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第58話 三の怪8
寝不足のせいもあって非常に機嫌悪いまま、俺は寝室から出た。
「片葉君」
ゴトウさんが天上でゆらゆらと揺れている。
その顔は心配げだった。
そう言えばゴトウさんは寝室には入って来なかったな、何て思う。
「あの、お早うございます」
遠了がちに掛けられた言葉を俺は無視した。
「片葉君、あのっ……」
無視されてもめげずに俺に話し掛けるゴトウさんに俺は、「洗面所、行って来るから。ついて来るなよ」と言って言葉通りに洗面所に向かった。
洗面台に向かって見た鏡に映る自分の姿は最悪だった。
目の下には薄っすらとクマが出来て髪の毛はグチャグチャで、機嫌の悪い顔をしていて、しかも疲れている。
「くそっ!」
苛立ったまま、水道の蛇口を捻ると冷たい水が勢いよく蛇口から出た。
俺は流れる水を両手で受け止める。
あっという間に手の中に水が溜る。
その水を唇にかけて唇を拭う。
それを何度も繰り返した。
甲斐とのキスを忘れたくてそうした。
あのキスの感覚を消したくて。
でも、苛立ちが勢いを増すばかりでちっともキスの感覚は消えなかった。
気が付けば洗面台は水でビショビショで鏡まで水で濡れていた。
「あーっ、くそっ!」
水道の蛇口を力いっぱいに閉めるとタオル掛けから真白なタオルを引き離して顔を思いっきり力を込めて拭く。
濡れたタオルは思い切り洗濯機の中にぶち込んだ。
俺は吐き出せるだけのため息を付く。
あんなに一生懸命唇を拭っても全然スッキリしなかった。
全然忘れられない。
あいつ。
甲斐。
一体全体どんなやつだよ。
もう一度ため息を出すと俺はやっと洗面所から出た。
ゴトウさんが廊下にいた。
ゴトウさんが俺が出て来るのをここで、ずっと待っていた事は明白だ。
「片葉君、あっ……あの。どうした……」
「ゴトウさん」
ゴトウさんの話を遮り俺は口を開いた。
「な、何ですか?」
頼りないゴトウさんの声。
「真面目な話がある。聞いてくれ」
そういう俺をゴトウさんは息を呑み見つめる。
「大事な話だ」
俺が真顔で言うとゴトウさんは深く頷いて見せた。
リビングにて。
座っている一人掛け用のソファーの柔らかさに少し冷静さを取り戻していた俺は、両手の指を絡ませて試合前のボクサーの様に俯いていた。
俺の前にはゴトウさん。
ゴトウさんはさっきから俺が話し出すのを不安な顔を浮かべて待っている。
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