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よくできました 12

マジマジと見つめるオレを睨(にら)むように見上げたまま、緋音さんはオレの袖をきゅっと一瞬強く引っ張った。 その覚悟を決めた仕草と、真っ赤に染まった耳、引き結ばれた口唇が微かに震えていて。 思わず顎を掴んで引き寄せて、その口唇を吸い上げて食べたいと思った、一瞬。 緋音さんが、大きく息を吐き出して、一瞬瞳を閉じて、開いた。 つい今まで真っ赤だった頬も額も耳も、一瞬で冷静な色に切り替わって、瞳はもっと冷静に凛(りん)とした光を湛(たた)えて、圧倒的な威圧と畏怖(いふ)と憧憬(どうけい)を抱かせる嫋(たお)やかさをまとっていた。 「・・・風呂、一緒に入るだろ?」 艶めく口唇を割って出て来た吐息に、硬直する。 その吐息に混じった言葉を、すぐには理解できなかった。 今までそんな言葉を聞いたこともないし、この先ずっと、一生永遠に聞く事はないと思っていた。 オレの方から誘うことはあっても、緋音さんから誘ってくれることなんて、ないと、思っていた。 だから緋音さんのこの言葉は本当に意外で、想像の範囲外で、言葉を理解して飲み込むのに、ものすごい時間を費やしていた。 硬直していた時間が長すぎたせいか、緋音さんが少し不機嫌な色を薄茶の瞳に滲(にじ)ませて、イライラしたように眉間にしわを寄せた。 「返事は?」 否やを認めない、言の葉。 オレの意向を聞いている風で、命令しているその言葉。 ああ、そうだ。 これが聞きたかった。 オレに命令してくれる言葉、オレを服従させる瞳と、暴力的な圧と被虐心を煽(あお)る声。 全部が完璧に美しく、堪(たま)らなくて、オレの体の細胞も遺伝子も、魅了されて支配されて。 感情とか感覚とか、そういう部分までも、全てを壊して差し出したくなる人。 そのたった一瞬で、緋音さんはオレを支配下に置いた。 もう何度目かわからない。 本人にその気はなくても、それが現実だった。 オレは完全降伏で、口を開いていた。 「はい・・・ります」 「遅っそ」 緋音さんは嬉しそうに愉(たの)しそうに瞳を細めて微笑む。 奇麗に横に引かれた口唇に、ありったけの色香が乗って、それに引き寄せられるように顔を寄せる。 本来そんな勝手が許されるわけないのに、オレは緋音さんの色香に惑わされて、眩暈(めまい)を覚えながら欲望のままに行動していた。 オレがキスをしようと形の良い顎をつまもうとした、その一瞬早く、緋音さんが動いた。 楽しそうに、楽しそうに、嬉しそうに、笑う。 緋音さんの薄茶の瞳が細く伏せられて、その深紅の口唇が一瞬だけ、オレの口唇に触れた。 オレがしたい粘着した噛み付くようなキスではなく、ただ口唇を押し付けるだけの、触れるだけの口吻け、だった。 駐車場でしてくれた時と同じで、緋音さんからしてくれたキスだから、脳みそが沸騰しそうに嬉しいし、どうしようもなく甘美で何度でも味わいたいくらい。 ただ触れただけのキスなのに、こんなにも興奮して狂(いか)れて泣きそうになる。 思わずその形の良い頭を掴んで引き寄せようとした、その瞬間、緋音さんは喉の奥でくつりと嗤って、くるりと滑るように体を回転させて、オレから離れてしまった。 長くて細い足が楽しそうに歩いて、白い腕を後ろに組んで、くるりと回ってオレに背中を向けて。 緋音さんはそのまま楽しそうに微笑んだまま、肩越しにオレを振り返ると、誘う瞳のまま艶めいた口唇が蠢(うごめ)いて、小さく呟(つぶや)いた。 「・・・10分以内に来いよ」 それだけ言うと、緋音さんはオレの返答なんか無視して、すたすたとリビングを出て行ってしまう。 オレはその、珍しく少し弾んだ背中を見ながら、深く深い、息を吐き出した。 自分の体を抱きしめるように腕を強く掴んで、全力で走ったかのように早い心臓を落ち着かせるため、過呼吸かと思うくらいの浅くて早い呼吸を繰り返して、落ち着け落ち着けと自分を諌(いさ)めた。 あんな風に誘ってくれるなんて、永遠にないと思っていた。 あんな風にいやらしい瞳で、体全部を使って誘惑して、少し恥ずかしそうにする緋音さんを見ることなんて、めったにない。 今日はその両方を見れた。 見ただけじゃなくて・・・一緒にお風呂に入っていいと・・・。 え・・・?一緒にお風呂って・・・? オレが一緒にお風呂入ったら、それだけじゃ収まらないって、知ってる・・・よね? わかっていて、言ってる。 緋音さんは、わかっていて言っていて。 わかっていて誘っていて。 こんなお誘いに慣れていないオレは、これが夢じゃないことを祈りながら、しばらく呆然としていた。

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