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こころざしぐらぐらな春③
ということがあって、ぼくらはごくごく自然に、元から友達同士であったかの様に、通学を共にする仲となった訳だが……。なんだか、拭えない違和感。まあ、もう子供じゃあないから友達になろうなんてわざわざ言わないのが普通だろうし、ましてや「ぼくたち友達だよね?」なんて確認する必要もないか。
ともあれ、新天地にてまずは新しい友達を一人確保、ってことにしていいのだろうか。お父さん、ぼくは一歩前進したと言えるのでしょうか? これってズルじゃないですよね? 朝ご飯の前にいつも通り仏壇にご飯を供え、心の中で父の遺影に語りかける。もちろん、写真の中のぼくにそこそこ似た顔の男性は微笑んでいるだけで何も応えてはくれない。父はぼくが物心つくかつかないかの時期に不慮の事故で死んだ。しかも生前だって残業だ出張だ転勤だって家を空けている方が多かった。そんな父との思い出がぼくの記憶にほぼ残っていないのは当然だ。でも、祖母が家にいた頃は父の生前も死後も何かにつけ父の存在を意識させられた。たとえば親戚からお小遣いを貰ったら「お父さんに見せてからじゃないと使えないよ」とか、テストでいい点が取れたら「お父さんにもお線香上げて報告しなさいね」とか言われたりして。けど、今となっては家の中で誰も父に言及する人はいない。もはやただの惰性なんだよね、ぼくがこうして父にご飯を供えて語りかけているのも。
朝の日課が終わって自分のご飯を茶碗をよそっている最中にやっと母と妹が起き出してきた。
「おはよー。お兄、あたしの弁当は?」
「そこ」
「なんでママのは包んであるのにあたしのは蓋もしてないの」
「お前ももう中二だろ。それくらい自分でやりなさい」
「なんだよ、お兄のケチ。あたしは毎日吹奏楽の練習で疲れてんのに」
そう言って口を尖らす妹を母はたしなめるでもなく、
「裕太 はまだ部活決まってないの?」
と、いきなり全然別の話をふってきた。
「うーん。とりあえず剣道でないことは確か」
「勿体ない。せっかく防具買ってあげたんだから、続ければよかったのに」
「いや才能ないから……」
「お兄チビだしぜんぜん運動神経ないもんね」
「うるせえな」
「じゃあ道具一式、お母さんの友達の息子さんにあげてもいい? 今年中学に上がったばかりなんだけど、剣道やってみたいんだって」
「へいへい、どーぞどーぞ。汗臭いですけどね。あと、甲手 の皮に大穴空いてるから張り直さないとダメだと思うよ」
「そんなら裕太、学校帰りに直しに行って来て。高校から武道具屋さん、近かったでしょ」
「えーっ」
「だってお母さん、仕事帰りにおばあちゃんの病院に着替え持って行かないとだし忙しいの。あんたはどうせ暇なんだからいいじゃない」
藪をつついて蛇を出してしまった。別に剣道の道具に未練はない。ただ、ぼくの汗をたっぷり吸って異臭を放つボロい防具をうちの母の独善のせいであてがわれる、どこぞの新中学一年生を憐れに思ってつい言っちゃった、甲手の瑕疵 なのだが。
「これ何?」
電車の中で、レジ袋に入れて持っていた甲手に堀越くんは目敏 く気づいて指差した。
「剣道の甲手。中学の頃に使ってた」
「ふーん、剣道部だったんだ」
「似合わないでしょ」
「そんな事思わないって。見てもいい?」
「いいけど」
堀越くんはレジ袋から甲手を取り出すと、手に取ってしげしげと眺めた。電車はカーブに差し掛かり大きく揺れているのに、吊り革から手を離してもバランスを崩さないのがすごいなって思う。微動だにしないんじゃなくて、水槽の中の水草みたいにゆらゆらして、電車の揺れに身を任せている感じ。膝を真っ直ぐに伸ばしきらずに「あそび」をもたせると揺れを受け流せるんだって堀越くんは言った。真似してみたらたしかに、急な減速の度によろけなくなった。
「手のひらんとこの皮が破れてるな」
「うん。それを直すんでお店に持ってこうと思って」
「今日?」
「うん今日」
「ふーん」
そっか。帰りに店に寄ってったら堀越くんとは一緒に帰れないんだな。修理にどれだけ時間がかかるかわからないし、待っててくれっていう義理もないし。でも考えてみれば入学してから自分一人で電車に乗ったことがないから、これもまたいい経験になるのかもしれない。
「防具がこんなになるなんて、沢山練習したんだな」
堀越くんは甲手を元通りレジ袋に入れて返してくれた。
「練習はしたけどさあ……」
言い淀むぼくの背中を堀越くんは片手で抱え込むようにし、もう片方の手で吊り革を握った。
「またやんの、剣道」
ぼくは首を横に振った。
「えーと、剣道はもうやらない。やるとしたら美術部? まだ考え中だけど」
「絵を描くのが好きなの?」
「いや、ただの興味本位。今までやった事のないことに挑戦しようかなって。堀越くんは中学では部活何やってたの? 高校でも同じの続ける?」
聞いてから、なんかガツガツしてデリカシーのない言い方だと気付いたが、堀越くんは気を悪くした様子でもなく言った。
「バスケ。でももう帰宅部でいいかな」
「そうなんだ」
「朝練あって、放課後は夜の九時まで練習するんじゃあな」
「あー、それはかなりキツいね」
電車がまた大きく揺れて、その拍子に後ろに立っていた誰かの荷物が背中に当たり、ぼくは堀越くんの胸にぎゅうぎゅうに押し付けられた。息が苦しくなった。やっぱりラッシュ時の車内は危険だ。カーブを過ぎると背後に空間ができ、息苦しくなくなった。顔を上げると堀越くんは唇の両端をちょっと上げ、何か物言いたげな顔というか……それとも、ぼくが何か言うのを待ってる? そんな表情でぼくを見ていたけれど、ぼくが「なに?」 と訊くと「いいや」と言って顔を逸らせた。窓の外の遠くの景色を見ているようだった。背の低いぼくに見えるのは他人の背中や頭ばかりで、堀越くんの視線の先に何があるのかはわからなかった。
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