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第69話

 俺はその日の夜には家に帰った。  父さんは途中一回帰ってくればいいって言ったけど、岳が絶対にダメだと言い張ったからだ。 「徹平とこの先もずっと一緒にいたいから、そこはちゃんとしよう。泊まらなくても毎日会えばいいだろう?」  そう言われたら、寂しさよりも幸せが勝った。  岳とこの先もずっと一緒。言葉ではっきり言われたら叫びたくなるくらい嬉しかった。  唇は腫れてないけどちょっとだけ荒れていた。まさかキスのせいだとはバレないよな。 『ほう、ちゃんと帰してきたか。なかなかいい男だな。これなら安心だ』  父さんの心の声で岳の株が上がったことがわかる。  母さんの許可が出て、今までどおり一日、二日おきに泊まっては、たっぷりイチャイチャしまくった。岳がアメリカに行かずにずっとそばにいる。毎日泊まらなくたって充分すぎるほど俺は幸せだ。  恋人になった岳は極上に甘々で、毎日がとろける。  岳の心は『可愛い』と『好き』であふれていて、俺の心もどんどん『大好き』であふれた。  家でダラダラ過ごすときは、俺がずーっとひっついていたって笑ってくれる。好きだと気づいてから、本当はずっとこうしたかった。  外に出ればお互いなにも気にせず、いつでも手をつないでデートをした。つないだ手がこそばゆくてただただ幸せで、周りの目なんかなにも怖くなかった。  夏休み最後の日、初日は一緒に登校しようと岳の家に泊まった。  イチャイチャしたあと岳の腕枕でまどろんでいると、スマホが鳴りだしびっくりして飛び起きた。  夜中の一時過ぎだ。こんな時間に何事かと思ったら、岳は画面の確認もせず「どうせ父さんだ」とため息をついた。  心配するなというように俺の頭をポンとする。  通話を押して早々に岳の口から文句が出た。 「だから時間考えろって」 『イチャイチャ終わったか?』 「………っは?」  横向きで俺を抱いたままの岳の耳元から、スマホの向こう側の声が漏れ聞こえてくる。  からかうようにクックッと笑う声が岳にそっくりだ。  イチャイチャって……岳、俺のこと父親に話してるのかな。   『さすがに邪魔しちゃ悪いかと気を使ってこの時間にしたんだぞ?』 「は、どうせ仕事前のコーヒータイムだろ」   『はは。よくわかってるじゃないか』 「それでなに。なんの用?」  突っかかってはいるけど岳の声は優しい。表情も心もお穏やかだ。  あ、俺このままじゃ盗み聞きになっちゃう。  電話中に悪いと思いながら、心の声で聞いた。 『岳、電話聞こえちゃうけどいいの? 俺あっち行ってようか?』  岳がアメリカに行った理由とか、詳しいことはなにも聞かされていない。だから聞いちゃまずいこともあるかもしれないと心配になる。 『聞かれて困ることなんてなにもない。大丈夫だ』  岳はそう言って通話をスピーカーに切り替えた。  えっ。驚いて岳を見ると目を細めて俺の頭を撫でた。 「ごめん父さん、ちょっと聞こえなかった。もう一度言ってくれ」 『だからな。母さんと離婚が成立しそうだから、その報告の電話だ』 「やっと証拠が手に入ったのか?」 『やっと……って、なんでお前手こずってたこと知ってるんだよ』 「父さんの心の声で知った」 『ああ、ははっ。なるほどな』  岳が俺以外の人と普通に力の話をしてる。ものすごい不思議な感じがした。  ところで証拠とかなんか物騒なんだけど、俺本当に聞いてていいのかな。  岳がそれに答えるように教えてくれた。 『母さんの不倫の証拠だ』 『あ、ああ、そうなんだ……』  聞いちゃダメな気がするけど……岳はなにも気にしてないみたいだ。   『お前の転校書類に母さんが署名できたことがまずおかしかったんだ』 「どういうことだよ」 『母さんには転校の話はなにも伝えてなかった。ろくに口も聞いてないからな。俺がすべて学校と電話でやり取りしてたんだ』 「じゃあなんで……」 『お前が署名したんならお前経由だったんだろうと思ったが、違うなら母さんが知っているのはおかしい。それでわかったんだ。書類関係の代理として動いてもらっていた部下がいたんだが、そこから漏れたんだよ』 「部下が不倫相手ってことか?」 『……まあ、そういうことだ。ほんと、灯台もと暗しだよな? 日本で動かなきゃならないことはほとんどそいつに頼んでた。調査会社の予約もな……』 「はぁ? 調査依頼くらい自分で全部動けよ」 『ほんとだな。滞在期間が短いとついついな……。予約を入れるのも、結果を受け取るのもそいつだから、その期間大人しくしていればいいだけだ。何度依頼しても証拠が手に入らないはずだよ』 「なるほどな。転校の話がいい餌になったな? 母さんのことだから化け物を追い出せると思って飛びついたんだろ。バカだな」 『お前には嫌な思いさせたな……。また言われたか? 化け物って……』 「もう慣れたよ。それよりも離婚の報告のほうが嬉しい」     なんだかすごい話になってるな、と唖然となった。  でも岳は平然としているから大丈夫みたいだ。  岳の両親は離婚することになるのか。そうか。もうここに母親が来ることはないんだ、とホッとした。  岳のことを化け物あつかいする人間が、ズカズカとこの家に踏み込むのは我慢できない。  岳の手が俺の頭を愛おしそうに優しく撫でた。

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