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第6話
「準備できたよ~!」
玄関先で、茉優ちゃんが僕に声をかける。
「僕も~」
言いながら僕も自分の部屋から出ると、茉優ちゃんにニコリと笑顔を向ける。
「良かったね、休みが被って」
玄関で靴を履いている僕の頭から、嬉しそうな茉優ちゃんの声。
基本的に茉優ちゃんとは休みが合わない。
僕はアパレルで仕事だから、土日の休みは基本的には無い。一方茉優ちゃんは事務系の仕事で土日が休みだ。
今日は土曜日。
イレギュラーな僕の休みができた為、こうして茉優ちゃんとデートができる。
家に帰ればお互いに会えるのだが、一日中一緒という事は珍しい。
デートも、仕事帰りに夜ご飯を食べたりする位なので、僕も茉優ちゃんもテンションが上がっている。
「な~~。今日は楽しもうね」
僕の台詞に茉優ちゃんは、フフと嬉しそうに笑うと、二人で家を出る。
今日のプランは、ちょっと遅めのブランチを二人で食べてその後はケンちゃんの出産祝いを買いに行って、二人が見たいねと言っていた映画を見てから夜ご飯を食べて帰って来るプランだ。
家を出て、最寄りの駅まで並んで歩く。いつもの様にお互いの近況を喋りながら。
駅から電車に乗って、目的地の駅に着くまで何を食べるかでひとしきり盛り上がり、ブランチはカレーを食べた。
そこから百貨店に向かって、子供服の売り場へ。
茉優ちゃんと僕が可愛いなと思ったブランドの所を行ったり来たりしながら、店員さんのアドバイスをもらい、おくるみとスタイ、服をまとめてラッピングしてもらい百貨店を後にする。
基本的には百貨店へは行かない二人だから、入店した際は二人共少し緊張気味だった。
だって、エレベーターにエレベーターガールが居て何階の売り場に行くのか聞かれる。そんな事経験した事無い僕は少しどもってしまい、そんな僕を茉優ちゃんは笑っていた。
何時の間にか僕達は手を握ってデートしている。
一般的には普通のカップルがする事なんだろうけど、茉優ちゃんにとってはどうなんだろう?
何度か手を握ってデートはした事があるから問題は無いとは思うが、アセクシャルの人の中では、手を握る事さえ違和感を抱く人がいる。
アセクシャルでも、その度合いは人によって違うと茉優ちゃんから聞いた事がある。
我慢すれば性行為をできる人もいれば、全くできない人。マスターベーションはできても、他者と性行為ができない人。触れる事さえ無理な人もいれば、触れる事は大丈夫な人もいる。
茉優ちゃんは、僕と手を繋ぐ事に違和感は感じないのか?その辺りは本人に確認した事が無い。
けれど、こうしているのだから大丈夫なんだろうと僕は認識している。
性行為やマスターベーションについては、謎だ。
彼女でも、女の子に聞くのは気が引けて、茉優ちゃんが何かしら言ってきてくれるまでは僕から聞こうとは思わない。
聞かなくても、こうしてお互いを尊重出来れば、長く楽しく一緒にいれる事を体現しているから不満は無い。
百貨店から商業施設に移動して、先に見たい映画のチケットを購入する。
購入してから、ブラブラと時間を潰しながらウィンドーショッピングを楽しんで、映画の時間が迫ってきたので、再び映画館へと戻る。
チケットを僕が二人分購入したので、飲み物を茉優ちゃんが買ってくれて、激しい銃撃戦が十二分間続くと話題のアクションを見に劇場へ。
タップリ二時間半映画を楽しんで、一度煙草休憩を取らせてもらう。
煙草も止めようとは思っていて、二、三年前に比べれば吸う本数は格段に少なくなっているが、なかなか止めるまでの踏ん切りがつかない。
基本、家では吸わない事にしている。賃貸だし、綺麗に使いたいと思っているから。仕事では、休憩中に何本か吸ってしまうがその程度で今最も吸っている場所は文也の家のベランダだ。
事が終わると、どうしても吸ってしまう。
文也も家の中は禁煙にしているらしくお互い事が終わればベランダに出て僕は煙草、文也はアイコスを吸っている。
喫煙場所から出て、商業施設の中庭みたいなところのベンチで腰を下ろすと夕飯は何を食べるかで盛り上がってしまった。
で、結局ハンバーグを食べに行く事に。
お昼はカレーで夕飯はハンバーグ。まるっきり僕の食べたいものになってしまった。
茉優ちゃん的には
『私は職場の人と、いつでも好きなの食べに行けるから』
らしいが、それは僕もおんなじなんだけどな。
彼女なりの優しさに僕は甘えて最近二人で行っていなかった、ハンバーグ屋へと向かう。
ハンバーグ屋に着くと、お互い浮気せずにいつものやつを注文して茉優ちゃんが食べ切れなかったハンバーグを平らげると、店を後にする。
「食べたね~」
「腹がはち切れそう」
「私の分まで食べてくれたからね」
キラキラと夜の街を彩るネオンの中、家路へと帰っている。
茉優ちゃんが、出産祝いのプレゼントを持ってくれていて、空いている方の手は繋いでいる。
「渡すの楽しみだね」
紙袋を上に少し掲げながらそう言う茉優ちゃんに、僕もニコリと笑いかける。
「茉優ちゃんが選んでくれたから、自信持って渡せるわ~」
「大袈裟だよ~」
ハニカミながらそう言う茉優ちゃんを、素直に可愛いなと思う。
「晴人?」
後ろから突然聞き慣れた声が聞こえて、僕も茉優ちゃんも歩く足を止める。
声がした方にいち早く茉優ちゃんは振り返っているが、僕は誰の声か解っているので振り返るのに躊躇ってしまう。
「オイ、晴人」
振り返らない僕に対して、少し不機嫌そうな声音。
僕はユックリ振り返ると、そこにはやはり文也がいる。
茉優ちゃんは、不安気に僕と文也を交互に見つめていたがユックリと僕と繋いでいた手を解いた。
文也の方も一人ではなく、先日クラブで一緒にいた人と立っている。
「何してんの?」
文也は僕と茉優ちゃんを見ると、眉間に皺を寄せて尋ねてくる。
その問いに何も答えられない僕を、文也の隣にいた彼が
「聞いたら悪いよ~、デートの邪魔してるって」
と、その通りの回答をしてくれる。
文也は隣の彼の言葉に一瞬嫌そうに口元を歪めて、次いでは僕の近くに寄って来ると
「何、してんの?」
あくまでも、僕の口から聞きたいらしい。
僕はもしかすると、イヤ、もしかしなくても殴られるなと感じ、一度茉優ちゃんの方に顔を向けると
「茉優ちゃんごめんけど、先に帰っててくれる?」
と、呟く。
「ケド………」
険悪な雰囲気に、自分の彼氏が何かされるかもしれないという心配からか茉優ちゃんは迷うようにその場から動こうとしないが
「大丈夫だから、ね?」
何も説明しない僕の顔をしばらく見つめると無言でコクリと頷き、一度文也の方に視線を向けて軽く会釈して彼女は駅へと一人歩き始める。
「え?彼女帰ったけど、良かったの?」
茉優ちゃんが居なくなり、文也の隣にいた彼は文也同様僕に近付くと楽しそうにそう言って文也の肩に腕を乗せる。
と、
「お前も悪いけど、帰ってくんない?」
自分の肩に置かれた腕を振り払うと、文也は静かに彼にそう言う。
「は?何言ってんの?」
突然文也からそう言われた彼は、見る見る険悪な顔付きになって文也に詰め寄る。
「悪ぃけど、こいつと話があるから帰って」
「イヤイヤイヤ、話って終わっただろ?こいつには彼女が居た。お前は遊びだった。終わりじゃん?話なんてねーだろ?」
口調が荒くなった彼の台詞に、通行人達が何事かとチラチラと僕達に視線を投げかけてくる。
僕は地面に視線を落とし、ギュッと唇を噛み締めた。
「俺はあるから。悪いけど………」
静かに彼に言う文也の台詞は、暗く静かだ。だから返って怒りが解る。
その圧に彼の方も押されたのか、一度僕を見た感覚はあったが次いでは小さく舌打ちをして、靴音が遠ざかって行く。
「車、あっちに置いてるんだわ……」
一言そう呟くと、文也は歩き出す。
僕が文也の言葉に顔を上げると、もう数歩文也は歩き出していて僕もその後に続く。
無言のまま車を留めている駐車場に行き、無言のまま車に乗り込む。
車が走り出しても、文也は何も言わない。
きっと文也の自宅に行くんだろうなと、流れる景色を車の中から見つめながら僕も押し黙ったまま。
重たい沈黙が続き、やはり文也の自宅に到着する。
いつもの様にエレベーターで五階まで上り、部屋の中へと入る。
奥の部屋へ入ると、大きな溜息を吐き出しながらソファーへ座る文也を僕は立ち尽くしたまま見ていると
「話、できないから座ったら?」
と、投げやりに呟く。
僕は言われるままに文也の隣に腰を下ろすと
「いつから?」
静かに尋ねる文也に視線を泳がせても、文也はこちらを見ていなかった。
「四年………位……」
呟いた僕の台詞に、隣で呆れたような溜め息。
「ハッ………、四年?」
その後の言葉が続かないのか、文也は黙ってしまう。
「………、ごめん……」
文也の方に体ごと向け、頭を下げながら呟く僕にやっと文也は視線を向けてくれる。
「お前、ゲイじゃ無くてバイだったのか?」
「違う……」
本当の事を呟いた僕の目を反らさずに文也は見ていたが、僕が答えた言葉に文也の瞳が揺れている。
「……、違うってどういう事?男も女もイケてんじゃん?てか、そもそも隣に居たやつは、彼女で合ってんだよな?」
彼女で合っている事を肯定する為に、僕はコクリと頷くと文也は苦しそうに眉間に皺を寄せる。
「彼女居て、俺とも関係作るって事はバイだろ?」
「…………、違うんだ」
「何が?」
否定はするがそれ以上の言葉を言えない僕に、文也は苛立った様子で聞いてくる。
僕は一度唇にギュッと力を入れて、息を吸い込むと
「男とは、体の関係だけで……」
僕の台詞に文也は固まりしばしお互いを見つめ合う形になったが、次いではみるみると僕を嫌悪する表情に変わっていく。
「は?………、ちょっと何言ってるか解んないんだけど?」
僕の言った事を嫌悪しながらも理解してくれようとしている台詞。
僕に説明させてくれるチャンスをくれる優しさが、文也にはある。
「………。僕の恋愛対象は、異性で……」
「イヤイヤイヤ、だから俺と関係もしてるじゃん。だからバイで合ってんだろ?」
「……………」
文也の突っ込みに次の台詞が出てこない。
それはきっと文也を傷付けると解っている言葉だから。
「言えよ」
躊躇って言えない僕に、言う事を促す文也の台詞。
一瞬、チラリと見た文也の表情は相変わらず僕を嫌悪している。
イライラしているのか、膝の上でトントンと指を上下に動かしている文也に僕は口を開き
「性欲は……、同性じゃ無いと満たされないんだ……」
「………、性欲は……ね」
重い沈黙が二人を包む。
僕はこれ以上文也に対して言える立場じゃ無い。
「恋愛対象は異性だけど、同性の俺には気持ちは無くて、性欲を満たす為だけって事か?」
文也の台詞に僕は何も言わない。
無言の肯定って事だ。
無言の僕に文也は大きな溜め息を吐き出し
「バイよりも質悪ぃなお前」
………。そうだと自分でも思う。
同性に気持ちは無い。ムラムラとした欲情だけ。
幾ら綺麗事を並べても、性欲処理の為だけに抱かれるのだ。
「………ごめん」
呟いた僕に文也はおもむろに立ち上がると
「申し訳無いけどもう連絡してくるな、俺もしないから」
「………解った……」
俺が同意すると一瞬空気に殺気が混じり、文也が俺に対して殴るような素振りを見せたが、グッと堪えると
「話は終わったから、帰れ」
静かにそれだけ呟き、そのまま寝室へと踵を返して行く。
ガチャリと寝室の扉が閉まった音を聞いて俺も静かに立ち上がると、そのまま文也の家を後にした。
歩いて駅まで行く気力が無く、文也の家から出るとタクシーで帰った。
家に着くと、茉優ちゃんが心配そうに玄関まで出てきてくれたが僕は話をする気になれないと自室に籠もる。
僕の部屋の扉の近くに、茉優ちゃんが持って帰ってくれたケンちゃんに渡す紙袋だけが、ポップで楽しそうな雰囲気を出している。
何もする気が起きず、僕はそのままベッドの上へとダイブするとうつ伏せでその紙袋を見つめる。
さっきまであれほど楽しく過ごしていたのに、こんな事になるとは夢にも思っていなかった。
イヤ、思いたく無かっただけだ。
僕がちゃんと言わなかったのがいけない。
言うチャンスは幾らでもあったはずなのに、自分の欲だけ優先させてしまった結果がこれだ。
だが言ってしまえば、今よりももっと早く文也とは終わっていた。
「悪いのは、僕だけどさ………」
自分の欲を優先させて、文也の気持ちを蔑ろにしてしまった。本当なら殴りたかったはずなのに、最後まで僕に対して優しさを見せてくれた。
チャラいと思っていた文也は、イメージとは違いいつも僕を優先させてくれていたと思う。
好きと言う言葉も沢山文也から聞いたが、僕はそれに答える事が出来なかった。
そう言ってもらえる事は、嬉しいと素直に思える。だが自分が文也に対してそうかと問われれば、そうじゃ無いとなってしまう。
理解される事は、本当に難しいのだ。
幾ら体を重ねても、感情の面で相手を好きになる事は無い。
文也も言っていたが、バイセクシャルであるならば、同性同士でも恋愛感情は生まれるが、僕には生まれない。
それは常に異性に向けられる。
悲しい事に、同性に対しては自分の欲求を満たすだけ。
友達みたいに良いやつだなとか、頼りになるなとかは思う。好きという感情も好感を持つ程度には芽生えるが、恋愛のそれとは違うと思う。
「まぁ、また違う相手を探せば良いだけなんだけど……」
そう、今回も今迄の様に次を探せば良いだけだ。
これまでと同じ様に、文也の事など忘れてしまえばいい。
「…………、忘れられるのか?」
ボソリと呟いた自分の言葉に、僕は無言になってしまう。
あれ程相性の良い相手を忘れられるのか?
「イヤ……、忘れないと……」
枕に顔を突っ伏して漏らした呟きはくぐもって、温かい息に消えていく。
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