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第40話
黒木の家に着いて、リュックをリビングのいつもの場所に下ろす。
結局夏休みの件に黒木は返事をくれなかった。
泊まり込みたいなら、なにがあったのか話せってことなんだろう。
そんなの無理だ……。たとえうそで逃れたって呪文をやめたら心がダダ漏れになる……。全部聞かれて終わりだ……。
「……野間?」
『うそで逃れるってなんだ……心がダダ漏れ……?』
黒木の心の声にハッとした。
やばいっ呪文が途切れた……!
慌てて呪文を唱えて黒木を振り返ると、眉間にシワを寄せた黒木がいた。
久しぶりに見た……。柔らかい表情の黒木に慣れてしまって、いまの黒木は怖かった……。
「く……黒木……」
「野間。俺はお前になにかあったのかと思ってたが、違ったのか?」
「え……あ……その……」
「もしかして……俺に心を読まれたくないだけか?」
ギクリとして、サッと血の気が引いた。
「く……黒木……あの……」
どうしよう……黒木……怒ってる……?
頭がパニックになって、もう呪文どころじゃなかった。
どうしよう……なんて言えばいい?
黒木に嫌われたくない。なんて言えばわかってもらえる……?
「野間……」
黒木がなにか言いかけたとき、スマホのバイブが鳴り出した。
俺じゃない。黒木のスマホだ。
バイブがずっと鳴り続けてる。
昨日も黒木のスマホが鳴って、黒木は見もせず放置していた。
「く、黒木……電話……」
黒木のスマホが鳴るのはめずらしい。いままでの黒木を考えると、相手はきっと友達とかじゃない。大事な電話じゃねぇのかな……。
黒木は俺から目線を外してスマホを確認すると、ため息をつきながら通話をタッチした。
「はい…………またその話ですか。それはだから何度も……は? …………ち、ちょっと待ってくださいっ」
『野間、悪い。ちょっと出てくるから待ってろ』
黒木は心の声でそう言って、俺の頭に手をポンと乗せた。
『う、うん……』
黒木が靴をはいて玄関を出て行って、力が抜けた俺は床に座り込んだ。
黒木がふれてくれた頭に手を乗せる。黒木……怒ってなかった……かも。よかった……。
怖くてうまく息ができずにいた俺は、ゆっくり息を吸い込んで吐き出した。吐き出す息が震えた。
でももう……終わっちゃうのかな……。
黒木ともう一緒にいられないかもと思ったら、一気に涙があふれ出て止まらなくなった。
「……ふ……ぅ…………」
俺のこの気持ちを伝えたら……黒木はきっともう俺を抱いてくれない。
俺だけ違う「好き」だってわかって、抱くわけない……。
同じ「好き」じゃなくてもいいから、ずっとそばにいさせてってすがりつきたい。
俺……かっこ悪……。
抱えたひざに顔をうずめて、俺は涙を流し続けた。
そのまま三十分経ち、一時間が経って、いよいよ心配になったときにスマホが震えた。黒木からの着信だ。
「も、もしもし黒木?」
『野間、悪い。今日はもう戻れなくなった』
「えっ?」
『ご飯行けなくなってごめんな。暗くならないうちに家に帰れ。玄関はオートロックだから気にせず出ていけよ』
わかった、と答えようとして思いとどまる。
もしこのまま黒木と終わりになったら、もうここに泊まることもないんだ……。
「黒木……俺このまま今日泊まったらダメ? ……かな?」
『……待ってても俺は帰れないぞ?』
「うん。それでもいいから……俺ここにいたい……」
黒木のベッドで最後に眠りたい。
『……戸締まりしっかりな。あー食べ物がなにもないな。スペアキーの場所……なんてわかんないよな。今日は出前でも頼め』
「うん。なんか適当に食うよ」
『なんかあったら電話しろ。わかったか?』
「……うん、わかった。ありがとう……わがまま言ってごめんな……」
『ずいぶん可愛いわがままだな』
クッと黒木が笑った。それだけでホッとして泣きそうになった。
『……野間……夏休みだけどな……』
黒木の言葉が不意打ちすぎて、思わずひゅっと息をのんだ。
さっきの話の続きを電話でするのは嫌だ。電話で終わりを告げられるのだけは嫌だ。
『……いや……まだ……――――』
「え……?」
よく聞こえなかったけど『なんとかなるかも』って言ったような気がした。
なんのこと……? 聞き間違い……?
『野間、じゃあ、ちゃんと寝ろよ?』
「あ、黒木、明日リュックどうすんの? 朝取りに来る?」
『……おやすみ。またな』
電話が切れた。最後の、聞こえなかったのかな。
リュックどうすんのかな……。
電話が切れたあとは、しばらくなにもする気力が出なくてソファでボーっとした。
買い置きのカップ麺の場所も知っている。お湯を入れてまたボーっとして、伸びきったラーメンを食べた。
洗面所の二本並んだ歯ブラシを見て涙がにじむ。まるでここだけ恋人みたいだ。
「黒木の恋人に……なりたかったな……」
黒木がいつか好きになる人ってどんな人なんだろ……。
きっと毎日黒木の心が聞こえるんだろうな……。いいな……。
そう考えて、心が聞こえるのは俺たちだけだった……と泣きながら苦笑した。
黒木のベッドに眠るのは今日が最後かもしれない……。
ゆっくりともぐって黒木の匂いに包まれて、俺は泣きながら眠りに落ちていった。
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