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こころざしぐらぐらな春⑤

 六時限目の現国はぼくの得意科目のはずが最悪だった。先生の言っていることがよくわからない。中学と比べて内容が急に高度になったような。しかも、板書の字が細かくて雑で、何て書いてあるのか読めないし……。  ゴッと鈍い音がして目が覚めた。っていうか、ぼくは寝ていたのか!? 驚いて周囲を見回すと、クラスメート達は黙々と板書をノートに写していたが、教壇に立つ年配教師はぼくをじーっと見つめていた。 「大丈夫かね」 「あ、はい」  そんな間抜けなやり取りをしても誰もクスリとも笑わないのは、いいのか悪いのか……。  昨夜はつい夜更しして深夜アニメを観ていたから、今日はちょっと寝不足だ。ホームルームが終わると、重ダルい身体を引きずる様にして教室を出て長い階段を降りた。まったく、何で進学クラスだけ三学年まとめて四階に隔離されているんだろう。効率を考えれば、進学クラスこそ一階の昇降口に近い所にあったほうがいいんじゃないだろうか。そうすれば移動時間が節約されたぶんを勉強時間に当てられるだろうに。  あーあ。なんか嫌んなったな。今日は堀越くんとも帰れないし……。と、ちょっと残念に思いながら昇降口へと降りたら、堀越くんがいた。堀越くんは所在なさそうに下駄箱に凭れていたが、ぼくに気づくとのんびりとした足取りで歩み寄ってきた。 「お疲れ」 「お、お疲れ。でも今日これから、」  言いかけたぼくの目の前に堀越くんは両手をズボンのポケットに突っ込んで立ち、首を傾げた。 「おでこ赤いよ。どっかにぶつけた?」 「あーこれ。授業中に居眠りしちゃって。机にゴツンって」 「ははっ。まだ痛い?」 「いや、もう平気。ぼく、授業中の居眠りなんか生まれて初めてしたよ」 「増田くんは真面目なんだな」  堀越くんはポケットから右手を出し、ぼくの前髪を指先でそっと退けて、額のぶつけた所を子供にするようにナデナデと撫でた。 「ここの近くの武道具屋さんっていうのは、山田スポーツのことであってる?」 「そうだけど、よく知ってるね」 「同じクラスで地元の奴に聞いた」  わざわざぼくの為に? それとも、単にちょっと興味が湧いて他人に聞いてみたってだけなのだろうか。堀越くんは少し目を細め、唇の両端を引き上げた。そしてぼくのクラスの下駄箱の方を顎でしゃくる。一緒に行こうって解釈でいいのだろうか。のろのろとぼくは靴を履き替えるために堀越くんから離れる。その時、数人の女子のグループが通りかかった。ぼくには見覚えのない顔ぶれだが、堀越くんには顔見知りのようだ。もしかすると同じクラスなのかもしれない。 「堀越、もう帰るのー?」 「おー」 「じゃあね」 「バイバイ堀越君」  気安い感じで交わされる挨拶。堀越くんはもうクラスに馴染んでいるんだなぁ。なんだか急に、堀越くんの背中が遠く感じられた。  昇降口から出ると、校門脇の公衆電話に女子が長蛇の列を作っているのが見えた。そこに並んでいた女子が堀越くんに気付いて手を振った。堀越くんは片手を上げてそれに応えた。 「同じクラス?」 「うん」  堀越くんは人気があるんだ。そりゃそうか。男のぼくの目から見ても、堀越くんはカッコいい。背が高くてスラッとしてて、しかも優しそうな顔立ちだ。前髪を整髪料でふわっと横に流す感じに整えているのが大人っぽい。今はぼくの隣を歩いてくれているけど、そう遠くないうちに彼女を連れて歩くようになり、ぼくなんかには構わなくなるんじゃないだろうか。 「でね、古典的なスペースオペラを目指してる作品なんだけど、一周回って新しいって感じなんだ。宇宙空間をエーテルが満たしていて、そこを大航海時代のように宇宙船が航海する。特殊なのは、宇宙船と宇宙船がアームをまさに腕みたいに使って肉弾戦のような格闘を繰り広げること!」  身ぶり手振りを加えながら、昨夜観たアニメについてぼくが語るのを、堀越くんはただうん、うんと相槌を打ちながら聴いている。すごく興味津々って感じではないけれど、なんだか受け入れられているって安心感があり、ぼくはつい話し過ぎてしまった。  学校の東門を出てすぐの十字路から右に入った、車は一台しか通れなさそうなほどの狭い路地を、ぼくらは歩いている。左右に立ち並ぶ木造二階建ての家々はどれも古く、京都の町家みたいに二階の窓に格子がついていた。そんな古い民家とそれを囲む高い塀が道の両脇に並び、見通しは悪いものの、進行方向には城山と呼ばれる丘が見える。それを目印にすれば道に迷うことはない。  道順は、堀越くんがこの町が地元だという同級生から聞き出してきた。民家の密集した住宅街は迷路のように入り組んで見えるが、山田スポーツのある通りには道なりに進めば行き当たるというので、単純明快だ。 「あ、ごめんね。ぼくばっかり話して」 「いいよ、増田くんの話って面白いもん」  止まれの標識のところでぼくらは立ち止まり、狭い十字路を左右をよく見てから通り過ぎた。 「ところでさ、」  堀越くんは城山の方を見ながら言った。 「今朝の奴って増田くんの友達?」 「あー、良樹君のこと? あんまり友達とは言えないかな。同じクラスで、同じ小中出身でもあるけど、仲が良いって程ではないというか」 「ふーん。今日は一緒に帰らなくてよかったの?」 「うん。バスケ部の見学に行くって言ってたし」  っていうか、仮に誘われたとしても良樹君とは一緒に帰る気なんかないしね。 「バスケ部……」  堀越くんは急にぼくの方を向いて眉をひそめた。あっ、そうか。堀越くんも元バスケ部だって話だった。部活絡みで良樹君とはなんか嫌な思い出があるんだったらどうしよう。  

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