん観光客だよね? ようこそようこそー、楽しんでってねぇ。よかったらあたしたちのこともよろしくってことでー。んじゃ行こっかネムちゃん」 「んぇ……はあい」  眠たそうな目をこすりながら少年はゆるりと頷き、女に手を引かれてクレフの前を後にした。  先ほどの少年の年齢は、察するに娘と大して変わらないのではないだろうか。女性の方はともかくとして、あんなに幼い少年までここで暮らしているということを考え、その意味を察すると頭が痛くなった。 「はあ……、帰りたい……」 元々気乗りしない誘いではあったが、一層帰りたい気持ちばかりが募っていく。重いため息しか出なかった。工房で貴金属を磨いている方がよほど幸せな気がしてならない。  先ほどの少年は、背丈が娘とだいたい同じくらいだったな、などと思いながら、クレフはシェンの城に向かった。  街のおよそ中央部に位置している城に着いたころには、クレフは軽く憔悴していた。細部を見れば見るほど嫌悪と不安感ばかりが増していき、かといって知らない街のことを何も見ないわけにもいかなかった。おっかなびっくり歩いていたものだから、結果的に、疲れるのには時間がかからなかった。  城の人間に案内され、シェンがいるという謁見室に通されると、そこには悠然と姉が待ち構えていた。 「ようこそ、クレフ。あたしの造った世界はどう?」  絶対の自信を持って放ったのであろうその言葉に、クレフは重いため息をついた。 「もう帰りたい気持ちでいっぱいだよ、姉さん」  それを聞いたシェンは思わず失笑した。 「まぁ、いやだ! 別に帰っても構わないのよ。家族のいない広い家で、孤独に怯えながら休暇を過ごしたって、アタシは痛くも痒くもないのだから」 「……そうなったとしたら、早々に職場へ復帰すればいいだけだよ。……姉さん、道中で私の娘くらいの年齢のこどもを見たんだ。まさか、あの子も……」 「ええ、観光客でもない限りここの住人よ。勿論、お金さえ払えば好きにしてもいいわ、身体の相手だって、なんだって」  その言葉にクレフは絶句した。あんなに幼くても、餌食にされるなんて――。 「本当に悪趣味な町なんだな……、これが本当に姉さんの造りたかった理想郷なのか? どういう理由でこんな街を造るに至ったのか、私は知らない。でも、こんな無法地帯が許される訳が」 「クレフ」  シェンはクレフの言葉をぴしゃりと遮った。その口調には、どこか反論を許さない絶対の意思すら見え隠れしていた。 「クレフ。貴方に指図は受けないわ。ここはアタシの国。アタシの世界。誰が何と言おうと反論も異論も、アタシは呑まない。……まあいいわ、貴方がそう思っていても。あくまでそれは一個人の考え方。苦情が束になってかかってこない限り、アタシに痛手が来ることはないのだから。……ほら。他に崇高なご意見は無いの? 全て聞き流してあげるから」  頑なな姉の姿勢に、クレフは説得をいったん諦めざるを得なかった。そんな様子に、シェンはどこか誇ったように笑む。 「ふふ……、いい子ね。貴方は弟であり、招待客。姉であり領主であり、城主のアタシの言うことを聞いていればいいの。  じゃあ、説明するけれど。住人達は皆、訪問者を『あらゆる手段で貴方を満足させる』ようにしているわ。あなたが望むなら性の相手だってしてくれる。そういう人間たちを、各地から集めたの。  こればかりは色欲の楽園とでも言ってもいいかしらね、それくらい言いきった方が潔いでしょ? ただ、ちゃんとお金は払ってあげて。  あと、期限は今日を含め七日間。七日目に、ここにまた来て頂戴な。  宿は町はずれにある『Hotel Desire』を使って。来客は全てそこに泊めることにしているの。貴方にはここの来賓室を貸してあげてもいいんでしょうけど、……アタシの気分が乗らないから、ごめんなさいね。それじゃあ……、あとは好きになさいな。この街でどう過ごすかは、結局のところ貴方次第なのを忘れないで。  ……そうね、言いたいことは……。こんなところね」  気まずい雰囲気をまといながらも、シェンがもう何も話さないという意思表示をしたためにその場を後にせざるを得なかった。  姉の頑固な面を目の当たりにしつつ、クレフは七日間世話になる宿に向かうことにした。  宿に着きロビーを見渡すと、そこには先程出会った少年が、ソファで所在無げに座っていた。 「あ、さっきのおじさんだ……。こんにちは」  少年もこちらに気付いたようで、ほわりと微笑む。 「あれ、君はさっきの……。お姉さんはどうしたのかな? 駄目じゃないか、こんなところに一人でいるなんて……」  その言葉に、ぼんやりとした表情のまま首をかしげる少年。 「お姉さん? んー……ロッタのこと? ロッタは、お姉ちゃんじゃないよ。  ロッタは今、お仕事してるの。家でお留守番させられないからって、ぼくもここに来たの。それで、ここでお留守番なの」  先ほど一緒にいた女性はどうやら血縁関係にないらしい。そして、彼は一人で彼女、もといロッタの帰りを待っているらしい。 「ねー……、暇だから話し相手になって? ね、いいでしょ?」 「え? ああ……。私でよければ、喜んで」  ありがとう、と嬉しそうに、手を軽く口元で合わせる少年。どこか身なりが薄汚れているのは、気のせいだろうか。 「ぼくは、ネムって呼ばれてるの。おじさんもそう呼んで。名前……、本当は無かったんだけど、ここの城主様がつけてくれたの。いつも眠たそうだから、って」  誰から聞かれるでもなく自分の名前と名付け主を語るネムは、どこか得意げだった。それはともかくとして、随分と適当な名前の由来に、姉のネーミングセンスが少しだけ垣間見えた気がする。 「ここに来る前は、みんな喧嘩……? せんそう? してばかりの街にいたの。仲の良かった子たちも次々に死んじゃったりして。それでね、次はぼくなのかな? って思ってたんだけど……。ここの城主様がぼくのこと気に入ったって言って、この街に連れてきてくれたんだ……何が気に入ったかは分からないんだけど、この街に来られて良かったと思う。えへへ」  ふにゃりと笑う少年。どうやら、完全にシェンのことを信頼しているようにも取れる言いぐさだった。  それにしても、問題は彼の境遇だ。恐らく、内紛や争いの絶えない国の出身なのだろう。そこから姉の(おそらく)気まぐれで彼を見つけてこの街に連れ出したのだというのだから、彼の生い立ちはどこまで波乱含みならば気が済むのだろう。命の危機にさらされ続ける心配はないのだろうが、果たしてこの街にいることが彼の幸せなのかと問われると、首をかしげるものだ。 「そう、か……。ネムさんというんだね、君は。私はクレフ・ノベンバーというんだ。……よろしく」 「わぁ、名前、クレフ? なら、クレフおじさんだねー……。えへへ、よろしくね。おじさんもここの訪問客なのかな。どうぞ楽しんで行ってください……、これ、城主様が言うように、って言ってたから」 「……ああ、楽しめれば……いいんだけれどね。ところでネムさん、君のご両親っていないのかな? 一緒にこの街に来てはいないのかい?」  クレフの問いに、ネムは首を横に振った。 「お父さんもお母さんも、いないよ。小さいころに生き別れてそれっきりで……。生きてるのかなあ? よくわからないの」  そこまで言い終え、ネムはふわぁと大きな欠伸をした。 「ロッタ、遅いなぁ……。おじさん、ロッタいつ来るかわからない……? んぁ……なんか、待ちくたびれちゃった……」  話し方が少し緩慢になった上に、もう一度欠伸までした辺り、ネムはどうやら少しばかり眠気がさしてきたようだ。その前に、一つ質問しなくてはならないことがあった。 「……眠いのかい? 私がそばにいるから、少し寝たらどうだろう。でもその前にいいかな。……君は今、幸せかい?」 「何言ってるのお? 幸せ、だよぉ……? ふぁ……。……ちょっと……、ねようか……なぁ……」  話しながら舟をこいでいるのだから、なるほどいつも眠たそうだからネム、という名前に偽りは無いようだ。迷いも無くこの街での暮らしを幸せだと言った少年の言葉はにわかに信じがたいが、信じなくてはならないのだろう。確かに争いの絶えない街で暮らしていた経験がある身には、この街で暮らすことは天国に近いのかもしれないのだから。 すやすやと寝息を立てた少年を見届けて、少し離れた先にあるカウンターでチェックインを済ませた。 「あの子、ロッタさんと一緒によく来るんですよ。まるで姉弟みたいですよね……、ふふっ。ロッタさんも話しやすい方ですし、ネム君もあの通りだから、すっかりここのスタッフと顔なじみなんです」 あまり人見知りしなさそうな印象の女性フロント従業員が、笑みをこぼしながら彼らのことを話してくれた。 「よくああしてロビーでうとうとしているんです、ネム君。あ、そうだ。ブランケットありますから、宜しかったらかけてあげてくださいな」 「え、わ、私が……?」  折角ですし、と押し切られる形でブランケットを渡される。 「荷物でしたらお部屋まで運んでおきますから、ね? ちょっとー、お客様のお荷物運んでー!」  エレベーター前にいたポーターを大声で呼びつけると、観光客にしては多めの荷物が手際よくフロント受付嬢とポーターによって、ラゲッジカートに積まれていった。 「それでは、ごゆっくり……ふふっ」  茶目っ気たっぷりの笑みと共に軽くウィンクすると、フロント受付嬢はフロントに戻っていった。  仕方なくブランケットを持って戻り、それをネムにかけてあげることにした。緩やかな寝息と共にネムはもぞりと動き、ブランケットを手繰り寄せる。無意識の手探りの末、丁度いい位置にそれが来たらしいところで動きは緩やかに止まり、静かになった。  穏やかな時間だったが、クレフの内心はそれに該当しなかった。  果たして、彼は幸せなのか。果たして、姉は独裁者なのかそれとも善政をしく友愛主義者なのか。そして、果たして自分はそれを七日間で見極められるのか――。  そう逡巡していて間もなく、すっきりした表情のロッタが現れた。 「もーぅ、また寝てるのネムちゃん? ちょっとちょっと、起きて起きて……。ってあ、さっきのお兄さんだ。どーもどーもぉ」  ロッタはにっこりと愛嬌を振りまきながら、ネムを叩き起こす。 「んあ……ロッタだ。おはよお……。お仕事、おわった?」 「ん、さっきね。んじゃ帰ろっか。お兄さん、ばいばーい。ほらほら、ネムちゃんもご挨拶して」 「んー……おじさん、ばいばい」  手を振る二人に釣られてクレフも、相手にためらいながらも軽く手を振って別れた。一人になったクレフは、ひとまず宛がわれた部屋に向かうことにした。  部屋は銀細工などをすることから、広めで設備も通常の部屋より充実している部屋を選んだ。宿泊費が多少かさんだが、それでも一般のホテルよりはだいぶ安く済んだ。  『おひとり様』の利用でだだっ広い部屋というのも、今や一人で住んでいる自宅を連想させたが、それより比べ物にならないくらい狭い部屋だと考えると、丁度いいのかもしれない。  荷解きをしながら、広い机に作業用の簡単な道具を並べていく。机も幸いなことに素っ気ないものではなく、作業に丁度いい広さを持っていた。汚さないように使おう、と思いながら適当に指輪を取り出し、ブラシやクロスで研磨作業を始めた。  それにしても、この街はどこまで狂っていれば気が済むのだろうか。まだ幼いこどもが売春をしているのを黙認するなんて、前時代的にも程がある。自分の娘が売春をしていたら、ほぼ確実に気が狂うだろうし、やるせなくなるに違いない。 「本当に、この街はどうかしている……」  思わず声に出したが、それが正直な感想なのだから仕方がない。  ジェムに七日間滞在することはもう決まってしまったことではあるし、今更戻る訳にもいかない。仕方なしに滞在するのなら、極力姉のことやこの街のことで腹を立てない過ごし方をするしかない。  それは何か。やはり、部屋に籠って仕事に没頭することだろう。そう結論付けて、クレフは作業に没頭した。  黙々と作業をして、どのくらい経っただろうか。部屋に備え付けられている端末がメッセージ受信音で自己主張を始めた。調子が乗ってきたところで、と内心水を差されたような感覚になりながらも、少し離れた場所にあった端末を手に取る。気が利いていてお節介なこの備品は、部屋ごとに一台ずつ備え付けられているのだという。ホテルのルームサービスを受けることは勿論、ここの住人ともコンタクトを取ることが可能になる為、部屋に呼び出して行為に及ぶことも出来る訳だ。実際、アドレス帳には頼んでもいないというのにここの住人達の物らしきアドレスが一通り登録済みだった。  メッセージの送信者はロッタだったが、誰からのメッセージだろうと流し読みをすることは確定した。ざっと読んだ内容は、ネムや自分のことが気に入ったならよろしく、といったものだった。いつの間にこの部屋に泊まっていることが流出したのだろう、と思ったが、先ほどの、愛想のいい受付嬢の顔が浮かんだ。恐らく彼女の仕業だろう。 「……仕事に戻ろう」  深くため息をつき、再び机に向かった。  それから更に数時間後。さすがに空腹を覚え、ホテルの売店へ向かった。適当に見繕った後、部屋に戻るか、とフロント前のエレベーターに向かうと、ロビーのソファに見覚えのある姿を見つけた。 「んー……すぅ……」  ブランケットにすっぽり包まれ、すやすやと寝息を立てている少年は、まぎれも無くネムだった。  こんな夜中にこども一人を置いておくのは不安要素しかない。ロッタは恐らく仕事なのだろう。  やむを得ない、とクレフはネムを起こした。 「ネムさん、私だ、クレフだ。ちょっと、起きてくれないか」 「んぁ、んー……? あー……おじさん。おはよお……どうしたの?」 「どうしたもこうしたも無いよ、ロッタさんはどうしたんだい?」 「んー……、仕事ー……。いつものことだよ? 朝になったら帰ってくるだろうから……、ここでねてるの」  さすがに、無防備で不用心すぎる。不安が高まったクレフは、ネムに手を差し伸べた。 「……私の部屋に来て休むといいよ、私は仕事があるから、ベッドで休む予定も無い。ゆっくり休むといい。別に何をするでもないからそこは安心していいよ」  ネムはクレフの手を両手で取り、ぱっと顔を明るくした。 「本当!? ベッドでねていいの? わぁ……ありがとう!」 「あ、ああ……じゃあ、おいで」  嬉しそうにブランケットを畳み、フロントに返しに行くネム。足取りが心なしか弾んでいたあたり、このお誘いがよほど嬉しかったのだろう。  何も後ろめたいことはない、そう何もない……とクレフは頭の中で何度も復唱しながらネムと共に部屋に戻ることにした。ロッタには先ほどの端末メッセージから返信して、このことを伝えればいいだろう。  部屋に着きネムをベッドに連れて行くと、しばらく「ふかふかだ」だとか「あったかい」とはしゃいでいたが、眠気が勝ったようですぐに寝息を立てていた。  こどもは、本来の姿はこうでないと……。クレフはその姿に安堵し、食事もそこそこに済ませた後にロッタにメッセージを送り、作業を再開する。  時計の秒針の音と少年の寝息、そして金属を磨く音。この三つが、この空間にある主だった音になった。  時間は緩やかに過ぎていく。

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