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第47話〈黒木〉

 アメリカに到着後、ひとまず用意されたホテルにチェックインをして荷物を置いた。  すぐに会社に行くためスーツに着替え、そのまま休まず部屋を出る。  ロビーで待つ糸井さんの元に行くと、俺を見て申し訳なさそうに眉を下げた。 「着いて早々本当に申し訳ない……。疲れてなければ来いって言われたら、疲れたなんて言えないよな。社長はまったく……」 「いえ。別に疲れてないので平気です。糸井さんが謝ることじゃないですし、そもそも俺より糸井さんのほうが疲れてるじゃないですか」  糸井さんをいいように使ってトンボ帰りさせておいて、まっすぐ出社しろってどんな鬼だ。  俺はイライラしながら父さんが寄こした車に乗り込み、糸井さんと一緒に会社に向かった。  車を降りて、なんとなく記憶に残ってるビルの前に立つ。  以前来たのは九歳のときだ。  あのとき初めて、俺の力が父さんには利用価値があるんだと知った。  日本とアメリカの二重生活の父さんが、たまには岳もアメリカに遊びに行くぞと言って俺を連れ出した。  あの頃、毎日母さんの心から浴びせられる言葉の毒に俺は正直病んでいた。だから嬉しかった。もしかしたら父さんは味方なのかもしれないと、バカな俺は勘違いした。  そのときも学校は夏休みで、父さんが連日仕事そっちのけで連れて行ってくれたアメリカ観光は、悔しいが唯一のいい思い出になっている。   旅行最終日。会社に連れて行かれ、息子だと紹介され、みんなにチヤホヤされているところに来客が来た。  それは本当に突然の訪問だったようだが、楽しい思い出だけになるはずのアメリカ旅行が、その来客によって、俺はまた暗闇に落とされることになった。  父さんは応接室になぜか俺も一緒に連れて行き、その客とにこやかに話し始めた。英語だから内容はなにもわからなかったが、話をしながら何度も俺を見て頭を撫でるから俺の話をしているのはわかった。  そのうち真剣な顔で話し始めた二人の横で退屈しかけたときだった。    『岳、彼の心の声は聞こえるか?』 「…………え?」  心の声で話しかけられたと理解するまで時間がかかった。そんなことをされたのは初めてだった。  父さんを見上げると、視線はお客に向いたまま、また話しかけてきた。 『聞こえてるんだな? じゃあ、彼の心がもし私を否定的に見ていたら……いや、難しいか。そうだな、私を嫌っていそうだな、嫌そうだな、顔は笑顔だけど心は笑ってないな、と思ったらテーブルのジュースを一口飲んで教えてくれないか?』  彼に嫌われてないか気になるんだな、それなら教えてあげたい、そう思ったが、彼の心の声はもちろん英語で俺にはわからない。  でもわからないと声で答えていいのか悩んだ俺は、父さんに言った。 「お父さん、僕英語わかんないからつまんないです。糸井さんのところに行ってもいいですか?」 「……ああ、そうか。うん、行っておいで」 「ありがとうございます」  俺は立ち上がってお客に頭を下げた。 『そうか。英語がわからなかったら使えないな』  父さんの心の声に思わず息を飲んだ。一気に口がカラカラに乾いて手が震えた。  泣きそうになりながら応接室を出て走った。  父さんの心の声が聞こえないところまでひたすら走った。  味方かもしれないという期待が、やっぱり味方なんだと確信に変わった矢先の『使えない』の言葉だった。愕然とした。  俺は便利な物じゃない……っ。    その日の夜、帰りの空港で父さんが言った。 「岳。アメリカに来ないか? こっちで父さんと一緒に暮らそう」  『英語の家庭教師が必要だな。早く覚えさせないと』  魂胆が見え見えで吐き気がした。  便利に利用されるくらいなら、化け物扱いで近寄ろうともしない母さんの方がよっぽどマシだ。 「嫌です」 「なに?」 「お父さんとは一緒に暮らしたくありません」 「え?」 『え、なんでだ? 俺なんかしたか? え、なんで?』  昨日まではあきらかに懐いていた俺の拒絶の言葉に、父さんはポカンとしてた。 「岳くん、大丈夫かい? やっぱり疲れてるんだろう。ホテルに戻ろうか?」 「……あ、いえ大丈夫です。ちょっと考えごとをしていて。すみません」 「……そうかい?」    あんな昔のどうでもいいことを思い出したりして、俺はバカだ。これから父さんに会うのに、余計に憎悪が増した。  父さんはいま会議中ということで、先に社長室で待つことになった。  社長室に向かって廊下を歩いていると、父さんのいる会議室の前を通った。  父さんの会社は、全ての部屋がガラス張りでオープンになっている。社長室もだ。  そうだった。こんな感じだった。懐かしいなと思いながら糸井さんについて歩く。  会議室にいる父さんが俺たちに気づき、立ち上がってこちらに来るのが見えた。  ドアが開いて開口一番に、父さんは糸井さんに怒鳴った。 「おいっ。なんで糸井までくるんだっ。お前は帰って休めって言っただろうっ」 「いや、俺だけ帰れませんよ。岳くんだって疲れてますからね?」 「はぁ? 疲れてたら今日は来なくていいって言っただろ」 「はぁもう……。社長は、疲れてなかったら来いって言ったでしょう?」 「だからそうだよ。同じだろう」 「全然違いますよ……」  二人の会話に、俺のイライラが少しだけ減った。  父さんは、糸井さんにはちゃんと帰って休めと言ったのか。糸井さんにはちゃんと優しいんだな。  

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