10 / 19
第10話 家に帰ろう
思わず怒鳴りつけたら、照葉が何が何だかわからないって、きょとんとした顔をした。
そら、そうだよな。
心配したのはこっちの勝手で、照葉にとってはちょっと疲れたから寝て起きただけだしな。
それでも。
怖かったんだ。
怒鳴りつけたのが八つ当たりだってことくらい気がついてる。
けれど、日が暮れても戻ってこなくて、見つけてみれば地面の上で目を閉じていて、またあんな風に俺の手の届かないうちに、目を閉じたままになるんじゃないかって、血の気が引いたんだ。
「心配させんな……ばかやろう」
支えていたその身体を、抱きしめた。
温かい。
若干冷えてはいるものの、ちゃんと血が巡っている。
照葉の身体の奥の温かさに、ホッと息をついた。
大丈夫、ちゃんと照葉はここにいる。
「……夜長?」
「んだよ」
「心配してくれたんだ」
「するに決まってんだろ」
「ありがと」
ためらうことなく照葉が俺の背に手を回す。
ぎゅうっと、そのまま抱き返してくる。
「ありがと、夜長」
「ああ」
抱きしめるというより、縋り付いている気分になった。
この温かい身体を、ここに留め置きたい。
ずっと、ここに。
俺の腕の中に。
「ごめんな」
「照葉?」
呟く声が震えていて、同じように照葉の身体が小さく震えているのに気が付いた。
照葉?
何だ?
やっぱりどこかに不調があったのか?
引きはがして様子を見ようとしても、照葉はますます手に力を入れて俺にしがみつく。
一瞬俺の方が縋り付いている気分になったけれど、これは違う。
思いっきりしがみつかれている。
「照葉、どうした?」
「ごめん。俺、夜長を縛り付けてる」
「は?」
「俺の身体がこんなだから、夜長はいつも俺の心配ばかりしてる」
すり。
照葉が俺の胸に額を摺り寄せた。
「わかってんのに、離せなくてごめん」
「照葉?」
離せなくてってどういう意味だ?
俺にすり寄ったまま照葉は離れようとしない。
でも今抱きついてることを言ってるんじゃない、ってことはわかる。
照葉と俺は、離れなくちゃいけないのか?
何故だ?
「照葉……」
「夜長、好きだ」
微かな声で呟かれた言葉。
きっと、家の中にいたなら生活の音にまぎれて聞き取れなかっただろう。
夜の森の中はそんな音さえ拾ってしまうほど、静寂が深い。
「好き。ごめん。ごめんなさい。家族にはなれない」
俺がずっと思っていたことと同じことを、震える声で照葉が言った。
「て……るは……」
聞こえた言葉に耳を疑った。
どくんと胸が震える。
きっと師匠は、照葉のことと照葉の身体と家を出た俺のことを思って、家でやきもきしているに違いない。
それなのに、俺ときたら。
今、照葉の口からこぼれた言葉の意味を問いただしたくて、確認して後戻りできなくなるのか怖くて、どうしようもなくなってる。
「師匠がオレたちのこと家族っていうたびに嬉しくなった。オレはもう一人じゃないって。夜長が優しいのも、身体のことがあるからだってわかっていたけど、嬉しかった。でも、それじゃだめなんだ。家族じゃねえのにって思ってるオレがいる。夜長を独り占めしたくて、今までみたいな、家族じゃない。そうじゃない夜長が欲しくて。夜長の気持ちはオレとは違うって思っても、師匠に申し訳なく思っても、止まんないんだ」
俺に口を挟ませないように、言いたいことは一気に言うのが、緊張したり興奮したりしている時の照葉の癖。
上手く息が継げなくて、必死に肩で息をしながら言葉を紡ぐ。
「ちょっと待て、おちつけ」
「落ち着いてる。こんな時じゃないとこんなこと言えねえ」
「いや、待て」
待て待て待て待て。
なんだこの俺にとって妙に都合のいい照葉の告白は。
夢か。
幻か。
幻聴か。
じゃ、なくて、落ち着け。
「お前もだけど、俺もだ」
違う違う話を聞いてオレは落ち着いてるってば、と繰り返して照葉が俺の胸をたたき暴れるのを、抱きしめる腕に力を入れて止める。
自分のクセわかってないだろ。
あんなに一気に言いたいこと言って、落ち着いてるわけがない。
だいたい、聞かされた俺だって、落ち着かねえ。
いや落ち着くとか落ち着かないとか言ってる場合じゃないって気もするけど。
でも、今、ちゃんと照葉と話さなきゃだめだって、それだけはわかるから。
むずかる照葉を抱きしめて、その背を撫でる。
照葉が落ち着きを取り戻して、腕の中で静かになるのを待って、それから、そっと離してその顔を覗き込んだ。
「照葉……あの、さ……」
目を合わせたら、その瞳が不安そうに揺れていた。
「家族じゃなくて、いいのか?」
「夜長?」
「俺はお前にとって、師匠の言っているような、家族じゃないんだ?」
「……ごめん」
確認だけ、する。
他の何よりも、そこが聞きたい。
照葉の瞳が潤んで揺れて伏せられてしまう前に、急いで囁いた。
「ありがとう」
「え?」
ぴたりと照葉が固まった。
瞳の表面に張っていた水分の膜が、目の縁で溜まっている。
固まったまま、ぱちりと目を見開いている照葉の口の端に、俺の唇を寄せた。
「よ、よよよよよよ、夜長?」
かわいい。
動揺してどもってやがる。
照葉が我に返れば、またじたばたと暴れるんだろう。
その前に、と手を頬に添えて今度は唇をふさいだ。
柔らかくて、温かい唇。
以前、おとぎ話をなぞらえて目を開けないかと唇を合わせた時には、カサカサとしていて柔らかいけれど冷たかった。
ちゅ、と上唇を啄む。
それから下唇を食んで、もう一度深く唇を合わせた。
ざざざざざ……と、梢を渡る風の音で、慌てて唇を離した。
あっぶねー。
もう少しで舌も入れての本気の口づけになるところだった。
俺に身体を預けたまま固まっていた照葉が、右手で自分の唇をなぞる。
「……夜長」
「好きだ。俺も、お前のこと好き」
「家族じゃなくて?」
「師匠に申し訳ないなぁと思う方向で」
家族愛だなんて方向ではなく、欲を持った方向で。
照葉を独り占めしたいと思う、そんな方向で。
お互いの性別とか、世間体とか、そういうのすっ飛ばした方向で。
「両想い……だったんだ? なんだ……もっと早く言えばよかった。夜長はいつも優しいから、わからなかった」
「お前だって言ってただろ。師匠は家族だと言ってくれていたし、お前がそれを喜んでいたのも知ってたからな……俺だって、言い辛かったんだ」
自分の指で唇を撫でながら、呆然と照葉が呟く。
こっちだって言いたかったさ。
言えるわけがないと思っていたから、腹の底にため込んでいただけで。
「ああ、そっか。じゃあ、これから家族になればいいんだ」
「は?」
「そうだよな。夫婦だって始まりは他人だものね」
照葉が笑った。
花が咲くような笑顔。
そういう言葉が浮かんでくるくらいに、晴れ晴れとした顔で、照葉が微笑んだ。
暗い森の中で手持ちの灯りしかないのが惜しいくらいだ。
俺が守りたいと、独り占めしたいと思っていた姿が、俺の腕の中にある。
「夫婦になろう、夜長」
「男同士デスガ?」
「夫婦になって家族になろう。すごいな、オレ、これでもう夜長とずっと一緒に居られるんだ」
俺の話を聞いているのかいないのか、楽しそうに照葉が言葉を紡ぐ。
何度も何度も、家族になろうずっと一緒にいようと、繰り返し。
本当に嬉しそうに笑いながら照葉が言う。
しょうがねえな……。
その浮かれっぷりが、とんでもないことを言うやつだとか困ったことを思いつきやがってとか、そんな風には思えなくて、可愛く思えてしまうとか、ホントに俺もしょうがない。
「で、どっちが旦那だ?」
「そこは色々と話し合おう。役割分担も、これからのことも」
「そか。じゃあ、まずは家に帰ろう、照葉。師匠が待ってる」
手を貸して立ち上がらせる。
摘んだ薬草の入った籠に、俺の持ってきた荷物を入れて俺がもつ。
照葉に杖を握らせ、反対の手を取った。
「ああ。家に帰ろう……師匠と俺達の家に」
ともだちにシェアしよう!