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第2話

 西内は俺の元恋人だ。大学時代に付き合い始め、社会人になってしばらくしてから別れた。理由は西内から同期の女の子と付き合うので別れてくれ、と言われたからだ。その後、二人の付き合いは順調に進み、西内はその彼女と結婚した。  ふられた俺はマリアナ海溝の底よりも深く落ち込み、もう夜明けは来ないとばかりに暗黒の日々を送っていたのに、そんな俺の気持ちを思いやる優しさの欠片も見せず、あいつは結婚式に出席しろ、スピーチしろと無理難題を押しつけてきた。俺も断れば良いのに、安請け合いして余計に落ち込む羽目になったんだけど。  その元彼、西内が今ここで俺の目の前に再登場していた。 ――もう二度と会う事なんてないと思ってたのに。 「ん? 菊池、何か言った?」 「い、いや、何でもない。おまえも元気か?」  やばい、俺の心の声が口に出てたか?! 「ああ、すっげぇ元気だよ。おまえも元気そうでなによりだよ。それにしても、どうしたんだ? こんなところで会うなんて珍しいよな。仕事?」 「この近くの会社に商談に行ってたんだ」 「ふうん、忙しそうだな。まあ年末だもんな、仕方ないか。……そういやさ、おまえ俺からの携帯出ないだろ? どうしたんだよ。あの日、急にホテルからいなくなるし、電話通じないし、びっくりしたよ」 「……え?」  あ……そうか、西内の番号は着信拒否にしてたんだっけ……  それは数ヶ月前の夜の出来事だった。西内に新婚旅行の土産を渡すから、と突然呼び出されて行ってみたら、嫁さんが不在だからホテルに行こうぜ、なんて意気揚々と誘ってきたのだ。まったくもって言語道断と言うか、常識がないと言うか、あいつらしいと言うか……一瞬ふらついてしまった不甲斐ない俺だったが、ホテルであいつがシャワーを浴びている間に、冷静になり目が覚めて逃げ出したのだ。もちろんあいつの携帯番号は速攻、着信拒否に設定した。 「あー、そうそう、ごめん。急に用事思い出して帰ったんだよ。それと、あの夜どこかで携帯落としちゃってさ、番号変えたんだ」 「え? そうなの? 菊池ってば案外そそっかしいんだな」  西内は全然疑う様子も見せずに、あははは、なんて暢気に笑っている。 「新しい携帯の番号教えろよ」 「あ、ああ、そうだな。……それよりさ、おまえこそこんな時間にこんな所で何してるんだ?」 「今日はさ、午後有休取ってるんだ。最近うちの会社、有休消化しないとうるさいんだよ」 「へえ……積極的に休めって言ってくれるなんて、良い会社じゃないか」 「まあな」 「そういや、嫁さん元気なのか?」  俺の問いに、西内は嬉しそうな顔をする。もうとっくにあいつとの事は忘れたと思ってたけど、さすがにあからさまに嬉しそうな表情をされると、元恋人としては胸がほんの少しだけ、ちくりと痛む。 「めちゃくちゃ元気だぞ。昨日から仲が良い友達と温泉に行ってるんだ」 「……温泉? 友達と?」 ――今日はクリスマスイブだぞ? それなのに、友達と温泉……??? まだ結婚して半年ぐらいしか経ってないよな? しかも結婚して初めてのクリスマスなのに?  俺の困惑になんて全然気付いた様子もなく、西内は上機嫌で話を続ける。 「なんかすっげえ仲が良い友達が出来てさ、よく一緒に遊びに行ったり旅行行ったりしてるんだよ」 ――それ……本当に友達か?  俺の心の中に一抹の疑念が浮かぶが、あえて何も言わずに黙っておく。 「温泉行くのに着ていくから、新しい服買ってぇ、なんて可愛くおねだりされちゃってさ。買ってやったらすごい喜んでたな」  でれでれになった西内は満面の笑みでそう言った。 ――友達と温泉行くのに新しい服ねえ……  ますます怪しいな、と思う。仮に百歩譲って、浮気じゃなかったとしても、西内は奥さんに、財布代わりに使われているだけなんじゃないのだろうか。 「嫁さん、俺にベタ惚れ過ぎるだろ? 可愛いよな。そう思わねぇ?」 「……」  西内は肘で俺を小突いて同意を促すが、俺は素直にうんと頷けなかった。 「……なあ、それよりさ、おまえ時間ある?」 「……え?」 「今、昼休憩の時間なんじゃねえの?」 「ランチの誘いだったら、悪いけどもう済ませてるから」 「違うよ。今からさくっとホテル行かねえ?」  はあ? 何がさくっとホテルだよ!?  呆気にとられて俺が黙っていたら、同意したと思われたらしく、西内はにやにやしながら耳元で「このすぐ近くにいいホテルあるんだよ」と囁いてきた。 「……おまえ、そういうの止めておけよ。嫁さんが可哀想だろ?」 「バレなきゃ平気だって。女の子相手に浮気するのと、男相手にヤルのは違うだろ?」  違わねえよ! 俺は心の中で思い切りツッコミを入れた。 「1時間ぐらいで軽く終わらせるからさ……なあ、いいだろ?」 「困るんだ」 「ああ?」  俺は厳しい口調でそう言って俯いた。西内は俺が断ると思っていなかったらしく、呆然としている。 「……俺、今付き合ってる人いるから、そういうの困るんだ」

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