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気を引きたかっただけなのに

 その日はアラームが鳴らなくて、いつもより二時間も寝坊をしてしまった。飛び起きると同時にリビングまで階段を駆け降りるが、ソファに座ってノートPCとタブレットを器用に操作している鬼崎さんの姿が目に入り、はたと立ち止まる。  鬼崎さんの服装はブラウンのハイネックのセーターにジーンズというラフな出立ち。普段はコンタクトなのに、今日は黒縁のメガネをかけて画面に視線を落としている。  この時間にスーツ姿ではないということは・・・・・・あ、そうか。俺は安堵して息を吐いた。今日は土曜日で大学も会社も休みだ。バイトのシフトは午後からだから、慌てる必要はなかったのだ。 「おはよう蓮太郎、よく眠れた?」  リビングの入り口に立ち尽くす俺に気付き、鬼崎さんはにこりと笑う。朝のご主人様の穏やかな顔、物静かで落ち着いた声、それだけで嬉しくなって俺は傍に駆け寄った。 「わん、わんっ」  足元に座り、「おはよう」と鳴く。 「よしよし、お腹空いただろう? ちょっと待ってて」  もはや鬼崎さんは自称犬の俺の対応にも慣れたもの。たくさん頭を撫でてもらい、俺はキッチンに向かう後ろ姿を見上げた。  大好きなご主人様は、最近ますますかっこ良く見える。俺よりも一〇センチほど高い背丈に広い肩、筋肉質というわけでないが引き締まった身体は、スマートな大人の印象を与えてくれる。  リビングと繋がったカウンターキッチンにいる主人の気配を感じながら、テーブルにそっと手を伸ばし、コーヒーが入ったマグカップを指で撫でた。渋めの紺色、自分の赤とお揃いでプレゼントしたマグカップ。  持ち手に指を絡ませ、ゆっくりと持ち上げる、顔に近づければ、芳ばしいコーヒーの香りが鼻を掠めた。 「蓮太郎もコーヒー飲みたいの?」 「わうっ」  知らない間にソファまで戻って来ていたらしい、鬼崎さんに声をかけられて、持っていたカップを落としそうになった。弾みでコーヒーが跳ね、Tシャツに点々と染みを作ってしまった。 「ああ、ごめんね。驚かせてしまったね。すぐに拭けば取れると思うんだけど、脱げる?」  俺はうなずく。言われた通りに上半身の服を脱いで鬼崎さんに手渡した。胸元と腹があらわになり、どことなく気恥ずかしくて腕を前で組み身体を隠した。  昨晩も、この場所でもっと凄いことをしているというのに・・・・・・、思い出すだけで腰がじわりと痺れる。  チラリと鬼崎さんに視線をやると、濡らした布巾でポンポンとTシャツを叩いていた。  布巾を摘む器用なあの指で、俺の乳首とあそこを触っているんだと、勝手な妄想が頭に浮かぶ。するとよほど間抜けな顔をしていたのだろうか、ふふっと突然、鬼崎さんが笑った。 「そんなに見られていたら恥ずかしいよ。もしかして、お気に入りの服だったのかな? コーヒーの滲みはちゃんと取れているから、心配しなくても大丈夫だよ」  かあっと頬が赤くなる。 「違います・・・・・・」 「そう?」  気まずくて、言葉が出てしまった。それから染み抜きが終わるまで、顔が上げられなかった。黙っていると、時計の音がやたらと大きく聞こえて、他にやることもなく、カチカチと聞こえる秒針を数えて待っていた。 「はい出来たよ、バンザイして」  手を上にあげると、ふわりとシャツが被せられた。  裾はすっかり綺麗になっており、感心すると共に俺のために施されたことに感謝の気持ちが湧く。俺は「ありがとう」を伝えたくて、片付けに向かおうとしていた鬼崎さんの手を掴んでグイッと下に引っ張り、倒れ込んだ拍子に頬をぺろりと舐めた。   「ふ、これは、ありがとうって事かな?」  さすが、よく分かっている。 「わん」  俺はそうだとうなずき、小さな声で吠えて答えた。  鬼崎さんは頭を撫でてくれ、柔らかく目を細めて微笑んだ。  胸がきゅんと切なくなる。もう少し、もう少しだけ・・・・・・俺はそろりと首に腕を回してみた。  鬼崎さんは嫌がらない。俺が何をしようとしているのか、じっと観察しているようだった。  だから俺はその唇に自分の唇を押し付けた。チュッ・・・・・・チュッと口付けた後に、鬼崎さんの顔を覗き見る。  その表情は優しいままだった。  ほっとして、キスを繰り返す。鬼崎さんの唇の温度を感じる、気持ちいい。夜と違って激しくなく、穏やかなキスだ。 「・・・・・・ん・・・・・・ん」  どうしよ、興奮する。していると止められなくなって、だんだんと呼吸が早くなった。鼻にかかった甘ったるい声が漏れ出て、俺の昂ぶりを感じ取ったように、「蓮太郎」と冷静に名前を呼ばれ、やっと動きが止まる。 「・・・・・・ごめっ、なさ」 「いいんだ。ちゃんと止められていい子だよ。朝ご飯まだだったでしょ、温め直してくるから待ってて」  俺の瞼に滲んだ涙をぬぐい、鬼崎さんは立ち上がってリビングを出て行った。  ———まただ・・・・・・また突き放された。  優しい顔をして、鬼崎さんは俺を突き放す。夜にはあんな事をしておいて、なんで平気な顔が出来るのか。  俺たちはペットとご主人様。子どもの遊びのようだった最初のカタチを、俺が歪めてしまった。それでも結果的に鬼崎さんとの関係が深くなり、前進したのかと思われたけれど、俺たちの中にこうなりたいというゴールは存在しなかった。  俺は俺の「好き」が分からない。だってはじめての経験だから、鬼崎さんに反応する身体と心が、どのくくりに含まれる「好き」に値するのか判断できない。  だが鬼崎さんには明確な線引きがあるのだろう。いつも冷静に俺を見て、暴走しそうになるとストップをかけられる。  その気持ちの差が、ちょびっと寂しい。あの人が今のままで良かったとしても、俺はちっとも良くない。俺は耐えられない。先ほどまでキスをしていた唇を噛むと、ぴりっと微かに痛みを感じる。  夜だって今だって同じ男だ。同じように触れて欲しいと思うのは、いけないことだろうか。 「お待ちどうさま。冷めないうちに召し上がれ」  気づいているのかいないのか、鬼崎さんはお待たせとテーブルに食事を置くと、さっさとPC前に戻ってしまった。  置かれたご飯とご主人様を交互に見つめ、悶々と首輪を触る。 「食欲ない?」  鬼崎さんが眉をひそめて、俺の顔を覗き込んだ。違うの意味を示して首を左右に振ったが、俺はしばらく考えて、テーブルの上の皿を手に取った。  ———犬らしさが足りないとか?  鬼崎さんは犬が好きだから、もっと犬らしくすれば、もっと可愛がってくれる?  俺は意を決して皿を床に移し、自分も四つん這いになった。鬼崎は目を丸くして立ち上がる。止めに入ろうとする姿を無視して、皿の中身に直に口をつけた。まさに犬食いだ。口の周りがベチャベチャに汚れて、みっともなくても気にせずに食べ続ける。慣れてしまえば、どうってことは無い。唖然として見つめてくれているのが嬉しくて、余計に張り切って食べようと思う。  俺は綺麗になるまで舐め尽くし、空っぽの皿から顔を上げ、鬼崎さんに向かってぺろりと舌を出した。 「わん!」 「蓮太郎・・・・・・そこまでしなくてもいいんだよ?」 「わんっ!」  困った顔だ。俺は犬だから、ご主人様の視線が独り占めできればそれで良い。ぷいっとそっぽを向くと、鬼崎さんは俺の汚れた口の周りを拭いてくれる。 「君がそうしたいなら、いいんだけど・・・・・・」  口元がゆるむ。これで一つ、してもらえることが増えた。  でもまだこんなんじゃ物足りない。もっとご主人様の気が引きたい。あとは何ができるだろう? この出来事を境に、俺の頭は「犬」らしくすることでいっぱいになった。  その日の夜も、俺は床に置かれたお皿に顔を突っ込んだ。次の日の朝も夜も、家で食事をする時にはご主人様である鬼崎さんがテーブルに座り、俺が足元で食べる形が定着した。  鬼崎さんは手を使わなくても食べやすいように工夫をしてくれているのに、毎回食べ終わる頃には口の周りと床が食べ物で汚れている。多少わざとの部分もあるが、犬食いの食べづらさは否めない。一週間が経ったある朝、ついに鬼崎さんに指摘された。 「うーん、お皿が薄すぎるのかな。そういった用途で作られていないしね。かといって、犬用は・・・・・・え、ほんとに? 犬用がいいの?」 「わん!」  その考えはなかった。本物を飼ったことがないから、犬用の食器という思いつきがなかった。 「んー、じゃあ今日の帰りに買っておくね」 「え・・・・・・」 「え?」  外で買い物・・・・・・ペットと飼い主に置き換えたら散歩になるのか? それに一緒に行けると思っていた。  たぶん鬼崎さんは俺の気持ちを察してくれたけれど、「また今度ね」とお預けにされてしまった。 「ごめんね、そんなにシュンとしないで。そうだ、蓮太郎は今日も遅い?」  今日はどうだったか・・・・・・。アルバイトの勤務時間を思い返して、首を捻った。 「もし、十二時をまわる前に帰ってこられたら、夜は蓮太郎を思いきり可愛がりたいな。いい?」  明るい時間なのに、珍しく鬼崎さんは俺の顎を持ち上げ、軽く口付ける。それだけで終わるかと思ったが、普段俺がしているみたいに続けて唇の端っこを舐めた。される側だと、くすぐったい。 「ふ・・・・・・ン」 「ここ、拭き忘れてたね。ケチャップが着いてた」  俺にキスをした時にケチャップが付着したのだろう、親指で自身の唇をぬぐう仕草が色っぽい。早く、夜になれ。俺は鬼崎さんの唇を舐め返し、了承の意味で「くぅん」と鳴いた。  夜、アルバイトを終えて、急いで自転車を漕いだ。こんな日に限って、居酒屋は混んだ。あと十分で夜中の十二時がまわってしまう。もしかしたら、もう寝てしまったかもしれない。せっかく鬼崎さんから誘ってくれた『躾』の時間を潰してしまいたくなくて、誰もいない公園の中を横切って近道をする。  公園を抜けて、鬼崎さんと暮らす家が遠くに見えてきた。明かりはまだついている。今夜はいっぱい可愛がってもらうんだと気持ちが浮き足立ち、ペダルを漕ぐペースが上がった。  家に着いたあとは、玄関のドアを開けて、命令される前に全て服を脱いだ。それから首輪を付けてリビングに走る。 「あ、遅かったか」  間に合わなかった。電気はつけっぱなしだったが、鬼崎さんはソファで寝息を立てていた。急いだけれど仕方ない。俺はソファの足元にひざまずいて項垂れ、端正な寝顔をじっと眺めた。  触ってもらえなかった身体が切なくて、パンツの中が窮屈になってくる。鬼崎さんの顔を見ているだけで反応するなんて、いったい俺はどうしてしまったのか。知り合いには絶対に言えない。こんな変態じみた趣味なんか無かったのに、最近は鬼崎さんの興奮した顔が見たくてたまらなくなる。  くんくんと、鬼崎さんの首筋の匂いを嗅いだ。身体の奥底がじんわりと熱を持つのを感じる。  この感情は何なんだろう?  やっぱり、俺は鬼崎さんのことがラブの意味で好きなんだろうか?  分からない・・・・・・分からないけれど、寝息を立てている唇にキスを落とす。無抵抗の唇を気が済むまで舐め回し、俺は自身の下半身に手を伸ばした。これは本当にいけないことをしている。その背徳感が、俺の胸を心地よく熱する。  自身で処理を済ませ、白濁を吐き出すと、疲労感に襲われた。落ち着く、眠たい、動きたくない。俺は目を閉じた・・・・・・。 「蓮太郎、起きて」  名前を呼ばれ、ぼんやりと顔を上げる。まだ明け方のようで、部屋の中も窓の外も暗かった。  視界も頭もはっきりしてくると、自分の状況が思い出され、俺は慌てて立ち上がった。しかしそうなると、自ずと何も履いていない素っ裸の股間が丸見えだった。 「あ、あ・・・・・・」  鬼崎さんの目が俺の股間に向いていた。射るような視線を感じ、どちらの目も覆いたくなる。 「・・・・・・はあっ・・・・・・はあっ」  それなのに、また呼吸が早くなっている。 「見、見ないでっ」  「蓮太郎」  鬼崎さんがソファから立ち上がり、見下ろされて名前を呼ばれる。低く、腹の奥に響く声に背筋が粟立った。正直な身体はすぐに反応して、熱が中心に溜まっていく。 「どうして欲しいの? 蓮太郎、素直に言いなさい」  涎を垂らした先端を指先でいじられ、俺は腰が引けてしまう。 「・・・・・・ひあんっ」 「どうして欲しいの? ん?」  意地悪く囁きながら、耳をねっとりと舐られる。内側から広がる痺れに脳が溶けそうになり、俺は何も考えられずに腰が揺れた。けれど、その刺激ではイキたいのに・・・・・・イケない。 「・・・・・・あぅぅ」 「ふっ・・・・・・まあ、いいや。今日はそれで許してあげる」  鬼崎さんの瞳を見つめると、顎を掴まれ、きつく唇を吸われた。   「・・・・・・んぅ・・・・・・んうう!」  焦ったかった触り方が嘘のように、先走りがグチュグチュと音を立てる。数秒も経たないうちに腰が跳ね、精液が飛びソファにかかった。  快感を吐き出して息をつくが、間をおかずに鬼崎さんの手はまた動き出す。先っぽを重点的に擦られると、腰が逃げて身体がビクビクと震える。次第に込み上げてくる何かを感じて、鬼崎さんの腕にしがみついた。 「ひっ・・・・・・やっ、やだぁっ」 「何がやだ? イキたいんでしょ? 我慢しなくていいんだよ」 「だめ、それっ・・・・・・だめ・・・・・・ひぃぃっ!」  亀頭を擦られ続け、身体が強張る。何が起きたのか分からなかった。一瞬、意識が跳び、排泄音と共に噴き出した何かが鬼崎さんの手をぐっしょりと濡らしていた。股間からもぽたぽたと水滴が垂れており、俺は呆然として、床に出来た水溜りの上に腰を抜かした。 「本当に粗相しちゃったね」  鬼崎さんの言葉にぷつんと心の糸が切れた。 「・・・・・・う、うああああ!」  羞恥心が限界を超え、ボロボロと瞼と頬が濡れた。涙が溢れて溢れて止まらない。俺は顔を覆い、うずくまって泣いた。ツンと独特のアンモニア臭が鼻をつき、漏らした・・・・・・ということが明らかに理解できる。   「・・・・・・おっ、おれは、やだって言ったのに!」  鼻水を啜りながら鬼崎さんを睨むと、困った顔を返された。 「なんで、なんであんたが困ってるの? 恥ずかしいのは俺でしょ!」  朝日が昇ってきたせいで、明るい部屋に俺の粗相が照らされる。恥ずかしくて恥ずかしくて、本当に死にそうだ。 「いや、そうじゃないんだ」  しどろもどろな返答に俺は噛み付く。 「そうじゃないって何?!」  いつも落ち着いているくせに、鬼崎さんは妙に落ち着きの無い様子で視線を逸らした。前髪をガシガシと掻き、睨みつけている俺をチラリと見て、ごくりと喉を鳴らす。 「蓮太郎、すまない・・・・・・」  そう聞こえたのと同時に、後ろに身体が押されていた。 「え?」  ソファの上に仰向けに倒れたんだと気づいた途端に、鬼崎さんがのし掛かってきた。余裕の無い表情に、これまでとは違う本気の高ぶりを感じる。  ———え、やばい。  本能的に、背筋が凍った。  強い力で大きく両足を開かされ、一度も触れられたことの無い秘口に硬いものが押し当てられる。 「や、まって・・・・・・いっ」  ぐぐっと体重がかかる。押し退けようとしても無駄で、重みによりじわじわとそこが開いていく。  凄まじい圧迫感に呻き声が漏れる。無理矢理入り口が割り開かれて、わずかに先がめりこんだ。 「い、痛い! 痛いって! やめてぇ!」    鬼崎さんはさらに腰を押し進めてくる。侵入してくる勃起した男性器と、粘膜が擦れる痛みがひどい。慣らしもしないで、潤滑剤も使われていないのだから、尻の穴が避けているような錯覚がして、恐怖心に歯の根が鳴った。 「良い加減にしろっ!」  歯を食いしばって、大声で叫んだ。  ようやく俺のナカをめちゃくちゃにしていたソレの動きが止まった。鬼崎さんはハッとしたように我にかえり、自身を引き抜く。ズルッと擦れる痛みに耐え、俺は心を奮い立たせる。 「早くどいて」  堪えたけれど、当然、声は掠れて波打っていた。頬は涙で濡れ、鼻の下は鼻水でぐちゃぐちゃだ。震える膝頭にぐっと力を入れて、俺は逃げるようにリビングを飛び出した。

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