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第4話「そんなやつはいない」
揺れる電車の中、掴んだ腕の先にいる百合を見た。強制的に電車に乗せたものの特に激しく抵抗された素振りがなかった。
このまま家に送り届けられるとでも思っているのだろうか?
掴んでいるのも疲れたので、百合の腕から手を離す。
すると、こちらを見上げた百合と視線が合った。
「これ、どこに向かってるの?」
「行きつけのバー」
さっきまでは、貴方と仲良くする気はありません。という意思表示の為に敬語を使っていたが、それもなんだか馬鹿らしくなってきた。百合に、遠回しの拒絶は効果がない。
それならば悪意を全面に押し出して、拒絶すればいい。
春馬なんぞ知らんっ。春馬が百合を置いていったのが全部悪いッ!
「俺のことが知りたいんだろ? だから、パートナーも恋人もいない俺が、どこでどうやってDomの欲求を発散してるのか教えてやるよ」
「理久さんって、パートナーも恋人もいないんですか!?」
百合の顔が一気に明るくなる。
「えっ、ああ、そうだけど……悪いかよ」
理久は、百合の予想とは違う反応に、調子を狂わされる。
食いついて欲しいのはそこじゃねーよ!
それに何故、急に敬語? 百合の方が年下だから、当たり前と言えば当たり前なんだけど。
「いいえ! 全然、全く!」
百合は理久の言葉をキッパリと否定してくる。もう意味がさっぱり分からん。
理久は思わずため息をついた。
なんか、もう、なんか……。
「怖くないのか?」
なんとも言えない気持ちになってしまったので、もうストレートに聞いてみることにした。
「理久さんの行きつけのバー、ですよね? 何か怖いことでもあるのですか?」
「ある、いっぱい」
百合はふむと一度頷き、こちらを見てくる。
「では何故、そこに通ってるのですか?」
「俺は特定のパートナーを作る気はない。だから、欲求を発散する為に相手を探しに行くんだよ。じゃなきゃ、ぶっ倒れるか、暴走して犯罪に走ることになる。それに俺にとっては怖い場所じゃない」
「特定のパートナーを作らないのは何故?」
「俺にはSubを甘やかしたいだとか、守ってあげたいだとかいう欲求が全くない。そんなDomとパートナーになりたいSubはいないだろ」
「では、それでもいいという方がい――」
「そんなやつはいない」
理久は百合の言葉を遮り、語気を強めた。
「しかし――――」
「そんなやつはいない」
納得いかないというように言葉を返して来る百合をもう一度遮った。
こちらの欲求を満たすだけで、理久に何も求めてこない相手なんて居ないだろう。もしいたとしても、その内相手が欲求を満たせず体調を崩して破局するに決まってる。
理想を追い求めるのは勝手だが、俺を巻き込まないで欲しい。
現実を見ずに生きた結果、痛い目を見るのは自分なのだ。
理久は、さっきまでの怒りなどどうでも良くなってきて、電車の天井を見上げた。
「もうお前帰れ。バーなんかに行く気分じゃなくなった」
そもそも理久は意趣返しに、バーに連れて行ってDomを怖がる百合が見たかったのだ。
それなのに百合は怖がる素振りを全く見せない。それどころか少しワクワクしているようにさえ見える。
よく考えてみれば、百合は日常的にあの悠生を見ているのだ。今更、そこらへんのDomを十匹や二十匹見たところで恐怖など感じないだろう。
それでも危ない目に遭わせれば、理久の見たい百合が見れるかもしれない。しかし、そこまでして見たいものでもない。
お前ん家の最寄り駅はどこだ、と百合に問いかけるが、返事がない。顔を見れば、むすくれた表情をしている。
は? なんで?
疑問に思っている間に、百合が口を開く。
「嫌です」
「は?」
「嫌です。理久さんの行きつけのバー行きたいです」
絶対に行くという意志を見せ付けるかのように、百合は手すりに抱きついた。
「あそこはお前みたいな箱入りSubにとっては危ないんだって」
そこら辺にいるSubならともかく、こんな蝶よ花よと育てられたであろうSubをあんな治安の悪い場所に連れて行けるか!
「でも、さっきは連れて行こうとしてたじゃないですか〜」
「それはお前があまりにも無神経だったから、やり返したくて」
「今の私だって無神経ですよ〜。非リア〜、ぼっち〜、顔面偏差値高男〜!」
「最後のそれ褒め言葉じゃねーか」
「ほら〜、イライラするでしょ〜? やり返していいんですよ〜? そしてバーに連れて行って、理久さんの素をもっと見せて下さいー」
イライラ? 素?
――あっ、もしかしてコイツ、さっきまでわざと無神経な態度や言動をしてたのか? 俺の素を見るために?
そんなことして、コイツは何がしたいんだ?
真意を読もうと百合の顔を見つめると、にへら〜とムカつく笑顔が返ってきた。
「私はただ、に……友人の恋を応援する為に、理久さんの情報収集をして、それを横流ししよ〜って考えているだけなので、心配なさらずとも大丈夫です!」
百合は、堂々と力強く言い切った。
「そ、れ、の、どこが、大丈夫なんだよ!」
致命的にヤバいことは言っていない――いや、東条 百合をDom/Subバーに連れて行こうとした時点でアウトだ。
「俺は、大学じゃ王子様キャラでやってんだよッ! お前が言わなくても、その友人が言いふらしたりなんかしたらどうすんだよ」
百合は、理久のあまりに真剣な表情に少し笑った。
そして、電車内なので大きな声を出すわけにはいかず、理久は百合に顔を近づけて話していた。そのあまりの近さに百合は「近い近い近い」と理久を離そうとする。
しかし、理久にとっては顔の近さなどどうでもいい。こんなSub然とした女などには興味もない。
春馬の彼女だが、そもそもこんな状況に陥っているのはその春馬のせいでもあるのだ。
「大丈夫です! 絶対に言いふらしたりなんかしない人なので」
「そんなの信じられるか」
「もー、分かりました! 誰にも言いません! その代わりバーには連れて行ってください」
「はぁ? 友人に言えないのになんでまだ行きたがるんたよ」
「元々そういう場所に興味があったんです〜」
「あー、もう分かったよ、仕方ないな〜」
理久は、溜息をつきながら承諾した。
これ以上、問答するのが面倒くさくなってきたのだ。
それに、口止めの条件として出されては飲むしかない。
目的のバーのある最寄り駅まで、どうにかして家に帰せないか模索したが、百合の気持ちは硬かった。
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