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こころざしぐらぐらな春⑥

柳瀬良樹(やなせ よしき)か」 「知ってるの?」 「もちろん。東中バスケ部のエース。中学バスケでは有名人だった」 「そうだったんだ……」 「そうだったんだって、同じ学校だったんだろ」 「いやその、マジで接点がなかったから」  正確に言えば、関わりたくなくてぼくの方から避けていたっていうか、逃げ回っていたんだけど……。ていうか、 「えっ。なに、なに?」  堀越くんは今まで見せたことのない、すごーく意地悪そうな顔でニヤニヤと笑っていた。なんか、ちょっと不気味。 「ふふん、別になんでもない」  ふいっとまた城山の方を向いて堀越くんは歩みを早めた。 「スモールフォワード」 「何それ」 「柳瀬のポジション。あいつ、何でわざわざこんな遠いとこまで通ってんだろ。M高行けばよかったのに」 「さぁ……」  そもそもぼくは良樹くんはてっきりM高を受けると思ってたんだ。M高は高校バスケの強豪校だっていうし。 「家近ければ朝ギリギリまで寝てられるのにな。寝るのが趣味の男にはお誂え向きだ」  歌う様に堀越くんは言う。一体何の話なのかわからないけど、堀越くんはやけに楽しそうだ。堀越くんとぼくは歩幅が違うから、堀越くんが早足になるとぼくはかなり忙しく足を動かす必要がある。 「増田くんは何で○✕高入ったの」 「えっと、ほんとはM高勧められてたんだけど、偏差値高すぎてきっとぼくは受かったとしても、入った瞬間、落ちこぼれると思って。ほら、鶏口となるも牛後となるなかれ、っていうじゃん」 「なるほどね」  早歩きしながら喋ると息が上がる。部活を引退してから全然、運動らしい運動をしてこなかったからなあ。そんなぼくの様子に、堀越くんは徐々に歩くスピードを落とし歩調を合わせてくれた。やっと呼吸を整えて、ぼくは堀越くんに問い返した。 「堀越くんは○✕高にした理由ってなに?」 「別に受かればどこでもよかったんだけど……電車に乗りたかったからかな」 「ぼくも思った。毎日が旅行みたいで楽しいかなって」 「道連れがあればなおさらだな。なあ、増田くん」  急に改まった調子で堀越くんは言った。 「なに?」 「よかったら、二人で毎日一緒に登下校しない? 乗る車両決めたりとか、帰りの時間教え合ったりして」  それ、ぼくも言いたかったことだ! 入学式の日から今日まで、毎日なんとなく同じ時間に同じ車両に乗って、駅から学校までの道程を一緒に歩いて来たけれど、示し合わせてそうしていたんじゃない。偶然顔を合わせるから、お互いなんとなく行動を共にしていただけ。でも、約束をしてそうするのは子供のすることで、高校生にもなってそれはどうかなっていう気持ちがあって言い出せなかったけど……やっぱり、安心感は欲しいなって本当は思う。 「うん、ぼくもそうしたい」  この路地にはぼくと堀越くんしかいないから、いい年して約束なんかと笑う人はいない。二人だけの秘密なら誰も咎められやしないじゃないか。  三十分くらい歩いて着いた山田スポーツは、中学時代に防具を作りに来たときとあまり変わっていなかった。周りには高い建物が一つもない更地のような所にポツンと建った白い二階建てのビルで、間口はこざっぱりとしているのに、気安く入るなと言いたげな物々しい空気を醸し出している。ショーウィンドウには一応野球など人気の球技の道具が飾られているが、実は店主がものすごい剣道フリークなので、中の陳列は剣道用品がメインとなっている。 「これも人生経験だ」  ぼくはもう母の背中に隠れてビビっていた頃のぼくではない……と、自分で自分に言い聞かせた。一方、堀越くんは、 「そんな肩に力を入れんでも」  と言いながら、いとも容易く店のドアを開けた。ドアベルがチリンチリンと可愛い音を立てたけれど、それはぼくにとっては試合開始のゴングに等しい。店の奥、レジのところには頑固そうで恐そうなおじさんが座っている。このひとが店主の山田さんで、見た目同様中身も本当に恐い。中学時代、毎月第三土曜日に山田さんは学校まで剣道の道具をワゴン車にいっぱい乗せて売りに来ていたのだが、実は道具の販売が目的ではなく、ぼくら剣道部員に稽古をつけるのが目的だった。ぼくは何度ボコボコにされたかわからない。トラウマで足が竦むけれど、ぼくはもう高校生なんだ。これくらいの事はやってのける! 「あああああ、怖かったよぉ〜」  店を出てもなお、ぼくの足は生まれたての子鹿のようにぶるぶると震え続けていた。やっぱり山田さんは恐い。高校では剣道を続けないのか? って聞かれて続けませんと答えたら、超にらまれた。山田さんはぼくの名前ばかりか微塵のように吹けば飛ぶほどの雑魚以下の微生物っぷりまで一々覚えていて、「お前と郡内ビリ争いをしていた誰々君はまだお前に勝つために剣道を続けているのに、お前は逃げるのか」と凄みのある顔で静かにぼくを咎めた。その間、堀越くんはバッシュを見るふりをしながらこっちをちらちらと窺っていたけれど、ぼくが目で「手出し口出しは不要!」と訴えると、「わかった」と頷いて何も言わないでいてくれた。堀越くんの存在がぼくの大きな支えとなっている。けれど、結局自分一人ではこの程度の用事も足せないのは痛恨の極みだ。この歳で母に付き添いしてもらうよりはマシかもしれないけど。  堀越くんは真底心配そうな顔で言った。 「歩けなかったらおんぶするよ」 「いやそれはさすがに恥ずかしいから遠慮しますっ!」  甲手の張り替えは思ったよりも料金が高く、母から預かってきたお金では足りなかったので、甲手だけ預けてまた後で支払いに来ることになった。また山田さんに会わなきゃ行けないのかと思うと憂鬱だけど、今度こそ一人で来よう……。  駅に着くと中途半端な時間のせいか人影は疎らで、ホームにはすでに電車が停まっていたものの、ロングシートは広々と空いていた。ぼくと堀越くんは隣同士に腰掛けて、商店街に寄り道して買った生大福を頬張る。もちもちした皮の中にみっしりと詰まったクリームはまだ半分凍っていて、噛むとシャリシャリと音がした。咀嚼しているうちに口いっぱいに濃厚な生クリームの甘さが広がっていく。 「おぉいしーい」 「増田くんヤバいって。口の周り、粉で真っ白になってる」 「ほんと?」  ぼくはポケットからティッシュを取り出して口を拭いた。それでもまだちゃんととれてないといって、堀越くんはぼくの手からティッシュを取り唇の端を拭ってくれた。なんだか、ごく自然に子供みたいに世話されちゃってるけど、 「よし、これでオッケー」  と、堀越くんが目を細めるのを見ると、何故だか劣等感はどこかへ吹き飛んでいって、心に温かいものが流れ込んできた。冷たいものを食べたばっかりなのに、身体がぽかぽかした。 「堀越くんも、口の端っこにちょっとついてるよ」  ぼくがそれを親指の腹で拭ってあげると、堀越くんは眉尻を下げ頬を赤らめた。  小腹が満ち足りたせいか、五時限目に居眠りをしたというのにまた瞼が重たくなってきた。最近よく眠くなるんだけど、春だからかなあ? 「眠い? 寝てていいよ。駅に着いたら起こしてあげる」  堀越くんの言葉に甘えて、ぼくは目を閉じた。

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