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第55話〈黒木〉

 なんでだよ。聞かれたらまずいことを無理やり考えないようにしてるのか?  そんなことが可能なんだろうか。俺でさえ心を閉ざすことで精一杯なのに。   『しっかし何度考えてもわからん。昔こっちに誘ったときに振られたのは結局なんでなんだ?』 「なんであのとき俺が拒絶したのか、まだわかんないのか?」  思わずイラッとして心の声に反応してしまった。 「おっ。聞こえたか? お前いつから聞こえてた? それずっと聞こえるのか? というかそれいいな。ずっとそうやって話してくれよ、敬語なしでさ」  質問に応えろよ、とさらにイラついた。  はぐらかそうとしてるのか?   「俺は父さんの便利な道具なんかじゃないからな」 「はぁ? なに言ってるんだ。そんなの当たり前だろう?」 『やっと親子らしい会話になったなぁ。憎まれ口でも敬語じゃないのはやっぱりいいな。はぁ……何年かかったんだ? 十七年か』  嬉しそうに目を細めるその顔を見て、記憶の中に埋もれていた父さんを突如思い出し、いまの父さんとピタリと重なった。  ……なんで……どうしてだ。  俺の記憶に残ってた父さんとはまるで違いすぎる……。  俺を利用しようと企む父さんが、記憶からかすれて消えていく。   「……なんで……そんな嬉しそうなんだよ……」 「そりゃお前、ずっと敬語で距離取られてたんだぞ? 嬉しいだろうが」  意味がわからない。道具みたいに思ってたんじゃないのかよ……? 「それで? なんで俺を拒絶したんだ? そろそろ教えてくれよ。あれはさすがにこたえたんだぞ?」 『本当にそろそろ謎解きしてくれ。俺はもうハゲるくらい悩んだぞ』  心を聞かれてるとわかってるから、偽ってるんだよな……?  そう思いたいのに、どうしても父さんから俺への嫌悪や悪意をまったく感じない。感じないどころか……思いやりさえ伝わってくる。  俺が謎解きをしてほしいくらいだ。 「あのとき……父さんの心から、『使えない』と聞こえてきた」 「使えない? なんのことだ?」 「俺が使えなかったんだよ……。英語がわからないから、使いものにならなかった」 「ああ、ジュースを飲んで教えてくれって言ったやつか? 確かに思ったな。これじゃあ使えないって」 『それがなんだって言うんだよ?』  やっぱり『使えない』は聞き間違いじゃなかった。  本当にわからないという顔をする父さんが信じられない。なんでわからない? 「あのときはお前とこっちで一緒に暮らすつもりだったからな。早く英語を覚えないと、お前がその力を使えないと思ったんだよ」 「……どういう意味……」 「だから、せっかく最強の武器を持ってるのに、そのままだとアメリカじゃ使いこなせないだろ? お前が困るだろうが」 『それが振られた理由? なんだよ、全然意味がわからんぞ』    俺は、なにか父さんに壮大な思い違いをしていたのかもしれない。  もしかして、小さい頃に感じてた嫌悪は、母さんと父さんを混同していたのか……? 「父さん。ひとつだけ……聞いてもいいですか」 「なんだよ、また敬語か? あらたまってなんだ?」 「マンションを用意してまで、俺を家から追い出した理由を知りたいです」 「ああ、それか。……じゃあ俺も聞くが、お前はマンションで暮らし始める前に戻りたいか?」 『もし戻りたいなら俺の選択は間違っていたんだろうな……』  あの頃、父さんはほとんど日本にはいなかった。  一、二週間ほど帰って来て、また何ヶ月もアメリカに行く。そのくり返しだった。  マンションを用意されたとき、そのたった数週間すら一緒にいたくないのか、と思ってしまった。  ……本当に被害妄想だったのかもしれない。  記憶に残ってる悪意にまみれた父さんは、たぶん俺が作り上げた虚像なんだ……。   「……いいえ。絶対に戻りたくありません」 「野間くんのことは別だぞ?」 「野間がいなくても、母さんのいる家には絶対に戻りたくない」 「うん。まあそうだろうな。お前はあの頃にはもうすでに限界だった。お前をマンションに避難させるしか方法がなかったんだ。……傷ついてたか?」 『アメリカに連れていこうとすれば拒絶されるしなぁ。母さんはずっと離婚に応じようとしないし、不倫の証拠も手に入らない。そろそろ本当になんとかしたいんだが……』  もしあのとき父さんの手を取っていたら、母さんの毒から逃れて俺は幸せに暮らせていたのかもしれない。  父さんはずっと俺の味方だったのか……。  数日前、ここに来た日の父さんと糸井さんの会話を思い出す。   『はぁ? 疲れてたら今日は来なくていいって言っただろ』 『はぁもう……。社長は、疲れてなかったら来いって言ったでしょう?』 『だからそうだよ。同じだろう』 『全然違いますよ……』  言葉選び下手くそかよ……。  そして言葉が足りないんだよ。このバカ親父……。  盛大なため息がもれた。    「でも父さん……小さい頃は俺のこと避けてたよな?」 「ああ……。俺が岳に近づくと、あとから母さんの岳への当たりが強くなるから近寄れなかった。お前の口から不倫相手の名前が出たときからずっとな……。他にも告げ口されたら困るようなことでもしてたんだろ。でもお前が言ったんだぞ? 『おとうさんこないで。おかあさんにたたかれる。こわい』って」 「……知らない……そんなの」 「そりゃそうだろな。何歳だったかな。二歳? 三歳? それくらいのときだ」    聞けば聞くほど、単純で簡単な話だった。  いまの俺だったら気づけたかもしれない。真実をちゃんと読めたかもしれない。  ……子供の俺には無理だった。  なんて無駄な時間を過ごしてきたんだろう。  父さんは、俺にこんな力があってもちゃんと息子だと思ってくれてたんだ。 「お前のそんな顔、初めて見るな。いや……一度見たな。一緒にアメリカ観光したときに」  父さんが優しい目で俺を見る。 「……どんな顔?」 「警戒心を解いた、柔らかい顔」 「……気のせいじゃないですか」 「おいおい、また敬語か? もうやめてくれよ。あ、そうだお前、野間くんの写真見せろよ」 「……っはぁ? そんなもの持ってない」 「うそつけ。知ってるぞ? お前ときどき手帳眺めてぼーっとしてるよな? どうせ写真だろ?」  隠れて見てたつもりだったから、言い当てられた恥ずかしさで一気に顔が熱くなった。 「ははっ、顔真っ赤。お前可愛いなー」 「は、はぁ?! 可愛いってなんだよ!」    画面がひび割れてほぼ見えなくなったスマホから、データを抜き取ってプリントした野間の写真。どうしても持ってきたかった。  自分でも恥ずかしいのにまさか父さんに見られてたなんて。  手帳を奪おうとする父さんから逃れながら、俺はもう恥ずかしさで死ねると思った。  

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