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夏は合宿①

 増田くんはかなりのビビりで、些細なことにも怖気づく。ロッテリアに行こうと自分で誘って来たのに、いざ店の前まで来てみれば足がぷるぷる震えて先に進めなくなったりとか。ちょうど昼飯時で混雑していてなかなか座れそうになかったのもあり、他のとこにする? と聞いたら、 「これも人生経験だ……」  神妙な顔つきでそう言うから、思わず噴き出しそうになるのを堪えるのが大変だった。窓際の席に座りシェイクを啜るとようやく落ち着いたのか、増田くんの顔色はたちまち回復し、さっきまでの沈黙が嘘のようにペラペラと喋り出した。実は家族以外の人とロッテリアに来たのは初めてだそうで、テイクアウトじゃなく店内で食べるのも初体験だという。マックよりは難易度が低いんじゃないかと思ったって、それはどういう基準なんだ。そういう事は恥ずかしげもなく言ってしまうのが、増田くんの面白いところだ。  電車にだって、高校に入学するまで一人で乗ったことがなかったらしく、最初の一週間はおどおどしていた。吊り革にちゃんと掴まれないとか、改札で定期を見せる時にもたつく事とかは非常に気にしていたのに、車内でずっと俺に抱きかかえられていることには疑問を覚えないのか、平然とした顔で俺に密着したまま昨日見たアニメのことを喋る。  またある時は、武道具屋のオヤジに過剰に怯え、なのに今にも失神しそうな青白い顔で店に乗り込み、自分が使う訳でもない甲手の修理を依頼した。だが、その帰り道で買った大福を電車の中で頬張ると、小腹が満たされたら眠くなったといって俺の肩に(もた)れ、無防備な恰好で微睡んだ。電車が動き出すと増田くんはずるずるとずり落ちて来て、最終的には俺の膝枕で爆睡したのだが、それを増田くん本人は知らない。  そして、「ノストラダムスの大予言」を増田くんは半信半疑といいつつかなり信じている。    早朝の雨は苦手だ。断続的な雨音を無意識のうちに聞いていると何故か気が緩み、寝過ごしてしまう。おやっさんが起こしてくれたから遅刻は免れたものの、駅に着くのがいつもより遅れたせいで、一両目に乗れなかった。増田くんとの約束を破ってしまった。  雨の日は普段チャリや原付きで通っているヤツまで電車を利用するせいで、車内も駅の構内も混雑する。増田くんと合流するために車両を移ることは出来なかった。今頃は増田くんは人ごみに揉まれながら不安一杯の目で周囲を見回しているんじゃないかと思った。  終点で降り駅からロータリーに出た時にやっと、雑踏の中に一際小さな背中が紛れているのを見つけた。身体に似合わない大きな傘を差し、他人にぶつかりそうになりながら、心もとない足どりで懸命に歩いている。追いつこうと思えば追いつけるかもしれない距離。だが、声は掛けずにそっとしておこうと思いついた。きっと今頃、増田くんはまた「これもまた人生経験だ」と自分自身に言い聞かせながら一人で頑張っているのだろうから。  商店街を通り、曲がりくねった細い路地を抜け、橋を渡る。学校の南側の景観を塞ぐ杉山沿いを歩いていたところで、増田くんは突然、文字通り飛び上がった。片足を上げたままアスファルトを凝視し、また飛び退く。更には右手の(くさむら)の方に目を留めるや後退りし、小走りに駆けて行った。一連の動作の間、きっと心の中で「は!?」「なになに!?」「なんでっ!?」「ひぃぃ!!」と叫んでいたに違いない。さて、今度は増田くんは一体、何に驚いたのだろうか? 「見た……?」  放課後、待ち合わせ場所の図書室で顔を合わせるなり、増田くんは内緒話をするように囁いた。 「見た」  俺も声を低めて言った。 「あれはヤバかったよねー!」  そこで急に人目を忘れて大声を出しちゃうところが、増田くんの可愛いところだ。受付当番仲間の藤井さんの咳払いで増田くんは我に返ると、白い目で俺たちを見る彼女におずおずと会釈した。  俺は手招きして増田くんを側に呼び寄せ、耳打ちした。 「犬の糞でも落ちてんのかと思った」  増田くんはニシシと忍び笑いをした。 「ぼくも。だから、皆が普通に通ってるのを不思議だと思わなくて、いざ跨ぐ時はうっかり踏まないようにしなくちゃって覚悟してたんだよぼくは。だけど、ウンコじゃなかった。思わず目を疑った。あれってもしかしてもしかしなくても……」 「蛙だな。しかも、異様にデカい」 「だよねだよねーっ! 叢の中のとこも見たぁ? 草の中にさぁ、路上に落ちてた蛙とおんなじ様なのが五匹くらい並んで倒れてたんだよ。脚まっすぐに伸ばしててさあ。死んでんのかと思ったら、首の所がピクピクしててちゃんと生きてんの。口をぱかーっと開いてて、でも倒れっぷりが三十八度線を越えてきて射殺されたスパイの死に様みたいなのがすごくシュールで」 「あー、わかる。それ俺もニュースで見たことあるわ」 「でしょ? あんなデカい蛙が転がってたのに、誰も何も言わなくて、犬のウンコが落ちてた時よりもリアクションがないのが不気味でさぁ、ぼく、まさか自分だけ蛙の幻か幽霊を見たんじゃないかなと思った。あるいはもしかすると通る人たちの方こそ幽霊なのかもしれないって!」 「なー。俺も今回は驚いたね。ちょっとした世にも奇妙な物語だった」  増田くんの言う通り、蛙が長々と横たわっていた地点を通る時、通行人の誰もが何も見えていないかのように歩速も進路も変えず、素通りして行った。なのに蛙には踏まれた形跡がない。立ち止まって靴の先で蛙の脇腹を押すと、蛙は口を開き「グェ」と一声鳴いた。笑っているような顔だった。蹴り転がして路肩の茂みに寄せてやっている間、一人二人くらいは「あいつ何やってんの」と嗤いそうなものだが、誰一人として反応しない。世の人々が俺のすることに全く興味関心を持たないのはいつものことだから、今更気にしない。だが、ふと顔を上げて先をゆく傘と制服の後ろ姿達を見た時、異常なのは俺じゃなくてこいつらの方なのではないかと思ったのは、初めてかもしれない。崩れかけたアスファルトの縁の、ぼうぼうに伸びたイネ科の雑草の陰に、蛙は仰向けになった。手足をだらりと真っ直ぐに伸ばした姿は人間のようだった。増田くんが気付いたから俺も蛙の存在に気付いたが、そうでなければ俺も犬の糞か泥でもあるのだろうと思って軽く跨ぎ越し、すぐに忘れる側だったろうか。 「今朝は、約束破ってごめん」 「いいよ、いいよ。たまには一人で登校するのもいい経験だし」  カウンター越しに増田くんの肩を抱くと、増田くんはシシシと笑いながら俺の頬にほっぺたをくっつけた。他人の気づかない些細でどうでもいいことには目敏く気づく癖に、開けっぴろげで無防備。俺は増田くんのそんな所が好きだ。

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