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第10話 機械の街
古い頑丈な造りの建物と、ゴミ溜めのような道。キビキビと動く機械人間たちと、前もうまく見えないほどの光粉。
ロンは風に吹かれ、飛ばされそうになりながら、シーザの入った箱をぎゅっと抱えた。
「……ここが、オーティジアか……」
機械の街、オーティジア。機械人間の暮らす街だ。研究所や工場が乱立しており、野菜や果物、肉などの多くの食材と、金属機器を輸出する、世界の工場である。
――ここは、ノアロが嫌った、心無い街だ。
「…………すみません、この辺りで宿屋はありませんか」
通りがかった機械人間に母語で尋ねると、彼は少し間を空けて言葉を返した。
「宿屋なら、三番街の十二番目だ」
「ありがとう」
ロンは礼を述べる。機械人間は、ロンと話した分の遅れを取り戻すかのように、すたすたと足早に去っていった。
「……言葉が通じるのはいいが、あいつらとは会話した気がしないな、シーザ。お前と喋るほうがよっぽど会話した気になるよ」
ロンはシーザにそう声をかける。しかし、箱からは、少しの振動さえ伝わらなかった。
「……シーザ? 大丈夫か」
再び呼びかけて、やっと、箱が小さく揺れる。シーザが身じろいだようだ。ロンはほっとして、その箱を顔の高さまで持ち上げた。
「お前最近元気ないな。空気清浄機の故障じゃないだろうが……」
小さな箱に詰められて、初め、シーザは大層不満げだった。しかし、だんだんと、彼女はおとなしくなり、ここ数日はとうとう愚痴をこぼすことさえなくなってしまった。
「……あとで怪我がないか見てやろう」
ロンは箱を抱え込み、ゆっくりと歩き出した。
「旅人?」
「ああ。この男を知らないか」
「知らないな」
機械人間はすぐに返す。ロンは、そうかと俯いた。
「人探しか?」
「……跡追旅行だ」
「追いかけてどうするんだ? どうせその男は死体だろ?」
ロンは、心を突き刺されたような、強い悲しみを覚えた。それは、怒りにもよく似ていて、同時に寂しかった。
「……死体かどうかは、旅の終わりまで分からない」
「ではなぜお前は『跡追旅行』をしているんだ。もう自分で分かっているんだろう?」
ロンは黙り込んだまま、何も答えなかった。
「死体なんか探して、貴方は一体何を得られるんだ?」
「…………貴方にも、覚えがないか? 命を懸けられる、魂を震わすものや人に」
「覚えていないな」
機械人間はぴしゃりと言い放つ。ロンは箱を胸に抱き、また、そうかと呟いた。
「とにかく俺は知らないよ。工場の奴らに聞けばわかるだろう」
機械人間はそれだけ言って、さっさと歩き去っていった。誰もが全く立ち止まらず、少しの会話もかわさない。
仕方なく、ロンは工場へ向かった。工場の中には、人工的に作られた遥か昔の地球環境があり、そこではニンゲンなどの古い生き物のための食材が生産されている。
ロンは工場の受付を見張る男に声をかけ、ノアロの写真を見せた。
「ああ、十八年と八十六日前にも見たよ。青い髪のニンゲン」
「……本当か? それは良かった。何か、彼の話を聞きたいんだ」
「大通りを歩いていた。角の店でものを買っていたよ」
「……そうか。彼と話したか?」
「ああ。この街で、一番面白いところはどこだと尋ねられた。本当につまらないのだ、と」
機械人間は淡々と言葉を話す。哀れなほど単調だ。
「分からないと答えたら、『これで十人目だ』と呆れた顔をして去っていった」
「……ああ、そうか。……ありがとう」
ロンはそう、何も考えずに口に出して、工場をあとにする。ノアロから送られてきたオーティジアの写真は、ただ一枚だけだった。
「俺はこの街が嫌い。だけど何でも安く手に入るから通る。先生はどう?」と、汚く弱々しい文字は尋ねている。
「……好きではないな。……嫌い、でもない。……どうでもいい街だ」
ロンはぼんやり呟いた。
「……どこだろうな、ここ」
オーティジアを上から写したような写真を見て、ロンは首を傾げる。辺りをぐるりと見回すと、少し離れたところに時計台を見つけた。
ロンは歩き出す。足は重かった。
「…………はは、最悪な街だな、本当に……」
ロンは笑って、時計台からオーティジアの街を見下ろした。時計台のてっぺんから見える景色は、砂埃の中の廃墟、という印象だった。
「……スティミューラはあんなに面白く感じたのにな……」
ガラクタの寄せ集めのようにして作られたあの街は、生き物の活気に溢れて、豊かに見えた。配管の一本をとっても生き物の生活と知恵を感じられ、これほど興奮するものも他にないと思った。
しかし、ここはどうだ。どの角度から見ても、生気が一切感じられず、美しい造形の一つもない。
「数学者がもし生きていれば好きそうな街だな。効率的で、この街の全てを数字で表せそうだ」
ロンは呟いた。地面も見えないほどたちこめている蛍光色の光粉の中、機械人間たちは少しの無駄もなく動き続けている。ロンはしばらくその景色を見つめて、ため息をついた。
「……悪かったな、シーザ、こんな狭い箱に入れたまま振り回して。宿屋でゆっくりしようか」
ロンはそう言って、時計塔をあとにした。
宿屋は、シンプルながら設備は十分に整っており、その上空気の清浄も完璧で、ニンゲンも過ごしやすい優れた造りをしていた。ロンはシーザの入っている黒い箱を開けると、それをベッドの上に置いて服を脱ぎはじめた。
「……ここは、色んな植物や動物を飼育して売り出してる街だ。工場として、ものすごい力を持っているのは分かるが……」
ちらりと窓の外を見る。外は蛍光色に濁っていて、ここからは何も見えない。
「確かにこの街はつまらないな。ノアロが嫌うのも当然だ」
ロンはすべての衣類を脱いで洗濯機に放り込み、シーザを振り返った。
「……シーザ、風呂に入ろう」
のろのろと箱から出てきたシーザは、ぷきゅ、と小さな声を上げてロンの方へ寄ってきた。ロンはその軽い身体を持ち上げて、風呂場へ入る。
「………………お前もそろそろいっちまうのか?」
尋ねてから、ロンは俯いた。シーザの身体を撫でて、無理矢理頬を持ち上げる。
「どこにいくって言うんだ、本当に。俺はまだここにいるんだぞ…………」
ロンはシーザの身体に顔を寄せた。
風呂桶の中にシーザを入れて、ぬるま湯を溜める。
「……気持ちいいか、シーザ」
風呂桶の中で、シーザは、きゅいと鳴く。ロンはシーザの頭を人差し指で撫でてから、冷たい蛇口をひねった。シャワーヘッドから冷水が出てくる。
「…………馬鹿げたことを言ってもいいか」
徐々に温水へ変わっていく水を全身に浴びながら、ロンは俯いてつぶやく。
「……俺はな、まだ、アイツが、もしかしてどこかで生きてるんじゃないかと思っているんだ」
シーザは首を傾げ、ロンを見上げた。
「…………だって、皆の話を聞いていたら、そんな気がしてくるんだ……、誰しもが、昨日のことのようにアイツの話をするから……」
ロンは頭から水を被り、俯いたまま、きゅっと左手を握りしめる。
「もしかしたら、ああ、昨日会ったよって言われんじゃないかと思ってな……。……馬鹿みたいだろう」
シーザは水の中でゆっくりと動き回る。ロンは右手を持ち上げ、鼻をすすった。
「モダリの言ってたようにさ……多分、誰もアイツがあんなに早くいなくなるなんて、思ってなかったんだ……」
ロンはしゃがみこむ。かつてこの雨を止めてくれた男は、もう、きっと。
「………………俺も、思ってなかった」
ロンは自分の肩に手を当てた。この震えを抑えるように、迫りくる結末から、目を逸らすように。
「…………止めりゃよかった……、行かないでくれって、泣いて叫んででも止めりゃあよかったんだよ…………」
肩に指のあとがつく。シーザが小さな声でロンを呼んだ。
ある冬の日。生まれたばかりのシーザの子どもたちを体中に貼り付けて、まだ少年らしさの残る顔つきのノアロは床に転がっていた。
「なあ、先生は、なんで俺を好きなんだ?」
「……どうした、急だな」
「俺はいつだって急な男なんだ」
ぱっと笑い、ノアロはくるんと腹を下にする。マダラヘンゲネズミたちは一度ぱらぱらと床に散り、再びノアロのそばに戻ってきた。
「思ったんだよ。先生より旅を優先して、俺はとことん最低だなって」
「今更だな」
「……実は前から思ってたんだけど、最近は特にそう思ってるんだ」
少年はネズミの鼻先をくすぐりながら、そう呟く。珍しい顔をしていて、しかし口調はいつも通りからっとしていた。
「だから、先生は愛想つかしたっておかしくないじゃないか。それなのに好き好んで俺を待ってる」
「もう待たなくて済むんならそれがいい」
ロンは心外だとでも言いたげに呟いた。ソファーに座って、シーザの背を撫でながら、ロンは目を伏せる。
「……だが、俺はお前のそういう自由なところが好きだ。俺がいくら言ったって聞きやしない、そういう無邪気なところが好きだ」
ノアロというニンゲンのことは、たまらなく理解し難い。だからこそ知りたいと思い、惹かれ、いつまでも退屈しない。
「……だからガキでいたらいいじゃないか。どうしたんだ、急に俺のことを気にしだすとは。大人ぶるなんてらしくない」
まだ成人とは言い難い体つきをしたノアロは、青灰の睫毛を伏せて小さく口を開いた。
「……夢を見たんだ、この前。先生がいなくなる夢を」
ロンは首を傾げる。ノアロはまたごろんと床に寝転がり、そばにいた一匹のネズミを拾い上げた。
「俺、怖くなった。すごく怖くて、咄嗟に特急便で手紙書いて急いで帰ってきた。……そしたら、先生普通に学校で授業してて、安心したんだけど」
「良かったじゃないか」
「違うんだ」
ノアロはネズミを胸の上に下ろして、ぼんやりと天井を見上げる。
「……先生は、ずっと俺がいなくなる夢を見てるんじゃないかと思ったんだ。ずっとこんなふうに、怖くてたまらないんじゃないかって」
「…………今更だな、ノアロ」
ロンは苦笑いを浮かべた。それから、ソファーに身体を沈めるように力を抜く。
「……昔は怖かったさ。それこそ、お前がまだ旅を始めたばかりの頃は、心配で心配で、たまったものじゃなかった」
「…………今は?」
ノアロは尋ね、灰色の瞳をぎょろんと動かしてロンを見る。ロンは笑った。
「……お前が俺のところへちゃんと帰ってくることを知ってる。だから、怖くはないさ」
ふっと目を開く。ノアロの視線から逃げるように、目を伏せ、膝の上によじ登るシーザを見た。
「…………じゃあ、先生はどうしていつも俺を引き止めるの」
「そりゃお前……」
ロンはまた苦笑する。
「………………寂しいからだよ」
単純な答えに、ノアロは眉をひそめた。ロンはシーザをソファーに置いて立ち上がり、ノアロのそばに座り込む。ノアロはネズミから手を離し、ロンの右手に手を伸ばした。
「先生はいつもそんなふうに俺を引き留めるんだ。ずるいよ、だって……、先生は俺がいなくても、結局毎日生きられてるだろう」
「……ふ、俺が、毎日何もなく生きてるって言いたいのか? それは心外だ。そいつらにきいてみろ。もしくはレイジア」
「…………なあ、お前たち、普段の先生はどんな風なんだ?」
寝転がるノアロの頭の上で、ロンはネズミの一匹を抱えた。その前足をつまんで、ひょいひょいと遊ばせる。
「ドクターはいつもお前の話の録音を聞いてるよ」
「……それは、知ってるよ」
「それから、いつも二人分夜飯を作るんだ」
ロンはうっすらと微笑む。ノアロの目が見開かれて固まった。
「……紅茶は淹れすぎて毎日腹いっぱいになるほど飲んでるし、何でもかんでも買いすぎてしまう」
いつ彼が帰ってきても、また、あの日常をすぐに取り戻せるように。
彼がこの街で、この家で見る風景が、感じる気持ちが、どこまでも、平凡で、ありふれた、いつも通りのものであるように。
「お前と毎日暮らした、あのたった五年が忘れられないんだって。……馬鹿な男だろう?」
ノアロは突然身体を裏返し、上半身を起こした。パラパラとネズミたちが床へ逃げていく。彼はロンの頭を掴んで、その口を食らうかのようにキスをした。
「……っ、……は……お前……」
少し口を離して、ロンの表情を確認し、ノアロは再びキスをする。何度も何度も繰り返し、息をする暇もないくらいロンの口内を犯してから、ノアロはゆっくり口を離した。
「…………どうした」
「先生が泣くところを、見たくないんだ」
ノアロはそう呟いた。ロンの視界は少し歪み、鼻の奥がツンとした。
「……泣かしてんのはお前だぞ、分かってるのか」
ノアロは肯定とも否定とも取れる曖昧な動きをして、俯いた。手首を赤い紐ごと握りしめ、彼は小さく縮こまる。
「…………もう、いいだろう。ガキでいろって言っているんだ。俺が、お前を仕方ないなって笑う大人でいればいいだろう」
「ガキでいらんねぇよ、だってガキじゃねぇんだって、俺」
「じゃあ旅をやめるか?」
ノアロは口ごもる。ロンの顔を見上げ、今度ははっきりと首を振って、俯いた。
「…………やめないよ。やめられないんだ」
「だろうが。じゃあもういいさ、俺はお前の恋人なんだから」
わがままで、どうしようもない子どもに、何をせがんだって仕方がない。
「……お前が楽しいって思えんなら、本当に、それでいいんだ、俺は」
それに、彼がこの世界はつまらないと愚痴をこぼしながら死んでいくことは、望んでいない。これだけは、嘘でも虚勢でもなかった。
「…………それでいいわけない。それくらいは分かんだ。先生はやっぱり少しくらい俺を心配してるはずだし、俺は先生を確かに寂しがらせてる。きっと、先生には、怖くてたまらない日だってある」
ノアロは呟く。少年と大人の間で揺れる彼は、余計に小さくに見えた。
「……でも先生は、そんなの分からないくらい、俺の話を、毎回楽しそうに聞いてくれるだろ。だからなんか……、なんか、それがさ……」
ノアロの声は震え、けれど声音は、微笑んでいるかのように暖かかった。
「俺って愛されてるなぁって思うんだ…………」
ロンはため息をつく。ノアロの背に手を置いて、優しく撫でた。
「……そうだって言ってるだろう。俺はそうやって楽しそうに旅のこと話すお前を愛しているんだ。寂しさなんて、お前の笑顔見てたら、どうでもよくなる」
ロンは言った。ノアロが、ふっと微笑む。
「……先生は嘘つきだな、シーザジュニア」
「ソイツはキヌだよ」
「キヌ、キヌかぁ。どうか、寂しがりの先生を退屈させないでやってくれよ、キヌ」
「やめてくれ、ただでさえソイツにはネズミ部屋から抜け出されて困ってるんだ」
ノアロはくつくつ笑う。ロンの胸に頭を寄せて、海の色をした瞳で彼を見上げた。
「…………なあ、先生」
ロンは瞬く。
「俺、今度は南の海辺に行ってみたいんだ! 鉛の海がどれほど壮大かとか、ドロクジラとか、ナマリクイとか、そういうの見に行くんだよ!」
ノアロが、ぱっと笑った。
ロンはきゅっと手を握りしめる。その手を、ゆっくりと開き、ノアロの頭を優しく撫でて、無理矢理喉を震わせた。
「…………全くお前は懲りないな。……早く帰ってこいよ」
ロンは、苦笑をこぼす。心の底に、見え透いた本音を隠して。
彼は、自分との暮らしだけでは満たされない。彼には旅がなくてはいけない。旅を奪うのは、彼の心を殺すようなものだ。そんな真似は、決して出来ない。
何度も何度も繰り返して、何層にも建前を重ねて。
――待ってくれ。行くな。ここにいろ。ずっと、ずっと……!
「…………うぁ……ッ!!!」
ロンは、ニンゲンではないような声を上げて飛び起きた。体中、ぐっしょり冷や汗をかいている。
叫び出したいような衝動に駆られ、首元に手を当てた。
「っは、……はぁ……は…………」
頭を押さえて、息を整える。主人の異変に、シーザが心配そうな顔で膝に登ってきた。
「……ああ、悪いな、シーザ……。少し、気分が悪くなって……」
ロンはぽつりぽつりと、小さな声で呟く。
幸せな夢でさえ、自分の心を毟っていく。ノアロとの幸せな思い出でさえ、愛おしむことができなくなっている。
ただ、なんだかもう、彼に会いたい。
「…………疲れているのかもな。しばらく、ここで休もうか、シーザ」
ロンは呟く。暗い部屋の中、ロンは目を瞑った。
今度こそ、今度こそ、眠れるように。祈るように、ロンは目を閉じる。
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