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第70話
『あっちの家は処分するが、いいよな?』
「え、父さんこっちで仕事のときどうするんだよ」
『なんだよ、お前の家に行ったらダメなのか?』
戸惑うように俺を見る岳の心が聞こえる。
『そのあいだ徹平が泊まりに来れなくなる……。長ければ二週間も……』
『仕方ねぇよ、岳。それくらい我慢する』
『我慢……するしかないのか。そうか……いまが贅沢なんだよな』
そうなんだ。いまが贅沢すぎるくらいなんだ。
わかってるのに、もうすでに寂しい。
『おい。あからさまに黙り込むなよお前。やっぱりダメか……』
「あ、いや。徹平と……野間と話してた。いいよ、日本に来るときはここで」
岳のその言葉で、俺のことを父親に話してるんだとわかった。
岳の父親は俺たちのこと反対してねぇんだな……。
じわっと幸せが胸に広がった。
『おっ、そうかそうか。うんうん。まぁ、そう言ってもらいたかっただけなんだけどな?』
「どういう意味だよ」
『そんなに野間くんを囲い込んでる家にお邪魔できるわけないだろ? 冗談だ。俺はホテルでいいさ。会社に行くのも楽だしな』
「そ……うか」
二人で目を合わせてホッとした。
『そのかわりそっちに行くときは一緒に食事でもしよう。それくらはいいいだろ?』
「……まぁ、それくらいはいいよ」
『本当に可愛くないな』
スマホから聞こえる楽しそうな笑い声で、父親がどれだけ岳を可愛がっているかが伝わってくる。
やっとこうやって息子と普通に会話ができるようになったんだ。可愛いに決まってるよな。
俺がこんなに嬉しいんだから岳はもっと嬉しいはず。よかった、と顔がほころぶ。
『あれ? そういえば……野間くんはいまそばにいるのか?』
「いるけど?」
『いつ、からだ?』
「最初からだけど。なに?」
『なにってお前……。さっき俺の心の声の話しただろう……』
「ああ、野間は知ってるから」
知ってるというか同じだし、と心が通じあって笑った。
『えっ!? ああ……そうなのか。知ってるのか。そっか。それはすごいな。そりゃお前、手放せないな?』
「……ああ。もう手放せない。手放さないよ、絶対」
あとの「手放さない」は俺の目を見て言って、おでこにキスを落とした。
涙が出るくらい嬉しくて心が震える。
俺も岳を絶対に手放さない。
『そうかぁ。そのままのお前を受け止めてくれる子か。俺も会いたいな。今度会わせてくれよ』
いいか? という岳の心に、もちろんと答えた。
岳の父親に会える日がいまから楽しみでわくわくした。
「あーもう学校かぁ。夏休み短ぇー……」
朝食のトーストを頬張りながらうなだれる。
食卓テーブルに向かい合って座り、いつものように足先でじゃれ合いながらの食事。つついたりくすぐったり両足ではさんだりしていると、たまにうるさい、というように岳が足を踏んでくる。
顔は普通を装っているのに、心は『可愛い可愛い』と繰り返してる岳のほうが可愛くて顔がにやけた。
「俺は徹平に会えない期間が長すぎた夏休みだったけどな」
「はっ? そういう意味なら俺だってすっっっげぇ長い夏休みだったよっ。そうじゃなくてさ……」
「わかってるよ。でも学校が始まったってずっと一緒だろう?」
『アメリカに行かずに済んだだけで俺は幸せだ』
俺だって同じだ。もう会えないかもと思ってた岳が、そばにいて恋人になって一緒に学校に行ける。すげぇ幸せだけど。でも。
「だって……学校行ったらベタベタできねぇじゃん……」
もっとずっとイチャイチャしていたかった。
好きなときにキスもできねぇし。俺、欲求不満になるかも……。
焼いたソーセージを箸でつつきながらうなだれると、岳があきれたようにクッと笑う。
「お前はいつでもキス基準だな」
『家出る前にいっぱいキスしてやろう』
すぐに聞こえた心の声に、嬉しすぎて喜びが隠せない。
「すっっげぇ大好きっ! 岳っ!」
「知ってる」
『ああ可愛い……』
「へへっ」
俺たちは食べ終わるとキスをして、食器を片付けてキスをして、靴をはく前にもいっぱいいっぱいキスをした。
キスをやめられない俺に岳が言った。
『徹平、そろそろ行くぞ』
「……ん…………」
『やだ。まだいいじゃん』
「……おい」
岳は唇を離すと、俺の頬を指で挟んでむぎゅっとしてくる。
「いいかげんにしないと、今日はもうキスおあずけにするぞ?」
「……おあじゅけって(おあずけって)」
頬をつぶすように指で挟まれてて、ちゃんとしゃべれない。
心で話そうかと思ったけど、わざとこのまま続けた。
「だって学校行ったらどうしぇもうできねぇじゃん……」
俺の不細工な顔と変なしゃべり方で、岳がぶはっと吹き出してクックッと笑う。
笑われてるのに嬉しくなった。岳の表情が最近すごく豊かになって、眉間のシワなんてもう見る影もない。もっとたくさん笑ってほしい。岳が笑ってるとすごく嬉しい。
むぎゅっとしていた指を離して、岳は優しく俺の頬を撫でた。
「徹平」
「うん?」
「今日はもう、キスできないのか?」
「……できねぇ、だろ?」
「学校が終わったら、まっすぐ帰るのか?」
「え、だって……」
昨日泊まったから、今日は泊まれねぇじゃん。
ずっと一緒にいるためにちゃんとするって約束したし……。
「泊まらなくても、来ないか?」
「……え」
「ちょっとでも一緒にいたい。……と思ってるんだが……俺うざいか?」
「えっ!」
そっか。もう恋人なんだから泊まらない日もここに来ていいんだ。遠慮しないで来ていいんだ。
学校が始まったら、泊まらない日は帰らなきゃダメだと思い込んでた。いままでがそうだったから。
俺は飛び跳ねたくなるくらい嬉しくなって岳に抱きついた。
「来るっ! 来る来る来るっ!」
もうそれだけで今日から学校頑張れるっ!
「毎日来るっ!」
岳はクッと笑って心で可愛いを連呼したあと「ああ、毎日来いよ」とぎゅっと抱きしめてくれた。
「ほら、もう行くぞ」
俺の頭をポンとして身体を離す。
そしていつものように岳は俺の手を取った。
付き合うようになってから、家を出るときはいつもこうしてくれる。
「うんっ」
俺も笑顔でつないだ手にぎゅっと力を込めた。
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