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第8話 監視小屋C09

 カタカタと小さな機械音がしている。モーターの回るような音だ。ぼんやりと、目の前に光を感じる。 「……………意識回復。ロン、おい、ロン」 「ん、ん……?」  肩を揺さぶられ、ロンは、ゆっくりと目を開く。目の前にいたのは、見覚えのある機械人間だった。 「…………ミラ……?」 「そうだ。ロン、久しぶりに会ったな」  久々に聞いたミラの声に、鉄の匂いがした。ロンは目を瞬かせる。ロンは鈍い動きで辺りを見回した。 「……ここ、は……」 「俺の監視小屋だ」 「……監視小屋……? 監視官になったのか……? お前は培養センターの職員だろう……?」  監視官は、その名の通り監視をする仕事である。監視対象は主に、森や未開拓地域、生態の分からない珍しい生物などだ。生身の生き物には危険な場所も多く、大抵は機械人間――主に仕事のない、もしくは犯罪を犯した機械人間が割り当てられる。 「……まさか、ノアロを……俺を助けたから飛ばされたのか……?」 「何故それをお前が知っているんだ?」 「…………本当だ。なぜ俺がそんなことを」  意識を失ったロンが見ていた夢に似たものは、まるで自分が見たもの、聞いたものであるかのようにロンの頭にあった。しかし、当然ながら、あれは自分の記憶ではない。 「もしかして、妖精に何か見せられたのか? お前が倒れていたのは、記憶の妖精の生息地だったから」 「……記憶の妖精か……。ノアが昔言っていたな……他人の記憶を感じるのは面白いから、そいつらにはわざと捕まるんだと」 「あいつは本当に馬鹿だな」  ミラの言葉はまるで呆れているかのようだった。 「記憶の妖精たちは通った生き物を惑わせて記憶を覗き見るのが生き甲斐なんだ。どういう仕組みかは、解明されてないが」 「カビを使ってるという話もあったな……」 「ああ、それが一番有力な説だ」  ロンは目を閉じて、ふっと笑った。 「…………そう、か……。あれはじゃあ、ノアロの記憶だったんだな……どうりで、知らないことばかりなはずだ」 「あまり考えると頭がヒートする。身体は起こせるか?」  ロンはゆっくりと体を起こし、ミラと真っ直ぐ向かい合った。少しだけ古くなったように見えるその顔を、ゆったりと見つめる。 「…………ミラ、本当に久しいな。さっきの話だが……お前は妖精の森の監視官になったのか?」 「ああ。お前に治療を施すために、無断で施設の薬を持ち出したら、クビになった」 「ああ、あれは無断だったのか。……悪かったな」 「構わない。俺の時間は半永久的だ。生きているもののために消費するべきものだろう」  ミラは淡々とそういった。ロンは膝に手を置いて、ゆっくりと頭を下げる。 「……二度も助けてくれてありがとう」 「たまたまカメラにお前が映った。ネズミがお前に食べ物を運んでいるのが見えたんだ」 「ネズミ……そうだ、シーザは……!」  キュ、と小さな声がして、ロンの膝の上に何か乗った。見ると、シーザが得意げな顔をしていた。 「連れてきたときには怪我をしていたが、もう治っているよ」 「……ああ……ありがとう、ミラ。本当に、お前には助けられてばかりだ」  ロンはミラの手を両手で握る。ミラは構わないと首を振った。 「カメラは普通動くものを追う。こいつがいなければ見つけられなかった」 「ありがとう、シーザ」  シーザは嬉しそうにロンの手のひらに頭を擦り寄せ、膝の上で丸くなった。 「森には十五のカメラがある。その映像は、全て俺の意識に飛んでいる。基本的にずっと妖精を写すが、珍しい動物がカメラの前を通ったら、対象を切り替えるようにしている。それで見つけた」 「……十五のカメラの映像が、一気に見えるのか……?」  ロンは驚いて目を見開いた。その顔を見て、ミラは珍しく、少しだけ言葉を詰まらせた。 「…………俺たちはニンゲンじゃないからな」  ミラは呟いた。 「お前が妖精に惑わされているとき、カメラの前を通っていれば、もっとよかったんだが。妖精も、カメラの機能には気が付いているらしいな」  ずる賢い生き物だからと、ミラは呟く。妖精の監視は、なかなか骨が折れそうだとロンはぼんやり思った。 「ロン、お前ここへ何をしに来たんだ」 「……これだ、ミラ」  ミラにノアロから届いた手紙を手渡すと、彼は二枚ペラペラとめくって、すぐに頷いた。 「なるほど、跡追旅行か」 「……そうなるな」  ロンはほんの少しだけ笑って、彼から目を逸らした。  ミラの監視小屋は狭く、連絡用の机とベッド、それから中央に花瓶の置かれた机が一つあるだけで、部屋がぎゅうぎゅうに見えた。いかにも、機械人間の家らしい広さと間取りだ。しかし、壁には青い水面のような絵画がかけられていたり、彼らには必要ないはずの美しい柄の毛布が置かれていたりと、この部屋は、どこかニンゲン的な感性を感じさせる。 「お前の部屋は随分ニンゲン的だな、ミラ。絵画まである」 「あれは、昔の俺がお前たちが抱き合う姿を見たときの感情を描いたものだ。今の俺には、何も感じられない」  ミラは言った。それから、窓の外を眺めながら言葉を続ける。 「もう何も分からない。ただ、ずっとここで監視をしている」 「…………いつから、そんな状態だ?」 「ノアロが最後にここへ来たときには、もう」  ロンは言葉を失った。感情が入り乱れ、今、自分がどういう表情を浮かべているのか、全く見当もつかない。しかし、寂しさだけは、確かにロンの胸の隅にひっそりと在った。 「…………ノアは、なんと言っていた? 俺の見たアイツの記憶では、お前が感情を忘れたら、お前を殺すと言っていた」 「そうだ、アイツはそう言った」  ミラは言う。ロンはミラのことをじっと見つめた。 「だが、感情を失くした俺に、アイツが問いかけた。『辛いか』と」 「……それで、どうした?」 「『辛くはない』と答えたら、『幸せは日々変化するものだ。昔望んだ幸せが、今の幸せとは限らない』と言っていた」  ロンは俯く。長い睫毛の下で、黒い瞳は揺れた。 「…………ノアは、今のお前の幸せが、この状況だと判断したのか」  ロンは呟いた。目の合わないロンの顔を覗き込むように、ミラは身体を傾ける。 「確かに俺は辛くはない。しかし、昔の俺はこうなることを嫌がっていた。今の俺には分からない。だが、この絵を見て嗚咽を漏らすような自分がいて、その頃の自分は今の俺のような状況を拒んでいたのは、確かなんだ」  ミラははっきりと呟いた。ロンは手を組み、指を絡める。俯いたまま、彼は口を開いた。 「…………俺は……、俺には、今のお前は幸せには見えない。だが、かと言って死にたがっていないお前を殺すことも、正しいと思えない」  ロンは顔を上げる。ミラの瞳をまっすぐに見つめた。そのレンズからはもう、感情の影さえ感じることができない。ロンはベッド脇に掛けてあった上着を掴んで、ポケットを漁った。 「…………これ、ノアロからだ」  ロンは一枚の写真を取り出した。森の中で、真っ直ぐにただ立っているミラの写真だ。  裏に返すと、汚い文字が「ごめん」と言っていた。 「……俺には、お前をどうすべきか分からない。だが、ノアロは、お前を殺していないことを後悔したようだ」  暫くの間、ミラは写真をじっと見つめ、少しも動かなかった。彼が今、その電子回路で何を思っているのか、ロンには分からない。ただ、ミラはその写真を眺め、そっと、少しだけ指を滑らせた。 「これ、俺宛ではないだろう」  ミラは呟いた。 「昔の俺宛だ。絶対に」  ロンは驚いて固まった。機械人間が、ニンゲンの心を読み取って、自分なりの理解を示した。経験から計算された結果だとしても、それは、今までの機械人間とは確かに違っていた。 「決めた。ロン、俺を明日殺してくれ」 「は……?」  立て続けに驚かされて、ロンは間抜けな声を上げた。ミラを見て、ロンは狼狽える。 「……お、お前、俺にそんなことを、突然……」 「もう既に死んでいるような身だ。元々、研究所の職員にするために機械化されただけで、俺は、永遠も、この身体も、欲しくて得たものではなかった」 「だが……、しかしな……」 「それに、ノアロの地図では、この先ガスマスクが必要だろう。それを作ってくれる技術士がいるから、彼に俺の身体を渡せ。そうすれば、安く手に入る」  ミラは淡々とそんなことを言った。 「技術士のところまで案内してやるから、そこで俺を殺してくれ」  ミラは他の機械人間とは違って、未だ感情の欠片を持っているのだと、ほんの少し思っていた。けれど、科学に、そんな奇跡は起きやしない。  ロンは心の奥で寂しさを覚えた。 「……そうか。お前はやはり、機械なんだな」  ミラは、研究所の職員の中では、かなりニンゲンに近い男だった。研究所で生まれ育ったロンにとって、感情に似たものを持って接してくれる生き物は、かなり特殊な存在だった。 「…………ならばそうだな、俺が、お前の電源を落としてやろう。……悲しいが、友の旅立ちを、俺が見届けられるのだと思うと、幾分かマシだ」 「ありがとう、ロン。かつての俺が、喜ぶだろう」  ミラはカシャンと首を動かし、少し傾けた。 「それまで喋ろうか、ロン。俺の知っている知識をありったけ話せば、何か役に立つだろう」 「助かるよ、ミラ」  ロンは微笑む。 「しかし、まずは食べ物をやらないと。ニンゲンが食べられるものを森からとってくるよ」 「あっ、ミラ、俺も手伝う。お前の知ってる、ニンゲンの食べられるものを教えてほしい」  ミラは頷き、ロンの体を支えて立ち上がらせた。 「大丈夫か」 「ありがとう。そんなに弱っちゃいないみたいだ」 「マザーフェアリーの毒の対処がもっと甘かったら、きっと今頃死んでいた。お前が知識の人だから助かったんだ」  ロンは少しはにかんだ。  二人は小屋を出て、森の中を進んだ。森の木々の後ろから、妖精たちがにたにた笑ってこちらを見ている。 「……はあ、気味悪いな」 「お前がよほど面白く見えるのだろう。感情も記憶も何もかも消え失せた俺がここを歩いていても、あいつらは知らん顔をする」  ミラは言った。それから、辺りの木々を見渡して、オレンジ色の果実に手を伸ばす。 「先生、これは食べられる果実だ」 「これが?」 「ああ。ワインにもなっているはずだ。コルネーというワインだ。ブレウィズにもあるだろう」 「ああ、じゃあ、これがミリネンか」 「よく知っているな。頭にメモリーチップがあるわけでもないのに」 「文字知識だけだ。あまり旅では役に立たない」  ロンは目を伏せて笑った。ミリネンの実を摘みとりながら、ミラが呟く。 「そういえば、ノアロが初めてここへ来たとき、酒を飲ませたんだが、端から端まで、ずっとお前の話をしていたよ」 「ハハッ、アイツに酒を? 面白いくらい酔っ払っただろう。 何の話をしていたんだ?」 「『先生はセックスをするときに背中をボロボロにしてくれる』と」 「お、前……ッ!」  ロンは驚いて飛び跳ね、ミラを見た。ミラは当然ながら平然とした顔をして、ロンの方に首をひねった。 「嘘じゃない」 「いや、違……、そんなことを言っているんじゃなくて……、いや、ノアロの奴……」  きっと酒を飲んで口が軽くなったのだろう。しかし、わざわざ機械人間に性の話をするとは。  ロンは目を伏せ、少し顔を赤らめて苦笑いを浮かべた。 「……はぁ。……はは……。ノアがそんなことをな……」 「アイツ、被虐性欲でもあるのか?」 「…………まぁ似たようなところだ。じゃなきゃ旅人なんかにならないだろう」  ロンは呟いてため息をつく。ロンが木に手を伸ばしたのを見て、ミラも前を向いた。  「……ノア、飲みすぎだ」 「……はは、せんせい、視界が回るよ」 「だから、飲みすぎだと言ってるだろう」 「先生、こっち来て」  ノアロはふらふらとソファーに座って、ロンに腕を伸ばす。グラスを持ったロンが少しだけ近寄ると、彼はロンの腕を掴んでぐいと自分の方へ引っ張った。 「うぉっ、おい酔っ払い!」  ノアロはロンの体を抱きしめる。腕を伸ばしてなんとかワイングラスを机の上に置き、ロンは床に膝をついた。 「酒はいいなぁ、少し飲めば簡単に内臓がやられているのが分かるぜ」 「……ノアロ」 「怒んないでよ、先生。俺はこういうニンゲンなのだぁ」  ノアロはケラケラと笑って、ロンの体を引っ張った。ノアロは寝転がり、ロンはノアロの上に乗り上げるほかなくなった。  腕と膝を立てて、ノアロに覆い被さる。ノアロはくつくつと楽しそうに笑った。 「……はあ、いいなあ。見上げる先生は格別だ」 「おい、触るな、くすぐったい」  自分の太ももに這っているノアロの手をはらって、ロンは眉をひそめる。ノアロはそんなことなど気にもとめず、恍惚とした表情でロンを見上げていた。 「……うん、先生は綺麗だなぁ。いろんなニンゲンを見たけれど、やっぱり、先生が一番綺麗だ」  ロンはノアロを見下ろした。肩下まで伸びた灰がかった青髪がソファーの上に流れ、月明かりがそれをきらきらと照らしている。星空のようなこの髪と、海のような灰の瞳が、今自分の下にある。ロンはその髪を指で持ち上げた。 「…………伸びたな、髪が」 「そうかな? 明日切ってよ」 「明後日な」 「…………はは、俺が出ていくのを引き延ばしてるんだ……」  ノアロは呟いた。それから、ロンの頭を優しい手つきで撫で、黒髪を手ですいた。 「……先生はまだ寂しい? 今は先生にはシーザもいるし、シーザの子どももいっぱいいるだろう。街の人だって先生のことを大好きだし、街の外の人だって、先生に会いに来る」 「だが、どいつもお前じゃない」  ロンはすぐにそう言った。青い髪を愛おしそうに撫で、目を伏せるロンに、ノアロは笑った。 「…………先生ってわがままぁ」 「俺がわがままだと?」  ロンはノアロの身体に手を伸ばし、その腰をくすぐった。 「わっ、ははは! ……先生ってアレだよな、ガキっぽいよなぁ」 「ガキと暮らしてるからな」  ノアロはにやりと笑う。 「……旅人なんてみーんなガキだよ。がきんちょだ。ジャリ砂小石なのさ」 「おい、このガキ、身体をまさぐるのをやめろ」 「ふふ…………せぇんせ……」  ノアロはロンの口にキスをする。舌が絡まり、酒の匂いに、熱が燻る。 「……先生」  ノアロはにこりと微笑んで、ロンの身体と自分の身体を入れ替えた。ロンのズボンに手をかける。 「おい、お前吐くほど酒を飲んだだろうが」 「……大丈夫、勃つよ」 「そういうことを言ってるんじゃない! ……やめろ、このガキ……、おとなしく寝ろ……!」 「先生……」  ノアロはロンの髪の毛を解いて、その毛先に口付ける。 「ガキなんて酷いなぁ、俺はこんなに先生を好きな男なのに」  ノアロの表情は暗く、服の隙間で、治っていたはずの傷が赤く濡れていた。  ロンはノアロの腕を撫で、それに擦り寄った。 「……ガキだよ、自分の心を傷つけてしまうようなヤツは」  ノアロの腕の傷のそばを指でなぞり、手のひらに頬を擦り付ける。 「だが、ガキでこそお前なんだ」  ロンはゆっくりとノアロの頭を引き寄せる。ノアロの額と自分の額がくっついて、じんと温まった。 「……今回はどうしたんだ。何か嫌なことでもあったのか」 「…………なんで」 「帰ってきてすぐに求められたものがセックスじゃなかったからな。……仕事に行ったらレイジアにも驚かれたよ、『アイツが帰ってきたんじゃなかったのか』って」  ロンの言葉を聞いて、ノアロは面白いほど顔をしかめる。 「……レイジアって、あのレイジアシェンテか? さっきまで俺が放っとかれた用事ってそれだったのかよ!」 「仕事だ、仕事。お前は本当にレイジアが嫌いだな。……まあレイジアもだが」 「あの男は、昔先生を俺から取ろうとしたんだ!」 「……はいはい、昔の話だろう。今はアイツ子どもがいるぞ」  ノアロはロンの唇に自分の唇を重ねて、それから目を伏せた。 「………………どうでもいい。先生か俺の話をしてくれよ」 「じゃあ、お前の話をしよう。……どうしたんだ、ノア」  ノアロは口を噤む。それから、ロンとソファーの背の隙間に身体を滑り込ませて、ロンにしがみついた。 「……機械の国へ行ったんだ。先生、知ってるか?」 「知ってるよ、オーティジアだろう」 「あそこにいると、なんだろう、無性に死にたくなるんだよ」  ノアロの言葉に、ロンはちらりと横目で彼を見た。 「……珍しいな。外にいるお前がか」 「こんな気持ちになったのははじめてだ。……昔のことも思い出した。あの場所にいると、何もかもが、突然、無意味なものに見えて……怖くなった」  ノアロはロンの身体に足を絡め、胸元をぎゅっと握る。顔を肩に押し付けて、小さく震えていた。 「……俺は最低だから、お前がいつもより早めに帰ってきてくれて嬉しいとしか思えない。オーティジアに半年に一回行ったらどうだ」 「先生は酷い人だな……」  ノアロは力なく呟いた。ロンはノアロの頭を撫でる。 「……冗談だよ。悪かった、意地の悪いことを言って。……お前の傷付いた姿は嫌いなんだ」  ロンはノアロの方を向き、彼の頭を抱きしめた。 「……無理をするな。臆病なら素直に臆病でいればいいんだ」  ノアロはまるで幼い頃に戻ったかのように、小さな身体でロンの身体に擦り寄って、涙を流した。 「…………先生、髪を切るのはもっと先にして。明後日よりも、うんとあとにして」  ロンは俯き、その頭を優しく撫でた。 「誰がお前を急かすものか。お前が満足するまでお前の身体を抱きしめて、お前の頭を撫でてやるから、安心しなさい」  小さく震える背が、溢れる嗚咽が、妙に懐かしかった。世界から彼を隠すように、ロンはノアロの身体を抱き込んだ。  半年後、ノアロはまた旅立った。あのまま、彼がずっと側にいてくれれば、どんなによかったか。  そんなことを思ったところで、みっともなくて、引き留めることなどできるはずもなかった。  ロンとミラは、果実の入ったかごを持ち上げ、歩き出した。 「……あのマゾヒストはもうダメだ。旅がいくら辛くても、やっぱりそこに快楽を見出してしまうからな」 「手に負えないな」  ミラは言った。容赦のない言葉に、ロンはくつくつと笑う。 「だが、それでいいんだ。それがノアロなんだからな。……俺は、あの馬鹿が好きなんだ」  ロンの言葉を聞いて、ミラは前を向いたまま言った。 「お前は変わったな。幼い頃はそんなに馬鹿じゃなかった」 「ははは、馬鹿とは失礼だな。俺はニンゲンになったんだよ、ミラ」  から、複雑で不器用で、無駄が多くて、愚かしい生き物に。ロンは目を伏せて、満足そうに笑った。  次の日、ロンはミラに案内されて、砂漠地帯に入った。砂の中を、ミラだけを頼りに歩き続ける。半日ほど歩くと、遠くに、小さな村が見えた。 「あそこに、機械に長けた生き物がいる」  ミラは村を指差した。 「村の近くで機械人間の電源を落としたら、誰かに見られるかもしれない。もう、ここからなら迷わないな?」  ロンは顔を上げた。すっと、心に冷たい風が吹く。ロンはミラの顔を見て、村を見て、再びミラを見た。 「……ああ、大丈夫だ。案内してくれてありがとう」  ロンは微笑んだ。左手にナイフを持ち、ミラの首に手をかける。 「ありがとう、ロン。……次の旅で会いましょう」 「…………ああ。元気でな、ミラ」  ロンはミラの首の、一番後ろの線をぶつんと切った。機械音が止まる。倒れてきたミラの身体を、ロンは強く抱きしめた。  「はぁ、見ない種だ」  岩のような皮膚に、細い宝石のような長い指。二メートル近い巨体を揺らし、彼はノアロを見下ろした。 「……こんにちは、ロックジュエラ」  ロンはロスティカジン語で挨拶をする。 「物知りだな、ひと目で種族がわかるのかい。君は何という種だ?」 「……ああ、ええ……、ニンゲンだ。学者をしていた。今は旅人を」  たどたどしくロンは言葉を返す。ロックジュエラは岩のまぶたをめいいっぱい押し上げて驚いた顔をした。 「ニンゲン!? 驚いたな! ニンゲンを見たのは何十年ぶりだろう! ニンゲンが何をしにここへ?」 「ガスマスクがほしいんだ」 「ああ! なるほど、ニンゲンだからか」 「それと、こいつにも」  ロンはポケットからシーザを引っ張りだし、彼に見せた。 「おや、小さな命よ、こんにちは。……そうだな、これには……マスクより箱がいいだろう」  彼はそう言って、近くにあった黒い箱を見せてきた。 「こいつからは何も見えなくなるが……これしかないもんでな」 「それでいい。……これを使えるか」  ロンは背負っていたミラの身体をロックジュエラに差し出す。彼は細長い指で、その金属の身体を持ち上げた。 「機械人間だな。拾ったのか?」 「…………そうだ」  ロンは呟いた。ロックジュエラはジロジロと金属の様子を確認して、頷いた。 「分かった、二日でできる」 「……ええと……、二日か? それとも一日と言ったか?」 「二日だ。二日」  ロックジュエラは繰り返す。それから、指を二本立ててみせた。ロンは頷き、ミラの身体から、手を離す。 「分かった。この辺りに泊まる。二日後に来る」  ロンはそう言ってから、店をあとにした。  二日後、ロンはガスマスクを手にし、次の街へ向かって、砂の中を歩き出した。

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