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SにはMが、MにはSが

 目が覚めて一秒後に必ずやってくる関節の軋み。痛みとして認識されなくなるくらいには、鬼崎さんとのセックスに慣れた。  うんうん、いい調子。ほら見ろ。どうってことないだろ。 「・・・・・・どうってことないよな? 俺」  シャワーを浴びるとき、裸になると目に入ってしまう行為の痕。鏡越しの俺が弱々しく微笑んできやがる。  いわゆる、ハードなSMプレイが駄目なんじゃない。やっぱり俺はそっち側だったって、俺の身体は喜んでいるのに、反発するみたいに心がすり減っていくのを誤魔化し切れない。 「ちんこ、縛られてたとこがいてぇ」  心が痛い。  おかしいな。性癖を受け入れたら解決するはずじゃなかったのかよ。俺たちがしている行為は何かがズレていて、心が摩擦されて摩耗する。  それが何なのか誰か教えてくれ。  ・・・・・・で、教えて欲しいとは思ったけれど、間違ってる気がしてならない。  俺は八千さんちのオートロックボタンを押すか押さまいかで悩んでいた。  八千さんには行きますと連絡しているから、部屋で待たせてしまっている。早く行かなければ、そろそろ「どうしたの」と連絡が入りそうだ。  でも八千さんと面と向かうのは少し怖い。  それぞれ断片的に鬼崎さんを知る人達の話を聞いたけれど、彼が一番に核心に近いとこにいる人だ。鬼崎さんには直接訊ねられないから、彼に訊くというのは卑怯かもしれない。  そうだ。卑怯だ。 「んー、今日のところはやめますって謝りの連絡入れよ」  と、思ったのにスマホがポケットにない。家に忘れてきた。連絡手段がないなら、キャンセルを伝えようもなかった。  普段なら移動中にスマホを触って気づくはずだが、ぼうっとしていたせいだ。明後日はクリスマス。ここまでの俺は浮かれた街にそぐわない見事に辛気臭い顔だっただろう。 「ずいぶんと遅かったね」  そして俺を迎え入れた八千さんは、俺がマンション前で悩んでいたことを知っているような口ぶりだった。 「また彼氏に内緒で来た?」 「はい、内緒で・・・」 「ふふ」  俺の何に対する笑みなのか、今日の八千さんも独特の可愛げに満ちていた。  案内された部屋の中には、生活に溶け込むかのごとく、アダルトグッズがぽつんぽつんと置かれている。 「座ったら? コーヒー飲める?」 「あ、はい」  八千さんは電気ポットに水道水を注ぎ、インスタントのコーヒーをカップに開ける。よく店に陳列されている、瓶に入ったお湯で溶けるタイプ。じっと見守っていると、八千さんはコーヒーをティースプーンでかき混ぜながら口を開いた。 「もしかしてインスタントは飲まない主義?」 「そんなことは。実家ではいつもそれでした。ただ、なんか、懐かしいなって」 「ふぅん」 「味の違いは正直わからなくて、だからインスタントも普通に好きです」 「ふふ、そう、実は俺もだよ。はいどうぞ」 「ありがとうございます」  にこやかに渡され、俺はカップを受け取る。だが会話が進まないのは、「相談があります」と言って押しかけた俺が話し始めないから。  こくりと喉が鳴り、俺ではなく八千さんのコーヒーカップがみるみる空になっていく。やばい。 「あ、の」  そのタイミング、八千さんはスマホを取った。そういえば、カラオケでも頻繁にスマホをチェックしていたような。 「ごめん蓮太郎くん、人を呼んでもいい?」  八千さんの声は平然としていて、それが逆に高揚を押し隠しているように聞こえた。 「ひと?」 「うん、友達・・・かな」  なぜ疑問系かと問えるわけもなく、俺は了承する。  そのお友達が訪れるまで、八千さんは子どもみたいに落ち着きなく見えた。自ずと相談どころではなくなって、所在がなくなり、コーヒーを一気に飲み干した。 「俺、帰りますね」 「え、なんで?」  きょとんと訊ねられ、俺もきょとんと「なんで?」と首を傾げる。 「相談あるんでしょ。一緒に聞くよ。あえて俺に頼ってきたってことはそっち系の話じゃないの? きっと彼もいいアドバイザーになってくれるよ」 「けど、お邪魔なんじゃ」 「どうしてそう思うの。むしろ俺からお願い、ここに居て?」 「わかりました、じゃあ」  納得して腰を下ろしたが、いっさい「じゃあ」じゃないことに慌てる。関係のない第三者に、深夜ドラマ並みのディープな話題が振れるか!  しかし撤回ができないうちにインターホンの音が響く。 「あっ来た、待ってて」  そわそわしていた八千さんは可愛らしく、ひょいっと立ち上がった。玄関まで出迎えに行き、男性と短いやり取りを交わしているのが聞こえる。  話し声は一瞬止み、この瞬間に何をしているのか、なんて見えずとも親しげな雰囲気に濃厚な空気を感じてしまう。 「ごめんね、お待たせ」  八千さんが連れてきた男はツーブロックのツンツンヘア。黒髪ゆえに社会人然としたなりだが、利発そうな目鼻立ちと筋肉質な体型が目立ち、スポーツジムがとっても似合う印象だ。 「見てもらいたいって言ってたのはこの子?」 「はい」  途端に値踏みするような目を向けられる。俺は状況を読めないままに腰を上げた。 「こんにちは、はじめまして。林田蓮太郎です。八千さんにはお世話になっています」  当たり障りない自己紹介をしたつもりだったけれど、ツンツンヘアの男の人はクスクスと笑う。 「なるほど、宏紀が気にいる理由がわかるよ」 「でしょ、蓮太郎くんなら混ぜてもいい?」 「大歓迎」 「混ざるって? 八千さん?」 「大丈夫。君は何もしなくていい、俺たちには見てもらいたい欲求があるだけだから」  俺の不安な声に、八千さんは女神みたいな優しい言い方で返した。 「この人は(おみ)さん。俺の主人(マスター)だよ」  聞き慣れない単語が耳に入る。初めて聞く言葉じゃないけれど、現実世界ではあまり耳にしない。  八千さんは頬を紅潮させて、さっそく服を脱いでいる。飾り気のない地味な服装の下から出てきた、いわゆる女性物のようなレースのランジェリーに呆気に取られていると、頼りない布地に包まれた下半身をマスターと紹介された臣さんが触る。 「いつから勃起させてたの? 恥ずかしいね」 「ごめんなさい・・・。見られながらできるってわかったら興奮してしまいました」 「いけない身体だ。叩いてあげよう」 「はい、ありがとうございます」  四つん這いになる八千さん。既視感に心臓がやられる。自分が言われているわけじゃないのに、恥ずかしい気持ちにさせられてしまった。 「アッ、アッ、ああっ」  臣さんは八千さんの尻たぶを手で叩く。ばちん、ばちんっ、と破裂音がするたびに、丸く白い尻が赤みを増し、俺は目を逸らさなくちゃと思う。でも、見入ってしまう。 「よかったね、蓮太郎くんが羨ましそうな顔で見てるよ。このままイくところを見ててもらおうか」 「はい・・・っ、あっ、んくぅ、もう出ます・・・・・・」  もう一発ばしんっとやられて吐息をこぼし、八千さんは俺の前で果てた。  見てはいけないものを見た気がする。心臓の高鳴りが異常だった。 「続けてもいい?」  服を脱ぎ捨てながら臣さんが涼しい顔で言う。  ぐらぐらする。チカチカする。身体の奥がじくじくと疼き、俺はうっそりと頷いた。  ◇ ◇ ◇  八千さんは満足いくまでセックスを披露すると、シャワーをささっと浴びて戻ってきた。見た目よりずっとタフだ。臣さんが入れ替わりでシャワーに立った後、はがき大の紙切れを手にして興奮冷めやらぬ俺の横に座る。 「付き合わせてごめんね。相談って、本題はこれのことだよね」  差し出されたそれがすぐに昔の鬼崎さんの写真だとわかった。 「うえぇ、気づいてたんじゃないっすか」 「うん、ごめんね。深刻な話になる前に俺の我が儘を優先しちゃった」  人が悪い。この人は小悪魔か! 「それで? 臣さんはシャワーゆっくりだから、話し辛いことなら今のうちに」 「えっと・・・」  ここまで来て、俺は言い淀んだ。 「ふっ、義兄さんに愛想尽かしちゃった?」  どっちかって言えば、鬼崎さんと一緒にいるためにアドバイスを聞きにきたと言うか。  元彼的なポジションの八千さんにジェラシーを感じながら、恥を忍んで・・・とは言えない。 「ね、蓮太郎くんがあの人を手放そうと思ってるなら、俺にちょうだい?」  俺は殴られたような気持ちになった。鬼崎さんに未練があったから、昔の写真を手元に残していたんだという可能性を考慮していなかった。  ・・・・・・うっかり捨て忘れてたんじゃなくて?  だが目をすがめても、八千さんの本心は俺なんかには見出せない。 「駄目ですッ、あげません」 「駄目かぁ、残念だなぁ」 「八千さんには臣さんがいるじゃないですか」 「うーん、そうだねって言いたいところだけど、彼は恋人ではないから。俺たちは会員制の倶楽部で出会ったんだ。高い会費を払って、安全に性癖に応じた相手探しができる場所のことね。プライバシーは厳重に守られていて、プライベートを明かす明かさないは自由だよ。俺は臣さんが自分よりも歳上ってことと、サドってことしか知らない」  そう口にする八千さんは全く悲観的じゃなく、あっさりしていた。  だとしたら、二人から醸される親密な空気の中身には、何が詰まっているのだろうと思ってしまうくらい。 「気にならないんですか?」  八千さんは遠くを見つめる。 「気にしないようにしてる。俺たちみたいな性癖の持ち主は、相手のことを知れば知るだけ貪欲になっちゃうから。俺はね、マゾでも サドでも、根っこは同じ支配欲だと思ってるんだ。Mな人間は支配されることで、主人の欲を満たして支配してる。支配して、支配されて、結局はそれが以心伝心みたいに伝わってこないと、完璧なプレイをしたとしても満足できないことが多い。恋愛感情がそこにのれば余計に。それでも義兄さんの全部が知りたい?」  その後、俺が完全に口を閉ざしたのを見て、八千さんは眉を下げ「ごめんね」と微笑んだ。 「父さんの別れた嫁と仲良くしてまで、義兄さんの心配をしてたのは嘘じゃないよ。でも途中から君に興味が湧いた。蓮太郎くんのことを揺さぶってみたくなっちゃった。ごめんね」 「花枝さんは鬼崎さんの母親なんですね」  もしかしてと思ったとおりだった。 「彼女、暇があれば息子の周りを彷徨いてるよ。突き放されてから寂しくなったんだろうね」 「突き放されて・・・って? 鬼崎さんの痛みには家族が関わってる? だから鬼崎さんは家族の話をいっさいしてくれないの?」 「さぁね、俺が教えてあげられることは、義兄さんがすごく不自由な人だってことだけかな」  嘘だ。これは、もう訊くなというアドバイスなのか。  俺は俯いた。 「俺が八千さんと面識があるって、鬼崎さんにバレたらまずいですか?」 「まあ、バレない方が無難だね。ぜひそうして欲しい。義兄さんの問題はさ、蓮太郎くんが受け入れてあげるとかどうとかって問題じゃないんだよね。きっと義兄さんは一生かかっても自分を許せないと思う。自身を否定し続けて、一緒にいれば、これからも苦しいし、蓮太郎くんにも絶え間なく伝染してくるよ。悲しいけど」  ———なんだよそれと、俺は唇を噛んで、滲んだ血の味に顔を顰めた。  がっつり死刑宣告じゃん。それらを全て呑み込んだとき、なんとも言えない気持ち悪さが喉元に居座った。 「でも引き換え、俺と臣さんの関係はとってもシンプルでしょ。蓮太郎くんも自分の性癖を持て余すようになったら言って。一見さんお断りの会員制倶楽部を紹介してあげるから」  曖昧に顎を引くと、臣さんが頭にタオルをかぶって戻ってきた。「なんの話?」と打ちどころのない笑顔を向けられ、俺は首を横に振った。 「なんでもないです、帰ります」  腕に上着を引っ掛け外に出て、ドアが閉まる寸前に後ろを振り返る。八千さんと臣さんはキスをしていた。欲しい部分を差し出して、認め合い、必要とし合える二人の関係は、シンプルに羨ましかった。  恋人である自分たちよりも。

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