17 / 25

第17話

「はぁ~、重ッ!」  買ってきた食材をテーブルの上に置いて、両手をブラブラと振っている文君に  「とりあえずさ、コーヒーでも飲んで休憩しようよ」  と、声をかけると  「賛成」  返事を待たずに、私はケトルに水を入れてお湯を沸かし、お湯が沸く間にコーヒーフィルターに豆を入れる。  私がコーヒーの用意をしていると、文君は食材を袋から冷蔵庫に移し替えてくれている。  お湯が沸き静かにフィルターにお湯を落としていくと、部屋中にコーヒーの芳ばしい香りが漂い始める。  「………なぁ、何で晴人なの?」  「ん?」  出来上がったコーヒーをテーブルの上に置いて、文君の前に腰を落ち着かせると不意にそんな事を聞いてきて……  「だから、晴人を選んだワケ」  「選んだワケ?」  視線を上に持ち上げ思い当たる事を考えるが  「……晴君が言ってきてくれたから?」  「イヤ、晴人の事好きなんだろ?」  「そうだね」  即答する私に、文君は首を傾げる。  「じゃぁ、好きになった理由?」  「何で疑問形なの?」  笑いながら答え、そうして続きを言う。  「最初はさ、断ってたんだよね。晴君と付き合うの」  「そうなん?」  意外と言わんばかりの感じで、文君は身を乗り出していて、その態度に私はフフ。と笑うと  「そうそう。私が恋愛するつもり無かったからさ」  「へぇ~………、で?」  「で?って………」  「答えになってねーし」  …………。バレたか。  「ウ~ン、…………言わなきゃ駄目?」  「そこまで引っ張られたら、嫌でも聞きたくなったな」  ニヤニヤと笑う文君とは違い、私は苦笑いを浮かべながら  「…………私の事を好きでいてくれるから、好き………」  「は?」  「晴君の好きなところ。以上!」  「それだけ?」  「それだけって、失礼だな~!私にとったら重要なんです~!さ、作ろうよ!!」  ガタタッと音を立てて私は椅子から立ち上がると、キッチンの方へ足を向ける。  そう、その事が一番私には大切。  後ろから文君の溜め息が聞こえるが、私は無視する。  「んじゃぁこれとこれの皮むいて」  冷蔵庫から取り出した食材を私に渡しながら、文君が指示を出す。  「了解」  私は言われた通りピーラーで食材の皮を剥いていく。  その間文君は違う食材を包丁で切り始める。  何だかんだと私達の手際は良い方だと思う。晴君だけが少し料理が苦手。あ、違うな、男の料理って感じだ。  皮が剥き終わらないうちに、文君は私に次の指示を出す。出しながら文君はフライパンで先程切っていたものを炒める。  ウン。この調子だと早目に終わっちゃうかもね。  「これ終わったらさ、私一旦洗濯物しまってもいい?」  指示された食材を切りながら、文君に聞くと  「あ?全然良いよ」  「ありがと」  手際良く食材を切り終わり、私は一度洗濯物をしまう為にベランダへ。  皆の洋服を畳んで、それぞれの部屋のベッドへと畳んだものを置き自室で下着も畳んでしまう。  今回の引っ越しで今まで住んでいたとこよりは広い所に決めた。人数も増えたしそれに伴って物も増えたからだ。  当初、晴君と文君の部屋は一緒にと話が出ていたが、晴君が駄目だと文君に断っていた。  その理由も、きっと私だ。  ……………彼のその気持ちが堪らなく好きだし、嬉しかった。  私の事もきちんと好きで、考えていてくれるから。  文君に対して私はコンプレックスがある。それは、晴君に私が与えてあげれないものを文君があげられるから。  反対も然りだと理解はしているが、やはり自分があげれないものを他の人が補ってくれるのは、いい事だと思っていても嫉妬する気持ちが無いわけでは無い。  ましてや一緒に暮らしているのだ、どうしても意識はしてしまう。  それはきっと文君も一緒だろうが………。  なので部屋はそれぞれ持つことになったので、各部屋三部屋に加えリビングダイニング、それに前回住んでいたとことは違って、壁も厚いところにした。  これは、まぁ……晴君と文君の要望ですけどね。  けれど、文君の部屋はそれにプラスして吸音材を部屋中に敷き詰めている。  音楽をする為と、晴君の為に。  床や天井、ドアに至るまで貼っていて部屋の中は中々に暗い。  部屋の並びも玄関に一番近いのが私の部屋で、真ん中に晴君の部屋その隣が文君の部屋になっている。  「バランスは、良いけどね」  言いながら部屋を出て、再びキッチンに戻ると  「洗濯物サンキューな。で、これマッシュしてくんない?」  ボウルをズイを差し出され、次いではマッシュするものを出される。  「ン~、リョ」  受け取って、テーブルの上でマッシュしていく。  「これ、コンソメ混ぜるの?」  「解ってんね!」  そんなやり取りをしながら、次々に料理ができていく。  「茉優ごめんけど、鍋の中のやつ一旦ザルにとってくんね?」  「解った~」  テーブルから移動してコンロのところへと行き、火を止めて流しにザルをセットする。鍋を持ち上げザルめがけて中の物を流し入れようとしたところで、手が滑ってしまい左手首にお湯がかかってしまう。  「アッツ!!」  「オイ!なにやってる!?」  隣に立っていた文君が声を荒らげながら、すかさず鍋を私から奪い取ると  「水!」  鍋をシンクに置いて水を出すと、グイと私の左手を水の中へと。  そのまま七分袖の服を捲し上げられ  「あ…………」  「え?」  一瞬、二人共言葉を失いザーッという流水音だけがやけに大きく聞こえる。  「お前、これ………」  捲り上げられた服から覗いたのは、私の腕にあるリストカットの跡。  呟いた文君の言葉に私は隠そうと腕を引くが、それよりも早く彼は私の腕を引っ張ると  「何?最近?」  ガッチリと掴まれた腕は、ビクリとも動かない。  どう言っていいものか解らず、無言の私に  「茉優、聞いてる?」  「あ…………最近じゃ無いよ………」  ボソボソと呟く私の隣で、本日二回目の大きな溜め息が聞こえる。  「とりあえず、こっち」  ある程度流水に流した腕をそのまま掴まれ、テーブルへと移動する。  「ちょっと待ってて」  私を椅子に座らせ、食器棚の中にある引き出しから火傷用の軟膏を取り出すと  「ちょっと、赤くなってんな~。ま、跡にはなんないと思うけどな」  「………ウン」  軟膏を私に塗りながら、文君は呟く。  そうして  「ちょっと、話ししよう」  「でも、料理途中だし………」  言われた言葉に私が返して、オズッと文君に視線を流すと思いがけず真剣な顔とぶつかる。  「イヤ、無理だよ茉優。多分、ソレ晴人も知らねーんだろ?」  ズバリ言われた。彼の言う通り、晴君も知らない傷跡。  誰も知らない。私だけが知っているもの。  何も言わない事でそれが肯定の意味になる。  私の反応に文君は再び溜め息を吐き出し  「あのさ、いい加減俺も茉優の事知りたいんだけど?まだ駄目なの?」  「え?」  思いがけない文君の台詞に、私は彼を凝視してしまう。  「…………知ってる、じゃん?」  「イヤ、知らないけど?」  「そんな事………」  「お前は自分の事話さないじゃん?」  …………………………。  「話して、るよ………」  「俺や晴人みたいに言わねーじゃん、何でなん?理解して欲しくないの?」  「そんなわけッ!」  無い。理解して欲しいから………、私の中では、話してる……つもりだよ?  感情が表情に出ていたのか、文君の手が私の頭をポンポンと二度優しく叩く。  「甘え方、知らないなって思ってたけどもう良いんじゃね?俺と晴人位には甘えてみても」  「甘えて無いかな……?」  「甘えてねーよ、自分が一番解るだろ?」  …………。解るよ。解ってるよ。  ケド、出来ない人だっているじゃん。  甘え方、解んない人だって……。  私が言葉を失くしていると、文君は再び私の腕を掴み  「何で?」  と、視線を投げかける。  私は、掴まれた腕を見詰めてゆっくりと口を開いた。  あれは、私がまだ女子校に通っている時、さっきの三人組と同じクラスでグループになっていた頃、自分のセクシャリティに悩んでどうにか普通を装っていた。  ううん、普通になりたかったの。ケド、異性と付き合うとどうしてもセックスがセットで付いてくる。それが嫌で誰とも付き合う事をしなかった。  でも、グループで彼氏がいないのは私だけ。皆セックスも経験済みで、その事でマウントを取ってくる人達ばかり。それが嫌で、嫌で、何度も違うグループにいこうとしてたの。  ポツポツと話し始めた私の言葉を、文君は静かに聞いていてくれる。  けどね、マウント取れない子が一人でもグループにいないとバランスが悪くて、あの子達は私が他のグループに行くのを嫌がった。で、彼氏候補を次々に紹介してきたのね。  私も馬鹿だからさ、普通になるには彼氏を作るしか無いってどこか強迫観念みたいなものに取り憑かれてて………。何度か付き合ったりもしたんだ。  最初は良くても、段々と駄目になる。  だって、長く付き合えば付き合うほど相手は私の体も欲しくなるから。  当時は手を絡める事も出来なくて、触れ合うと嫌悪感があって無理だった。だからさ、割と直ぐに別れる事が多かったように思う。  あの三人にはその辺から病気なんじゃ無いかって言われてた。  言われ過ぎて、徐々に否定するのも億劫になって、好きに言わせてたらそれが定着して………。  異性と付き合えば付き合うほど、自分が普通じゃ無いって感じる。  何で、受け入れる事がこんなにも出来ないんだろうって、やっぱり私はおかしいんだって………。  でも、惹かれるのは男性。  結局最後はうまくいかないのに、それでも求めてしまうのは男性だった。  その感情に疲弊していた時に、一人の人と出会った。  私はそこで言葉を区切り、文君の顔を見ると、何故か文君が苦しそうな顔をしている。  私はそんな文君に苦笑いを浮かべて、続きを話し出す。  その人がね、初めてだったの。私のタイミングで良いよって言ってくれた人。  大切にしたい、大事にしたいから幾らでも待つよって………。  彼の言葉は素直に嬉しかった。  そんな言葉を言ってくれる人とも出会ってなかったからなおさら。  彼の言葉に甘えていた。この人は今までの人達とは違うのだと、自分に言い聞かせて。  「でも、うまくいくはず無いよね」  自虐的に呟いた言葉は、何故か笑いながらで………。でも、笑って言わない以外の術が無い。  文君は何も言わない。  ちゃんと私の話を、聞いてくれている。  何だかおかしい。だってそうでしょ?文君と私は付き合ってるワケじゃ無い。同じ人を好きになって、その人を共有している………。言わばライバルの立ち位置なのに、何故かお互いすんなり受け入れられて、家族みたいな………。  家族と言う言葉に、何故かむず痒さを覚え、フフ。と笑みが溢れる。  「茉優?」  何故、そのタイミングで笑うんだと文君に訝しげに尋ねられ、私は  「ごめん、ごめん。違う事考えてた」  「オイ、人が聞いてやってんのに……」  心外だと言わんばかりに突っ込まれて、私はごめん。を連呼する。  「で?」  「ウン………」  文君に促され、私は再びポツポツと話し始める。  待っていてくれていたと思う。彼なりに。けどね、何も出来ないのも彼は辛かったんだと思うの。デートはできても、それは女友達と変わらない距離感だったから。  付き合いが長くなって、段々と彼の態度が冷たくなってきたんだ。  何でだろって、ある日彼のスマホを見た時があった。  私も、彼氏のスマホを盗み見る位には、その人の事好きなんだって思えたな。  案の定浮気してました。私のグループの子と。  でもその時思ったのは、あぁ、やっぱりなって。怒りよりも、納得した感情で………。  なぜだか冷静な自分がいたんだよね。  不思議なくらい落ち着いた自分がいた。  後日、彼の家でその事を問いただすと、彼からは  『やっぱ無理だよ、俺好きな奴とシてーもん。お前病気なんだろ?』  なんて、グループにいた子の嘘を真に受けて、私を傷付ける最低の奴だったって事が解って良かったけどね。  けど後日彼に呼び出されて………。  「茉優?」  リストカットの跡を指でなぞりながら押し黙った私に、文君が心配そうに聞いてくる。  言葉にする為息を吸って、私は呟く。  「そいつにさ、襲われたの」  「え?」  優しかった彼が嘘のように、私に罵声を浴びせ、殴って大人しくさせて………。  『お前のせいだ……全部、お前が悪い』  何かの呪文のように、している最中ずっと彼は私に言い続けた。  浮気が私にバレて、面白半分に付き合っていたグループの子に捨てられて、八つ当たりに私を襲った彼。  そんな些細な事で、人って切れるんだなぁ。って、襲われながら何故か冷静なもう一人の自分が、天井から一部始終を見ていてそう思っていた。  「それって……、警察……」  「言わないよ。てか、言えなかった……」  家でも浮いていた私に、誰も手を差し伸ばしてくれなかった。  大学教授の父に、中学校教諭の母。県内一の進学校に通う姉の中に、一人、中の下位の女子校に通っていた私。  両親二人共世間体や体面を凄く気にする人達で、愛しているのは出来の良い姉だけ。  そんな人達に、言えるわけが無い。  ましてやその理由が、異性とセックス出来ずに、襲われましたって。矛盾してるじゃん。  そこから学校に通えなくなった。  自分を、責め続けた。  私が悪い、私が悪い、普通になれなかった自分が………。  その頃から自傷するようになった。  リストカットをすれば何故かスッキリするようになったの。  痛さもあまり感じず、血を見れば落ち着く。  何度も何度も繰り返す。まさに麻薬だ。  死にたいと感じ、死にたく無いと感じる。相反する感情の行ったり来たりで、家から出れなくなった。  だが、家族は何も言ってくれない。  学校に行けと言うばかりで、何故私が行けなくなったのか、家から出られなくなったのかは聞いてくれなかった。  その時が一番病んでいたと思う。  この世界を呪っていた。  普通になりたくて、でもなれなくて………。  人に理解してもらえなくて、理解してもらえないなら、自分の存在意義が無いような気がして………。  「病み方凄いでしょ?………今思い出しても自分に吐き気がするもん……」  「ケド、それが無かったら今の茉優は居なかったって事だろ?」  リストカットの跡から文君の顔に視線を向けると、思いの外優しい顔とぶつかる。  「死なないでいてくれただけでも、俺は嬉しいけど?」  「………何………、ソレ………」  文君の表情を見ても、本心で言っているようにしか見えない。  本当に、言ってくれてるの………?  「俺はさ、茉優に助けられてるからな」  少し照れながら、文君は言葉を紡ぐ。  「茉優がいなかったら、俺と晴人は今と違う状況だったから」  「そんなの……解らないよ。私は……何もして無いし………」  ポツポツと感情を出さずに喋る私に  「イヤ、絶対そうだろ?俺も晴人もあの時は本当に終わるつもりだったし、現に終わってたしな………それを繋いでくれたのが、茉優だって俺は思ってるから」  照れて鼻の頭を掻きながら言う文君の台詞に、ツ、と頬を涙が一筋滑る。  「茉優………」  文君は驚いたように呟き、テーブルの上に乗っているティッシュケースを私の前に滑らせてくれるが私は両手で顔を覆い、込み上げる感情を制御出来ずにいる。  「私………そんな風に、言ってもらえる人じゃ無いよ………」  「何で?」  両手で覆ってしまった口から、くぐもった声を絞り出す。  「だって………やっぱりまだ私は文君に……、嫉妬しちゃうし……晴君に、ずっと好きでいて欲しい……」  「だから、何でそれが駄目なの?」  「………ッ汚い、じゃん………笑ってても……、心の中はグチャグチャで……」  「………茉~優、俺も一緒だから」  ポソリと呟いた文君の言葉に、私はソッと両手を顔から外す。  「アハッ!汚ったねー顔!」  顔を露わにした途端文君は吹き出し、私の目の前にあるティッシュを取ると、涙と鼻水を拭ってくれる。  私は文君にされるまま大人しくしていると  「俺も、茉優に嫉妬するぜ?」  拭い終わったティッシュをゴミ箱に飛ばして、コテンと首を傾げ文君が言う。  「嘘だ」  文君の言った事が信じられなくて、私は拗ねたような口調になってしまう。  「嘘じゃねーって、結構嫉妬してんよ?」  一年前は、そうかなって思う事も多々あった。  面白くなさそうに私と晴君をよく見ていた事があったから。  けれど引っ越しを期に、徐々にそれも薄れて今となっては余裕さえ感じる時がある。  そんな彼に、私は焦りを感じずにはいれなかった。  今までは大丈夫だと思えていた事も、思えなくなっている自分がいる事を知ってしまったから。  晴君と文君が連なって部屋に入るところを見てしまった時や、私が仕事で二人が休みの時等に疎外感や、文君に対して嫉妬の感情がムクリと持ち上がる。  晴君の為、ひいては私達の為だと私から文君にお願いをして今の関係になったのに、自分の心の狭さを痛感して自己嫌悪になってしまうのも嫌で………。  「俺がそう感じてるなら、茉優もそうだろうなって勝手に思ってたけどヤッパ一緒か」  笑いながら言う文君に、私は凄いなと素直に感じる。  私にもそうやって、笑える強さがあれば良いのに………。  「晴人の奴さ、俺と一緒にいる時も何かって言うとお前の話ばっかで………アイツ、デリカシーねーよな?」  ともすれば晴君の悪口まで言ってのけてしまう文君の台詞に、私も思わずクスリと笑ってしまった。  「最初はそんなんでも俺、許せなくて……よく晴人にあたってたんだよな」  「………、そうなの?」  私が笑った事で、少し場の空気が和む。  その事で文君も喋りやすくなったようで  「そうそう、俺といるのに違う奴の話すんじゃねーって」  二人にそんな事があったんだ。と思う。  晴君は私に文君の事をあまり話してくれないし、文君もやはり私にどこか遠慮していたところがあって……。  私も二人の事を自分から聞くことは無かった。  …………、だから駄目なのかな?でも、私から聞くのは違う気がするし………。  「ケド、こっちに引っ越して来てからさ、茉優一度も俺達の事で何か言った事ないじゃん?」  「言う事でも………、無いかなって……」  「ウン。好きにさせてくれてたじゃん?俺はさ、それが一番怖かったんだよね……」  「怖い?」  意外な言葉が出てきて、私は驚く。  それが顔に出ていたのだろう、文君は  「そう、怖かったんだ……。茉優が余裕に見えてさ」  「え、私が?」  それは私が思っていた事なのに?  「何も言わずに好きにさせてくれるって事は、相当自分に自信があるもんだと思ってたんだよね」  「無いよ!」  「………うん。この会話で理解した」  …………………。  何も言えなくなった私に、文君は優しい笑みを向けてくれる。  「茉優はさ、逆に自信が無いから言えなかったんだって理解したから」  文君から視線を外した私に  「ごめんな」  真正面から、優しい声がする。  「何で……謝るの?謝らないでよ」  「うん、もう謝らない。これが最後にするわ」  優しい人だなと思う。  私には無いものを持っている。それが羨ましい。  「晴人にとっては、茉優も俺も必要だって最近思えるようになったんだよな。それをさ、茉優も思ってくれたら嬉しいんだけど?」  「思ってるよ?私が出来ない事文君なら出来るから……だから、安心して三人でいれるなって思ってる……」  これは本心だ。  前に晴君が、文君と出会う前に何度か顔や手首、足に痣を作って帰って来た事があった。  よくよく話を聞いてみると、相手の人にやられたと言っていた。  同性同士の行為に無茶な事をする人は稀にいる。たまたまそれに当たったと彼は笑って言っていたけれど、その時は自分が提案したオープンリレーションシップを後悔したのを覚えている。  彼を傷付けたくて提案したんじゃ無い。  彼を幸せにしたくて提案した事なのに、と。  だから晴君が選ぶ相手は、優しい人が良かった。  彼を甘やかす人が良かった。  それが文君で、本当に良かったと思う。  晴君が潰れて帰ってきた時に、街で会った人が連れて帰って来てくれた事に、最初は驚いた。  だって街で会った時は凄い怒っていて殴り掛かりそうな人だったのに、連れて帰って来てくれた時は、雰囲気が全然違ってて………。本当に晴君の事を心配していたし、晴君が文君の服に盛大に吐いた時だってしょうがないみたいな感じで………。  その前に二人が一度関係を断っている事も知っていたから、なおの事彼の優しさが私には嬉しくて……。だから、引き留めた。  無理矢理にでも泊まっていって欲しくて。  「うん、素直に嬉しいな。晴人に言われるより何倍も嬉しい」  「私も、文君がそう思ってくれるの、嬉しいよ?」  「だからさ、茉優も俺に甘えていいから」  「………え?」  「俺達の間に晴人はいるけどさ、何か茉優って俺にとったら妹みたいな感じだから」  照れたように、今度はガシガシと髪の毛を掻きながら文君は呟く。  「………、妹………」  「あ、茉優の方が歳上だけど……、俺にとったら妹みたいって言うか………家族みたいだなと………」  ………………、家族。  私が思っていた事を彼の口から聞いている。  家族みたいになれたら良い。思い合って、理解し合って、受け入れていく。  時にはぶつかって喧嘩して、ケド決して切れない絆で結ばれている。  三人で、そうやってずっと一緒に生きていきたい。  「………、ありがとう」  温かい感情が私を包む。  私と同じ考えを持っていて、私と同じ位晴君を愛してくれる人。  やっぱり文君を選んで良かった。  「で、ソレの事はこの先も晴人に言うつもり無いの?」  私のリストカットの跡を見ながら文君は呟く。  その言葉に、私は首を上下に振ると  「そっか………」  と、だけ。  晴君にも言えない私の過去。  何度か晴君に伝えるチャンスはあった。けれどこの傷を見せて、過去を知られて晴君が私から遠ざかってしまうと思うと言えなかった。  長く付き合えば付き合うほど………。  良い事か、悪い事か……、彼とは触れ合うという行為が無いので、私が一年中腕より短い服を着なければ、見られる事は無い。  真夏でも七分袖の服を着ているし、水着になる所には行っても、隠す事など幾らでも出来るから。  付き合う前から晴君とは何でも話していたのに、結局この事は言えずじまいだった。  「まぁ、言わなくても良いんじゃね?言っても、言わなくても何も変わらないとは思うけど、それは茉優が決めれば良い事だしな」  「うん……」  文君はそう言ってくれたが、私は言うつもりは無い。  言わずにこのまま暮らしていければ、それで良いと思っているから。  「で?何で晴人を選んだんだよ」  文君はもう一度同じ質問を私に問い掛ける。  私が晴君を選んだ理由。  「晴君が私に、執着してくれるから……」  そう、恋愛感情以上に晴君は私に執着してくれる。  それが私にとっては、決め手になった。  「執着?」  「うん」  執着って言葉は悪い感じに聞こえるけど、私にとってはそれはとても居心地が良い。  何よりも私を縛ってくれる感情だから。  「晴君ってさ、前は凄く束縛する人だったのね」  「え!?アイツが?」  私の台詞に、文君は驚いたように呟く。  まだ今の晴君しか知らない彼にとってはそうだろう。  「うん。付き合う前から私の行動を逐一知りたがったし、何処で誰といるのかとか、どんな服装して出掛けてるのかとか………。想像出来ないでしょ?」  「マジか……」  イベントで知り合ってお互いのセクシャリティを認め合って、先ずは友達からとお付き合いを始めた。  その頃から頻繁に連絡を取ってくる人だな。とは思っていたけれど、一度遊びに行く時にスカートを穿いて行った事があった。  彼は酷く怒っていて、直ぐにファストファッションのお店に連れて行かれると、そこでパンツを買ってもらった。  『外に行く時は、出来るだけパンツにして欲しい』  そう言う彼の表情は悪い事をしてるって顔をしてたけど、どうしても譲れないとも物語っていた。  それからは出来るだけパンツを穿いて行くようにした。  仕事はしょうがない。制服でスカートと決まっているから。けれど仕事終わりに会うと一瞬、本当に一瞬だけど、晴君は嫌な顔をする。  そういう積み重ねで私は彼の事が好きになった。  「…………、変わってんね?」  「けど、私には心地良かったの」  そこまで人に想われた事が無かったから。  通信の学校に行っていた時や、LGBTQのイベント後に普通の人とも何人か付き合った。けれど、そこまで私に執着してくれる人はいなかったから。  相手に好きっていう感情はあげられる。けれどその先の体までになると無理。誰だって最初はそれで良いって言ってくれる、最初はね。  オープンリレーションシップを提案すると、最初は決まって皆嫌そうな顔をするけど最終的にはそう言ってきたのは私でしょ?って私のせいにして、心も体も満たしてくれる人のところへ行ってしまう。  けれど晴君だけは違ってた。オープンリレーションシップを提案しても、最初は嫌そうな顔はしたよ?けれど必ず私のところへ戻ってきてくれる。  恋愛感情が異性だから、私以外の異性とも恋愛出来るが誰も見ないでいてくれる。  付き合ってから、服装の事はあまり言わなくなってきたけど逐一連絡を取るようにするのは今も変わらないし、何でも言ってくれる。  恋愛以上に執着を私に見せてくれるから、私は安心していられることが出来る。  だから彼が好き。  両親、姉、友達………。誰一人として私に向けてくれなかったものを、彼は私に向けてくれる。  「だから、晴君と一緒にいたい」  体では無く、心で繋がっていると思えた人。  「はぁ~~………、最高に惚気けられてるんだな、俺は今」  「あ!嫌………違う……って事は無いけど、違うよ!」  「アハハッ、そんな焦んなくて良いし!」  声を上げて笑う文君につられて、私も声を出し笑ってしまう。  「茉優」  ひとしきり笑って、文君が私の名前を呼ぶ。  「俺を受け入れてくれてありがとうな」  屈託なく笑う彼の顔を初めて見た気がする。  「私も、ありがとう」  素直に彼に言えた言葉は、今までには無い幸せな感情を含んでいた。

ともだちにシェアしよう!