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第60話
タクシーに乗り込むと、黒木はシートに腰を沈めてふぅ、と深い息を吐いた。きっとすごく疲れてるんだろう。
やっぱり今日は帰ったほうがよかったかな……と心配になる。
乗り込むときに一度離れた手。またつなぎたいな、と思っていたら、スッと指が絡んでぎゅっと手をつながれた。今度は恋人つなぎだった。
『いつでもつなごう。遠慮するな。それから、野間といられれば疲れなんて吹き飛ぶから心配いらない』
『う、うん、そ、そっか』
黒木に微笑まれてクラクラした。
いままでも黒木はずっと優しかったけど、心は静かだったし表情も少しだけ柔らかいくらいだった。
でも今の黒木はずっと心が聞こえてくるし、表情はとろけるくらい優しくて、もう全部が砂糖みたいに甘い。
だから俺はいちいち胸がドキドキしてぎゅってして、本当に心臓がもちそうにない……。
言ってるそばから黒木の心がまた『可愛い』『好き』を連呼して顔がまた熱くなった。
黒木の家に着くまでの時間、離れていた間の話を色々とした。
力についても話すと思うとずっと心の声での会話になって、運転手さんが時折バックミラーで不思議そうに俺たちを見ていた。
『は? 母さんに会った? 野間が?』
『……うん。ごめんな、勝手に……』
『そんなことはどうでもいい。大丈夫だったか? 酷いこといっぱい聞かされたんじゃないか? だから、目が腫れてるのか?』
心配そうに瞳を揺らして、俺の目尻を親指で優しく撫でる。
俺は、黒木の母親に会った経緯をかいつまんで話した。
『目の腫れはやっぱり母さんのせいもあるんだな……』
『って言っても、黒木のことが心配で泣いだけだよ。俺がなにか言われたわけじゃねぇし』
『……母さんの化け物って言葉は、野間も傷つけるだろ』
俺は化け物って言葉を一言も言っていないのに、黒木は当たり前のようにそう言った。やっぱりあの母親は常にああなんだな。
『あんな短時間、全然平気。大丈夫だって』
それでもまだ心配する黒木をなだめて、父親の話をした。黒木を母親からただ守りたかっただけじゃねぇのかな? と話すと黒木が目を丸くする。
『野間は父さんに会ってもいないのにすぐわかったんだな……。すごいな。俺はこの歳でやっとわかった』
『じゃあやっぱり黒木の味方なんだな? よかった! アメリカでは嫌な思いしなかったか?』
『ああ。なにも。みんないい人で快適だったよ。父さんが、言葉選びの下手くそなバカ親父だってことだけわかった』
黒木が苦笑する。
父親の話をしながら黒木の表情が穏やかなことが本当に嬉しい。味方がいてくれてよかった。黒木の周りが敵だらけじゃなくて本当によかった。
どうして父親とすれ違ってしまったのか、黒木が話してくれた。
俺の予想どおり、やっぱり父親は早いうちに黒木をアメリカに連れていこうとしていたらしい。
それを聞いてドキッとした。子供の黒木がどれだけつらかったか、想像するだけで胸が苦しくなるほどわかるのに、黒木が誤解して日本に残ってよかったと思わずホッとしてしまった。じゃなければ俺は黒木と出会えなかったから……。
罪悪感を覚えたとき、黒木が俺の頭にポンと手を乗せた。
『俺もまったく同じこと考えた』
『黒木も……?』
黒木が思い出したそのときの感情が伝わってくる。
同じだ。俺と同じだ。
言葉で伝え合わなくてもお互いの心が同じだとわかるのが嬉しかった。
窓の外が見慣れた景色になってくる。
もうすぐ黒木の家だ、やっと二人きりになれる、そう思って心拍数が上がった。
早く黒木にふれたくて仕方がなかった。
抱きしめられたい。キスがしたい。早く黒木に抱かれたい。
好きだと気づいたあと、黒木に抱かれながら俺はずっと悲しかった。俺を抱きながらも本の世界にいる黒木に何度も涙を流した。
黒木の『可愛い』『好き』をたくさん浴びながら抱かれたらどうなるだろう。想像するだけで幸せすぎて胸が高鳴った。
さっき黒木は、俺が呪文を唱える前から心を閉ざしていたと言った。好きになってごめんと言った。
もしかして、俺よりも長い間悲しかったのかな……。
黒木に顔を向けると、変わらず優しい瞳で見つめられた。
『俺はずっと幸せだった。お前に、俺たちもしてみるかと言われたときは夢かと思った。あの日から俺はずっと幸せだったよ。……いや違うな。お前と出会ってからずっと幸せだな』
黒木いまなんて言った……?
『く……黒木、いつから俺が、す……好きだ……ったんだ……?』
『いつだろな。もうずっと好きだよ。中間考査の前にはもう好きだと気づいてた』
『う、うそだろ……』
そんなに前から黒木が俺を好きだったなんてうそだろ……?
黒木は最初から俺を好きで抱いてくれてたってこと……?
あの優しいキスも優しい手もなにもかも、好きって気持ちがこもってたのか……?
涙がぐっと込み上げてきて喉の奥が焼けるように熱い。
なに俺……すげぇ幸せもんじゃん……。
もっと早く知りたかった。俺が呪文なんか唱えなければ……あのとき逃げなければよかった。
『俺も、本で心を閉ざさなければよかった。そうすれば野間を傷つけることもなかった。ごめんな』
首を横に振ると涙がこぼれた。
『俺も、呪文……ごめん』
『謝るな。野間はなにも悪くない』
黒木の指が涙で濡れた頬を拭う。その指が優しくてあたたかい。大好き……黒木……。
早く黒木を抱きしめたい。
『俺も、早く野間を抱きしめたい』
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