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第5話「貴方の下僕にして下さい」
「何見てんの?」
百合が隣の席でスマホを弄っているので、身を乗り出して覗き込む。すると、スマホは引っ込められた。
「友達から連絡来てたから返信してただけ。ていうか理久、さっきから声掛けられすぎじゃない?」
ノンアルコールカクテルを片手に、百合は目を眇めてこちらをじーっと見つめてくる。
行きつけのバーに着いた理久は、いつも座るカウンター席ではなく、テーブル席に着いた。
そっちの方が連れがいるアピールになって声を掛けられにくくなるのではと思っていたのだが、効果はそれほどなかったようだ。
「まあ俺、顔はいいからな」
グラスの中の氷をストローでガシガシと掻き混ぜる。
「ははーん、さいですか」
興味無さげに百合は答える。
自分から聞いたくせになんなんだよ。事実を言っただけだろ。
「それ、私以外に言ったら相当な嫌味だからね」
またも、興味無さげに百合は言葉を付け足した。
そういう百合も相当顔に自信を持っている。でないと、そんな言葉は出てこない。
理久は百合の顔なんぞどうでもいいな、と思いながら鼻で笑った。そして、ふと気づく。百合もこんな気持ちで理久の言葉を聞いていたのかと。
Subのくせして強気というか、負けず嫌いというか……。
東条 百合という人物の性格が、透けて見えたような気がした。
ちなみに百合がタメ口に戻っているのは、バーに向かう電車の中、百合に敬語を使われるのに気持ち悪さを覚えたことを、正直に伝えた結果だ。
「そんなにモテるんなら、やっぱりパートナーの一人や二人作れるでしょ?」
百合は自身の首輪に指を引っかけながら、ドヤ顔をしてくる。
首輪とは、DomがパートナーのSubに送る所有の証。着けるかどうかはSub次第だが。
百合は大学では着けておらず、さっきバーに入る前に鞄から取り出していた。どうやら持ち歩いているようだ。
首輪に指を引っ掛ける百合はまるで、私が声を掛けられないのは、この首輪があるからだから調子乗るんじゃねーぞ。とでも言いたげだ。
それに加えてパートナー兼恋人がいるんだぞという自慢も同時にこなす所業だ。
これが東条 百合の素か……。
思わずため息が出る。今日だけで俺は何回ため息をついたんだ。
「いやだから――」
と、電車の時と同じようにパートナーは作らない宣言しようとした時、
「えー、なになに〜。理久パートナー作るの〜?」
顔見知りが、ドリンク片手に理久と百合が座っていたテーブルに乱入してきた。その声は大きく、周辺の席に座ってる人には聞こえたのだろう。
「え? あの理久がパートナー作んの?」
と、知り合いがテーブルにゾロゾロ集まってくる。
理久は否定しようとするが、一番にテーブルに乱入してきた男がこちらに体をもたれさせてくる。
「じゃあ、僕をパートナーにしてよ。相性も良いしさ」
男の名前は北川。彼はSubで何度かプレイをしたことがある。
「理久のアフターケアは最低限っていう条件も呑めるしさ」
理久はプレイの相手を見つける際、いつも条件を出していた。
Domは、Subに負担がかかるような命令をした後や、プレイの後にアフターケアをしなければならない。
スキンシップを取り褒めまくったり、全肯定したり、世話をしたりなどなど。端的に言えば、Subのメンタルケアだ。
一般的なDomにはそれを"したい"という欲求が備わっているらしいが、理久にはない。
だから、相手がサブドロップという不安定な状態に陥らない程度にだけアフターケアをして、プレイを終えるのだ。
北川はかなり前から、それでもいいからパートナーになりたいと言ってくれているが、ずっと断っている。
たまに会うプレイメイトと、パートナーとじゃ勝手が違う。相手は、プレイの相手を理久一人に相手を絞ることになる。つまり、最低限と言っても自分一人でSubのケアをこなさなければならないのだ。今までよりも注意してSubの様子を見ることになる。
それに何度もプレイを繰り返せば、相手だってもっと理久に優しくして欲しいと期待するはずだ。
その期待を裏切って、悪者扱いをされるのはもう懲り懲りだった。
理久は鼻を鳴らす。
我ながら、Domとして欠陥品だな。
理久はベタベタと腕に身体を絡ませてくる北川を剥がす。
すると隣から、
「やっぱりそんなやついるじゃん」
という声が聞こえた。百合だ。
理久はむっとした。きっと電車の中での話をしているのだろう。
何も知らないくせに。
「北川は、そんなやつじゃない」
苛立ちを孕んだ声が出た。
そんなやつ呼ばわりされた北川は、理久が否定したのを見て嬉しそうな表情を浮かべた。
テーブルの周りは「理久がこれからパートナー作るってさ〜」という声で勝手に騒がしくなる。
こちらの話など聞いていないようだ。
「なにがそんなに気に入らないのよ」
「気に入らないんじゃない、俺にパートナーを作る資格がないんだ」
「しかくぅ?」
百合がこちらを変なものでも見るような目で見てくる。
「パートナーを作るのに資格も何もないでしょ。大事なのは相性が良いかどうかだけ。あとは少しの妥協」
「じゃあ、俺と相性が良い人はいない」
理久が向かい側のソファの一点をじっと見つめる。はぁーと、百合はため息をついた。眉間に皺を寄せ、天井を仰いでいる。
「初めからいないなんて決めつけてたら、いる人もいなくなっちゃうよ」
それは、確かに正論だった。
しかし理久は、自分にそれが当てはまらないことを知っていた。
自分はDomとして、生きていてはいけないのだ。
『理久くんってDomなのに、なんでそんなに優しくないの?』
『DomにはSubを甘やかしたい、守ってあげたいっていう欲求があるのよ』
『理久くん、超サイテー! パートナー持つ資格ないよ!』
『おにい、学校でパートナーをサブドロップさせたってほんと? ヤバすぎw』
思い出したくもない記憶が呼び起こされる。
理久は百合の胸ぐらを勢い任せに掴んだ。百合の手に持っていたグラスが倒れる。
「お前に……俺の何がわかる」
地を這うような声が出た。
百合は、驚いて目を見開いた。
少しの間を置いて、理久達を見ていた周りが「まあまあまあ」と仲裁に入ってくる。
力が入りすぎてプルプルと震えている拳の指を、一本ずつ剥がされる。
「何をそんなに怒って――」
ダンッ!!!
仲裁に入ってきた人が窘めてくるのを無視して、机を拳で叩く。
その音に驚いた周りの視線が、自分に突き刺さるのが分かる。
「俺はッ!!!」
優しさを期待されるくらいなら、初めからサイテーなクズでいた方がよっぽど楽だ。
「奴隷みたいに都合のいい奴しか、パートナーにしません!」
店内に、理久の最低発言がよく通る。
店内は静まり返っていた。
理久は、周りがぽかんとしている間に自分の鞄を引ったくり、店の扉へと向かう。
俺、何言ってんだッ、何言ってんだッ、何言ってんだッ!?!?
今の発言は痛すぎる!!! 絶対に引かれた!
もうこのバーには来れない! というか、ここらへん一帯歩けねぇ!
理久は我に返っていた。
顔を真っ赤にして、その顔を見られたくなくて、地面を見ながら逃げるように早歩きをしていると、何かにぶつかった。
視線を上げると、扉までの道を塞ぐようにいる東条 悠生。
「な、なんでここに……?」
っていうか、今の発言聞かれた? 悠生に!?
し、しししし、死にたいッ!!!
「あ、兄さま!」
百合の声だ。それと同時に後ろからヒソヒソ声が聞こえてくる。
このDom過ぎるDomは一体なんなんだという感嘆の声。
どうやら皆、理久のさっきの発言よりも悠生の存在の方に意識がいったらしい。
そのままさっきの発言は忘れてくれッ!
なんて思っていると「百合に呼ばれました」と、上から声が降ってくる。
あー、さっきの俺の質問の答えか。テンパりすぎて一瞬なんの話か分からなかった。
まあ、なんでもいい。とにかく俺は帰るっ! と思い、悠生を避け、レジに千円札を三枚置こうとする。しかし、手首を掴まれた。
あーもう、誰だよ! 俺は早く帰って、今日起こった出来事を全部、記憶の海に沈めるんだ!
と、掴まれた手首をとりあえず無視する。どうにかこうにかして片手でレジに札を置くと、後ろから静かに驚く気配を感じた。そして、静まり返った店内で、何人もの客が息を飲む。
嫌な予感がして振り向くと、そこには跪いた悠生がいた。
今度は理久が息を飲む。
すると悠生は、手首からするりと手をスライドさせ、理久の手を丁寧に掴む。悠生はその手に顔を近づけ、口付けた。
頭が真っ白になる。
「僕を貴方の奴隷……」
悠生はそこで一度言葉を止める。いやと言葉を改め、僕をと言葉を続けた。
――貴方の下僕にして下さい。
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