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第32話 一の怪30

「ああ、もし俺がお前を裏切ったら遠慮なく取り殺してくれ」  不安そうなゴトウさんに、俺は深く頷いて見せて言った。  するとゴトウさんの目から涙が一つ流れた。 「ううっ、信じます。ありがとうございます。嬉しいです。嬉しいです。ううううっ」 「ちょっ、約束守るって言ってるんだから、もう泣くなよ。あんたの泣き声にはもううんざりしてんだよ」 「ううっ、だって、だって、嬉しくて、つい泣けて来て」 「嬉しいなら泣くなよ」 「はい」  ゴトウさんは満面の笑みで言うと、服の袖で涙を拭った。  やっと泣き止んだゴトウさんを前に、俺は再びソファーに腰掛けた。  ついでに暖房のスイッチも入れる。  部屋に入ってからずっとゾクゾクが止まらなかったのだ。  鳥肌まで立っている。  これも、霊であるゴトウさんがいるせいなのか。  暖房が入ると温かい空気が部屋を包んだ。  寒さも少しはましになる。  やれやれだ。  ホッとした俺は、静かに俺を見ているゴトウさんに顔を合わせる。  彼の顔にはもう涙の後は無い。  俺は、よくよくゴトウさんの姿を見てみる。  足はあるが、透けて、ゆらりと揺れているゴトウさんを見ると、彼が人間ではないと改めて感じた。  この、ブラック会社に勤めたらしい一見、気真面目そうな男が死んだ後、片思いの恋に泣くほど悩んで死にきれずにいるとは、何ともはやだ。 「なぁ、あんたの片思いの相手ってどんなやつなんだよ」  そう言えばと俺が訊くと、ゴトウさんの顔がみるみると赤くなった。  その赤さは、大袈裟でなく、リンゴか熟れたトマトを思い出す。 「ど、どんなって、そんなっ」  そう言ってもじもじとするゴトウさん。  これが若い女だったら初々しくて可愛らしいと思う所だが、幽霊の男じゃそうは思えない。 「恥ずかしがってる場合かよ。片思いの相手がどんなやつか分からなきゃ、俺だって協力しょうがないだろ。どんなやつに片思いしてるのか言えよ」  ゴトウさんの片思いの相手とは実際どんな相手なのか、気になる所だ。  死んでもなお、思い続ける様な相手とは一体どんな女だろうか。  ゴトウさんの様なタイプの男が好きになる女と来たら、うーむ。  やはり、清楚可憐な感じの女だろうか。  深窓の令嬢、みたいな。  いや、こういうのに限って自分とは真逆のタイプの女を好きになったりするものだ。  案外、フェロモンムンムンのセクシーな女かも知れない。 「ほら、早く言えよ。どんな女が好きなんだよ」  急き立てるように俺が言うと、「……じゃ、無いです」とゴトウさんは下を向き言った。 「何だよ、聞こえねーよ。もっとはっきり言ってくれよ」  俺はソファーから立ち上がり、下を向くゴトウさんの顔を覗き込む。  ゴトウさんは耳まで赤くなり、目をぎゅっと瞑っていた。  その姿を見て、何だか気まずくなった俺は、ソファーに戻るとゴトウさんが話し出すのを静かに待った。  ゴトウさんは、しばらく黙っていたが、ようやく下を向いたまま話し出した。

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