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第13話 師匠の名前

 いつも照葉の体をほぐすのに使う蒸した薬草をつめた枕と、寝る前に飲む薬湯を用意する。  それくらいは俺でもできる……薬湯の味の保証はしないけれど。  急いで用意した二人部屋には、移動する少し前に火を入れておいた。  湯たんぽも布団に入れておいたけれど、普段使っていないからか部屋全体がまだ少しひんやりとしている。  寝台で横になって照葉は少し寒そうにしていた。  薬草をつめた枕、それで寝台にうつぶせる照葉の身体をほぐす。  蒸らした熱が逃げないように照葉の背中に乗せておいてから、筋を丁寧になぞっていく。  いつものことだけど、杖をついて歩くという不自然な体の動きが、あちこちの筋肉をこわばらせている。  夕方に地面で眠ったことで体温が奪われたせいか、いつもよりもこわばりがきつい気がした。  少しでも照葉が楽になればいい、そう思いながら手を動かす。 「反対されるかと思ってた」  せっせと手を動かしながら、にやりと笑う師匠を思い出して、言葉がこぼれた。 「師匠?」  不思議そうに照葉が言う。 「ああ」 「そんなわけない」 「断言するんだ」 「する」  うつぶせているから枕に声が吸われて、もこもことした音になる。  はっきりとしゃべれていないのは、もしかしたら半分眠りかかっているからかもしれない。 「何でだ?」 「師匠も同じ穴のムジナだから」 「は?」 「夜長、知らねえの?」 「何が」 「師匠の名前」  もぐもぐと話していた照葉が意外だというように、枕から顔を上げて俺を見た。  やっぱり半分眠りかけていた顔をしていて、かわいい。  それにしても、師匠の名前? 『昔は別の名で呼ばれていた時もあったんだよ……長く人間やってると、それなりにいろいろとあるわけだ、クソガキ』  酔った時にそう言って笑っていたのは覚えている。 「名前が変わったのは、知ってるけど……」  今の師匠の名前は淡雪で、元の名前は知らない。  俺が聞いた時には教えてもらえなかった。 「だから、さ。師匠の名づけ親は、師匠の師匠。淡雪ってつけたのは、師匠の師匠」 「え?」 「知らなかったんだ? 師匠が選んだ伴侶は、自分の師匠だよ」  この工房と家を建てたという、師匠の師匠。  師匠が弟子をとり始めたころには、もういなくなってしまっていて、兄弟子たちもその顔を知らない人。 「あれ? 夜長も一緒に話したと思って……そうか、オレが寝込んでた時に話してくれたんだっけ?」  んー? と照葉は思い出すように首を傾げる。  俺は、薬草をつめた枕をよけて、照葉に寝間着を着せ付ける。  首元まできちんと閉じてから、寝る前に飲む薬湯を飲ませた。  俺が作ったから苦みがあったようで、照葉が盛大に眉を寄せて、慌てて水で口直しをする。  なんだよ大げさなと思ったけれど、ただでさえ苦い薬だから、口当たりが悪いとかなり飲みにくくなるんだろう。  口直しはしても文句を言わずに飲み干すだけでも、照葉は俺に甘い。 「ほら、話はいいから布団に入れよ」 「うん……そうだ、やっぱオレだけが聞いてんのかも」  布団にもぐりこみながら照葉が納得する。 「師匠はさ、自分の師匠が大好きで『押しかけ弟子』になったって言ってた」 「押しかけ……?」 「そう。押しかけ女房ならぬ押しかけ弟子」 「師匠なら、やりそうだな」 「十歳の子供だったって」  ……はあ?  十歳だと?  確かに俺もそれくらいの時に師匠のところに預けられたけれど、それは連れてこられたからで、自分で押しかけてきたじゃない。  その頃の自分が何を考えていたかを思い出してみたら、師匠の行動にはあんぐりと口を開けてしまう。 「マセガキ……」 「オレも同じこと言った。でも、一緒に居たくて、我慢できなかったんだって」  ああ、その感じはわかる……気がする。  十歳っていうのはませてると思うけど、一緒にいたくてどうしようもない感じは、わかる。  布団から顔だけを出して話している照葉は、少し顔色が悪くなり始めていた。 「その人が、師匠のためにこの建物を建てたんだって、嬉しそうだった」 「照葉」 「それまでは掘立小屋みたいな工房しかなくて、どうやって暮らしてたんだこの人って、師匠は思ったらしいよ。そんな人のとこで修行して、伴侶になって、名前をくれて、それから家を建ててくれたって。師匠のための家だって言ったんだってさ。どれだけ思いあっていても、自分は必ず先に死ぬから、そしたら弟子をとってこの家で過ごすようにって言われたんだって。絶対一人になるなって、家族を作れって、そう言われたって」 「照葉」  声をかけてから、部屋の隅に置かれていた椅子を寝台の横に持ってきて腰かけた。  うわごとみたいに一気に話をしようとする照葉の髪をそっと梳く。  ふわふわと柔らかい照葉の髪。  照葉は撫でられて嬉しいというように目を細めて、布団の隙間から手を差し出す。  その手を握ったら、指先が冷たくなってかすかに震えていた。  爪の色が青くなっている。 「寒いのか?」 「熱が上がる前って震えがくるだろ、あれがきた。大丈夫、もう少ししたら治まる」 「治まったら、熱が上がるんだろ?」 「でも、師匠が予告してたし、大丈夫な熱だから平気。すぐ下がるだろ」 「明日、ゆっくり話聞くから、もう休め」 「あー……うん、でも、寒い間は眠るの無理かも……」 「ったく」  まだ話足りないそぶりを見せてはいるものの、それよりも急な体調の悪化に腹の底が冷える。  いくら師匠が予告していたといったって、大丈夫と言われたって、こんな風にひどい顔色でいられたら心安らかにいられるわけがない。  寒がっている様子が急にひどくなってきたように見えて、隣の寝台から布団を引っぺがして、上からのせる。  少しでも治まればいいと、首元も抑え込んでおく。 「どうだ?」 「うん、少しまし。ごめん」 「謝るな」 「でも、ごめん」  収め直した手を、また布団の隙間から出してきて、照葉は俺の手を握る。  本当は寒いのだろう。  でも手を握っていないと心細くて仕方ないとでもいうように、ぎゅっと俺の手を握った。 「謝るな。家族、なんだろ」 「夜長?」 「師匠は二人でこの工房を継げって言った。これからもずっと、ここで家族として暮らせってことじゃねえの?」 「家族になってくれるの?」 「お前がさっき言ったんだろ? 夫婦になって家族になろうって。だから、俺に看病されるのも、慣れろ」 「なにそれ」 「家族が体調を崩したら、看病するのが当たり前だ。迷惑でもなんでもない」 「ああ、うん、そうだな」  片手を照葉に預けて、空いた手で照葉の髪を梳く。  気が高ぶっているのもわかるけど、少しでも眠りに近づけるために。  今が一番寒いけどすぐマシになるから、そういって照葉は歯の根を震わせる。  その様子が痛々しくて、寝台に乗って布団越しに照葉を抱きしめて、添い寝の体勢になった。  少し驚いた顔をした照葉が、すぐに嬉しそうにして俺に身体を寄せてくる。 「お前が寝込むのは仕方ない」 「ああ」 「疲れやすい体質なのも、とやかくいったって始まらない。だから、お前が家に居られるように、俺が外の仕事をする」 「師匠が行商にも連れて行くって言ってたな」 「そん時、お前は留守番だな」 「ちゃんと帰ってきてくれるなら、いいよ」 「帰ってくるさ、当たり前だろ」  照葉が目を閉じられるように、その瞼に口付けた。  布団ごと抱え込むように、照葉を抱きしめる。  帰ってくるさ、当たり前だろ。  師匠にとっても、俺にとっても。  ここは、俺たちの家、なんだから。  だから、早く元気になって。  ここで待ってろ。  どんなに遠くへ行っても、帰るよ。  必ず帰るよ。  お前が待ってる、この場所へ。

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