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第4話 特別列車

 ロンの膝が揺れるたび、そこに乗るシーザも一緒に跳ねる。冷たい金属の箱は、ガタガタと揺れながら、危険生物の巣窟である森をひた走る。 「シーザ、今度はそばを離れるなよ。……この列車は、この森の生き物にとってはただの移動式レストランだ」  ロンは呟く。シーザはケラケラと笑うかのように、小さな声で鳴きながらロンの首元で暴れている。 「……っはは、言うことを聞きやしない。全くお前は誰に似たんだ? この……っ、こら、シーザ」 「ニンゲンとは、実に珍しいですね」  低い声がして、ロンは顔を上げる。そこには、身長百センチメートルほどのネズミの獣人がいた。 「……ああ、すみません、他に生き物が乗っているとは思いませんでした」 「いやいや私もで。いつも私しか乗らなんで……声がして驚きましてね」  男はボックス席の向かい側に座ると、ロンの顔を見上げてぱっと笑った。 「やや、もしや、ロン先生で」 「……すみません、どこかでお会いしましたかね」 「いやいや、初対面です。私はブレウィズによく行きますからね……、先生の話はよく聞きます」 「ああ、それでですか」  ロンはにこりと笑う。男は白い耳をぴるぴる動かして、目を細めた。 「……先生が旅に出たと、その話題で持ちきりでしたよ」 「そうでしたか」  列車はガタガタと揺れている。この特別列車は、外からは不必要なほど大きく見えるが、実際には幾重にも重なった分厚い金属でできているため、車内は案外狭い。ネズミの男は特殊ガラスから見える景色をぼんやり見ながら、口を開いた。 「ミスターノアを追いかけていらっしゃるとか」 「……ミスターノア……もしや、彼のファンで?」 「あははは、ええ。この汽車で見たときに、もらったサインがありますで……」  男は帽子を取って、その裏側を見せた。帽子のつばには、まだ書き慣れていないように見える、ノアロのサインがあった。どうやら、かなり古いファンらしい。しかし、ノアロのファンとなれば、自分を一目見ただけでロンだと分かったことにも納得がいく。 「……ミスターノアは素晴らしい旅人です。我々小型生物の誇りですよ」 「……誇り……ですか」  ロンは小さく笑みを零す。男は目を瞬かせて首を傾げた。 「アイツをそんなふうに言う人に会うとは」 「皆さんおっしゃらないんで?」 「……あの街では、圧倒的に言わないやつが多いですね」 「そうですか。……はは、ブレウィズは真面目な街だから」  男は、足をふらふらさせながら、ロンの顔を覗き込む。 「……先生は、どっちでいらっしゃいます?」 「…………俺は……」  ロンは俯いた。 「……俺は、できることなら、他のことで人々の誇りになってほしかった」 「まぁ、先生の立場からすればそうでしょうな。ミスターは、夫を放ってあちこち放浪する遊び人だともっぱらの噂でした」  確かにその通りだなと、ロンは苦笑する。それから、席に深く腰掛けて、シーザの背を優しく撫でた。 「アイツはガキで、自由奔放で天邪鬼で…………脆い奴だった」 「へぇ……ミスターノアといえば怖いもの知らずのイメージですがね」 「……アイツは空元気が得意でね……。……それに、旅人ってのは馬鹿だからなあ……」 「ははは! 聞きたいですねぇ、自由と希望の旅人のミスターノアと、知の探求者ロン先生の話。なんでロン先生みたいな人が、あーんな破天荒なニンゲンを?」 「……人に話せるようなエピソードなど、持っておりませんよ」  そのとき、ガシャンと列車が大きく揺れた。シーザが服の下へ飛び込んできて、ロンは驚いて肩をすくめる。 「……はあ、珍しい。何かに攻撃されていますね」 「……アレは……リュウグウキリンだ」 「ええ! リュウグウキリンがこんなところに! 珍しいですね、いつもは森の奥にいるのに……」  ガコン、とまた列車が揺れる。硬い金属で覆われた特別列車は、リュウグウキリンの足程度では凹まないと言われているが、そんなものは大抵、"その程度の重圧に耐えられたことがあった"だけだ。場所が悪ければ貫かれかねない。ロンは狼狽えたが、ネズミの男は、はぁとため息をついて、椅子に広々場所を取って座った。 「……これじゃあ、当分動きませんよ。どうです、二人の馴れ初めでも何でもいいから、何かありませんか」 「本当に、楽しい話は何もないですよ」 「が、リュウグウキリンはしばらく列車をおもちゃにしますよ。暇つぶしの感覚で構いませんから」 「……馴れ初め……馴れ初めか。……ノアロが小さい頃からずっと隣にいるから、そんなものはなかったな……」  ロンは眉をひそめる。男は、ぽんと手を叩いて口を開いた。 「そういえば、ミスターは拾った子だそうで」  彼はゆっくりと椅子に座り直すと、腕を組んで、ロンの話を聞く体制を整えた。ロンは少しとまどいながら、おもむろに口を開いた。  「……先生、ニンゲンはどのくらいの大きさになれば言葉を喋るかね」 「え? ええと……そうだな……。かなり人によるが、大体七十センチくらいあれば……」  硬い尻尾の先を地面に打ちつけながら、男は首を傾げる。竜人の男は、名をチリカと言う。 「七十センチ……大体このくらいだが」 「ああ! ノアロのほうが大きい!」 「……ノアロ?」  チリカの横で、彼の妻が尻尾を一度強く打ち付け、顔を突き出してきた。 「この人、この前ニンゲンの子供を森から拾ってきたんですよ。ニンゲンは育てるのが難しいから無理だって言ってるのに、きかなくて」 「先生のような学者先生になるかもしれないだろう」 「なればいいですねぇ」  妻はめんどくさそうに顔をそらす。 「もしかしたら、今まで言葉を話してなかったせいで、言葉が分からないんじゃないか? この前と言っていたが、それはどのくらい前のことで?」  寿命が違う生き物にとって、「この前」などという曖昧な表現では何も伝わらない。ロンが尋ねると、二人は顔を見合わせた。 「二年前かね」 「三年前でしょう」  そら見ろ、とロンは苦笑した。それから、顎に手を当てて、少し考える。二年や三年育てていれば、拾った時点でいくら小さくとも、少しくらいは言葉を話すはずだ。 「……その、ノアロという奴……、会わせてもらえるかい」 「ああ、もちろんだ先生! 是非見てやってくれ!」  ロンは二人に連れられて、彼らの家を訪れた。ブレウィズの端にある、竜人たちの村は、石とレンガを積み上げて作られた大きな家が立ち並ぶ。その中にあるチリカの家も当然石造りで、部屋の中は冷たく、ニンゲンにはやや辛い環境だった。  チリカは、玄関とは反対側にある、黒い扉に手をかける。扉を開けると、そこには階段があった。階段の先は、鉄製の扉で固く閉ざされた地下室に繋がっていた。 「…………まさか、ここに?」 「ああ! ニンゲンは光に当たると、焦げるらしいじゃないか」  暗い部屋を覗き込み、ロンはため息をつきたい気分になってきた。ニンゲンという生き物は現代では大変珍しく、ほとんど目にする機会はない。そのため、偏った知識ばかりが巷に広まり、生き物たちがニンゲンについて正しく知る方法さえなくなりつつある。 「……ちゃんとした服さえ着ていれば、焼け死ぬことはない」 「そうなのかい、先生? だが、高い服は買えないからなぁ」  重たい扉を開けて地下室に入る。部屋の奥に、鎖に繋がれた、青い髪の少年が見えた。少年は、八歳から十歳ほどに見え、覇気はなく、身体はやせ細っていた。 「……あの子がノアロか?」 「そうだ」  少年の髪はサファイアのように青く、身体は陶器のように白い。まるで、ニンゲンではないようだ。少し近寄ると、少年はロンの後ろの二人を見て、顔に恐怖を滲ませた。その反応に、ロンは眉をひそめる。 「……チリカさん、俺と彼だけにしてくれるかい」 「ああ、もちろんもちろん! 先生ならね」  チリカはそう言って、妻と共に部屋から出ていった。  扉が閉まるのを確認してから、ロンは少年の方へ足を踏み出した。 「…………ノアロだな」  ノアロは、ぴくりと肩を震わせて、それから虚ろな目でロンを見た。一度ゆっくり瞬いて、その瞳がかすかに震えた。  鉛のような灰色。ゆらゆらととろけて揺れる様が、海のようだった。 「俺はロン。……クロバロンというフルネームだ。まあ、ロンとしか呼ばれないが」  ノアロの前に跪き、彼の腕を握る。彼は少しの抵抗もせず、ただ物珍しそうにロンを見つめていた。  ロンは彼の細い腕を見て、顔をしかめた。 「……痛そうだ。見せてみなさい」  ノアロの腕についた、無数の傷。古く、完全に塞がっているものから、血の滲む新しいものまで、そのどれもが、全て"✕"の形になっていた。  ロンは俯く。これは、思考のない生き物の行動ではない。 「……お前、聞いてたより賢いな」  ロンの言葉に、ノアロは目を見開いた。 「…………こんなところに詰められて、嫌だったろう」  ロンは少年の小さな手のひらを、そっと握りこんだ。空のような髪を揺らして、ノアロはロンを見上げる。 「……彼を恨んでくれるなよ。皆無知なんだ。ニンゲンなんて珍しいからな。許してやらなくていいから、分かってやってくれ」  少年は、光のない瞳でロンを見つめる。ロンは彼から手を離し、立ち上がろうと片膝を立てた。  その時突然、ロンの手首が掴まれた。驚いた彼の視線の先で、その小さな口が、かすかに動いた。 「…………たすけて」  ノアロの腕がロンの肩に伸び、回される。仄かな、しかし確かな人の体温に、ロンは目を見開いた。少年の腕に頭を引き寄せられて、ロンはがくんと膝をつく。  ロンの身体には、まるで力が入らなかった。自分を包みこむ生き物の温度に、ロンはただ震えた。  恐る恐る、ロンはその手をノアロの背に回した。それから、骨を感じる細い背中を、優しく撫でる。ノアロは目を伏せ、ロンにすり寄った。  ロンは地下室から出ると、すぐにチリカとその妻の元へ向かった。ロンはチリカの前に立つと、まっすぐに彼を見つめた。 「ああ先生、ノアロは……」 「チリカさん、ノアロを、俺にくれないか」 「ええっ、それは……」  突然のことに、チリカは驚いた顔をした。その横で妻が嬉しそうに目を細める。 「いいじゃないですか、どうせ育てられないんですよ」 「うーん……。なぜだい先生」  チリカはロンを見下ろした。自分の倍くらいある生き物に対し、ロンは物怖じせず、まっすぐに彼を見つめ返す。 「……俺の元で、治療と勉強をさせたい」  チリカは顎に手を当てて、迷っているような素振りを見せた。やはり、彼にとってあの子供は、絶対に手放せないものではないらしい。  ロンは一度目を閉じ、ゆっくりと開いた。 「もちろん、対価は払う。金でも知恵でも構わない。俺の持ち得るもので、あなたの欲しいものなら、なんでも。何と交換なら、あの子を俺にくれますか?」 「うーん……。ああ、なら先生、最近庭の作物が育たなくて困っているんだが……」 「見せてくれ」  ロンが悪事を働いたのは、人生でこの一度きりである。ロンは、竜人の知能がどの程度かよく知っていた。彼らが、この知識にはどの程度の値がついていて、あの少年にどれだけの値がついているかなど、知らないことを、ロンは知っていた。  二人の欲しい知識を渡すと、彼らは簡単にノアロを引き渡した。やはり、ノアロに何か愛着があるわけではなく、珍しい生き物であったため、他人に渡すのを躊躇っただけらしい。ノアロを渡すとき、彼らは少しも表情を曇らせることはなかった。  ロンはノアロを抱えて家に連れ帰ると、風呂に入れ、自分の遮光服を着せてソファーの上に座らせた。 「……怪我、見せてみなさい」  ノアロはおとなしく腕を持ち上げる。細い腕についた、無数の赤い傷。ロンは薬を塗ってから、傷口をひとつひとつ、特殊なガーゼで塞いでいった。  よく見れば、ノアロの爪はボロボロで、黒い血がついていた。あの暗い部屋で、この子どもは、日に当たることも風を感じることもなく、ただ自分を傷つけて数年を過ごしていたのだろう。 「これ、痛いか?」  尋ねると、ノアロは俯いたまま首を振った。  ロンは、先程からずっと下を向いているノアロを不思議に思い、顔をのぞきこんだ。 「……眩しいか?」  ノアロは首を振り、慌てた様子で顔を上げた。しかし、目を細めたり、瞬きを繰り返したりして、一向に光に慣れる気配がない。ロンはサングラスを探してくると、それを彼にかけさせた。 「貰いもんだが、上等なやつだ。……子ども用じゃないが、ないよりマシだろう」  ロンは窓から、街の中心部にある掲揚台を見つめた。旗のついていない鉄の棒だけが、ぽつんと立っている。 「注意報は……出てないな」  鞄を抱えると、ロンは扉に手をかけた。ノアロが慌てて立ち上がり、ロンの側までよたよたと駆けてくる。 「……少し出てくる。必要なものを買うだけだ」  声をかけたが、ノアロは首を振り、ロンの腰にしがみついた。 「……ついてきたいのか」  ノアロは小さく頷いた。仕方なく、ロンはノアロの足に厚手の布を巻きつけて紐で結ぶ。 「靴の代わりだ。俺の靴は履けないだろう」  ロンはノアロを引き連れて、階段を降り、街の中心部へ向かった。服の裾を引きずらないよう、小さな手に重たい布を持ち上げて歩くノアロは、かなり歩きにくそうだった。 「……少し止まりなさい」  ロンはそう言って、ノアロの服の背中側を結んだ。かなり不格好だが、元から不格好だったので、気にすることではないだろうと、ロンはまた歩き出す。  街の中心部は、普段よりも賑わっていた。多くの生き物で、道がごった返している。 「……ああ、今日は酷いな……」  この様子では面倒事が起こりそうだと、ロンはため息をついた。  大通りにさしかかったとき、ロンの右腕が弱い力で引っ張られた。 「……どうした、ノアロ」  突然、彼はその場で、耳を押さえてうずくまった。ロンはしゃがみ込み、ノアロの背を擦る。 「……おや、先生、どうしたんだいそれ」  人混みの中から、イヌの獣人が現れて、そう尋ねてきた。 「……今日からうちに住む子どもだ」 「はぁ……大変だねぇ先生も」 「……大丈夫か、ノアロ」  ノアロは、ふらふらと揺れている。目の焦点が定まらず、顔色が悪い。仕方なく、ロンはノアロを抱き上げた。 「人混みがうるさいのなら、耳を押さえていなさい」  ノアロはぎゅっと耳を押さえ、青い顔で息を吐く。 「…………目を閉じて、呼吸はできるだけゆっくり」  ノアロは言われた通りに、目を閉じてゆっくりと息を吸った。ノアロを抱えたまま、ロンは歩き始める。  しばらくすると、ノアロの呼吸は落ち着いた。ロンは片手で、目的地の扉を開いた。 「……あら、誰かと思えば先生!」  店に入った二人を振り返ったのは、白ウサギの獣人だった。ポケットのたくさんついたエプロンを着ており、そのポケットからメジャーやハサミが見えていた。 「……どうも、シレーネさん。服を買わせてほしいんだが」 「二足歩行小型生物ね! 任せて、探してくるわ。……ニンゲンに尻尾はあるんだったかしら?」 「悪いが、俺じゃない」  ロンはノアロを床におろした。まだ混乱しているのか、立たされたノアロはふらふらと揺れた。 「……大丈夫か」 「あら、子供服ね!」  シレーネはふわふわの手でノアロの肩を掴んだ。ノアロはビクリと飛び跳ねて、ロンの腰に擦り寄った。 「ああ。頼めるか」 「任せてちょうだい! さ、サイズを測りましょうか、ニンゲンちゃん」  シレーネに手を引かれて、ノアロは奥へ進んでいく。ロンも、後ろからゆっくりと付いていった。 「さ、ニンゲンちゃん。まずはその服を脱ぎましょうか」 「ノアロという名前だ。できれば、軽くて日光や雨になるべく耐えられる素材にしてほしい。ブラックドッグとか……ヨロイメンカとか」 「ヨロイメンカは今はないわ……今年は不作だったみたいよ。ブラックドッグならあるけど……高いわよ?」 「それでいい。三着買う」  ノアロは採寸を済ませると、すぐにロンの方へよたよたと駆けてきた。メモを取りながら、シレーネはロンに話しかけてくる。 「……その子どうしたの? 随分小さいニンゲンね」 「貰ったんだ」 「あら、先生寂しがりだから丁度いいじゃない」  シレーネはからからと笑って、メモ用紙を壁に貼り付けた。ロンは、何か言いたげにシレーネを見つめたが、彼女はそれには気づかないふりをして、ロンの方へ寄ってきた。 「……さて、作り上がったら先生のところまで呼びに行くわ」 「ああ、助かるよ」  ロンはシレーネに金を渡す。シレーネはそれを瓶に入れて蓋をした。  ロンとノアロは店を出た。目の前の道は相変わらず人通りが多く、ロンはノアロが心配になって、彼の顔をちらりと見た。 「運ぼうか」  ノアロはすぐに首を振った。それならと、二人は手をつなぎ、横並びになって歩く。  ロンはノアロの横顔をじっと見つめた。この子は、言われた言葉の意味をしっかり理解しているし、彼自身の意思もちゃんと示せている。喋らないのは、ただ喋りたくないからだろう。 「……よし、美味いもんを食べて帰ろうか、ノアロ」  ロンが笑いかけると、ノアロは首を傾げ、それから小さく頷いた。  二人は大通りをそれて、一本の大きなヤドノキにかけられた階段を上っていく。ノアロはきょろきょろとあたりを見回しながら、ロンに手を引かれて歩いた。 「こんばんは、トートンさん。今入れるかな」  てっぺんまであと半分くらいのところで、ロンは幹にぽっかり空いた穴に向かって声をかけた。穴の中では、皮膚から直接花の咲いた男が、フライパンと向かい合っていた。彼は、花人(かじん)という、体中に花が咲く生き物だ。 「ああ、先生! 丁度いいところに! ブタが手に入ったんだ! 食べていかないか?」 「ブタ……ブタだって?」  トートンの言葉に、ロンはぱっと顔を明るくする。 「よかったなノアロ! ブタだってよ!」  ノアロは、キョトンとした顔でロンを見上げた。トートンは、そんなロンを見て笑う。彼が笑うと、彼の皮膚から花が咲いた。  彼らの花は、実は皮膚の一部であり、花ではない。花人の感情に合わせて、花は咲いたり蕾になったりする。 「っはは、俺たちはツイてるな!」 「先生はこういうときが一番楽しそうだ」 「そりゃそうさ、当たり前だろう」  ロンは席について、背もたれに寄りかかった。 「いい仕事とうまい飯、それさえあればニンゲンは幸せさ」  ロンはくつくつと笑みをこぼす。ノアロの灰の目は、じっとロンを見つめていた。  しばらくして、トートンが料理を運んでくる。料理を小さな皿に取り分けて、ロンはノアロに差し出した。 「ノアロ、ほら、食べてみなさい」 「先生、ソレはノアロという生き物なのかい? 初めて聞くね」 「ニンゲンだよ」  ロンはケラケラ笑う。トートンは不思議そうに首を傾げた。 「ニンゲン? 髪が青いのにかい?」 「あー、確かに、これはなんだろうな……。突然変異か?」 「突然……?」 「ニンゲンだが、何かの影響で髪が青くなったようだ、と言っているんだ。何の影響かは分からないが……」  ノアロは、手を止めたまま、じっと自分の髪の毛を見ていた。 「だが綺麗な髪だろう。まるでオオルリのようだ」  ロンはノアロの髪を撫で、ふっと笑った。 「先生、オオルリってなんだい?」 「鳥の一種だよ。青い鳥だ。今は……実物は残っていないだろうが」 「ばい……ばいおう……」 「培養生物か。うーん、それも厳しいだろうな。絶滅したのは大昔だから」 「じゃあ、こいつとそのオオ……リリ? ってのを見比べるのはできないんだな」 「少なくとも、実物同士じゃ無理だろうな」  ロンは少し寂しそうな声でそう言った。 「ゆっくりしていってくれよ、今日はな、デザートも出せる」 「お、そりゃいいな」  ロンとトートンの話には興味がないのか、ノアロはもくもくと飯を口に運ぶ。 「あまり無理して食うなよ、吐くぞ」  ロンはそう言いながら、自分の料理を食べる。久しぶりに食べた肉の味に、思わず笑みがこぼれた。  ノアロは、フォークを器用に使って飯を食べる。随分使い慣れた様子だ。 「……お前、カトラリーは使えるんだな」  言われて、ノアロはちらりとロンを見上げた。 「……三年前まで、お前は普通に暮らしていたんだろう。何があって、竜人のところへ?」  ロンは尋ねたが、答えたくないのか、ノアロは返事もせずに料理を口に運ぶ。ロンは吹き出すように笑って、ノアロの頭を撫でた。 「…………ははっ。なんだ、そんなにうまいか? よかったな、ノアロ」  ノアロは顔を上げて、柔らかく微笑む。光を反射して虹色に光る灰の瞳から、涙がこぼれた。 「……おいしい」  かすれて滲んだ、微かな声。  ロンは目を伏せて、嬉しそうに微笑んだ。 「なによりだ」  ロンはぽんぽんと、ノアロの頭を優しく撫でた。  「……へぇ、それでノアロが、先生の家に来て、先生の務める学校に入学したわけですね」  男は何度も頷きながら、心底いい話を聞いたとでもいいたげに腕を組み、椅子に深く座った。 「ええ。……アイツは、賢かったんだが、どうも変わっててな……」  ロンは苦笑する。 「授業中に抜け出す癖は、最後まで治らなんだな……」 「はは、ロン先生、手のかかる奴ほどかわいい、みたいな顔ですな。……確か、ミスターは学校を中退されたんでしたっけ」  ロンは男を見て、へらっと笑った。 「……そうなんです。……俺は、あいつに学者になってほしかったんだがなぁ」  ノアロを拾ったとき、自分はずっとこの子どもと暮らすのだと、ほんの少し思っていた。どんな仕事に就いても、この街を出ることはないと思っていた。まさか、あの幼く脆い子どもが、一年の半分以上を、外で死と共に暮らすようになるとは。 「…………まあ、これはただの俺のわがままで、やはりアイツは、旅をしているときが一番輝いてる」  鈍色の瞳が、太陽の光を浴びて七色に煌き、青い髪が一気に風になびく。白い頬に血が通い、薄い唇の隙間から、真っ白な歯が僅かに見える。 「貴方はやはり、ミスターの夫だ」  男は微笑んだ。  そのとき、ガコンと車内が揺れた。ロンの膝の上で、シーザが飛び起きる。ゆっくりと、列車が動き始めた。 「……おや、動き出したようですね」 「……はあ、死ななくてよかった。アイツに会えなくなったら困るからな」 「ははは! ミスターノアも、昔全く同じことを言っていましたよ……」  そこまで口にしたとき、彼の赤い瞳から、ぽろっと涙がこぼれた。 「……ああ、失礼。そんなつもりでは……」  彼は額を押さえ、口の端だけで笑った。 「本物の憧れだったもんで……」  はっとして、ロンは写真を捲る。三枚捲ったところで手を止め、その写真をひっくり返し、手書きの文字に目を通した。 「……よければ、これを。これはきっと、俺宛ではないです」  ネズミの男はゆっくりと、その写真に手を伸ばす。その裏には、「旅の友、元気で! ありがとう」と短い別れの言葉が綴られていた。 「……さん、アイツによくしてくれて、ありがとう」  ノアロから、最もよく名を聞いた。気の合う奴だと、列車仲間だと、彼は何度も教えてくれた。  男は、涙を堪えながら笑った。 「……はは、私の名前をご存知でしたか……」 「……ノアロが、生き物(ひと)のことを楽しそうに語ることなんか、滅多にありませんから」  会えてよかった。ロンは心から、そう思った。  ヴェラシエは、写真をきゅっと握りしめ、俯いた。 「…………ああ、こんな写真を、まだ持っていらっしゃったか……。全く義理堅い人だ……」  写真の中の、まだ幼さの残る青い髪の少年は、若いネズミの男を抱きかかえ、顔をくしゃくしゃに歪めて笑っていた。まるで、小さな子どもが戯れているかのように、少年たちは軽快に笑い合っていた。

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