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第60話 三の怪10
いきなりどうした、と俺が思った瞬間にはゴトウさんは床に身を伏せて土下座をしていた。
「この通りです。お願い……します」
消え入りそうな声でゴトウさんは言う。
俺は慌てた。
「ちょっ、土下座何て止めろよ! 何考えてんだよ、あんた!」
「甲斐さんの事だけ考えてます」
土下座したままゴトウさんは言う。
「そ、そんなにあいつが好きかよ? 何にも分からない相手に何だってそこまで……」
「そんなの僕にも分かりません。一目惚れですから」
一目惚れ。
そんなのある訳ない。
有り得ない。
そう思うのに、それをゴトウさんに言えない。
何で、あんなやつの為に土下座なんか……。
ゴトウさんを見つめながらぼんやりと思い出す。
甲斐。
俺はあいつの土下座が見たくてゴトウさんの恋愛に協力する事を決めた。
俺は、はっとする。
そうだ。
甲斐。
あいつの土下座姿を必ず見てやると決めたんだ。
あの変態野郎が俺の前にひれ伏して謝る所が見たい。
みっともなく俺にひれ伏している甲斐の姿を想像する。
それは何とも気持ちが良かった。
あいつの土下座を見ればあのキスの事だって帳消しに出来る気がした。
「分かったよ」
俺の台詞にゴトウさんの体がピクリと動く。
「あんたが満足いくまで付き合うから。だから顔を上げてくれ」
俺が見たいのはこんな幽霊の土下座じゃ無くて、あのケダモノの土下座だ。
ゴトウさんが顔を上げて俺を上目遣いに見る。
「本当……ですか?」
ひっそりとしたゴトウさんの問いに俺は静かに頷いた。
俺を見るゴトウさんの目がキラキラと輝きだした。
「うわぁ! ありがとうございます!」
ゴトウさんはすっくと立ちあがり、あろう事か俺に抱き付いた。
げげっ! と思ったその瞬間。
不思議な事が起った。
それを俺は上手く説明できない。
何て言うか、自分の体が自分の物じゃあないみたいな感覚が訪れたのだ。
「あれ?」
そう声を出したのは俺の口だが俺じゃあない。
「なんか変だ」
俺の声でそう言ったのも俺じゃない。
俺は自分の手を見ている。
でも、その俺も俺じゃ無くて。
俺であるが俺じゃないものは走り出した。
俺の感覚がそいつについて行く。
俺の体は真っすぐに洗面所に向かい、そして鏡の前に立った。
「何か……僕、片葉君の体に入ってる? ていうか僕が片葉君?」
そういうお前は……もしや。
「ゴトウさんか?」
俺は試しに声を出してみた。
その声は外へは響かなかったが俺の体を乗っ取っているであろうそいつには聞こえたみたいだ。
「片葉君?」
俺の口が俺の名前を言う。
「やっぱりゴトウさんか! おい、俺の体、どうなってるんだよ! 何でゴトウさんが俺の体に!」
「うわっ、大声出さないで下さい。頭の中に片葉君の声がガンガン響きます」
ゴトウさんは俺の体を使って頭を押さえる。
ゴトウさんが押さえているのは俺の頭であって俺がそうしている訳じゃあ無くて……何なんだ、これ。
「どうなってるんでしょう?」
俺の声でゴトウさんが言う。
「知るか! こっちが聞きたいわ!」
叫ぶ俺。
「だから、騒がないで下さいよ。片葉君の声が頭に響いてうるさくてうるさくて」
ゴトウさんか俺で俺は俺で。
本当に何が何だか。
例えるなら意識だけが此処にある様な?
ああ、訳が分からない。
項垂れたくても俺には項垂れる体が無いのであった。
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