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第9話 願い、探す

「……冷えてきたな」  少し日が陰ってくると風が冷たくなってきた。  もう今日は客も来ないだろうと、表の札を取り入れる。  日が暮れる前に干してある薬草と洗濯を取り込んでしまおう。  荒野のなかに師匠の師匠が建てたというこの場所は、呪い師の仕事をするための工房と生活するための建物とに分かれている。  家、と生活する方の建物を師匠は呼ぶ。  街道からの道につながっている方が工房で、中庭を挟んで奥が家。  工房と家の仕事とは今も変わらず照葉と俺の当番制で、今日は俺が家の当番の日。  当番に当たっていない方は、外へ出て材料を集める。  工房を出て、中庭へ行く。  洗濯物を取り込んで家の中に放り込み、干しておいた薬草の状態を確かめて、明日も干す分と充分乾いた分に分ける。  街道からの分かれ道に行って看板を下ろした後、工房に戻って窓を閉じて鎧戸を閉める。  工房の方はこれで店じまい完了。  火の始末と戸締りをして、閂をかける。  家に戻って、灯りをつける。  街道を行く人の目印も兼ねているから、家の方は嵐でもない限り窓の鎧戸は閉めない。  取り込んだ洗濯を畳み、干し終えた薬草を袋に分けて入れる。  暖炉の火を大きくして、塩漬けの肉と野菜を適当な大きさにぶった切って、鍋に放り込む。  日中ずいぶん暖かかったとはいえ、まだ夜や明け方は冷えるから、煮込み料理がいいだろう。  夕刻は、それなりにすることが色々とあってバタバタと動き回る。  ひと段落ついたところで、気が付いた。  照葉が戻ってこない。 「まじかよ……」  窓の外は薄闇だ。  家は荒野の外れにある。  他の家はしばらく行った先にしかないので、夜の灯りといえば月明かりくらいしか望めない。  慣れていても、日が落ちきって暗闇になってしまうと照葉には歩きにくいだろう。  それに身体が冷えれば、動けなくなってしまうこともある。  思案してから、もう一度工房や家の周りに照葉の姿を探して、見当たらないことを確かめた。  建物の一番奥、一番大きくて日当たりのいい師匠の部屋の扉をたたく。  ここ最近、師匠は部屋に籠っていることが多い。  何かの研究をしているのか考え事をしているのかは知らないけれど、照葉がいないのを知らせずにいるわけにはいかない。 「師匠」  何度か扉をたたくと、師匠の声がした。  はっきりしているから、眠っていたり調子を崩したりしていたわけではなさそうだ。 「何だ?」 「師匠、照葉が戻りません。行先に心当たりはないですか?」  薄くあけられた隙間に声をかけたら、いきなり大きく扉が開かれた。 「どういうことだ?」 「わかりません。まだ戻らないんです」  舌打ちして師匠が部屋から出てくる。  ふわりと香る、濃い草の匂い。  師匠の部屋は薬の匂いが染みついている。 「……なんか……足りねえって言ってた気がする……」 「はい?」 「何かがないから、取りに行かないと……って、森だな」 「いってきます」 「夜長」 「探しに行きます。留守をお願いしてもいいですか?」  くしゃりと髪をかき混ぜて、苦い顔をした師匠は足音高く部屋を後にして居間に行く。 「暗いな……」  窓の外を確かめて、俺の顔をちらりと見やる。  止められる。  そう思ったとたんに、言葉が口から零れ落ちていた。 「俺なら平気です。いざとなったら、照葉を負ぶってでも連れて帰れます」 「ああ……そうだな。俺よか、お前の方がいいか」  俺に向かって外套と外歩き用の靴を身につけろと指示を出して、師匠はてきぱきと動き始めた。  壁に掛けられた雑嚢を手に取り、師匠が携帯用の薬やいくつかの道具を放り込む。  それから水筒に湯を入れて布でくるむと、それも荷物の中に入れた。 「帰らないのがお前なら、一晩くらいって言うとこなんだが、照葉だからな。いいか、無理はするな。灯と布を持って行け。照葉の荷があったらそのまま置いてこい。明日以降、拾いにいけばいい。お前らが無事に帰ってくるのが一番大事だからな」 「はい」  出来上がった荷物を俺に持たせ、扉を開けて、苦い顔で師匠が俺を送り出す。 「無事に戻れ」 「いってきます」  工房から緩やかな丘を下り、荒野の中を突っ切って途中集落と反対側に向かう道に入る。  もう少し早くに気がつけばよかった。  薄闇はどんどんと色を増して、暗闇が近づいてくる。  手にした灯一つが届く範囲など知れている。  この灯の届かないところに照葉が倒れていたとしたら、俺は気づかずに通り過ぎてしまうのかもしれない。  不安に思いながらも、足が急ぐのは止められない。 「照葉!」  分かれ道で灯を掲げてみたが、それらしい影はない。  探しながら森へ向かうか、一気に森までかけて探しながら戻るか。  一瞬、選択肢に迷う。  どっちにしろ照葉もこの道には慣れている。  よほどのことがない限り……。  いや。  慣れているはずの照葉が戻らないんだ、そのよほどのことが起こったと思うべきだな。 「照葉ぁー!」  向かう道も気に掛ける。  照葉が時々休むのに使っていた岩や、木の下も確認する。  荒野にはあまり動物はいない。  けれど、いない訳じゃない。  野盗が出ることだってある。  照葉は男だけど、だから安心ってわけじゃない。  呪い師を手中に収めるのは、力を手にすることと似ているらしくて、呪い師そのものを狙う人買いたちだって、どこかにはいるのだ。 「照葉、返事しろ!」  速足で駆ける。  日が暮れると気温が下がる。  もしも、動けなくなっていたら体温が奪われる。  照葉の発作が起きていたら、それは致命的だ。  もし怪我が重なっていたら、尚更。  照葉の脚では、杖がなければほとんど歩くことさえおぼつかない。  暗闇に杖をとられていたら、その場から動けなくなっているはずだ。  杖をなくしただけならまだいい。  もしも、怪我をしてしまっていたら?  ぐるぐると悪い想像だけが思い浮かぶ。 「あああああっ畜生、落ちつけ俺!」  べちん、と自分で自分の頬を張った。  悪い想像を言葉にはするな。  最悪の想定と悪い想像は違う。  もしもに備えるのと、自分を動けなくするのは違う。  頼むから。  無事でいてくれ。  照葉を守ってください。  大丈夫だ、俺が助ける。  だからそれまで、守ってください。  無事でいてくれと同時に、無事でいますようにと、誰かに願う。  深呼吸をしてから森へ向かう。  絶対に見つけて、連れて帰る。 「照葉!」  森の中は一際暗く、足元から冷えが上って来る。 「照葉! どこだ?」  野生の動物除けの香を灯の中に一つまみ落とし、声を出しながら森の中の歩く。  森とは言っても人が通る道のようなものはある。  そこから逸れていなければ、見つけるのはたやすいはず。  逸れていたら、探すのは難しくなる。  大丈夫だ、照葉も森に慣れているのだから、不用心なことはするはずがない。  大丈夫。  探しながら森の中を進む。  いつも傷薬に使う草の生えている、少し拓けた場所の奥に、照葉が休憩に使う場所がある。  踏み込んで灯を掲げたら、長靴のような影が見えた。 「照葉?!」  慌てて駆け寄った。  灯で確認する。  照葉だ。  くったりとあお向けになって、目を閉じている。  意識はないのか?  口元に耳を寄せる。  息、してる……。 「よ……かった……」  首筋に指を添わせて、鼓動を確かめる。  指先を握って温かいのを確認する。  血の匂いもないし、どこか痛めた様子もない。  怪我じゃなくて発作か?  力の抜けた身体を抱え起こし、膝の上に乗せる。  ぺちぺちと、その頬をたたいたら微かに反応が返ってきた。 「ん……? 夜長……?」  ゆるりとその瞼が開けられる。  ぼんやりとしたその焦点が、俺を認めたのを見て、ホッと力が抜けた。  無事だ。  ただ。  そのあとの、照葉の反応が。 「あれ、なんで? 何で夜長? え? つか、暗っ! 何? 何で暗いの?」 「はぁ?」 「なあ、何で夜だよ。夕方どこ行った?」 「……なにが?」  あまりの反応に、声が低くなるのは仕方ないよな、と思う。  こっちは心臓が止まりそうな思いをしていたっていうのに、何でこんなに呑気な反応なんだよ! 「夕方だよ、夕方。何でちょっと休憩しただけで、こんな真っ暗になってんだよ」  つまりあれか。  疲れたから昼寝してたら、寝過ごしちゃった、えへ。  っていう、オチか。 「……んの、阿呆が! 人に心配かけといて、ふざけたこと抜かしてんじゃねえ!」  

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